53話 食べるという訓練
訓練場を出たとき、太陽はすでに高く昇っていた。
午前の冷たい空気は消え、石畳はじんわりと熱を帯びている。
それでも、リオルの体は重かった。
脚は鉛のようで、腕を下ろしているだけでもじわじわと痛む。
一歩進むたび、体のあちこちが悲鳴を上げていた。
「……」
無言のまま歩くリオルの横を、ヴォルクルが気にするように見る。
「大丈夫か」
「……うん」
声は小さいが、倒れそうな様子はない。
それが、ヴォルクルには少し不思議だった。
訓練前より明らかに消耗しているはずなのに――
どこか、芯が残っている。
「昼だ」
前を歩いていたエリオラが、振り返らずに言った。
「食堂に行くぞ」
「……え?」
リオルが思わず声を漏らす。
「食事、ですか?」
「ああ」
当然のような返事。
「今日の訓練は終わりだ」
ほっとした気持ちと、拍子抜けが同時に来る。
だが、次の言葉でそれは消えた。
「ただし」
エリオラは足を止め、振り返る。
「食うのも訓練だ」
「……食べるのも?」
ミノンが目を丸くする。
「はい……?」
「当たり前だろ」
エリオラは腕を組んだ。
「食えねぇ体じゃ、強くなれねぇ」
そう言って、リオルを見る。
「動かした分、ちゃんと入れろ。
入れなきゃ、意味がねぇ」
ヴォルクルは、その言葉に静かに頷いた。
⸻
食堂に入ると、すでに料理が並べられていた。
湯気の立つ白い飯。
焼き魚。
根菜と豆の煮込み。
蒸した芋と、濃い色の野菜の和え物。
油は控えめだが、香りはしっかりしている。
「……多くないですか」
思わず、リオルが呟く。
「全部だ」
エリオラは即答した。
「残すな」
「……」
正直、食事は苦手だった。
空腹でも箸が進まない。
少し食べると、胸が重くなる。
(……食べられるかな)
不安がよぎる。
「考えるな」
エリオラは椅子を引きながら言った。
「まず一口だ」
リオルは、ゆっくりと箸を持つ。
白い飯を、少しだけ。
口に運ぶ。
――するり、と入った。
「……あ」
思わず声が漏れる。
噛んで、飲み込む。
胸が詰まらない。
胃が拒絶しない。
(……入る)
もう一口。
今度は煮込みの野菜。
柔らかく、温かい。
それも、抵抗なく胃に落ちていく。
「……え」
リオルは箸を止め、自分の手を見る。
「……どうした」
ヴォルクルが声をかける。
「……食べられる」
小さな声。
「え?」
今度はミノンが反応した。
「……今まで、あんまり……食べられなかったのに」
もう一口。
さらにもう一口。
体が、自然に受け入れている。
「……すごい」
ミノンが目を見開く。
「本当に、普通に食べてますよ……」
ヴォルクルも、驚いたようにリオルを見ていた。
箸が止まらない。
苦しさも、焦りもない。
ただ、空腹が満たされていく。
エリオラは、その様子を黙って見ていた。
やがて、口の端をわずかに上げる。
「だろ」
「動かした体は、正直だ」
「余計なこと考えなきゃ、ちゃんと食える」
リオルは、ふと顔を上げた。
「……訓練、だったんですね」
「ああ」
短い返事。
「体を使う。
腹が減る。
食う。
回る」
「それができて、ようやくスタートだ」
ヴォルクルは、空になっていく皿を見ながら静かに言った。
「……よかったな」
「……うん」
リオルは、少しだけ笑った。
その笑顔を見て、ミノンもほっと息をつく。
「僕も……なんだか、お腹すいてきました」
「お前は元からだろ」
ヴォルクルが言うと、ミノンは照れたように笑った。
三人で、黙々と食事を続ける。
皿が空になるたび、
リオルの胸の奥にあった不安が、少しずつ薄れていく。
(……食べられる)
それは、ただの食事じゃない。
「……できることが、増えた」
小さく呟いたその言葉を、
誰も否定しなかった。
エリオラは立ち上がり、言い捨てる。
「午後は休め」
「今日は、これで終わりだ」
「……はい」
リオルは、はっきりと答えた。
体は痛い。
疲れてもいる。
それでも――
胸の奥は、少し温かかった。




