表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/57

52話 地獄の始まり



「――止まるな」


短く、低い声が飛ぶ。


リオルは、何度目か分からない息を吐きながら、訓練場の外周を歩いていた。

走ってはいけない。

ただ歩く。


それだけのはずなのに、足は鉛のように重く、肺が焼けるように苦しい。


「歩くだけで、そんな顔すんのかよ」


エリオラが、腕を組んだまま吐き捨てる。


「……っ」


返事をする余裕すらない。


額から滴る汗が視界を滲ませ、脚は震え、重心が定まらない。


「姿勢が崩れてる」


エリオラは一歩踏み出し、リオルの背を指で叩いた。


「背中、丸めるな。

腹に力入れろ」


「……はい……」


声が、かすれる。


「返事は腹からだ」


「……はいっ」


それだけで、胸が軋んだ。


「呼吸」


エリオラは淡々と続ける。


「浅い。

吸うな、吐け」


「……?」


「吸うのは勝手に入ってくる。

意識すんのは、吐く方だ」


そう言って、自分の腹に拳を当てる。


「吐け。

全部だ」


リオルは言われた通り、息を吐こうとした。


――その瞬間。


胸の奥が、じわりと熱を持った。


「……っ」


視界が、わずかに揺れる。


(……だめ)


無意識に、何かが反応しかけた。

体の奥で、“あれ”が動こうとする感覚。


「止めろ」


鋭い声。


エリオラの視線が、真っ直ぐリオルを射抜く。


「今、何しようとした」


「……わかりません」


正直な答えだった。


「分からねぇなら、なおさらだ」


エリオラは一歩、距離を詰める。


「だから今日は、魔術はやらせねぇ」


少し離れた場所で、ヴォルクルがその様子を見ていた。

拳を、無意識に握りしめる。


(……無茶だ)


それでも、止めなかった。


エリオラがやっているのは、壊すためじゃない。

それだけは、はっきり分かっていた。


「もう一周」


「……はい」


歩き出した瞬間、脚がもつれる。


「っ――」


倒れそうになった体を、必死に立て直す。


「そこで止まるな」


「……っ」


「止まると、次に動けなくなる」


冷たい声。

だが、突き放してはいない。


一歩。

また一歩。


歯を食いしばり、リオルは歩き続けた。


視界の端で、ミノンが不安そうに見ている。

だが、結界は張られていない。


守られていない。


今は――

自分の体だけで、立っている。


「……よし」


やがて、エリオラが手を上げた。


「止まれ」


その場に崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえる。


「座るな」


即座に飛ぶ声。


「立ったまま、呼吸を整えろ」


「……っ、は……」


肺が、言うことをきかない。


「吐け」


「……は、はぁ……」


「もっとだ」


エリオラは、正面に立つ。


「今、お前の体は

“逃げ道”を探してる」


その言葉に、肩が震えた。


「魔術に逃げたら、そこで終わりだ」


「……」


「だから今日は体だ」


エリオラは、はっきりと言った。


「この体が、

あの力を受け止める“器”になる」


リオルは、必死に息を吐き続けた。


胸の奥の熱は、完全には消えない。

だが――暴れない。


(……抑えられてる)


初めて、そう感じた。


「……不思議だ」


思わず、声が漏れる。


「……なにがだ」


「さっきより……

少し、楽です」


エリオラは、ほんのわずかに目を細めた。


「当たり前だ」


「逃げてねぇからな」


その一言で、胸の奥がじんわりと熱くなる。


エリオラは、背を向けた。


「今日はここまでだ」


「……え?」


「初日から壊したら、意味がねぇ」


振り返らずに言う。


「だが」


一拍置いて、


「明日からは、もっとキツくなる」


「……これ以上、か」


ヴォルクルが思わず漏らす。


「当然だ」


エリオラは肩越しに笑った。


「こいつは、

これからが本番だ」


リオルは、ふらつきながらも立っていた。


全身が痛い。

息も苦しい。


それでも――

胸の奥の“何か”は、暴れずに、そこにある。


(……続けたい)


そう思えた自分に、少し驚きながら。


エリオラは、歩き去りながら呟いた。


「悪くねぇ、初日だ」


その声は、

誰にも聞こえないほど小さかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ