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28話 知らせないという選択


夜の医療棟は、昼とは別の顔をしていた。


灯りは落とされ、

必要最低限の魔術灯だけが、廊下を淡く照らしている。


エド・イレイユスは、机の上の書類を整えながら、

何度目か分からないため息をついた。


「……」


並べられているのは、

メルトガルトからの返書の写しと、

リオル・アルトレスの診療記録。


どれも、決定的な異常は記されていない。


だが――

書かれていないことこそが、問題だった。


ノックの音がする。


「……どうぞ」


入ってきたのは、ミリアだった。


外套を肩に掛け、

いつもの張りつめた表情を、少しだけ緩めている。


「ゼクロアから聞いたわ」


エドは頷いた。


「……条件は、すべて受け入れるそうです」


「当然ね」


ミリアは椅子に腰を下ろす。


「帝国に知られたら、終わりだもの」


言い切りだった。


エドは、少し間を置いてから口を開く。


「……問題は、リオル本人です」


ミリアの視線が、鋭くなる。


「どこまで、伝えるか」


「ええ」


エドは、記録に目を落としたまま言った。


「自分の内側で、何が起きているのか」

「それが、どれほど危険か」


「……今は、伝えない」


ミリアは、即答した。


「今伝えたら、あの子は

 “自分が脅威だ”と理解してしまう」


「……そうでしょうね」


エドも、それは否定しない。


「制御の方法も分からない段階で、

 重さだけを背負わせるのは……」


「虐待に近いわ」


ミリアの声は、低かった。


「善意でも、ね」


沈黙が落ちる。


やがて、エドが静かに言う。


「……では、“体調管理”として、

 最低限の説明だけに」


「ええ」


ミリアは立ち上がる。


「“体に負担がかかりやすい”

 “無理をすると倒れる可能性がある”」


「それ以上は、伏せる」


「そう」


扉へ向かいながら、ミリアは一度だけ振り返った。


「……守るっていうのは、

 真実を全部言うことじゃない」


その言葉は、

帝国軍で多くを見てきた者の重みを帯びていた。


エドは、深く頷いた。



同じ夜。


ウィステリア帝国・中央魔術局。


高い天井と、冷たい石床。

整然と並ぶ机と、無駄のない配置。


その一角で、若い分析官が眉をひそめていた。


「……おかしいな」


机の上にあるのは、

各地から集められた魔力報告の要約。


異常値はない。

警告も出ていない。


だが。


「沿岸部の湿度変動が、

 ここ三週間、説明と合わない……」


気候報告では問題なし。

魔術使用記録も該当なし。


「……誤差か?」


そう呟きながら、別の資料に目を通す。


南方領域。

アルトレス領を含む区画。


「……」


反帝国派ではあるが、

軍事的な動きは見られない。


「……ただの、偶然だな」


分析官はそう結論づけ、

報告書に「経過観察」とだけ記した。


だが――


その背後で、

別の人物が静かにその様子を見ていた。


「……気になるか?」


年配の局員が声をかける。


「いえ……数値上は、問題ありません」


若い分析官は答える。


「ただ……」


「ただ?」


「……環境変動の“質”が、

 魔術使用時のものと、少し違う気がして」


年配の局員は、鼻で笑った。


「感覚論だな」


「……はい」


「魔術は個人が使うものだ。

 環境が先に変わるなど、あり得ない」


それが、帝国における“常識”。


「余計な想像は捨てろ」


そう言い残し、年配の局員は立ち去る。


若い分析官は、しばらく背中を見つめ、

やがて報告書を閉じた。


「……ですよね」


そう呟きながらも、

胸の奥に残った違和感は、消えなかった。



アルトレス邸。


リオルは、寝台に腰掛け、

膝の上に手を置いていた。


胸の奥は、静かだ。


何も、起きていない。

少なくとも、表面上は。


ノックの音。


「……どうぞ」


入ってきたのは、ヴォルクルだった。


「……エドからだ」


短く告げる。


「しばらく、無理はするな」


「……はい……」


それだけ。


理由は、説明されない。


廊下の向こうに、

ミノンが立っている気配がある。


前と後ろ。

二つの存在に挟まれた位置。


それが、いつの間にか当たり前になっていた。


リオルは、ふと考える。


(……みんな……なにか……)


言葉にはならないが、

何かを伏せられている感覚。


それでも、不思議と怖くはなかった。


(……でも……)


守られている。


それだけは、はっきり分かる。


リオルは、ゆっくりと横になり、目を閉じた。



帝国の空は、今日も静かだった。


まだ、誰も気づいていない。


いや――

気づいていない、ことになっている。


だが、

違和感は確かに、動き始めている。


知らせないという選択は、

守るためのもの。


そして――

動き出した影は、

いつか必ず、光に触れる。


それが、いつになるか。

まだ、誰にも分からなかった。


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