表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/40

24話 みどり色の執事



朝のアルトレス邸は、忙しい。


廊下を行き交う使用人たちの足音。

食堂から漂ってくる、焼きたてのパンの匂い。

どれも、いつもと変わらない。


――はずだった。


「……ねえ、見た?」


「ええ……昨日から、ついてるわよね」


角を曲がった先で、ひそやかな声が交わされる。


視線の先には、三人の姿。


先頭を歩くのは、狼獣人の執事。

無駄のない歩幅と、周囲を警戒する鋭い気配。


その少し後ろを、少年が歩いている。

まだ背は低く、足取りは慎重だ。


そして、そのさらに後ろ。


緑色の髪の青年が、静かに続いていた。


「……あの人、誰?」


「新しい執事でしょう」

「ほら……緑の……」


「……ああ、みどり色の執事」


誰かが、そう呼んだ。


侮蔑でも、親しみでもない。

ただ、正体の分からない存在につけられた仮の名。


当の本人――ミノンは、

そう呼ばれていることなど、知らない。



中庭。


朝の空気は澄み、風も穏やかだった。


リオルは石畳の端に立ち、

庭の中央をぼんやりと眺めている。


胸の奥は、静かだ。


完全に何もないわけではない。

だが、昨日のような近さは感じない。


「……リオル様」


背後から、穏やかな声。


振り返ると、ミノンが一歩距離を保って立っていた。


「……お身体の具合はいかがですか?」


問いは丁寧で、慎重だった。


「……だいじょうぶ……です……」


少し考えてから、リオルは答える。


「……なにも……でて……ません……」


ミノンは目を伏せ、静かに頷いた。


「……はい。

 今のところ、安定しています」


“良かった”とは言わない。

“安心しました”とも言わない。


事実だけを、共有する。


少し離れた場所で、ヴォルクルがその様子を見ている。

視線は、リオルから外れない。


ミノンはそれに気づいているが、何も言わない。

役割が違うことを、互いに理解していた。


「……歩きますか」


ヴォルクルの短い言葉。


「……はい……」


頷くと、三人は自然に動き出す。


前にヴォルクル。

中央にリオル。

後ろにミノン。


昨日と同じ配置。


誰も指示していない。

それでも、崩れない。



庭の端で、使用人たちがその様子を見ていた。


「……囲まれてる、って感じじゃないわね」


「ええ……」

「守られてる、っていうより……」


「……整ってる、かしら」


誰かが、そう言った。


みどり色の執事は、一歩も前に出ない。

だが、そこに“いない”わけでもない。


空気を測り、変化を待ち、

何も起きていない今でさえ、立ち続けている。


「……不思議な人ね」


「ええ……でも……」


言葉を選んで、誰かが続ける。


「……あの方が後ろにいると、

 少し……静かになるわ」


安心とは違う。

何かが起きても、ここで止まる――

そんな予感を含んだ静けさ。



回廊に戻る途中、

リオルの足が、わずかに止まる。


胸の奥が、かすかに揺れた。


昨日より、ずっと小さい。

だが、確かに、ある。


ヴォルクルが即座に前に出る。


「……どうした」


「……ちょっと……」


言葉にならないまま、

リオルは胸に手を当てる。


ミノンは一歩下がり、背後を取った。


声は低く、落ち着いている。


「……外には、出ていません」

「……今は、内側だけです」


断定ではない。

確認の共有。


リオルは、その言葉で呼吸を整える。


「……ごめんなさい……」


反射的に出た謝罪。


ミノンは、すぐに首を振った。


「……謝る必要はありません、リオル様」


やわらかく、しかしはっきりと。


「感じたことを、教えてくださっているだけです」


リオルは、目を見開いた。


そんなふうに言われたことは、やはりない。


ヴォルクルが、低く言う。


「……今のでいい」


それだけ。


否定も、責めもない。


リオルは、ゆっくりと頷いた。


「……はい……」


胸の奥の揺れは、

いつの間にか、収まっていた。



夕方。


書庫の前を通りかかった使用人が、足を止める。


扉の隙間から見えたのは、

机に向かうリオルと、少し離れて立つ二人の執事。


狼獣人は動かない。

みどり色の執事は、静かに立っている。


どちらも、過剰に近づかない。


それでも――


「……あの子、

 ちゃんと守られてるのね」


その言葉は、噂にも、報告にもならなかった。


ただ、

屋敷の空気に、静かに混ざっていく。



夜。


リオルはベッドに横になり、天井を見つめていた。


今日は、水は出ていない。

熱も、ない。


それでも。


(……だいじょうぶ……だった……)


理由は、はっきりしない。


けれど、

一人ではなかった。


前に。

後ろに。


違う形で立つ人がいる。


扉の外に、二つの気配。


それだけで、今は十分だった。


目を閉じる。


みどり色の執事は、

まだ名を知られていない。


だが、その存在は、確かにここにある。


そしてそれは――

これから起きる“本当の力”に備えるための、

静かな準備でもあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ