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21話 余韻



中庭は、静まり返っていた。


水は消えている。

石畳も乾いたまま。

朝と何ひとつ変わらないはずの光景。


それでも――

誰一人として、同じ場所に立とうとはしなかった。


「……」


最初に動いたのは、ゼクロアだった。


ゆっくりと歩み寄り、

リオルの前で立ち止まる。


視線は、少年ではなく、

その足元――

水が“在った”場所に落ちている。


「……怪我はないか」


問いは、簡潔だった。


「……はい……」


リオルは小さく頷く。

声は出ている。

意識も、はっきりしている。


けれど。


胸の奥が、

妙に静かだった。


熱はない。

あの温かさも、遠い。


まるで、

長いあいだ詰め込まれていたものが、

すっかり抜け落ちてしまったような感覚。


(……から……?)


不安ではない。

怖くもない。


ただ、

自分の中にあったはずの“何か”が減っている。


それが、気持ち悪かった。


「……歩けるか」


「……はい……」


一歩、踏み出す。


足取りは安定している。

ふらつきもない。


それでも、

ヴォルクルは即座に距離を詰めた。


触れない。

だが、離れもしない。


――いつでも支えられる位置。


「……部屋へ戻ろう」


ゼクロアの言葉に、

誰も異を唱えなかった。



回廊を進むあいだ、

使用人たちは、皆、足を止めた。


視線が集まる。

だが、

誰も声をかけない。


「大丈夫ですか」

「何があったんですか」


そんな言葉は、ひとつも出てこなかった。


代わりにあるのは、

測るような沈黙と、

無意識に取られる距離。


近づく者はいない。

だが、逃げる者もいない。


ただ、

避けている。


理由は、誰にも分からないまま。


「……」


リオルは、その空気を感じ取っていた。


見られていること。

そして、

“見られ方”が変わったこと。


(……なに……した……?)


問いは、

まだ言葉になる前で止まっていた。



部屋に戻ると、

リオルは椅子に座らされた。


ミリアが、向かいに腰を下ろす。


「……少し、休みましょう」


声は穏やかだった。

だが、

いつもより慎重な響きがあった。


「……あれ……」


リオルは、言葉を探す。


「……さっきの……」


どこから、どう聞けばいいのか分からない。


水だった。

だが、

水と呼んでいいのかも分からない。


「……何だったのか……」


言い終わらないうちに、

ミリアは首を横に振る。


「……まだ、分からないわ」


断定でも、否定でもない。


「……分からない、ということだけは、分かっている」


その言葉に、

リオルは小さく頷いた。


胸の奥が、

すうっと冷える。


分からない。

でも、

自分と無関係ではない。


そのことだけは、否定できなかった。



医療棟。


エドは、記録用紙を前に、

ペンを持ったまま動けずにいた。


数値はない。

測定も、できていない。


書けるのは、

「観測された事実」だけ。


――水の発生

――外傷なし

――魔力反応、未測定


それだけを書き、

ペンを置く。


「……名を付けるには、早すぎる」


独り言のように呟く。


だが同時に、

胸の奥で、確信に近いものがあった。


これは、今後も起きる。

一度きりではない。


「……間に合うか……」


誰に向けた言葉でもなかった。



別の部屋で、

ゼクロアとミリアは向かい合っていた。


「……見たな」


「ええ」


短い応答。


「……帝国には、知らせない」


「……当然よ」


即答だった。


あれを知られた場合、

どう扱われるかは、考えるまでもない。


「……護りを厚くする」


「……ええ。でも――」


ミリアは、言葉を切る。


「……“閉じ込める”ようなことは、しないで」


ゼクロアは、わずかに目を細めた。


「……分かっている」


守ることと、縛ることは違う。


その境界を、

踏み違えてはならない。



夜。


リオルは、ベッドに横になっていた。


眠れないわけではない。

だが、

目を閉じると、胸の内側が気になってしまう。


熱はない。

あの温かさも、遠い。


代わりにあるのは、

空白のような静けさ。


(……なくなった……?)


そう思って、

すぐに首を振る。


なくなったわけじゃない。

ただ、

外に出ただけ。


その感覚だけが、残っている。


扉の外で、足音が止まる。


「……ヴォルクル……?」


返事はない。

だが、

そこにいると分かる。


それだけで、

胸の奥が、ほんの少しだけ落ち着いた。


(……まだ……)


分からないことばかりだ。


今日起きたことも。

これから起きることも。


ただ、一つだけ。


――もう、戻れない。


何に、とは言えない。

けれど、

昨日までの自分と同じではいられない。


その自覚だけが、

静かに、確かに、残っていた。


夜は、何事もなく更けていく。


だが。


この屋敷で、

今日の出来事を

「なかったこと」にできる者は、

もう、誰一人としていなかった。


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