プロローグ② 最安値の親王殿下
最安値の親王殿下
「売る」
そう告げられた時、リオルは驚かなかった。
胸がざわつくことも、声が詰まることもなかった。
――ああ、やっぱり。
それが、最初に浮かんだ感情だった。
ここに、自分の居場所はない。
それはもう、痛いほど理解している。
毎日、殴られた。
毎日、罵られた。
失敗すれば怒鳴られ、倒れれば蹴られた。
親王だったはずの名前は使われなくなり、
代わりに投げつけられるのは侮蔑の言葉ばかり。
「役立たず」
「最低値」
「邪魔だ」
そうして連れて行かれた場所は、
空気そのものが重かった。
鼻を突くのは、血と汗と排泄物の臭い。
洗われることのない床。
うめき声と、乾いた笑い声。
人が“人であること”を奪われた場所の臭いだった。
鉄格子の向こうで、誰かが泣いている。
別の誰かは、もう声すら出していない。
(……ああ)
ここが新しい居場所か。
自分は、ここで終わるんだ。
「これが例の“親王殿下”か?」
低い声が響く。
奴隷商人が、値踏みするようにリオルを見下ろしていた。
その視線は、人を見るものではない。
家畜。
商品。
壊れても構わない“物”。
「病弱です」
「力もありません」
「使えません」
誰かがそう言った瞬間、
腹に衝撃が走った。
鈍い音。
息が一気に詰まり、
視界が白く弾ける。
膝をつくより早く、髪を掴まれた。
乱暴に引き上げられ、無理やり立たされる。
「倒れるな」
耳元で、吐き捨てるような声。
「気絶したら商品にならねぇ」
拳が飛ぶ。
蹴りが飛ぶ。
理由はない。
抵抗する意味もない。
口から血の味が広がる。
体が揺れ、床が遠のく。
食事は与えられなかった。
水は、床にこぼされたものを舐めるしかない。
喉が焼けるように痛い。
唇は割れ、声も出ない。
「親王殿下様が、このザマか」
「笑えるな」
笑い声が、頭の奥に突き刺さる。
もう、痛みはどうでもよかった。
殴られるのも、蹴られるのも、
何も感じなくなっていた。
ただ――終わらせたかった。
そう思った、その時だった。
ちゃり、と。
乾いた金属音が、やけに大きく響いた。
机の上に置かれる金貨。
一枚。
それだけ。
「これでいい」
「安いな」
「最安値だ。病弱だし」
淡々と交わされる会話。
まるで、壊れかけの道具を処分するかのように。
その瞬間、リオルは理解した。
自分は、もう皇族ではない。
いや――
人間ですらない。
値段のついた“物”だ。
それも、最安値。
視界が滲む。
涙なのか、血なのか、分からない。
それでも、倒れることは許されなかった。
「立ってろ」
「商品だぞ」
――もう、死にたい。
その願いすら、許されない。
そう思ったところで、
意識は、ゆっくりと暗闇に沈んでいった。
それが――
最安値で売られた、親王殿下の末路だった。




