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14話 声を出さない夜




夜半、屋敷は深い静けさに沈んでいた。


廊下を歩く足音もなく、

風に揺れる木々のざわめきさえ聞こえない。


アルトレス邸の夜は、

あまりにも穏やかだ。


だからこそ――

リオルは、ふと目を覚ました。


夢を見ていた自覚はない。

叫び声も、衝撃も、ない。


ただ、

胸の奥に沈んでいた重たいものが、

ゆっくりと浮かび上がってきただけだった。


(……あ……)


息は乱れていない。

心臓も、暴れていない。


それなのに、

指先だけが、かすかに震えている。


――大丈夫。


そう思おうとして、

言葉にできなかった。


布団の中で、身体を丸める。

無意識に、呼吸を浅くする。


音を立てないように。

誰も起こさないように。


(……また……)


夢の内容は、もう思い出せない。

けれど、残っている感覚だけははっきりしていた。


逃げ場がない感覚。

声を出してはいけない感覚。


「……」


リオルは、唇を噛む。


ここでは、声を出してもいい。

泣いてもいい。


それを知っているからこそ、

今度は、我慢してしまう。


――もう、迷惑はかけたくない。


そんな考えが、

ごく自然に浮かんでしまう。


その時。


「……起きているな」


低い声が、闇の中から落ちてきた。


驚きはなかった。

恐怖もない。


ただ、

胸の奥が、少しだけ緩む。


ヴォルクルだった。


いつからそこにいたのかは分からない。

足音も、扉の音も、記憶にない。


それでも、

“いる”という事実だけは、はっきり分かる。


「……ごめ……」


反射的に出かけた言葉を、

リオルは途中で止めた。


謝る必要はない。

分かっている。


それでも、

長く染みついた癖は、簡単には消えない。


ヴォルクルは、何も言わなかった。


ただ、ベッドの横に腰を下ろす。


距離は近い。

だが、触れない。


抱き寄せることも、

肩に手を置くこともない。


それでも――

そこに、いる。


「……眠れないなら」


低い声が、静かに続く。


「無理に寝なくていい」


それだけだった。


慰めでも、命令でもない。

“許可”に近い言葉。


ヴォルクルは、

ずれていた毛布を、そっと直す。


布の端が、リオルの手に触れる。


一瞬だけ。

本当に、一瞬だけ。


それだけで、

指先の震えが、わずかに収まった。


「……ここ……」


リオルは、小さく呟いた。


声は、かすれている。


「……ここに……いなくても……」


言葉が、途中で途切れる。


“自分がここにいる意味”を、

まだ、うまく信じられない。


ヴォルクルは、すぐには答えなかった。


ほんの少し、間を置いてから。


「いる」


短い一言。


理由も、条件も付けない。


守るとも言わない。

安心しろとも言わない。


ただ、

いなくならないと伝えるだけ。


リオルは、ゆっくりと目を閉じた。


眠ろうとしているわけではない。

ただ、視界を閉じただけだ。


胸の奥では、

さざ波のような不安が、まだ揺れている。


けれど、

その揺れを、誰かが見ている。


声を出さなくても。

涙を流さなくても。


独りじゃないと、

知っている夜。


ヴォルクルは、立ち上がらなかった。


椅子を引く音も立てず、

そのまま、そこにいる。


夜は、まだ長い。


だが、

この夜は、もう孤独ではなかった。


声を出さない夜。

崩れない夜。


それは、

少しだけ前に進んだ証だった。


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