13話 回復しない理由
朝の光は、すでに屋敷の廊下を満たしていた。
窓から差し込む光が白い石床に反射し、
柔らかな輪郭で空間を形作っている。
リオルは、椅子に腰掛けたまま、
その光をぼんやりと見つめていた。
ここに来てから、数日。
食事は、確実に良くなっている。
眠れる時間も、少しずつ増えた。
それなのに――
「……ふら……」
立ち上がろうとした瞬間、
視界が揺れた。
すぐに、腕を支えられる。
「無理をするな」
ヴォルクルの声は低く、静かだった。
「……ごめん……なさい……」
謝る癖は、まだ抜けていない。
「謝る理由はない」
即答だった。
「今は、座れ」
言い切りだが、命令ではない。
守るための言葉だった。
リオルは、再び椅子に身を預けた。
*
医療棟。
包帯の匂い。
薬草の苦味。
白い布の感触。
すべて、もう知っている。
「調子はどうですか」
エド・イレイユスは、淡々と問いかけた。
「……たべれる……ようには……なりました……」
「眠りは」
「……とぎれ……ます……けど……」
一つ一つ、確認されていく。
それは初診ではない。
経過観察だった。
エドは、リオルの手首に指を当てる。
脈は規則的。
弱いが、乱れてはいない。
「……数字だけを見れば」
エドは、独り言のように呟く。
「回復していて、おかしくはありません」
ミリアが、その言葉を拾った。
「“だけを見れば”、ね」
「ええ」
エドは頷く。
「初診の時点では、
栄養失調と長期衰弱で説明がつく状態でした」
ヴォルクルが、わずかに視線を上げる。
「……だが」
エドは、静かに続けた。
「今は、もうその段階を過ぎています」
室内の空気が、張りつめる。
「環境が改善され、
食事も摂れている」
「それなのに、
体力の回復が極端に遅い」
「……異常、ということ?」
ミリアの問いに、
エドは首を横に振った。
「異常というより――
説明が足りない」
*
エドは、器具棚から小型の測定具を取り出した。
以前も使ったものだ。
だが、今日の意味合いは違う。
「前回は、数値を取る意味がありませんでした」
「衰弱が強すぎたから」
ミリアが言う。
「ええ」
エドは肯定した。
「ですが今は違う」
測定具を机に置く。
「通常であれば、
ここから何かしらの反応が出始めます」
リオルの指が、わずかに強張る。
「……また……いたい……?」
「痛みはありません」
即答だった。
「触れるだけです」
恐る恐る、リオルは手を伸ばす。
触れた瞬間――
沈黙。
測定具は、
光らず、振れず、
数値も示さなかった。
「……」
エドは、別の器具を取り出す。
より感度の高いもの。
再度、測定。
結果は――同じ。
「……やっぱり……」
ミリアの声が、低くなる。
「ええ」
エドは静かに答えた。
「魔力が“少ない”反応ではありません」
「“無い”わけでもない」
ヴォルクルの耳が、ぴくりと動いた。
「では、何だ」
エドは、少しだけ言葉を選び――
慎重に告げる。
「……深すぎる」
「深い?」
「ええ」
エドは、リオルを見る。
「外から、触れない」
「まるで――
自分自身で“底”を作り、
そこへ沈めているようです」
リオルの胸が、きゅっと縮む。
思い当たる記憶が、あまりにも多い。
怒鳴られた日。
殴られた日。
「使えない」と言われた日。
――出さないほうがいい。
――感じないほうがいい。
そうやって、
何かを奥へ押し込め続けてきた。
「……それは……」
ミリアが、静かに問う。
「意図的?」
エドは、首を振った。
「無意識です」
断言だった。
「防衛反応です」
その言葉が、重く落ちる。
*
診察が終わり、
リオルは別室で横になった。
ヴォルクルは、そばを離れない。
扉が閉まった後、
ミリアとエドだけが残った。
「……帝国の測定器なら?」
ミリアが聞く。
エドは、迷わず答える。
「“最低値”と判定するでしょう」
「測れないものを、
“無い”とする」
「帝国らしい判断です」
皮肉は、淡々としていた。
ミリアは、静かに息を吐く。
「……病弱、ではない」
「ええ」
エドは、はっきり言った。
「この子は――
普通ではありません」
弱さではない。
異常でもない。
可能性。
危険性。
そして――未来。
ミリアは、扉の向こうを見つめた。
眠るリオルの気配を感じながら。
「……回復しない理由は、
“足りないから”じゃない」
エドは、静かに頷く。
「“深すぎる”からです」
その言葉が、
この日の結論だった。




