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12話 約束を守れなかった十年、守ると決めた今



ミリア・アルトレスは、書斎の窓辺に立っていた。


午後の光が、床に淡く落ちている。

庭を渡る風が木々を揺らし、その音だけが静かに耳へ届く。


この静けさを、

「次の命令の前触れ」だと思わなくなったのは、いつからだっただろう。


帝国にいた頃、

静けさは常に、誰かを切り捨てる合図だった。


「……リオル……」


無意識に、名がこぼれる。


今日、ようやく会えた子。

小さな体で、それでも目を伏せずに立とうとする子。


十年。


たった十年で、

あの子は“守られるはずの時間”を、すべて奪われてきた。



十年前。


リオルの母が亡くなった日のことを、

ミリアは今も、はっきりと覚えている。


戦場ではなかった。

血も、剣も、魔術もない場所。


出産という、

あまりにも静かな戦い。


『もし、私に何かあったら』


まだ彼女が生きていた頃。

夜の灯りの下で、そう言われた。


『皇帝陛下は、何をするか分からない。

 だから、この子をお願い』


その声は、強くも弱くもなかった。

ただ、未来を見据えていた。


ミリアは、その場で頷いた。


「必ず」


それが、約束だった。


その言葉が、

どれほど重い意味を持つのか――

その時の彼女は、まだ理解していなかった。



それからの数年間。


ミリアは、帝国に在籍し続けた。


国家魔術師。

帝国軍魔術部隊総隊長。


守るべき部下がいた。

背負うべき立場があった。


自分が抜ければ、

失われる命があると思っていた。


その間に、

リオルの噂は、断片的に耳へ届いた。


病弱な親王。

期待されない存在。

皇族でありながら、名を持たぬように扱われる子。


「使えない」

「不要だ」


そんな言葉が、

皇城の空気として流れていることも知っていた。


胸は痛んだ。

だが、動かなかった。


(まだだ)

(今は、まだ動けない)


そう言い聞かせながら。


それは準備ではなかった。

ただの――先延ばしだった。



三年前。


帝国は、決定的に一線を越えた。


獣人の粛清。

功績ある者の切り捨て。

命を「資源」と呼ぶ会議。


その場に立った瞬間、

ミリアは悟った。


――この国は、もう守る場所ではない。


だから、去った。


帝国を。

地位を。

過去を。


アルトレス領へ。


それは逃亡であり、

同時に、生き直すための選択だった。


ゼクロアと出会い、

言葉を交わし、

同じ怒りと理想を持つことを知った。


三年。


その時間をかけて、

ようやく「守れる場所」を整えた。


それでも――

心の奥には、まだ残っていた。


帝国への、最後の未練。

「本当に、すべてを捨ててよかったのか」という問い。



そして、現在。


知らせは、アルトレス領にいるミリアのもとへ届いた。


――親王が、奴隷商に売られた。


その一文を読んだ瞬間、

胸の奥で、何かが音もなく崩れ落ちた。


怒りでも、驚愕でもない。


理解だった。


――ああ。

――私は、もうとっくに帝国を捨てていた。


この知らせは、新しい決断ではない。


それは、

最後に残っていた未練が、完全に死んだ瞬間だった。


戻る場所は、最初から存在しなかった。

振り返る理由も、もうない。



そして今。


あの子は、ここにいる。


傷を抱え、

怯えを抱え、

それでも、生きている。


「……生きていてくれて、ありがとう」


それが、今の正直な気持ちだった。


今日、リオルと向き合ったとき、

過去を聞かなかったのは、優しさではない。


――聞く資格がない。


守れなかった者が、

傷の理由を問うべきではない。


だから、ただ伝えた。


「あなたは、約束の子」


それは、

母との約束であり、

自分自身への誓い。


(今度こそ)

(今度こそ、私は逃げない)


帝国が来るだろう。

皇帝も、必ず動く。


それでも。


この子は、もう“捨てられる側”ではない。


迎えられた子。

選ばれた子。

――約束の子。


ミリアは、机に置かれた書類へ手を伸ばした。


未来のための準備。


守ると決めた「今」は、

もう、過去へは戻らない。


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