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10話 潮の匂いと、はじめての役目



港に近づくにつれ、空気が変わった。


潮の匂い。

濡れた木材。

魚と網と、金属の気配。


「……うみ……」


思わず零れた声に、リオルは足を止めた。


目の前に広がる光景は、想像していたよりもずっと大きい。

波止場に並ぶ船。

忙しなく行き交う人々。


獣人、ドラゴニュート、人間。

種族の違いなど気にしていないかのように、声を張り上げ、働いている。


「ここが、港町だ」


隣でヴォルクルが言った。


今日は外出用の服装だが、護衛としての気配は隠していない。

それでも、この港の喧騒の中では溶け込んでいた。


「アルトレス領の心臓みたいな場所だ」


「……いきてる……」


無意識に出た言葉だった。


港は、確かに生きていた。



魚市場は、特に活気がある。


籠いっぱいの魚。

甲殻類。

海藻。


「おう、ヴォルクル!」


声をかけてきたのは、屈強なドラゴニュートの男だった。


「今日は護衛か?」


「案内だ」


ヴォルクルはそう答え、リオルを見る。


「アルトレス家の子だ」


一瞬、視線が集まる。


だが次の瞬間、男は豪快に笑った。


「そうか!

……細いな」


言葉は率直だが、悪意はない。


「ちゃんと食ってるか?」


「……はい……すこし……」


小さく答えると、男は満足そうに頷いた。


「よし。

なら、これ持ってけ」


差し出されたのは、小ぶりな魚だった。


「今朝獲れだ。

骨も柔らかい」


「……え……」


「坊ちゃんにゃ、栄養が必要だろ」


当然のように言われて、言葉を失う。


ヴォルクルが軽く頭を下げた。


「ありがたい」


「気にすんな。

港は、持ちつ持たれつだ」


“持ちつ持たれつ”。


その言葉が、胸に残った。



市場の端で、荒い声が響いた。


「だから、量が合わねぇって言ってんだろ!」


「こっちは確かに積んだ!」


木箱の前で、商人と船員が睨み合っている。


周囲がざわつくが、誰もすぐには口を出さない。


「……なに……?」


リオルが小さく尋ねた。


「取引の食い違いだ」


ヴォルクルは静かに答える。


「放っておけば、揉める」


リオルは、木箱を見つめた。


刻まれた印。

札に書かれた積み荷の一覧。


――多い。


理由は分からない。

けれど、直感がそう告げていた。


「……あの……」


気づけば、声が出ていた。


二人が振り向く。


「……はこ……ひとつ……

……ちがう……」


商人が眉をひそめる。


「坊ちゃん、何を――」


リオルは、震える指で木箱を指した。


「……これ……

……べつ……」


視線が集中する。


「魚の箱に……

……かいそう……」


沈黙。


船員が、慌てて札を確認する。


「……あっ」


声が裏返った。


「積み替えのときに、混ざった……」


商人が舌打ちする。


「だから数が合わなかったのか」


張り詰めていた空気が、すっと緩んだ。


「……ありがとうな、坊ちゃん」


商人が、リオルに頭を下げる。


「助かった」


その言葉に、リオルは固まった。


――助かった。


自分が。


「……い、いえ……」


声が震える。


けれど、確かに今――

自分は、役に立った。


ヴォルクルは黙って見てから、

リオルの頭に、そっと手を置いた。


「よく見ていたな」


低く、確かな声。


「……できて……よかった……」


ぽつりと漏れた本音。


ヴォルクルは否定しない。


「できた。

それが事実だ」


胸の奥が、じんわりと温かくなる。



港を一回りし、波止場の端で休む。


海が、きらきらと光っている。


「……うみ……ひろい……」


「そうだ」


ヴォルクルも、同じ方向を見る。


「だが、道でもある」


「……みち……?」


「港は、人と物と情報が行き交う場所だ」


一拍置いて、続ける。


「帝国も、ここを見ている」


その言葉に、リオルは少しだけ身を強張らせた。


「……でも……」


恐る恐る、言う。


「……こわく……なかった……」


「そうだな」


ヴォルクルは頷く。


「今日は、お前が“こちら側”に立っていたからだ」


こちら側。


守られるだけではない。

見て、考えて、関わる側。


リオルは、海を見つめながら、ゆっくりと息を吸った。


潮の匂いが、胸いっぱいに広がる。


「……また……きたい……」


小さな願い。


ヴォルクルは、短く答えた。


「連れてくる」


約束のように。


この日、リオル・アルトレスは初めて思った。


――生きているだけじゃない。

――ここで、役に立てるかもしれない。


波の音が、その思いを静かに包んでいた。


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