第8話:不穏な羽音
カシアン許せませんね…
それでは8話、どうぞ。
草を踏む音だけが、やけに大きく聞こえた。
辺りはもう夕暮れで、空の端がゆっくりと紫に染まり始めている。
遠くに、ウルシア王都の城壁が見えた。白い石の壁。尖塔。旗。
――帰ってきた。
そう思った瞬間、背中の重みが、倍になった気がした。
布で包んだラナの亡骸を、俺はずっと背負って歩いている。
両腕には、布で巻いた二本の剣。
聖剣ラナ。
魔剣オボロ。
どちらも、今はただ静かだった。
暴れもせず、囁きもせず、ただそこに在る。
風が吹き、ラナの銀の髪が、布の隙間から少しだけ覗いた。
「……王都が見えてきたぞ」
一緒に歩いていたウルシアの兵が、ぽつりと呟いた。
途中で関所にいた騎士に事情を説明し、王都までの護衛を頼んだ。
兵は最小限だ。帰り道は静か過ぎるほど静かだった。
「本当に……一人、なんだな」
兵が、俺の背中に視線を落とす。
そこにいるのは、もう動かない“勇者”ラナただ一人。
エドラのAランク三人も、
ウルシアのパラディン二人も、
Sランクのオルドも、
――誰も、戻ってこない。
喉がからからに乾いているのに、何も飲みたいと思えなかった。
ただ前に足を出す。
一歩。
一歩。
心臓のあたりに、温かい気配を感じる。
胸元に下げた小さなネックレス。
神王獣ラナを武装化したあと、ほんの一片だけもらって装飾品に変えた。
――ラナの「心」の欠片。
それは今も、微かに脈打っている気がした。
『……ちゃんと、前を向いて歩きなさいってば。荷物重いんだから』
頭の奥で、ラナの声がして、思わず苦笑いが漏れる。
(……ここで重いって言ったら怒るだろ。)
『首を絞めますね』
ラナはオレを励まそうとしてくれてる。多分
◇ ◇ ◇
王都の門は、いつもより静かだった。
普段なら商人と冒険者でごった返しているのに、今日は兵が列を作り、人々は遠巻きにこちらを見ている。
「戻ったぞ!」
先頭の兵が声を張り上げると、門兵たちがかすかに息を呑んだ。
「聖剣と……魔剣も……」
「勇者ラナ様は……?」
問いかける声に、俺は答えられなかった。
代わりに護衛の騎士が、沈痛な表情で首を振る。
ざわめきが、波のように広がった。
「まさか……」
「勇者様が……?」
「じゃあ一体誰が……」
視線が一斉に俺に集まる。
背中の布に。腰の剣に。
そして、俺の顔に。
英雄を見る目でもなく、犯人を見る目でもなく。
ただ、何が起きたのか理解できない人間の目だった。
「……通せ!」
門の向こうから高い声が飛ぶ。
王城の紋章を付けた騎士が、馬に乗って駆けてきた。
「聖剣ラナ、および魔剣オボロは王命により直ちに王城へ搬入する!
勇者ラナ殿の亡骸もだ。……急げ!」
俺は無言でうなずき、背中の重みをもう一度確かめた。
そうして、王都の中へ足を踏み入れる。
石畳。見慣れた店。酒場。露店。
その全てが、今日は少し色を失って見えた。
◇ ◇ ◇
王城の大広間は、葬儀のような空気に包まれていた。
玉座の前。
ラナの亡骸は白い布で包まれ、静かに横たえられている。
周囲には王族、重臣、騎士、ギルドの代表。
皆、言葉を失っていた。
国王エルムンド三世は、普段よりもずっと老けて見えた。
「……勇者ラナは、魔剣オボロの回収任務において、真っ先にその身を捧げた。
その報告、確かに受け取った」
俺は膝をつき、頭を垂れている。
さっきまでの数時間で、起きたことはすべて話した。
カシアンの正体も。
裏切りも。
試し切りも。
細かい描写までは話していない。
だが本質は伝えた。
――エドラの剣聖カシアンは、最初から魔剣オボロが目的だったこと。
――聖剣ラナの力を利用して遺跡を突破し、オボロを抜いた瞬間、味方を斬ったこと。
――最後は、神王獣ラナを武装化した俺が、カシアンを討ったこと。
「エドラ王国にも、この件は然るべき形で伝えねばならぬな……」
王は深く息を吐いた。
「勇者ラナは、我が国だけでなく、このイーリス大陸にとっても希望だった。
それがこのような形で命を落とすとは……我が不明の致すところだ」
玉座の横で、宰相が静かに目を閉じている。
王族の一部は涙を拭っていた。
騎士たちは拳を握り、ただ沈黙を貫く。
そんな中――
「……顔を上げよ」
王の声が落ちた。
恐る恐る顔を上げると、まっすぐにこちらを見つめる蒼い視線があった。
「そなたはよく戻った」
「……いえ、俺は……なにも……」
「何もしておらぬ者が、聖剣と魔剣を携えて戻れるものか」
王の声音は厳しいが、責めてはいなかった。
「ラナを死なせた、と責める者もいるだろう。
だが、わしは違う。
帰ってきた者がいるからこそ、事実を知ることができたのだ」
胸の奥で、固くこわばっていたものが、少しだけ緩む。
「……ありがたきお言葉、痛み入ります」
「勇者ラナには、国葬に相応しい葬儀を準備する。
聖剣ラナと魔剣オボロも、一度その側に置かねばなるまい」
王の視線が、玉座の前に運び込まれた二本の剣へと向かう。
白銀と蒼光の聖剣。
漆黒に揺らめく刃を持つ魔剣。
どちらも布を外されることなく、静かに横たえられていた。
「だが――いつまでもこの場に置いておくわけにはいかぬ」
王はゆっくりと立ち上がり、広間にいる全員を見渡した。
「聖剣ラナ。
魔剣オボロ。
この二振りは、今後さらに激しくなるであろう“封魔の時代”の命運を握っている。
封印はしない。
いざというとき、いつでも抜ける場所に置いておかねばならぬ」
王の目が細くなる。
「ゆえに、王城地下に新たな保管庫を設け、厳重に護る。
――その護衛には、パラディン三名とSランク冒険者一名を常駐させる」
ざわめきが走る。
王は続けた。
「そしてもう一人――」
視線が、再び俺に突き刺さる。
「……そなたにも、加わってもらう」
広間の空気が、ぴたりと止まった。
「ミリアでの暴走。
オボロ回収任務。
そして、魔剣を抜いた裏切り者を討ったのは、そなただ。
聖剣と魔剣の“現場”を見た人間は、今のウルシアにおいて、お前だけだ」
言葉の重さに、一瞬返事が遅れる。
俺は、ゆっくりと頭を下げた。
「……はい。
務めを果たします」
本心はどうか。
自分でもよく分からない。
怖さもある。
でも、どこかで――
(俺なら、やれるかもしれない)
そんな、危ない自信もあった。
神王獣ラナ。
クリスタルワイバーンの手甲。
アークサーペントのクナイ。
黒龍の羽根。
全部を使い切って、魔剣オボロを持ったカシアンを倒した。
――あの瞬間だけは、本当に自分が“化け物側”に立った気がした。
『ねぇ、今調子乗ってるでしょ』
胸元のラナが、かすかに笑う。
(いや、まぁ、少しな)
心の中で返しながら、俺は王の言葉に耳を傾け続けた。
◇ ◇ ◇
葬儀の準備は、王城の奥で淡々と進んだ。
ラナの亡骸は、白いドレスに似た礼装に着替えさせられ、
小さな手には花弁が握られた。
生前のラナを知る者は多くはない。
冒険者としては駆け出しで、名前が世に出たのは聖剣ラナに選ばれてからだ。
それでも――
「これが……勇者ラナ……」
「もっと、背の高い大人の女かと思ってた」
「こんなに小さいのに、聖剣を……」
棺の前に立った兵や騎士たちは、皆一様に言葉を失った。
俺は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
棺の中のラナは、眠っているみたいだった。
もう二度と、あの調子のいい笑顔で「ねぇねぇ」と話しかけてくることはないのに。
『……なんだかなぁ』
胸元のネックレスが、ふっと呟く。
『まさか自分のお葬式に参列することになるとは』
(なんか軽いな……)
思わず笑みが零れ、それと同時に、目頭が熱くなった。
そのとき――
「……護衛隊のメンバーが揃いました」
背後から騎士の声がした。
「聖剣ラナおよび魔剣オボロ、王城地下保管庫への移送は、王命により今夜、日付が変わる前に行うとのことです」
「……分かった」
俺は目元を袖で拭き、棺に一礼した。
「行ってくる。
お前の剣も、お前を殺した剣も……ちゃんと見張っといてやるから」
『ふふん。期待してるわよ、相棒』
軽口の響きに背中を押され、俺は歩き出した。
◇ ◇ ◇
王城の地下へと続く階段は、長く、冷たかった。
火のついた燭台が一定間隔で設置されているが、その光は心許ない。
石の壁には古い紋章や、魔法陣のような刻印が刻まれている。
階段を降り切ると、巨大な鉄扉が現れた。
扉の前には、すでに四人の姿があった。
一人は、どこかスタイリッシュな雰囲気の男。
黒髪に無精髭。筋肉質だが、目つきは柔らかい。
「おう、あんたが噂の“ミリアとオボロ遺跡の生き残り”か」
気さくに話しかけてきたその男は、腰に二本の剣を帯びていた。
「Sランク冒険者、グレンだ。よろしくな」
「……俺は、糧食係か雑用って呼んでくれ」
「ははっ、いいねそれ。お前、オルドってやつと仲良くなれただろ」
一瞬、言葉が詰まる。
「……オルドの知り合いか」
「同じSランクだ。気が合うのか同じ依頼を何度かこなした。
この前の任務で先に逝かれちまったのが、まぁ……解せねぇがな」
グレンは小さく息を吐き、それ以上は何も言わなかった。
他の三人は、パラディンだ。
一人は、四十代後半くらいの壮年の男。
短く整えた髭に、鋼のような眼差し。
「パラディン、ゼガートだ。
聖剣と魔剣の護衛責任者を任されている」
もう一人は、三十代くらいの女性。
漆黒の髪を後ろで束ね、盾を背負っている。
「パラディン、ミネル。私は防御専門。」
最後の一人は、まだ二十代前半に見える青年だった。
金髪に青い目。
どこかリュグナを思い出させる、真面目な顔つき。
「パラディン、フォルン。……未熟者ですが、全力を尽くします」
全員、パラディン。
その鎧の重さと佇まいは、十分すぎるほどの圧を放っていた。
「こいつら三人が、聖剣と魔剣の“壁”だ」
グレンが笑う。
「で、俺が“刃”。
お前は――」
「……まぁ、“よく知ってるやつ”ってことで」
「ははっ。いいじゃねぇか。
結晶と雷と黒龍を纏って、聖剣と魔剣持ちをぶっ飛ばした“有識者”――な?」
ゼガートの視線が、そこで静かに俺を貫いた。
「我々は、キミを信頼する。
だが、同時に、常に疑う」
「……?」
「聖剣も魔剣も、持つ者を選ぶ。
選ばれなかった者は、喰われる。
――キミが、いつ“そちら側”に堕ちてもおかしくはないということだ」
言葉は冷たい。
だが、それは“感情の冷たさ”ではなかった。
これは、覚悟の確認だ。
「……ああ。
それでいいと思う」
俺は頷いた。
「俺自身、俺を信じ切れてるわけじゃねぇからな」
『そこはちょっとぐらい信じなさいよ』
胸元のネックレスが、呆れたように笑う。
「よし、全員揃ったな」
グレンが肩を回し、鉄扉に目を向けた。
「ここを開けた先が、聖剣と魔剣の寝床だ。
今夜から、俺たちがその枕元を見張るわけだな」
ゼガートが扉に手をかざす。
淡い光が走り、刻まれていた魔法陣がゆっくりと起動していく。
ギィ……ィィン、と重い音を立てながら、扉が開いた。
その向こうに広がるのは、静かな石の部屋。
中央に並ぶ二つの台座。
その上に、布で覆われた二本の剣が置かれている。
聖剣ラナ。
魔剣オボロ。
グレンがふっと笑い、俺の肩を軽く叩いた。
「ようこそ、“世界の分岐点”へ。
ここを守り切れるかどうかで、たぶんこの先の千年の運命が変わる」
グレンがオルドと気が合うのもわかる気がした。
『……ねぇ、ちゃんと守ってよ?』
胸元から聞こえるラナの声は、少しだけ寂しそうで、それでもどこか楽しそうだった。
俺は息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「――ああ。
ここから先は、雑用でも、糧食係でもない。
俺は今、“この二振りの守護者”だ」
そう心の中で言い切ったとき、
扉の向こうの闇の奥から、かすかな気配がした気がした。
それは、まだ名前も姿もはっきりしない、
遠い“影”のような感覚。
聖剣六本。
魔剣四本。
アーティファクト五つ。
全部を集め、全てを支配しようとしている――影。
八咫烏。
王が言っていた、不穏な噂。
酒場のマスターが、都市伝説みたいに囁いていた名前。
そいつらの“目”が、この地下保管庫にも向いているのだと、
説明されなくても分かった。
胸元のネックレスが、ちいさく震えた。
『……来るよ、そのうち、きっと』
(知ってるさ)
『怖い?』
(正直、めちゃくちゃ怖い)
それでも――
(でも、オボロ持ちのクソ師匠ぶっ飛ばして帰ってきたくらいだ。
少しくらいは、調子に乗ってもいいだろ)
『……ふふ。
じゃあ、しっかり乗りこなしてあげる。
――私の力、ちゃんと使いなさいよね』
「ああ。頼りにしてるぜ、ラナ」
誰にも聞こえない声で答えながら、俺は聖剣と魔剣の眠る部屋へ、一歩足を踏み入れた。
こうして――
ウルシア王国の地下で、静かに幕が上がる。
聖剣と魔剣。
そして八咫烏の影が、本格的に交わり始める夜が。
時々ラナが喋りかけてきます。




