第7話:虚ろの剣と偽の心
好きな回です。
※残酷描写あり(死亡・欠損など)。
遺跡の外は、拍子抜けするくらい静かだった。
空は雲一つなく晴れ渡り、風はさらさらと草を揺らしている。 少し離れたところでは、馬たちがのんびりと草を食んでいた。
数分前ーーー
「じゃあ、サクッと魔剣オボロ回収してくるね」
ラナは笑みを浮かべているがその声には緊張と覚悟が混じっているのがわかった。
「俺たちが帰ってくるまでにうめぇもん作っとけよ糧食係〜」
オルドは相変わらずの軽口で言う。
「おう、ボロボロで帰ってくるオルドのために体に優しいもの作って待っててやるよ。」
俺の仕事は、ここで待つこと。
糧食係。 飲み水の管理、予備の薬草、万が一の撤退時に備えた荷の整理。 遺跡に入るのは選りすぐりの戦闘要員だけで、俺は例によって“外の待機組”だ。
――それでいい。
あの入口の向こうは、神獣クラスがうじゃうじゃいるって話だ。 聖剣ラナがいなければ、まともに進軍すらできない。 中で戦う連中は、正真正銘の化け物揃いだ。
勇者ラナ。 Sランク冒険者オルド。 パラディンのリュグナ。 もう一人のパラディン。 エドラのAランク冒険者たち。 そして、ラナの師匠であり、エドラ王国剣術指南役――剣聖カシアン。
任せるしかない。 俺が入ったところで足を引っ張るだけだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は湧き水を汲んだ水袋の数をもう一度数え直した。
◇
最初の一時間は、ただ落ち着かなかった。
荷物を並べ替えたり、火を起こせるように薪を用意したり、同じことを何度も繰り返す。 耳を澄ませても、爆音や悲鳴は特に聞こえない。
それはきっと、うまくいっている証拠だ。 静かなのはいいこと。
そう思おうとしても、胸のざわつきは消えなかった。
二時間目に入る頃には、太陽の位置が少しだけ傾いていた。 鳥の鳴き声が減り、風が少し冷たくなる。
そろそろ、何かしらの合図があってもいい時間だ。
「……遅くないか」
誰に言うでもなく呟いたそのときだった。
――ギィィ……ゴゴゴゴ……
遺跡の石扉が、重たく擦れる音を立てて開いた。
反射的にそちらを向く。 次の瞬間、喉がひきつった。
カシアンが、誰かを片手で引きずって出てきた。
銀色の髪。 少女。
ラナ。
ぐったりと力の抜けた腕が地面を引きずり、土に薄い線を引いている。 首はだらりと横に傾き、聖剣ラナは握っていない。
その代わりに――カシアンの腰には、一本の黒い日本刀のような剣があった。
「……ラナ?」
自分の声が、別人のものみたいに遠く聞こえた。
カシアンは俺を見ると、口元だけ笑って、引きずっていたラナの身体を放り投げた。
まるで、汚れた布切れでも捨てるみたいに。
どさ、と鈍い音が足元でした。
ラナの瞳は、虚空を見ている。 胸は上下していない。 体温は――ない。
「……は?」
理解が、追いつかない。
さっきまで、聖剣を握って笑っていた少女が。 王都で、酒場で、少し背伸びした強者の顔を見せていた“勇者ラナ”が。
目の前で、何の前触れもなく“物”に変わっている。
頭のどこかから、きしりと音がした気がした。
「よぉ」
カシアンの声は、驚くほど軽かった。
「いいタイミングだな。お前に見せたいものがあるんだ」
ラナの身体から少し離れたところで、彼は立ち止まる。 腰に下げた黒い刀――魔剣オボロを、指先でトン、と叩いた。
「……それ、魔剣オボロ…?…」
「大正解。オボロ。やっと会えたよ」
カシアンはその名を、恋人でも呼ぶみたいに優しく口にした。
「いやぁ〜〜、長かった。王国剣術指南役なんて肩書きも、剣聖なんて呼び名も、全部この子に辿り着くための踏み台だ。まさか本当にウルシアと合同任務になるとはな。俺は本当に運が良い」
「……何、言って……」
口が乾く。 うまく言葉が出てこない。
カシアンはそんな俺の様子に、心底楽しそうに目を細めた。
「ん? ああ、そうか。状況が分からないか。 じゃあ、ゆっくり教えてやろう。お前、聞き役にはちょうどいい顔してるしな」
その顔は、優しげな師匠でも、王国の剣術指南役でもなかった。 ずっと仮面の下に隠していた、素の表情。
冷たい目と、楽しそうな笑み。
ただの“悪趣味な男”の顔だった。
◇
「まずな」
カシアンは一度、わざとらしく肩を回した。
「聖剣ラナの能力のおかげで、攻略は驚くほど簡単だった。神獣が蔓延っているとか、笑わせる話だったな。ラナが抜剣して、服従させて、道を作らせる。 神獣の群れが、行列を作って道案内してくれたんだ。見ていて、なかなか壮観だったぞ」
なにも理解できないままカシアンの言葉を頭の中で映像として想像する。 神獣たちが一斉に道を開け、その先へ、ラナとカシアンが進んでいく姿。
「オボロの部屋に着くまで、まともな戦闘なんて一度もなかった。 それもこれも、ラナのおかげ。聖剣の力のおかげだ。 あいつは本当に、素直でいい子だったよ」
「いい子」。 その単語が、耳に刺さる。
「で、問題はそのあとだ」
カシアンはゆっくりと、腰の黒い鞘に手を添えた。
「オボロは祭壇に突き立てられてた。 誰が見ても“禍々しいオーラ”を出しながらな。 俺は“魔剣は魔族を打ち倒すために使うんだ”って顔をして、奴らの後ろに立ってた」
その場面を想像するだけで、胃が冷たくなる。
「でな。 “じゃあ誰が抜く?”って話になったときだ」
カシアンは、わざとらしく目を見開いた。
「真っ先に前に出たのが――ラナだった」
胸が、ぎゅっと掴まれたみたいに痛む。
「あいつ、聖剣に選ばれてから、ずっと責任感に燃えてたみたいだからな。 “聖剣の所有者として、魔剣オボロを調伏する義務があります”ってよ。 可愛くないか? “義務があります”だってさ。あれは俺でも少しグッときた」
笑うな。 心の中で唇を噛む。
「で、“危ないからやめろ”みたいな空気をみんな出した。エドラの連中も、ウルシアの連中も。 でもラナは引かない。真面目だからな。聖剣の所有者として、他の方々に甘えてはいけないって」
カシアンはそこで一瞬、黙った。
そして、目の奥だけ笑いながら続ける。
「だから俺は、背中を押してやったんだ」
――こいつ。
「“行ってこい。お前ならできる”ってな。 師匠らしいだろ?」
笑ってんじゃねぇ。
「ラナは、嬉しそうに笑った。 ちょっとだけ不安そうに眉を寄せて、それでも前に進んだ。 ……ああ、あの顔は良かった。本当に良かった」
こいつは今、本気で愉しんでいる。
「祭壇に手を伸ばし、柄を握り、引き抜こうとした。 その瞬間――」
カシアンの口元が、さらに歪む。
「――オボロは、俺を選んだ」
胸の奥で、何かが崩れ落ちる音がした。
◇
「剣が、ラナの手からするりと抜けて、そのまま俺の方へ飛んできた」
カシアンは自分の右手を、誇らしげに見下ろす。
「手にした瞬間に分かった。ああ、やはりオボロは俺のため存在するんだ、って」
「ラナは……」
「呆けた顔でこっちを見てたな。 “どうして”って顔をしていた。どうして師匠の方に行ったのか――って」
その表情が、ありありと想像できてしまう。 聖剣に選ばれた少女。 世界を救う勇者として期待されていた少女。
その少女の前で、“魔剣”が、すべてを否定するみたいに師匠の手に収まる光景。
「でな」
カシアンは、何でもない話をするように続けた。
「せっかく魔剣オボロを手に入れたんだ。 試し斬りをしない手はないだろ?」
背筋が、氷水を垂らされたみたいに冷たくなる。
「まず、オレが剣を教えていた、エドラ王国のAランク三人。 ちょうどよく俺の前に立ってたからな。横1列で綺麗に並んでた」
カシアンは右腕を、すっと横に払う動きをして見せた。
「剣を振った感覚は、ただ“空を撫でた”みたいな軽さだった。 でも次の瞬間、三人の身体が……そうだな、木を輪切りにしたみたいに、上と下に別れて、床に崩れた」
脳が、その映像を拒絶する。 具体的な光景は浮かばない。 だが、“上下に分かれた”という単語だけで、もう十分だった。
「血は飛んだが、オボロにはほとんど付いてなかった。 切っ先が“朧”になる能力は素晴らしい。傷口は、綺麗なもんだった」
淡々と、楽しそうに。
「エドラの三人は、何が起きたか理解できない顔のまま死んだ。 一人だけ、少しの間だけ目が合ったけどな。あの目も良かった」
「……何でそんなに楽しそうなんだよ」
気づけば声が漏れていた。
カシアンは真っ直ぐこちらを見た。
「剣ってのはな。 どれだけ“よく斬れるか”、どれだけ“扱いやすいか”がすべてだ。 オボロは最高だよ。軽くて、速くて、気まぐれで、残酷だ」
理解した。 こいつはほんの少しでも“救い”のあるタイプの裏切り者じゃない。
最初から、魔剣が欲しいだけの、純粋なクズだ。
◇
「ウルシア王国の連中の反応も面白かったぞ」
カシアンは続ける。
「目の前でエドラの三人が輪切りになって、ラナは固まってた。 オルドは、一瞬で俺の間合いから飛び退いて、リュグナともう一人のパラディンの前に出た。 “構えろぉ!魅了だ!”ってな」
想像できてしまう。 オルドのことだ。 真っ先に危険を察知して、仲間を庇う位置に立ったに違いない。
「ははは、魅了?確かに俺はコイツを知った時から別の意味で魅了されていたのかもなぁ」と満面の笑み。
「それが気に入らなかったんでな」
カシアンの目が冷たく細まる。
「俺は、リュグナの首筋に剣を当てた」
喉の奥が引きつった。
「……どうやって」
「オボロの第二の能力だよ」
ああ、と俺は内心で呻いた。
「オボロは、斬撃だけじゃない。 使用者の身体そのものを“朧”にして、他人の視界から外せる。 姿も気配も、一瞬だけ記憶からも抜ける。 だから、気づいたときにはもう、リュグナの喉に刃があった」
カシアンは、喉元に剣を当てる真似をして見せた。
「そこで俺は提案したんだ。 “オルドか女パラディンのどちらか一人が自害すれば、他は生かして帰す”ってな」
吐き気が込み上げる。
「リュグナはやめろと叫んでいた。 オルドは歯を食いしばって、何か言おうとした。 ……その前に、動いたやつがいる」
分かってしまった。
「女パラディンだ」
カシアンは、声を少しだけ低くして笑いをこらえるような声で言った。
「アイツ、迷いがなかったな。 リュグナを愛していたんだろう。顔を見れば分かる。 俺の言葉を聞いた瞬間に、剣を逆手に持ち替えて、その場で自らの喉元に突き刺した」
胸が締め付けられる。 あまり話したことがない女パラディンの顔が、ぼんやり浮かんだ。
「血を吐きながら倒れかけたところでな」
カシアンは、こらえていた笑いを吹き出しながら言った。
「俺はリュグナの首を跳、ね、た」
時間が止まった気がした。
「絶望の“合図”としては、ちょうどいいだろ? 覚悟をした女の視界の端で、好きな男の首が飛ぶ。意識が途切れる前、今まさに死ぬ直前にな」
言葉だけで、喉の奥から何かがこみ上げた。
吐きそうだ。 けれど吐くものがない。
「死んでいく女の目、良かったぞ。 絶望と理解と拒絶と、全部ごちゃ混ぜになって。 ああいう表情が拝めるなら、多少の手間は惜しくないな」
「……」
拳を握った。爪が手のひらに食い込む。
ラナの身体が視界の端で揺れる。 それでもまだ、俺は動けない。 足が地面に縫い付けられたみたいだ。
「オルドはな」
カシアンは、少しだけ真顔に戻る。
「一瞬でブチ切れた。 あいつは頭が回る方だが、奴の性格上あそこまで目の前で仲間を汚されて、冷静でいろって方が無理だな」
それも分かる。 オルドのことを知れば知るほど、彼がどう動いたかは簡単に想像できた。
「怒号を上げて斬りかかってきた。今までにない良い踏み込みだったよ。 ……でもな、オボロの前では、ただの“真っ直ぐな一撃”は意味がない」
カシアンは、片手で横に払う仕草をした。
「太刀筋に“朧”を纏わせる。 オルドが俺の至近まで踏み込んだ瞬間、体が二つに“分かれた”。 上半身と下半身が、それぞれ別の方向に滑っていく」
俺は目を閉じた。
想像しないようにしても、脳が勝手に描いてしまう。 赤いものをできる限り意識から外しても、映像だけは否応なく浮かぶ。
「オルドの顔は……そうだな。 “嘘だろ”って顔をしてた。 自分がやられるなんて、これっぽっちも思ってなかったんだろうな。 Sランクってのは、得てしてそういうもんだ」
カシアンはそこまで言うと、ふっと息を吐いた。
「そのあとのラナも面白かったぞ」
ラナの名前が出た瞬間、身体が反応した。
「最初は、何も理解できてなかった。 エドラの仲間が切り裂かれて、パラディンが首を飛ばされて、オルドが真っ二つになっても――あいつは、その全部を“現実”として認識できてなかった」
当たり前だ。 そんなもの、誰がすぐに受け入れられる。
「でもな。 オルドの身体が崩れた瞬間、ラナは顔を歪めた。 理解できぬまま涙を流して、聖剣を握り直して、叫んでたな」
カシアンは少しだけ、声真似をした。
「“カシアン!!”――ってな。 あれはいい悲鳴だった」
殴りたい。 蹴り飛ばしたい。 この男の全てを壊したい。
それなのに、足はまだ動かない。
「ラナは、周囲にいた神獣たちを一斉に呼び出した。 剣を掲げて、聖剣ラナの第一の能力――神獣召喚と従属を、全開で使った。 空も地面も、神獣で埋め尽くされるくらいにな」
カシアンは少しだけ首を傾げた。
「けどなぁ。あれは悪手だった」
「……どう、して」
「視界が塞がるだろ? 味方で埋め尽くせば、自分も状況を把握しづらくなる。 で、そういう“ごちゃごちゃした戦場”は――オボロの十八番だ」
オボロの第二の能力。 姿も気配も記憶からも消して、死角に回り込む。
「神獣どもが一斉に飛びかかってきたから、順番に斬ってやった。 あいつら、強いが単純だ。真正面から突っ込んでくるからな。 こっちが朧になって背中に回り込むたびに、首が落ちていく」
神獣クラスが“次々と”殺されていく光景。 それをラナは――聖剣を握りながら、見ていたのか。
「そして、最後はラナだ」
カシアンは、ふぅと一息ついた。
「聖剣ラナの第二の能力。 使用者を、神王獣クラスの“人型モンスター”に変える能力。 ラナは最後の最後で、それを発動させた」
胸が大きく脈打った。
「変身は、ぎこちなかった。 慣れてないからな。 骨が軋むような音がして、肉が盛り上がって、翼が生えて……半分人間で、半分神獣みたいな姿になった」
耳を塞ぎたくても、身体が動かない。
「正直、ポテンシャルだけで言えば俺なんか足元にも及ばねぇ。 きちんとその力を使いこなせれば、聖剣と魔剣がぶつかり合ういい勝負になったはずだ」
カシアンは、そこで唇をゆがめる。
「でもな。 あいつは、もうボロボロだったんだな」
裏切られ、仲間を殺され、憎悪と不安でいっぱいいっぱいだったのだ。
「体じゃねぇ。心がな。 あんな不安定な精神状態で、聖剣が応えてくれるはずがねぇ」
カシアンはあっさりと言った。
「だから、殺した。 真正面から一手で、心臓を貫いてやった」
短く、残酷に。
「変身の途中でな。 身体が完全に“神王獣”になりきる前に、穴を空けた。 だから中途半端な姿のままで、奴は倒れた」
カシアンは、足元のラナの亡骸を見下ろす。
「かわいそうだろ?」
その声には、一片の同情も乗っていなかった。
◇
「……なんで、そんなこと、全部楽しそうに言えるんだよ」
かろうじて、絞り出した声は震えていた。
カシアンは当然かのように答える。
「??。楽しかったからだな」
答えは、この上なくシンプルだった。
「俺は、魔剣が欲しかった。 オボロを手に入れるためなら、何だってした。 師匠のフリも、どうでもいい国の剣術指南役も、合同任務の段取りも、全部そのための手段だ」
初めから。 全部。
「ラナのことは、嫌いじゃなかったさ。 才能もあったし、素直で、よくなついた。 ……だからこそ、最高の“踏み台”になってくれた」
喉の奥で何かが燃えた。
「ウルシア王国も、エドラ王国も、魔族も、八咫烏も関係ない。 俺は俺の欲しいものだけを取る。 このオボロと――」
カシアンの視線が、ゆっくりと俺をなぞる。
「お前の“力”もな」
心臓が跳ねた。
「ミリアでの戦い。 神獣二体の死骸の側から消えて、生き残った不自然な雑用係。 お前なんだろう?
ここに来る道中で、雑用係にしてはやたらと落ち着いていた、なのにいざというときは“普通の剣士”の動きもしない男。 ……俺の勘は当たる。お前、面白いものを隠してるだろ」
バレていた。 どこまでかは分からない。 だが、この男の目は、何かを確信していた。
「……」
「まぁ何もないなら――殺して終わりだな」
カシアンはゆっくりと魔剣オボロの柄に手をかける。
黒い刀身。 周囲の空気がそこだけ歪むような感覚。
「最後にお前には、一つだけ選択肢をやる。ここで土下座して、命乞いをしてみろ。
気が向いたら、殺さないこともない」
ふざけた条件だ、こいつは骨の髄までしゃぶり尽くして殺しを楽しむつもりだ
でも、その言葉にすらすがりたいオレがいた。
――そのときだ。
近くで、優しく懐かしい声がした気がした。
(……え?)
次の瞬間。
ラナの方から、声が響いた。
『――ねぇ』
ラナの声だ。
さっきまで、ただの冷たい肉の塊になっていたはずのラナの体から――
かすかな光が、ふわりと立ち上っていた。
『そんなヤツ相手に、土下座とかしないでよね。ダサすぎ』
軽口みたいな調子。けど、その奥にある芯は、戦いのときのラナの声だった。
(……ラナ?)
『うん。死んじゃったけど、まだ残ってる』
光が、ラナの体からゆっくりと立ち上がる。 それはラナの体の周りを煌めき始めた。
「なっ……」
カシアンが、はじめてわずかに目を見開く。
「どういう――」
『聞いて、ちゃんと説明するから』
ラナの声が、直接頭に響く。
『聖剣ラナの第二の能力は“融合”。所有者の体と魂を神王獣クラスモンスターに変える力。
本当はね、あの時、私……変身しかけてたんだ。でも心が不安定で、その隙に殺された』
遺体の胸元から、もう一筋の光が浮かび上がる。
『でも、死ぬ瞬間にだけは、ちゃんと“完成”してた。
だから――ここにあるのは【神王獣ラナ】の遺体』
(……!?)
俺の《武装化》が働く条件は、一つ。
「完全に死んだ、人以外の生物」。
生きているものはだめ。 武器や人間もだめ。
目の前にあるのは“聖剣ラナと融合し神王獣と化した勇者”――
つまり、もう「死んだ一体のモンスター」でもある。
『そう。だから、“使って”。ね』
ラナの声は柔らかかった。
『あいつ、許せないよね』
「……当たり前だ」
初めて、喉の奥からしっかりと声が出た。
震えていた足に、熱が広がるようにゆっくりと力が戻っていく。
「カシアン」
「なんだ?」
「土下座はしない。
――代わりに、お前を殺す、オレとラナで!」
その瞬間。
俺はラナに触れる。
最愛の者を撫でるかのように俺の手がラナの頭に触れた瞬間――世界がひっくり返った。
視界が白に染まり、耳が割れそうなほどの怒りの咆哮が響く。
胸の奥から、熱と光と怒りと――何か巨大な存在が溢れ出す気がした。
俺の叫びとラナの怒りの咆哮が重なる。
『武装化――神王獣ラナ』
光が爆ぜた。
◇
光が収まったとき。
俺はもう“俺だけ”ではなかった。
全身を覆う、白銀と金の装甲のような機械的な鎧。
背中からは巨大な翼――ドラゴンの翼を思わせる黒い羽根が、左右に大きく広がっている。
肩から腰にかけては、獣のたてがみのような装飾が揺れ、額には角のような装甲。
顔は完全には覆われていない。 目元は外気にさらされ、そこに“俺”という人間の輪郭がまだ残っていた。
両腕にかけて、クリスタルワイバーンの手甲が――以前の二十倍以上の重厚さと輝きで。
左の腰には、アークサーペントの剣が二本。
刃渡りは1度目の武装化と同じ、だかその一振りごとに空気がビリビリと震える。
背中の黒龍の翼は、先端から青白い噴射のような光を噴き出し、少し動かしただけで地面が抉れる。
全身の力が、さっきまでとは比べ物にならない。
(――軽い)
身体が、羽みたいに軽い。
でも、内側には山が丸ごと詰め込まれたみたいな力が渦巻いている。
『ステータス、全部二十倍。武装化も二十倍。ざっくりそんな感じ』
ラナの声が頭の中で笑う。
『あと、神獣従属も一緒に乗ってるから』
カシアンが、満面の笑みで言う。
「……お前は、つくづく…」
魔剣オボロが彼の手で黒く脈動する。
「いいね。
そうでなくちゃ、試し斬りのしがいがない」
地面を蹴る音は聞こえなかった。
ただ、次の瞬間には、もうカシアンの姿が目の前に迫っていた。
黒い刀身が、横一文字に振り抜かれる。
――魔剣オボロの第一の能力。
太刀筋を“朧”に変え、防御不能の斬撃とする力。
刃が通った軌跡ごと、空間が削り取られるような感覚。
普通なら、避けることも防ぐこともできない。
「……っ!」
本能のままに、右手を前に出した。
クリスタルワイバーンの手甲が、眩い光を放つ。
透明な結晶の壁が前方に展開した瞬間――黒い軌跡がそれにぶつかった。
キィイイイイン!
耳を裂く音。
光と闇がぶつかり合い、地面が大きく削られる。
「ほぅ……?」
カシアンの目が、興味深そうに細められた。
「防いだのか、“防御不能”を」
『当たり前じゃん』
ラナの声が、鼻で笑う。
『クリスタルワイバーンの魔法防壁に、神王獣の防御力と聖剣の魔力、全部乗せて、さらに二十倍。
魔剣ごときがそう簡単に切れるはずないよ』
(魔剣“ごとき”って……)
でも――事実、防いだ。
今ので分かった。
こっちは、今だけは“格上”に立てる。
「行くぞ、カシアン」
「来いよ、“なりそこないの英雄”」
地面を蹴った。
黒龍の翼が噴射を吐き、俺の体を一瞬で空中へと押し上げる。
視界が線になる。
風圧が顔を叩き、あっという間にカシアンの背後へ回り込む。
驚いたカシアンが前方に回避する。
すかさずアークサーペントの剣を投げる。
刃が雷のごとく飛んでいく――カシアンが横に避ける。
瞬間、剣から稲妻が奔り、俺の体がそこへ“瞬間移動”した。
「なっ――」
カシアンの驚きの表情が、目の前にあった。
「これはオルドの分」
全力で蹴りを叩き込む。
カシアンの体が地面を削りながら、遺跡の壁に叩きつけられた。
土煙が舞う。
が――
「……はは。さすがに、さっきまでの”勇者ごっこ達”とは違うな」
崩れた石を払いのけながら、カシアンは笑っていた。
肩や腕から血が流れているが、致命傷ではない。
「なら――こっちも本気を出すか」
カシアンが、魔剣オボロを軽く持ち上げた。
「朧」
その一言とともに、カシアンの輪郭が薄くなった。
足音が消える。
気配が消える。
視界からも消える。
それだけじゃない。
――頭から、「今、なにと戦っていたか」という記憶すら抜け落ちる。
『これがオボロの第二の能力。“朧化”。
使用者の存在を、一時的に認識から“削る”』
(ふざけんな……チートすぎだろ)
『うん、だからこそ欲しがるバカもいる。
でもね――』
ラナの声が、すっと冷たくなる。
『それを真正面からぶつけられるのは、同じくらい“反則”な力だけだよ』
次の瞬間。
遺跡の影という影から、黒い斬撃が同時に殺到してきた。
左から、右から、背後から、頭上から。
「気配ゼロ」のまま、死だけが距離を詰めてくる。
普通なら、終わりだ。
でも――
「――来い」
俺は手を広げた。
地面のあちこちから、光の柱が立ち上がる。
呼び出されたのは、狼に似た影、竜のような翼、巨大な獅子、蛇、鳥。
この遺跡に棲んでいた、あるいはラナが過去に従わせた数多の神獣たちが、姿を現す。
どれも全身がクリスタルワイバーンの装甲に覆われ、その上から白い魔法防壁が淡く揺れている。
神獣従属――聖剣ラナの第一能力。
それに、クリスタルワイバーンの鱗と魔法防御が二十倍で乗っかった、反則じみた軍勢。
黒い斬撃が、それぞれの神獣の盾に当たり、火花を散らす。
神獣たちは一歩も退かない。
斬撃の“朧”は、防壁を削りきれない。
『この子たちは、ラナが“友達”って呼んでた子たち。
今はみんな、怒ってる』
ラナの声は淡々としていたが、その奥に燃えるものははっきり分かった。
「……ああ、俺もだ」
翼を大きく広げる。
クリスタル装甲をまとった神獣たちが、一斉に吠えた。
視界の端で、空間が微かに歪む。
カシアンだ。 朧の状態のまま、俺の死角を狙ってくる――が。
「そこだ!」
雷光と同時に剣を投げる。
剣が空中で何かに当たり、火花を散らした。
一瞬だけ、カシアンの輪郭が“見えた”。
「ッ!」
黒龍の翼が噴射を吐く。 距離がゼロになるまでに、かかった時間はほぼ瞬き一回分。
「リュグナの分だ」
渾身の拳を叩き込む。
神王獣ラナの腕力、二十倍。
全身で受けたカシアンの体が、地面に深いクレーターを刻む。
だが――
「……は、はは。
いい。いいぞ、それでこそだ」
血を吐きながら、それでもカシアンは笑っていた。
「まだまだ、だろ?」
黒い刀身が、またもや消える。 影、記憶、気配。すべてが朧になる。
何度でも、同じことを繰り返すつもりだ。
『しつこいね、あの人』
(ああ……でも)
こいつは、“自分が負ける絵”を想像していない。 だからこそ、勝ち筋はそこにある。
「ラナ」
『なに』
「神獣を、全部“囮”に使う、それでいいか?」
『うん、いいよ。あの子たちも怒ってるからね。
ちゃんと“報われる機会”を作ってあげよ』
息を吸う。
俺は右手を高く掲げた。
「――こっちに来い!」
クリスタル装甲の神獣たちが、一斉に俺の周囲へと集まる。
巨大な壁のように、俺とラナを囲うように陣形を組む。
角度を変えれば、どこから見ても“死角だらけ”だ。
(……来いよ、カシアン)
どうせまた、どこかから朧化して斬り込んでくる。 防御不能の一撃を、より深く。
なら、そこに合わせて――
視界の片隅で、神獣の一頭の装甲が、ほんの少しだけ凹んだ。
黒い線が、そこに“めり込んでいる”。
カシアンが、神獣ごと俺を穿とうとしているのだ。
「――っ!」
俺は、あえて何も防御しない。
黒い軌跡が、神獣の装甲をえぐり、魔法防壁を削り――そのまま俺の胸元へと伸びてきた、その瞬間。
左手の剣を真上に放り投げた。
稲妻が走る。
アークサーペントの剣――二十倍の出力。
そこへ、自分の身体ごと“跳ぶ”。
一瞬、世界が白く弾け――次の瞬間、俺は空中にいた。
見下ろすと、黒い線が俺のいた場所――神獣の防壁の中心を通り抜けている。
その線の“起点”に、ぼやけた人影。
朧の状態のカシアン。
魔剣オボロに“くくりつけられている”存在。
朧は視認も記憶も薄れる。
だが、存在そのものは消えない。
なら、その軌跡の“元”には、必ずカシアンがいる。
「終わりだ!!」
重力と黒龍の翼を味方に、一直線に落ちる。
右腕を振りかぶる。
クリスタルワイバーンの手甲が、眩い光をまとった。
「うおおおおおおおっ!!」
オレとラナの咆哮が重なり、拳を叩き込む。
空気が爆ぜ、地面が砕ける。
朧の輪郭が破れ、カシアンの身体がはっきりと姿を現した。
胸元から腹にかけて、盛大に抉れ、骨が軋む音が聞こえる。
魔剣オボロが手から離れ、地面に転がった。
しばらく、誰も何も言わなかった。
やがて、カシアンは、血の泡を吐きながら笑った。
「……はは。
やっと――面白くなってきたのにな」
目の焦点が、ゆっくりと俺から外れていく。
「オボロが……泣いてるぞ。
もっと……斬りたかった、って……」
「黙れ」
俺は短く言った。
「お前に喋る価値は、もうない」
そのまま、静かに拳を打ち抜く。
カシアンの体が、力なく崩れ落ちた。
神王獣ラナの装甲が、ふっと軽くなった気がした。
『……やったね』
ラナの声が、少しだけ震えていた。
『ありがとう。
私、ちゃんと自分の師匠を殺せなくて、情けないなって思ってた』
「ラナのせいじゃない。
悪いのは、最初からずっとカシアンだけだ」
『それでもね』
ラナの声が、少しだけ柔らかくなる。
『“一緒に倒してくれてありがとう”って言っとく』
神獣たちが、次々と光に溶けて消えていく。
クリスタル装甲も、静かに砕けて霧になった。
残ったのは。
瓦礫まみれの遺跡の入口。
転がる死体。
冷たい風。
そして――俺と、聖剣ラナと、魔剣オボロ。
◇
武装化を解除すると、身体から一気に力が抜けた。
膝が笑いそうになるのを誤魔化しながら、俺はラナの遺体を抱き上げる。
軽い。
さっきまであれほど暴れていた神王獣ラナの気配はなく、そこにはただの少女の骸があるだけだった。
『ねぇ』
ラナの声が、まだ頭の中で響いている。
『このままだと、私、本当に“終わっちゃう”からさ』
「……そうだな」
俺はそっと、ラナの胸元に手を置いた。
一度完全に武装化したモンスター。
――条件は、満たしている。
「一部だけ、もらうぞ」
『うん。お願い』
意識を集中させる。
ラナの胸の中――心臓があったはずの場所から、柔らかな光が集まってくる。
それは肉や骨ではなく、“何か大事なもの”だけをすくい上げるような感覚だった。
手の中に、小さな光の塊が生まれる。
それはやがて、透明な宝石のような形になった。
薄い桃色の、涙の粒みたいな結晶。
『わぁ、きれい』
ラナが笑う。
『それ、私の“心”ね』
「ああ」
俺は頷き、その結晶を指先で軽く回す。
「――装飾品化」
結晶が、ゆっくりと形を変える。
細い銀の鎖。
その先に、さっきの宝石が小さなペンダントトップとして揺れる。
首にかけると、胸のあたりでひんやりとした感触がした。
『ん。これなら、どこにでもついていける』
「うるさそうだな」
『ひどっ。
でも、間違ってないかも』
少しだけ笑って、俺は深く息を吐いた。
一人では中には入れない、俺は一緒に来たみんなの簡単な墓標を立てる。
オルド。
リュグナ。
女パラディン。
エドラのAランク冒険者三人。
カシアンの名前だけは、俺の心以外にはどこにも刻まなかった。
◇
聖剣ラナは、かつての暴走のときとは違い、今は静かだった。
細かいことは分からない。
ただ、ラナの“心”を取り出したことで、剣そのものの暴れ方も少し落ち着いたのかもしれない。
魔剣オボロは――握るだけで、胃が冷たくなるような感覚がある。
『それ、長く素手で持たないほうがいいよ』
ネックレス越しに、ラナが忠告してくる。
『オボロは人を斬るたびに、“持ち主の中の何か”も削るのかも』
「……お前の師匠、心どんだけ削れてたんだよ」
『最初からスカスカだったのかもしれないね』
ラナの声には、もう未練は混ざっていなかった。
俺は布で柄と鞘を包み、二振りをまとめて背負う。
聖剣と魔剣。
封魔戦争の“象徴”が、今、俺一人の背中にある。
『ねぇ』
「なんだ」
『王都に帰ったら、ちゃんと全部話す?
それとも、ちょっと誤魔化す?』
しばらく考えてから、答える。
「……オルドたちのことと、お前がどれだけ戦ったか。
それだけは、嘘つかずに話す」
『うん』
「俺のことは……適当にぼかす」
『雑用らしいや』
「うるさい」
でも、それでいい。
国は聖剣と魔剣を求めるだろう。
魔族復活が近いなら、それも必要だ。
だけど――
英雄の椅子なんか、誰か他の奴が座ればいい。
俺はただ、目の前で死んだ奴らの分まで、少しだけ長く歩くだけだ。
遺跡を振り返る。
風が、墓標の間を静かに吹き抜けていく。
「行くぞ、ラナ」
『うん。
――帰ろう、あのうるさい王都に』
黒龍の耳飾りを軽く撫でる。
翼の感覚が、背中の奥でまだ残っている。
歩き出す足取りは重い。
でも、一歩一歩だけは、確かだった。
聖剣ラナと魔剣オボロ。
そして、胸元で揺れる“ラナの心”と一緒に。
俺は、またウルシア王国へ戻っていく。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
勇者ラナ、そして仲間たちの結末は重い章になりました。
次回からは、主人公が「聖剣ラナ」と「魔剣オボロ」、そして“ラナの心”を抱えたまま王都へ戻ります。
秘密を抱えた雑用係が、もう雑用ではいられなくなる――そんな流れです。




