第21話:死の師
ムラマサの柄を握った瞬間、背筋を氷水で撫でられたみたいにゾワリと震えた。
黒く細身の刀身。余計な装飾は一切ないのに、そこだけ夜みたいに暗い。 鞘から抜かなくても分かる――こいつは“洒落にならない側”の武器だ。
『様になってるね。死ぬほど危ない匂いがするけど』
胸元のペンダント、ラナの声がくすぐったく響く。
「見ててくれ。死にそうになったら助言頼む」
『オッケー、死ぬ前にツッコむね』
頼りになるんだかならないんだか分からない返事を背中に、俺は訓練場のど真ん中に立っていた。
正面には、ウルシア最強の男――聖騎士ローディオ。
大柄な体躯に豪快な笑い皺。茶色の髪を無造作に撫でつけた、いかにも「優しい父ちゃん」って顔をしているのに、纏っている気配はレイヴン以上に分厚い“圧”だった。
「よぉし、始めるか!」
ローディオが手を叩く。 その一拍だけで、訓練場の空気が変わった。
「もう一度確認するぞ、坊主」
「……坊主ではない」
「細けぇことは気にすんなガッハッハ! ムラマサのわかっている能力は、五秒だけ“過去に戻る”。合ってるな?」
「ああ。五秒前に巻き戻る。その間、剣に触れている俺は記憶を持ったまま、もう一回やり直せる」
「次に使えるのは?」
「巻き戻ったあと、さらに五秒経ってから。だから連打はできない」
「上出来だ。説明だけならな」
ローディオはにやりと口角を上げた。
「問題は、それを“死ぬ前に”発動できるかどうかだ」
言い終わる前に、視界からローディオが消えた。
――来るッ!
反射でムラサメを抜きかけた瞬間には、もう目の前に拳があった。
(速っ――)
顎に迫る岩みたいな拳。 避けようとしたけど、体が間に合わない。
「死ぬぞ、オイ」
ローディオの声が耳元で聞こえた瞬間――
「《戻れ》!」
俺は咄嗟に叫んでいた。
世界が、音を失う。
景色が逆流する。ローディオの拳が戻っていき、俺の体も後ろへ歩き、剣を鞘に納め……
――気がついたら、五秒前、ローディオが「上出来だ。説明だけならな」と言った直後に戻っていた。
汗だけが現実を物語っている。 さっきまでぶつかりかけた拳の感触が、皮膚の下に生々しく残っていた。
『今の、ギリギリだったね』
「うるせぇ……」
ラナにも巻き戻りの記憶は残っているようだ。
「問題は、それを“死ぬ前に”発動できるかどうかだ」
言い終わる前に今度は、さっきよりわずかに早く剣を抜く。 それでも、拳のほうが速い。
顎、肋骨、膝。
どこに来るか分からない。
五秒――。
時間が、妙に長く感じられた。
(ここだ!)
拳が肋骨めがけて突き出された瞬間、俺は逆に踏み込んだ。 剣の腹でギリギリ受け流し、そのままローディオの腕の外側へ滑り込む。
骨がきしむ。 腕が痺れる。
それでも――さっきよりは、ずっとマシだ。
「ほぉ?」
ローディオの目が、一瞬だけ見開いた。
「何回か、巻き戻したのか?」
「いや?初だが?」
バレバレの見栄を張ってやった。
「まぁいい。五秒前のパターンを覚えて、別の行動を“選んべる”わけだ。 それができりゃ、死ぬ確率はぐんと減る」
ローディオは一歩、二歩と後ろへ下がる。 さっきまでの豪快な笑顔は鳴りを潜め、騎士としての顔になっていた。
「いいか坊主。ムラマサは“死にかけた時の保険”で終わらせるには惜しい剣だ」
「……どういう意味だ?」
「五秒あれば何ができる?」
オレは指を一本ずつ折り畳みながら言う。
「敵の癖を見る。敵の魔法の詠唱時間を数える。 罠の位置を確認する。仲間の動きを見る。とか?」
「ああそうだ! ――全部“やり直す前提”で、無茶な選択ができる」
なるほど、と喉の奥で思った。
五秒“戻る”ってことは、五秒間、どんなに無茶しても帳消しになるってことだ。
『つまり、死なない前提で死ぬほど突っ込めるってことだよね〜』
ラナが楽しそうに笑う。
「そうだ。突っ込んで、殺されかけて、戻って、次は殺されない道を選べる。 敵からしたら悪夢みたいな相手だぞ、お前」
ローディオはムラマサを指差した。
「だがな――その五秒で見たものを、“全部覚えておける頭”と“次に選び直せる心”を育てとかなきゃ意味がねぇ」
「……心?」
「そうだ」
ローディオはにやりと笑う。
「死にかけたあと、同じ場所にもう一度飛び込めるか? 普通の奴は、ここで足が止まる」
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
オルド。 ラナ。 ミリアで死んだ三人。
(――飛び込めるさ)
自分でも驚くくらい、即答だった。
「死にに行けば勝てるんだ、行くしかないだろ」
『……うん、そういうところが好きだよ』
「ん?なんか言ったか?ラナ」
言い終わる前に
「ガーーッハッハーッ!!!」
うーるっさ!!
ローディオはバカでない声で豪快に笑った。
「よぉし!その顔だ。じゃあ“死ぬ練習”を百回やるぞ!」
「物騒な言い方やめろ!!ちゃんと調節してくれよ!」
「うーむ!努力する!」
結局、その日だけで俺は百回どころか、軽く二百回は“死ぬ直前”まで追い込まれた。
拳、蹴り、投げ、転移からの不意打ち。 時には、遠距離からの石つぶて。 瞬間転移したローディオの腕だけが突然現れて、首根っこを掴んでくることもあった。
そのたびに、ムラマサの刀身が淡く光り、世界が巻き戻る。
最初は反射で叫んでいた「巻き戻し」も、最後のほうは感覚だけで発動できるようになった。
五秒前の自分。 五秒後の未来。
行き来するうちに、頭の中に“もう一つの時間軸”みたいなものがすり込まれていく。
夕暮れ頃、ようやくローディオが手を下ろした。
「――よし、今日のところはここまでだ」
地面にへたり込む俺。
全身汗まみれで、肺が火を噴きそうだ。
「お疲れさん」
ローディオが肩を叩く。 その手はさっきまでの殺意満載の手とは別物みたいに、温かかった。
「……死ぬかと思った」
「短い時間しかやってないぞ!と言おうと思ったがお前は巻き戻ってるから長く感じるのか!ガッハッハ!」
思ったこと全部言っちゃうオヤジだ。
『でももう、“五秒”に慣れたでしょ?』
ラナの声に、俺はうなずいた。
「まぁな……。 五秒って、思ってたより“長い”」
「そうだ。その感覚を忘れるな。 お前の五秒は、普通の奴の五秒とは違う」
ローディオは、ゆっくりと空を仰いだ。
「明日もやるぞ。今度は実戦想定だ」
「まだ、やるのか……」
「当然だ。お前はコラキとクエルボのアジトに突っ込む側なんだぞ。 “死なない保険”くらいは、徹底的に使いこなしてもらわないとな」




