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釜山の司祭  作者: 花火
檸檬色の壁、海風、笑い声。
19/21

第四章4 そんなもので良いと思うんだ


翌朝。

ミンソクが部屋を訪ねてきた。ドアを開けるなり、彼はリョンインの顔を見て大笑いした。

「ひっどい顔、すげぇブサイクだな」

「ああ、面白いね」

むっとして返すとますます笑う。


リョンインは拗ねて泣き腫らした目を隠すように俯いた。

そんなリョンインの様子も楽しいように、ミンソクが隣に腰掛ける。


「軍宗教区に異動することになったから」


ミンソクの言葉に驚いて、思わず顔を上げる。

ミンソクは自ら異動希望を出し、陸軍士官学校に入り、将校教育を受け軍宗神父になると話す。

任期は四年でしばらくは会えない。もしかしたら、もっとかもしれない。


「どうして?」

ミンソクにとって兵役は相当きつかったらしく、「二度と行きたくない」と言っていた。彼は今もヒョロヒョロの体をしていて、およそ厳しい環境には向いていないだろうなと思う。

軍宗神父になれば、秘跡を望む兵士の元へ行くため1人で道なき道を何日も歩くことも、新兵の親代わりのように相談に乗ったり、将校たちの飲み相手もしなくてはいけない。彼の苦手とすることばかりだ。



ミンソクは少し、遠い目をして話しだした。

「聖歌隊に入ったのは、無料で歌が学べるからだったんだ。クリスチャンになるつもりもなくて、親が金を出してくれなくても、基礎からしっかり学べて、とにかく常に人前で歌う機会があったから」

ミンソクは聖歌隊の中でも特別、歌が上手かった。


「だから、神学校へ行くかどうかも迷ってた。歌手になりたくて、練習生になったけど、デビューするってなったグループが駄目になった」


彼がオーディションを受けに行くとき、リョンインもソウルまで着いていった。

『お前がスカウトされて、俺が落ちたらやってられない』と言って、僕の顔を布でぐるぐる巻きにして隠していた。受かったミンソクが大きな事務所の練習生になったときは、二人で喜んだ。

でも、彼がソウルに通わなくなるまで、リョンインは彼が練習生を辞めていたことを知らなかったし、デビュー直前まで行っていたことも今知った。



「学校帰り、ソウルに練習に行くはずの時間に、一人で遠くまで遊びに行ったんだ。中心地から一日にバスが行きと帰りの一台ずつしか出てない小さい町だった。その日は、大雪で数メートル先も満足に見えない寒さの中で、どこの店も開いてなくて、街の中をさまよった。寒すぎてスマホの電源も入らなくて。まじで気軽に遊びに行った場所で死ぬんじゃないかと思ったよ」



ミンソクの声は淡々としていたが、その情景は鮮やかだった。

「雪に足を取られそうになりながら誰もいない道をひたすら歩いてたら、そのうちに道が開けて中央に銅像が立っていて、その向こうに大きな聖堂があった。

そこで寒さを凌ごうと、重い扉を開けると中にたくさんのキャンドルが灯されていた。

高い窓のステンドガラスからは影が落ちていて」



目を閉じるミンソクはその日の心をきっと思い出していた。



「温かくて、美しくて、ああ、これなら信じてもいいかもなって。そのとき、司祭になろうと思った」



ミンソクは一息置き、ぱっと目を開けると、リョンインの方へ前のめりに語りかけてくる。

「兵役の頃にさ、宗教行事でコーヒーとチョコパイが配られただろ? 今じゃ安っぽいほど甘くて見向きもしないのに、当時はしびれるように旨かった。無宗教の奴も、3大宗教ぜんぶの洗礼を受けて。あいつら、イエス様、仏陀様っていうより、チョコパイに魂を売ってたようなもんだ」



「でも、そんなもので良いと思うんだ。

きっとそれが、俺が信じてもいいかもなって思ったものだと思うから」




リョンインの胸に熱いものが込み上げた。

昨日、あれほど泣いたのに、また涙が滲む。


「なんだよ、泣くな。きつくなったら任期終わりで釜山に戻るさ。たった四年だ」

「でも、僕はもう外には出られないから。兄さんが来てくれなきゃ、会えないよ」

「あぁ」

リョンインの言葉に、ミンソクはふっと目を細め、どこか得意げに笑った。

「ふっ、いや?  お前は、カン神父のとこに戻るのがいいんじゃない?」


そのとき、ミンソクの笑みの奥に、どこか確信めいたものが見えた。










司教室。

「司祭が同性愛者より、司教が未成年のシスターに手を出してたことの方が、問題のある性的スキャンダルだ」

ミンソクは封筒を司教の机の上に置く。


司教の顔色が変わる。

「昔の過ちだ。私たちは若かった」

「若かったのは相手です。彼女が十八の時にあなたは三十歳だった」

短い沈黙が流れる。司教の手が微かに震えた。


「次官補になりたいなら、致命的だ」

ミンソクは淡々と告げ、封筒を再び懐にしまった。

「まぁ、別に言いふらしませんよ。相手も、子供の事もある。でも、罪を犯したことのない者だけが石を投げるべきだ」

用が済んだミンソクは、黙って立ち上がり、背を向ける。


「好きにすればいい」

振り返らないミンソクに司教の声が追う。

「だが、きっとリョンインにとってだって、人前に二度と出ない方が良かったはずだ。信徒たちが受け入れられるとは思えない。どこまでの差別が苦しめるかもわからない」










軍宗教区に異動するといミンソクを見送って数日。


観想修道会への異動の知らせをただ待っていた。

外界と断たれ、沈黙と祈りの中で余生を過ごす覚悟をすでに固めていた。


だが、ある朝、司教から呼び出しを受け、告げられたのは意外な言葉だった。

「お前は、観想修道会には行かなくてよい。……カン神父の教区に戻れ」

理由は与えられなかった。書面一枚、事務的な声。それだけだった。

リョンインはただ呆然と立ち尽くした。


「ミンソクの言う通りになった……」

ミンソクが笑って「カン神父のところに戻る」と言ったことが、奇妙に現実となった。

それが、救いなのか、それとも再び試練へと差し戻されたのか。わからなかった。


教会へ帰る道は、何も変わっていなかった。

潮の匂いを運ぶ風、人気のない道、草の中を跳ねる虫たち。


教会の扉を押し開けると、蝋燭の香りが鼻を打った。祭壇に立つセバンが、振り返って彼を見る。

いつもと同じように、ほほ笑んでいた。

「おかえり」

リョンインは深く頭を垂れ、ただ静かに答えた。

「……ただいま戻りました」





■教区とは

キリスト教は地域ごとに管轄を分類しています。司教が管轄する大司教区と、その下に主任司祭が管轄する小教区などがあります。日本では東京、大阪、長崎の大教区に分かれており、韓国はソウル、大邱(この中に釜山)、光州のほかに軍宗教区というものがあります。

■軍宗教区(従軍教区)

軍に服務するカトリック信者のための特殊教区。この教区は地域ではないため、教皇庁が直接管轄しています。

そもそも、韓国の軍隊に「軍宗制度」というものがあり、韓国の三大宗教である仏教、プロテスタント、カトリックの聖職者が現役の将校として任官し、宣教活動をしています。

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