第三章4 嫌いになれたら
翌日。
ミサを執り行うため祭壇に立ったリョンインは、聖堂に集う人々の列に視線を走らせたとき、息を呑んだ。
その人波の中に、ソジュンの姿があった。
目が合った瞬間、視界が白く黒く染められる。
信徒たちは口を開けたり、手を差し出したりしてリョンインが差し出す聖体を受け取っては列をはけていく。
彼が列の前へ進んでくるたびに、祭壇の空気を蝋燭が全て奪ってしまったかのように呼吸が浅くなる。たりない酸素に、頭の中が白んでいく。
そして、聖体を与えるそのとき――
ソジュンは、唇を少し湿らせ、挑発するように舌先をわずかにのぞかせて、リョンインを見上げた。
その視線に捕らわれたリョンインの手は、パンを差し出す寸前で止まった。
喉が詰まって、動けない。
隣に立つセバンが「どうした?」と問いかける声が遠い。
ざわめきが走った。
列に並んだ信徒たちが怪訝そうに見守る中、ソジュンは小さく笑った。
その笑みは寂しさとも挑発ともつかず、リョンインは頭がカッと熱くなった。
――そして、儀式の後。
裏手の薄暗い回廊。
後ろからいきなり誰かがリョンインの腕をつかんだ。
驚いて振り向くより先に、肩を乱暴に引かれ、石壁に押し付けられる。
ぶつかった衝撃の痛みを感じる間もなく、乱暴な口づけが押しつけられた。
ソジュンの息は熱く荒く、そして苦しげだった。
押し返そうと両手を伸ばすが離れない。ようやく叩くほどに強く胸を押し、腕でその身体を振り払う。
胸を殴られたソジュンはゲホっとせき込むが、息を奪われたリョンインの方がなかなか息が整わなかった。
「どうして拒絶するんだよ」
ソジュンの声は絞り出すようで、同時に怒りに満ちている。
「ふざけるな! なんで、あんなこと」
整わない息と怒りでリョンインの声は震えていた。
「僕がどうなるか分かってて、わざとやったんだろ!」
「そうだよ!」
ソジュンがはじけるように叫ぶ。
「お前はいつだって逃げるから!」
ソジュンの言葉は、リョンインの痛いところを正確に突いていた。だからこそ、許せなかった。自分の痛みと向き合う代わりに矛先をこちらへ向けているくせに、まるでその怒りが正しいかのようにぶつけている。胸の奥が焼けるように熱くなり、怒りがこみ上げた。
「君に何があったかは知らない!君が言わないなら、僕は調べない。言えないほど、辛いことも分かるから…でも、僕の信仰心を馬鹿にしないで!」
一度、怒りを込めて叫び出すと言葉は止まらなかった。
「君は、自分のために、僕を踏みにじりたかっただけだ!」
ソジュンは一瞬顔を歪め、吐き捨てるように返した。
「はっ、清廉ぶりやがって!お前は信仰を選んで、俺を捨てただけだろ。あのときも、今も! 俺がどんな気持ちだったか」
「よく言うよ。僕がいなくたって好き勝手いろんな人と遊んでたくせに。相手なんかいくらでもいるだろ。そこに戻ればいい!」
「ああ、良いよ!でも、お前は、今さら男なしで生きられるのかよ。久しぶりでも随分よさそうだったじゃねぇか」
リョンインはもう、ソジュンの顔を見ようとせず、その場を立ち去ろうとした。
「元々、貴方が来なければ終わる関係だ」
その言葉を聞いた瞬間、ソジュンの目が鋭く光り、狂気がにじむ。素早く胸倉を掴み、強く押しつける。指の圧が痛い。
「お前が、ほかの男とヤったら、そいつとお前を殺してやる」
言葉は冷たく、刃を帯びていた。石壁に押し付けられたリョンインの目に、怒りと恐怖が同時に広がる。涙が瞳の縁で光った。
「よくも、そんなこと思える」
震えながらも睨み返すリョンイン。
次の言葉を言おうとすると、息乱れて涙が溢れそうになるのが悔しかった。思い通りにならない全てに、堪えきれず膝から崩れ落ちた。
泣き出したリョンインの体を抱きしめようと、ソジュンが手を伸ばす。
しかし、リョンインはその腕を跳ね返した。
「僕に触るな…!」
それでもソジュンは無理やり抱き寄せる。
「出会いたく…なかった。君のことなんか、知りたく、なんか…なかった!」
「ごめん、ごめん…」
「嫌いになれたら、楽なのに…っ」
嗚咽しながら吐き出されたリョンインの言葉に、ソジュンは抱きしめた腕により力を入る。
「好きなんだ、リョンイン」
その声は、幼い子どものような、必死でなにか掴もうとする響きを帯びていた。
■ミサと聖餐(聖体拝領)
カトリックのミサでは、聖書・福音朗読、説教や聖体拝領などを行います。
・聖体拝領とは
-信徒がキリストの体を象徴するパン(ホスチア)を受ける儀式。祭壇の前に司祭が立ち、信徒たちは列を作って前に進み、手のひらか舌の上で聖体を受け取る。
-司祭が信徒を拒む権限はなく、与えないなんてことはあり得ません。




