第三章2 天国に行きたい
「今週は5人とセックスしました」
代わる代わる学生たちが部屋に入ってきては、告白し、リョンインは「神の赦しと平和を。汝の罪を許す。父と子と聖霊のみ名において。アーメン」と繰り返す。
このミッションスクールは部屋の窓が大きくて、日差しの動きが良く分った。
日が雲に隠れ、部屋の空気が少し暗くなった頃、入って来た女生徒・チェヨン。
「わたし、きっと地獄に落ちると思う。だから、もし神様に会えたら天国に入れてくださいって頼む」
短く折ったスカートで足を組み、頬杖をついている。
「たくさんの人と愛し合っても、地獄には落ちませんよ」
リョンインが答えると、ふふっと笑ってから、チェヨンがリョンインを睨み上げる。
「私の家、薬局なの。一錠ずつ盗んで、それを並べて眺めてると、男といなくても良いって気持ちになる」
睨んでいた化粧をした目がふっとやわらぎ、興味を失ったように窓の外へ視線が移る。
「でも、キリの良い数字まで溜まったら、きっと私飲んじゃうわ」
リョンインは息を呑む。生徒の軽口に混じる深刻さに、胸がざわつく。
「ご両親に話を…」
「だめ」
首を振るチェヨン。
「じゃあ、私に薬を預けてください」
チェヨンは笑って肩をすくめる。
「チェヨン、約束して」
チェヨンはしばらくリョンインを見つめ、色のついた唇で笑う。
「分かりました」
そういって部屋から出ていった。
シスターから書類を受け取るために、リョンインが中庭のベンチで待っていると、チェヨンが声をかけてきた。
「あっ、いたいた」
チェヨンはポケットから小さな瓶を取り出してぷらぷらと掲げている。
そのまま近寄り、隣に腰掛けて、瓶をリョンインに手渡した。
「ねえ、司祭がオナニーとか、人とセックスをしたら罪を告白するの?」
唐突な問いに、リョンインは思わず手を滑らせ、瓶を落とした。
固い床に当たった音が回廊に響き、慌てて拾い上げる。
その様子を見た、チェヨンが笑いながら続ける。
「だって、許されるのは結婚した相手と子作りするだけで、それ以外は罪なんでしょ? でも、司祭は結婚できないじゃない。じゃあ、罪を犯すしかない。それなのに、わざわざ本当にそんなことで告解するわけ?」
リョンインは一瞬言葉に詰まった。
「それは、…純潔を守れなかったとして罪の赦しを求めます。具体的なことを告げるわけではなく、人間として弱さに負けたことを神に委ねるだけです」
「ふーん、でも納得できない。だって、それでも、別にオナニーは良いじゃない。性欲って、私はあんまり好きじゃないけど、男には無理でしょ? やっぱり変よ。罪を犯すことが前提なんて」
「神学的には、それは人の愛を分かち合いたいという力の一部です。司祭はそれを"性的な行為"ではなく、"神と人々への奉仕・祈り・愛"へと昇華することが」
「そんなの嘘だわ」
すらすらと何かを読み上げるようなリョンインの言葉を、チェヨンはきっぱり切り捨てた。
ベンチから立ち上がり、言葉を畳みかける。
「私、嘘は嫌い。心と違うもの。言ってることと実際が違うなんて、そんなの嘘よ。ルッキズムが良くないって言ったって、美しい人が好きだし、ブサイクは嫌い。神父様はすぐに人気者になったけど、キム先生のことは皆キライ」
そう言って走り出したかと思うと、しゃがんで花壇の花を摘んでしまった。その花の香りを嗅いでいる。
「それに、カトリックって、セックスに執着しすぎじゃない?」
彼女は肩をすくめて、冗談めかした。
花の香りに飽きた彼女は花びらを千切っては空に放り、残酷に遊んでいた。
チェヨンの言葉が頭を離れないまま司祭館に帰り、リョンインは自室からミンソクに電話をかけた。
受話器を耳にあてたまま、ぽつりと聞いた。
「ねぇ、”結婚と開かれた性”以外、避妊や自慰、ソドミー、司祭が特定の相手を作ることはどれが一番罪深いと思う?」
電話口の向こうで、水を飲んでいたミンソクが盛大にむせた。
「げほっ、ごほっ……っあぁ? お前からそういう話が出るとびっくりするわ」
リョンインは少し間をおいて続けた。
「まぁ、でも、司祭が誰かと性的関係を持つことが一番だよね。教会への背信だし。なら、その上、司祭が、自然な性行為以外をしたら、それはどれほど重い罪になるんだろう」
「何にせよアウトならランキングつけても意味ないだろ。何だよ?まだカン神父と上手くいってないのか?」
「そうじゃないよ。セバンは良い人だ。ただ、学生に言われて。司祭が男のみで独身しか許されないのは、タブーと男の身体の摂理と矛盾してるって」
「あぁ。まあ、俺たちは筋トレか夢精でもしてろって事だわな」
乾いた冗談に、リョンインは曖昧に笑った。
「罪を犯すなって言いながら、罪を犯すことが前提なのは、罪を犯すことを推奨してるんじゃないかって」
「簡単な解決がある。休養日に司祭服を脱いで結婚して子作りして、残りの曜日はまた司祭になればいい」
ミンソクらしい皮肉だった。けれどリョンインには、ソジュンと会うときいつも司祭である自分を忘れようとしていたことが思い出される。なるべく月曜日に会いたかった。会いに行くときは、司祭服は必ず脱いでいた。
黙り込むリョンインが機嫌を悪くしたと勘違いしたミンソクは、言い過ぎたとばかりに声を潜める。
「悪い、腐しすぎたよ」
「いや、ちょっと考えてただけだよ」
リョンインは窓の外に視線をやり、苦笑した。
――その夜の夕食後。
食後の片づけを終え、リビングには温かいランプの光が落ちていた。
セバンはふたり掛けのソファにくつろぎながら本を開いていた。
キッチンでは、マリアが紅茶を淹れていた。
リョンインは、セバンに近寄り、少しためらってから声をかけた。
「セバン、少しいいですか?」
セバンは顔を上げ、やわらかく笑う。
「どうした?」
「聞いて欲しいことがあるんです」
「移動しようか?」
リョンインは首を振る。
「いえ、懺悔ではなくて…」
「そうか。では、座って」
セバンは本を閉じて、リョンインに向かいの椅子を示した。
リョンインは腰を下ろして、両手の置き場所に落ち着かない様子で、少し間を置いて言葉を探した。
「その…司祭を辞めると考えた時、どう決断しましたか」
リョンインの問いをセバンをしっかりと目を合わせて聞いていた。
セバンはしばし黙考し、静かに口を開いた。
「私は、その時、多分、神を信じようとすることに疲れてしまった。信仰心が揺らいでいたんだな。司祭であることは私の使命だと分っていた。でも、もし、それで愛する人を傷つけているとしたら?そう思った」
セバンはどこまでも穏やかだった。
「それでも、迷いに満ちている今も信じ続けようとしていられている。その祈りを支えるのが私にとってはマリアだ」
そのとき、マリアがマグカップに淹れた紅茶を口にしながら、こちらに来た。
二人とも、リョンインが時折夜遅くに抜け出していることを知ってはいたが、その理由を詮索したことはない。
リョンインは、俯き加減に小さな声で言った。
「僕は、司祭を辞めるべきなんじゃないかと考えています」
セバンが目を細めて、ゆっくり頷く。マリアもまた、何も言わずに彼を見つめていた。
自分のいう事で、セバン達の在り方を否定したい訳でも、良くないと思っている訳でもなかったのに、自分を否定するのが、彼らを否定している気もした。
「良くないからとかじゃなくて。そうじゃなきゃ、僕は、どうしても、その人を愛していることを受け入れられない気がして」
リョンインは、ずっと何かを恐れて怯えていた。
マリアは、やわらかく微笑んで受け止める。
「リョンイン、たとえ愛する人のためでも自分だけを犠牲にしてはいけないわ。あなたは、あなた自身を幸せにするためだけに、何かを犠牲にしていいのよ」
セバンも穏やかな声で続けた。
「よく考えなさい。決まった答えはない。でも、本当の望みには向き合って決めた方が良い」
リョンインは、ふたりの言葉を聞きながら胸の奥に鈍い痛みを覚えた。
受け入れられていることが、むしろ罪悪感を呼び起こす。
自分はふたりとは違う。そのことを隠したまま、優しさに触れている自分がひどく恥ずかしかった。
懺悔すべきだと思いながらも、言葉を探しては喉がつまって声にならない。
窓の外で、海風に揺れる木々の影が、床に長い影を落としていた。
――それでも、どうしてもソジュンとのことは言えなかった。
今さらですが、カトリックに関する情報を補足してきます。(クリスチャンでもカトリック教徒でもなく、書くために本やネットで調べた限りの知識なので、あまり鵜呑みにはせず...)
■独身性
司祭は、生涯にわたり結婚せず、独身を貫くことを神に誓います。(プロテスタントの牧師はOK)
司祭叙階のときにこれを誓っています。
これは常に愛と献身を神や信徒たちへの奉仕に捧げるということなので、結婚せずに恋人なら良いという訳ではないです。
■告解の秘密
告解室で信者から打ち明けられた罪の内容は、たとえそれが犯罪であっても、司祭は口外できない。
たとえば、強盗殺人の告解を受けた司祭がその事件の容疑者になるが、戒律のため話すことが出来ないというヒッチコックの「私は告白する」という映画なんかがありますね。
■カトリックと同性愛について
カトリックでは、同性愛の傾向は罪ではないが、同性同士の性行為は倫理的によろしくないとしています。
■カトリックと性について
・許される性行為
―結婚した夫婦の子作り
・禁止行為
―避妊、婚前交渉、同性愛行為、口腔・肛門性交などの「ソドミー」
・なぜなのか
カトリックでは、性行為には2つの目的があるとされています。
生殖(生命の誕生)― 神の創造の業(いのちを生み出す力)に人間が協力する。
結合(愛の一致) ― 夫婦が互いに愛し、支え合い、ひとつになる。
神は男女をわざわざ「異なる性として創造」したのだから、お互いを補い合うことを望んでいるはずだと考え、男女を結婚へと導き、上記の2つがそろっている性行為をする事こそが神の意志に沿っているという考え。
つまり、自分の体を快楽のために使うことは罪深く、それが作られた目的と矛盾するということ。




