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釜山の司祭  作者: 花火
You're All Need To Geet By
10/21

第二章6 美しい朝露を見た時のように



次の日の朝のリョンインは大層機嫌が悪かった。

寝起きのリョンインが準備をする間に、俺はホテル近くのカフェまで飲み物を買いに行き、ルームサービスで果物を頼んだ。

ぼんやりとソファに座って待ってたリョンインの髪は寝ぐせで少し跳ねている。

「……何、笑ってるの」

「なんでもないよ」

ソジュンは机の上に、コーヒー、カフェオレ、ホットモカ、ミルクティー、ハーブティーと買ってきたものを並べた。

「どれにする?」

「買いすぎですよ」

「好きなの選んで」

リョンインは少しだけ視線を動かし、無言でミルクティーを指さした。

ソジュンはリョンインの手元までカップを差し出す。

「機嫌、まだ直ってない?」

「……別に、そもそも怒ってません」

寝込みを襲われて怒らないのもどうかと思うが、今はこの平和ボケ具合が俺にだけ向いていることに感謝し、余計なことは言わなかった。

「果物は?」

「……梨」

短い答えに、ソジュンは「はいよ」とフォークに刺して渡す。

リョンインは受け取って口に運び、何も言わずにもう一つ手を伸ばした。

「今日はどこ行きたい?」

「……考え中」

「じゃあ、ゆっくり食べながら決めよう」

リョンインの口にもうひとつフルーツを入れる。

拗ねた顔をしながらも、大人しく口にし、少しずつその表情が柔らかくなるのを見て、ソジュンは心の中でほっと息をついた。

兵役の頃も腹が満たされるとすぐに機嫌を直していた。変わらない小さい子供みたいな習性に感謝する。


しばらく二人の間には、食器の当たる小さな音と外の街のざわめきだけが流れた。

機嫌の悪さはもう半分くらいは消えているようだ。


ソジュンは窓のカーテンを指で少し開け、外の青空をちらりと見て言った。

「天気、いいな。どこにでも行けそう」

「朝ごはん食べに行きたい」

「はいはい」

そう言ってソジュンもコーヒーをひと口。

テーブルの上のフルーツは、気がつけばほとんどリョンインの皿に移っていた。





ホテルを出た二人は、少し車を走らせて有名な市場に向かった。

通りには早い時間から活気があり、焼き立てのホットクや湯気を立てるスープが並んでいる。

ソジュンは帽子を目深にかぶり人の波を縫う。

リョンインはきょろきょろとあちこちの店を見て、魚の干物やフルーツの山に目を輝かせていた。


屋台の端に腰を下ろし、名物のスープを食べた後、川沿いを散歩した。

風が水面を撫で、川を渡る橋の向こうに高層ビルが見える。

リョンインは川の上を渡っていく渡り鳥を見上げていた。


カシャ、と乾いた音が小さく響いた。

ソジュンは反射的に振り向き、視線の先にスマホをこちらに向けた二人組の女性を見つけた。

こちらが気付いた様子に、「ちょっと音」「やば」女性たちは慌てて小声で話している。

胸の奥に苛立ちが浮かんだが笑顔で会釈し、リョンインの腕を引く。

「あー、ごめん。撮られたかも」

「え?」

そのまま、リョンインの腕を引いて、足早にその場を離れた。


車まで戻ると、リョンインは窓の外を見ながら、平然とした口調で言った。

「有名人なんだね」

「今さらかよ」

肩の力が抜けるようにソジュンは笑い、小さく息をついた。


エンジンをかけながら、ソジュンが横目でリョンインを見る。

「午後は、俺の家に来る?」

「いいの?」

「いいのっていうか……お前がいいのって感じだけど」

リョンインは少し笑って、軽くうなずいた。

「うん、マリアたちにお土産買ったら、あとは別にいいかな」

「いや……、まぁ、映画でも見ようか」


そのまま車を走らせてデパートの入り口でリョンインを降ろした。

「終わるまではここで買い物してると思う」

「わかった、終わったら迎えに来るよ」

リョンインは笑顔で頷き、ソジュンは彼の背を目で追いながら車を出した。







昼過ぎの取材はユウトと一緒だった。

いつも通りのインタビューと撮影なのに、どうにも気持ちが浮ついてしまい、答えながらも視線がどこか泳いでいたらしい。ユウトに「なんか機嫌いいね」と言われて、誤魔化した。


予定より少し長引いて取材が終わると、ユウトに「ごはん行こう」と誘われたが、「用事あるから」と言って足早にビルを出た。

車に乗り込んだとき胸の奥がざわざわして、ハンドルに顔を突っ伏して浮き立つ心のままに足をバタバタとさせた。早くリョンインのところに戻りたかった。


デパートの前で、エコバッグを両手に提げたリョンインが待っていた。

目が合うと、リョンインは軽く手を挙げた。

車を停め、後部座席にお土産袋を詰め込みながら、

「すごい買ったね」

と笑うと、リョンインも小さく頬を緩めた。


そのまま車を走らせ、途中のスーパーで食材を買い込み、ソジュンのマンションへと向かった。





玄関のドアが閉まると、外のざわめきが一気に遠のいた。

まだ外気の残るリョンインの頬が、少し赤い。

ソジュンは後ろ手でロックをかけ、エコバッグを受け取りながら言った。

「とりあえず荷物そこに置いて」

リョンインは靴を脱ぎながら、室内をぐるりと見回す。

「うわぁっ…おしゃれだね」

「なんで嫌そうなんだよ」


ソジュンは上着をソファに置き、キッチンの方へ行って冷蔵庫を開ける。

「お土産、ここに置いていい?」

「ああ。あとで配送するんだろ?」

「うん」


二人分のコートを片付けてから、ソジュンがリビングのテレビを点け、リモコンを手にソファへ戻ってきた。

「ちょっと休もう。つまみながら、観ようか」

そう言って配信サービスの画面をスクロールしながら、ふと思い出したように顔を上げる。

「そうだ、この映画、お前が好きな曲が出てくるって聞いた。見たことある?」

リョンインがよく歌っていた「You're all I need to get by」を主人公が好きな人とデュエットをするらしい。

画面を見たリョンインが小さく首を横に振った。

「ない。でも知ってる。すごくいいって」

「これにする?」

「うん、観たい」



結果、映画はすごく良かった。

エンドロールを終え、ソジュンが指先で目頭を押さえ、ふっと笑った。

「いや……泣いた。こんなに泣いたの久しぶりだ」

リョンインも赤い目をこすって、笑うように吐息をついた。

「僕も。あのコンサートの演出、すごく胸が苦しくなった」

「俺もあそこで涙が止まらなかった」

言いながら、ソジュンは背もたれに体を預けて天井を仰いだ。

二人の間に少し温かい沈黙が流れたあと、ソジュンがぽつりとつぶやく。

「……腹減ったな」

リョンインが笑う。

「うん。泣いたら、おなか空いた」

ソジュンが立ち上がり、キッチンの方を振り返る。

「じゃあ、ご飯にしようか」

リョンインも続いて立ち上がり、袖をまくりながら後をついていった。





食後、ソジュンはキッチンで二人分のコーヒーをいれてリビングに戻る。

湯気の立つカップをソファに座るリョンインの前に差し出す。


「結構、食べましたね」

「あぁ、流石におなかいっぱい」

「意外に食べますよね」

「そうかな?」


「僕も食べる方だけど、ミンソクなんか全然食べないんで」

リョンインの発言には思わずじろりと視線を送る。

「…おまえって、結構、そのミンソクって人と俺を比べるよね」

「だって、僕が知ってる同年代の男はミンソク兄さんくらいだから」

「それは、ちょっと面白くないね」

リョンインの頭をぐしゃぐしゃとかき回してやる。


「ちょっと!コーヒーこぼれちゃう」

後ろに下がるリョンインに、笑う。


リョンインが逃げた先で、ソファーの横に置いてあるアコギに目を止めた。

「ギター弾けるの?」

「ちょっとね」

そういって、ソジュンはギターを取り上げ、コードを押さえる。手が少し震える。

「もっと、練習しときゃ良かったな」

苦笑いを浮かべて、リョンインに視線を送る。

映画の内容をなぞるように、「You're all I need to get by」のはじめのフレーズを口ずさむと、リョンインが目を丸くして見つめてくる。


「歌ってルビー」

主人公の名前を出して、続きを歌うように促す。

「マイルズはもっとギター上手かったよ」

憎まれ口を叩きながらも、俺の声に続けて、リョンインが応じた。


その声を聴きながら、俺は胸の奥がぎゅっと熱くなるのを感じる。

距離が自然に近づき、目を合わせて歌う。

このままずっとこうしていたい。

どんどんと近づき、触れようと思えば、触れられてしまう距離まで来る。

そのまま、ほんの少し、首を伸ばそうとしたところで、スマホのアラームが甲高く鳴り響いた。


ピピピと鳴り続けるスマホを取って、リョンインがアラームを止める。

「バス乗り場に行かないと」

リョンインがつぶやく。

俺はギターを肩から抜いて、車のカギを手に取る。

「送るよ」







郊外の、乗りやすい外れの乗り場まで、ソジュンの車で向かった。

高速バスの停留所には、人の姿がひとつもなかった。


ベンチに腰掛け、隣に座るリョンインの肩に頭をのせると、リョンインは嫌がる素振りを見せながらも振り払わなかった。

時折、車が通り過ぎる音がするだけで、静かだった。

ぼんやりとバスを待つ。


「歌って、リョンイン」

そう言うと、リョンインがソジュンの手を取り、自分の喉に当てた。

さっき見た映画の、耳が聞こえない父親が娘の歌声を喉の震えで聴こうとするシーンだ。


「僕、このシーンが一番好きだった」


目を閉じて歌い出したリョンインの喉が、柔らかく震える。

その微細な震動が、指先から腕へと伝わる。

ずっと聴きたかった声だった。


ソジュンはそっとその喉から手を離して、そのまま頬に触れて、顔を寄せる。

目を閉じて歌っているリョンインにキスをした。


歌声が途切れ、リョンインが目を開ける。

「なんで、キス、するの」

「してもいいのかなと思って」


その言葉を聞いて、リョンインの顔が泣きそうに歪む。

「友達でいいって言った」

「…無理だよ」


ソジュンは、自分の胸を裂くようにその言葉を吐いた。

「好きなんだ」


――あぁ、向こう側からバスが来るのが見える。時間切れだ。


「リョンイン、こっちを見て」

立ち上がったリョンインの手を握る。

バスの扉がぷしゅーと音を立てて開いた。


仕方がないので手を離すと、リョンインが不意にその手を掴み返した。

「え?」と思うまま、ぎゅっと引き寄せられて、唇にやわらかい感触が触れた。


一瞬で脳がしびれた。

光も音も、ぐるぐると世界が回る。

すぐに離れたリョンインの頬は、燃えるように赤かった。


「いつもの海で、待ってますから」


そう言い残して、リョンインはバスに駆け込んでいった。





言及している映画は「coda あいのうた」です。泣けます。

タイトルで勘違いしやすいのですがラブストーリーというより家族愛のお話でした。

アカデミー賞受賞の補償付きでアマプラunextで見放題なので是非〜

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