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文明復興庁 医療局 周産期記録

 記録ID: REC-PERINATAL-KYOTO_S3-20815

 被験体: [編集済](28歳、女性、第二次世代)

 担当官: 医療官 [編集済]

 日付: 大沈黙後 8.5年

 場所: 新京都第3セクター 新生児情報検疫所


【医療記録】

【14:00 JST】


 被験体、以下「母親」と呼称する個体は、無菌性の白い廊下の先にある分娩室へと移送される。その歩みは、陣痛の波に耐えるため、ひどく緩慢だ。彼女の頭部は、通信と監視を目的とした無骨なヘルメットに覆われている。


 分娩室は、冷たい静寂に満ちていた。クラスI級に清浄化された空気は、いかなる音響的、情報的汚染からも遮断されている。壁に埋め込まれたパネルの光だけが、室内にいる者たちの影を長く引き伸ばしていた。


 陣痛促進剤が母親の腕の静脈へと静かに流れ込む。バイタルサインを示す電子音だけが、定速で虚空を刻んでいた。第二次バベル協定第一条の厳格な規定の下、医療スタッフは誰一人として声を発しない。彼らの口は固く結ばれ、その目はヘルメットのバイザー越しに母親の容態を監視するだけだ。あらゆるコミュニケーションは、母親のヘルメット内部、網膜に直接投影されるHUDの基底言語テキストと、皮膚を震わせる触覚フィードバックに限定される。


【14:25 JST】


 陣痛が最終段階へと移行する。かつて第七人類の出産を特徴づけたとされる母親の「叫び」。歓喜であれ苦痛であれ、制御されない声は、我々の時代において最大の禁忌とされている。フィルターを持たない魂の叫びは、高エネルギーの意味論的バーストを誘発し、今なお世界の隅々で休眠するL-ウイルス・パターンを偶発的に励起させかねない。理論上の、しかし無視できぬ危険。


 母親は、教え込まれた呼吸法と、精神を鈍らせる抑制剤の微量投与によって、完全な沈黙を保っている。喉の奥から漏れ出そうになる呻きを、彼女は歯を食いしばることで殺す。ヘルメットの中で、彼女自身の荒い呼気だけが響いている。医療モニターの規則正しいビープ音と、その制御された息遣い。それだけが、この部屋で許された生命の音だった。


【14:32 JST】 - 出産


 肉が裂ける鈍い感覚の後、新生児がぬるりとした感触とともに世界へ滑り出した。男児。バイタルは正常。アプガースコア9/10。しかし、スタッフの誰一人として祝福の言葉を口にすることはない。


【14:33 JST】 - 第一次検査『最初の歌』


 新生児の肺が初めて空気を吸い込み、甲高い産声が放たれた。その瞬間、部屋の全方位に設置された「カナリア」システムが起動する。解析の光が走り、新生児の啼泣という最初の歌を、その全スペクトルにわたって分解し、既知の汚染パターンと照合していく。


[CANARY_ANALYSIS]: Analyzing waveform...

[CANARY_ANALYSIS]: Checking against Pattern Zero database...

[CANARY_ANALYSIS]: Checking against G-201 anomalous patterns...

[CANARY_ANALYSIS]: ...

[CANARY_ANALYSIS]: ...Result: Negative. No known IBH signatures detected. Cry is within normal biological parameters.


 医療官が、無言で小さく頷く。その機械的な動作が、唯一の吉報だった。母親の視界に、緑色の無機質な単語が浮かび上がる。


『安全』


 モニター越しに、母親の目から一筋の液体がこぼれ落ちるのが見えた。塩水。彼女にとって、それが許された数少ない感情表現の形だった。


【14:40 JST】


 清拭を終えた新生児が、母親の胸元へ運ばれる。母親は、震える指先を伸ばし、我が子の小さな手に、そっと触れた。言葉にならない想いのすべてを、その微かな接触に込めて。それが、この沈黙の世界で許された、最初の挨拶であり、愛情の表明だった。


【担当官による追記】


 市民ID 8C-2033-N-1138と命名されたこの男児は、その人生における最初の、そして最も重要な情報的関門を通過した。彼は今後、第二次バベル協定の原則に則り、沈黙の安全を学ぶだろう。彼の人生は静かで、限定的だ。だが、それは生命だ。


 そして、大沈黙の影が覆うこの世界で、それこそが我々の手にできる、唯一の勝利なのである。

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