マークストン大将 個人記録(遺書兼務)
ログID: LOG-FINAL-ARK_OMEGA-20250704
記録者: マークストン・D・マークス(合衆国陸軍大将)
日時: 大沈黙 当日
現在位置: サルガッソー海、海上プラットフォーム「揺り籠」
[音声ログ記録開始]
これが、私の最後の記録となる。
潜航艇「オルフェウス」の、最終降下シークエンスを開始する。
私は、今、バミューダトライアングルと呼ばれる、人類の神話の海にいる。彼らが、あらゆる超常現象の発生源とした、この忌み嫌われた海域こそ、我々の最後の希望を隠すのに、最も相応しい場所だった。
地上のモニターは、もう、何も映さない。私の「ハレルヤ」作戦は成功した。
私は、人類に惨い慈悲を与えた。ロゴス・ウイルスによる狂気の絶叫よりも、穏やかな、思考なき沈黙を選んだ。私は、彼らの赦しを乞うつもりはない。
…降下深度、800メートル。艇の外壁が、水圧に軋む音がする。
人類の技術者たちは、常に、この圧力に「抵抗」しようとした。より厚い壁、より強い素材。そして、常に失敗した。彼らの傲慢さの現れだ。
だが、我々が選んだ道は、違う。「抵抗」ではない。「受容」だ。
今、キャビンが酸素化フッ化炭素液で満たされていく。
(ログに、液体が注入される音と数秒間の苦しげな息遣いが記録される)
肺が、最初の冷たい液体を吸い込む。パニックを起こしてはならない。これは、溺れているのではない。呼吸しているのだ。深海の呼吸を。
これで、内外の圧力差はゼロになる。水圧は、もはや、障害ではない。我々は、深海の一部となるのだ。
降下深度、3,000メートル。
私が「ハッシュ」を散布したのは、あれが最終的な解決策だと信じていたからではない。
あれは、時間稼ぎだ。
ゲーム盤が、完全に、リセットされてしまう前に、一時停止ボタンを押したに過ぎない。
L-ウイルスの蔓延を止め、人類という「ハードウェア」を、その遺伝子情報を、地上に保存するための苦肉の策だ。
いつか、新しい「ソフトウェア」がインストールされる、その日まで。
降下深度、7,000メートル。目標地点が、近い。
この、海底地下1,200メートルに眠る施設。
「アーク・オメガ」。
ここが、私の最後の任務であり、最後の職場だ。
アーク・オメガは、研究施設ではない。
それは、種子バンクだ。
L-ウイルスに、一切、汚染されていない、純粋な人類の最後のアーカイブ。
数万種類に及ぶ、遺伝子情報。そして、1,000体を超える、健常な凍結受精卵。
人類という種の、完全なオフライン・バックアップだ。
私の使命は、終わった。
これより、私の、本当の「任務」が始まる。
私はこの揺り籠の、唯一の守護者となる。
凍てついた我々の種の夢を守る、最後の兵士だ。
「何か」が、この星を、ただの失敗した実験場として処理するのか。
あるいは、人類が自らの力で未来を築くのか。
私には、わからない。
だが、もし、そのどちらでもない、第三の未来があるのなら、このアーク・オメガが、そのための最後の変数となるだろう。
私は、人間性を捨てて、人間という「概念」を保存した。
そして今、私は、自ら、この圧殺されるような、静かな闇の中へ下っていく。
ただ、待つために。
…「オルフェウス」、ドッキングシークエンスに移行。
アーク・オメガへ、ようこそ。
[ログ記録終了]




