サキ・アオイ 個人ログ#9022
ログID: LOG-PERSONAL-SAKI-209022
記録者: サキ・アオイ
記録場所: 施設「アーク」個人居住区画にて
日付: 大沈黙後 7.0年
件名: 第七人類の遺物(フィクション文学)の一次分析
[音声ログ記録開始]
サキ・アオイ、個人ログ。
今夜は、セクターBのアーカイブから、新しいファイルをダウンロードした。
分類は、クラスI。ジャンルは、フィクション文学。サブジャンル「恋愛」。
タイトルは、『夏色のソーダ』。
第七人類の後期に、若者向けに書かれた典型的な小説らしい。
公式な研究目的は、「大沈黙以前の、大衆文化における情動的構文の分析」。
本当の目的は…先日、エレナ博士と私の間に起きた、あの出来事を理解するための地図を探すこと。
私の、このパターンが乱れた感情の名前を見つけること。
…読み進めている。
物語の主人公は、私と同じくらいの年頃の少女。彼女は、風邪を引いて、寝込んでいる。
そこに、彼女が想いを寄せる少年がお見舞いに来る。スポーツドリンクを手に持って。
彼らは、何時間も他愛のない話をする。笑い合う。そして、少年は、彼女の手を握る。
…とても非効率だ。そして、とても、饒舌。
彼らは、単純な好意を伝えるためだけに、何千という言葉を費やしている。
そして、いとも容易く、触れ合う。
エレナ先生が…彼女が、私の頭に触れた、あのワンストロークは、まるで、地殻変動のような一大事だったのに。この物語の中では、呼吸をするのと同じくらい自然に、手と手が触れ合っている。
…ああ、次の章。主人公が嫉妬している。
少年が、別の少女と親しげに話しているのを見た、と。
本には「胸が、きゅっと痛んだ」と書いてある。彼女は、枕に顔を埋めて泣いている。
私が、リアムに対して感じた、あの、冷たい分析的な感情とは、全く違う。
なんて、厄介で、ぐちゃぐちゃで、人間らしいんだろう。
第七人類の感情は、あまりにも高帯域で、そして、うるさい。
…最後のページに、たどり着いた。クライマックスだ。
少年が、彼らの言語で、最も重要だとされた単語を口にする。
私は、そのテキストを、声に出さずに、目で読んだ。
「愛してる」
その瞬間、私のHUDの隅に、微かな警告が表示された。
[意味論的エネルギーが規定値を超過。クラスII級ミーム・ハザードの可能性]
…馬鹿げてる。
愛の言葉が、ハザードだなんて。
でも、本当に、そうだろうか。
これこそが、L-ウイルスの本質なのかもしれない。
破壊ではなく、創造のウイルス。
我々の創設者たちが、何よりも恐れた、あの非論理的で、世界を変えるほどの強烈な「意味」のパターン。
「第二次バベル協定」が根絶しようとした、全てのものの結晶。
物語の中で、少女は、その言葉への返事として、キスをする。未来の約束。
私への、エレナ先生の返事は「あなたのパターンが、乱れている」だった。
でも…。
彼女が、私のために、運んできてくれた一杯の水。一輪の花。そして、あの、不器用なワンストローク。
あれが、彼女の世界の文法で綴られた「愛してる」だったのではないか。
沈黙と、警戒と、そして、恐怖の中で彼女が差し出すことのできた、たった一つの意味。
…この小説は、もう存在しない、死んだ世界への地図だ。
でも、もしかしたら、私はこれを使って自分の心を読み解くことができるかもしれない。
彼女が話す、本当の言葉を。
データの言葉じゃない。
たった一輪の白い花の言葉を。
…サキ、ログ終了。
[ログ記録終了]




