表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第七人類絶滅報告書  作者: ななめハンバーグカルパス
第二部 文明復興庁
59/83

サキ・アオイ 個人ログ#4300

 ログID: LOG-PERSONAL-SAKI-204300

 記録者: サキ・アオイ

 記録場所: 施設「アーク」個人居住区画にて

 日付: 大沈黙後 6.2年


[音声ログ記録開始]


 サキ・アオイ、ログ。

 …昨日の、あの醜い感情が、まだ胸の奥に冷たい石のように残っている。

 彼女とリアムが、私には理解できない純粋な論理の言葉で繋がっている光景。まるで、自分だけが、分厚いガラスの向こうに、取り残されたような気分だった。


 私の最初の愚かな衝動は、そのガラスを、力尽くで叩き割ることだった。

 彼らの言語を、あのウイルスの言葉を、自らが壊れる危険を冒してでも、学ばなければ、と。

 彼女の隣に立つには、彼らと同じ、非人間的な高みに、登らなければならないのだと。


 …でも、今朝、目が覚めて、私は、自分の居住区画に、ただ一つだけ置くことを許されている、あの遺物を見た。

 第七人類のティーカップだ。

 何の変哲もない、大量生産されたであろう白い陶器。縁に、小さな青い花が一つだけ描かれている。

 クラスIの、完全に無害な遺物。


 リアムなら、これをケイ酸塩と鉱物顔料の集合体として正確に分析するだろう。

 AIは、これを「台所用品、旧式」と、ただ、分類するだろう。


 でも、私は。

 私は、その縁に残る、かすかな口紅の跡を見る。

 持ち手の親指が何度も擦れたであろう、小さな、滑らかな、欠けを見る。

 これに、熱い紅茶を注ぎ、窓の外を眺めていた、誰かの穏やかな朝を想像する。

 その手の温もりを感じることさえ、できる気がする。


 そうだ。

 私は、コードの言葉は、話せない。

 でも、私は、ティーカップの、この小さな欠けの言葉を話せる。

 書きかけの手紙のインクの滲みの言葉を。

 銅像の足元で、寄り添って白骨になった恋人たちの言葉を。

 私は、考古学者だ。デジタルの沈黙ではなく、人間の、魂の沈黙に、声を与えるのが私の仕事だ。


 エレナ博士は、リアムを必要としているだろうか?

 彼女は、情報の奔流の中で、誰よりも、孤独だ。彼女の周りは、ロジックと、パターンと、ウイルスの脅威だけで満たされている。


 私が、彼女に与えることができるもの。

 それは、データストリングの新しい解析結果ではない。

 このティーカップを使っていた、名もなき女性の物語だ。

 彼女が失った、あの暖かくて、面倒で、非論理的で、そして、どうしようもなく美しい世界の、小さな、小さな、かけらだ。


 もしかしたら…それこそが、あの生きた遺物(アーティファクト)の中に、今も囚われている「人間」に、本当に届く、唯一のものなのかもしれない。


 …昨日の嫉妬は、愚かだった。

 自分が、無力なのではないかという、恐怖だった。

 でも、私は、無力じゃない。私の仕事は、死を理解することだけじゃない。生を、記憶することだ。


 私は、ウイルスの言葉は学ばない。

 私は、私の言葉を極める。幽霊たちの言葉を。

 そして、その言葉で、彼女という、最も気高い幽霊に語りかけよう。

 もしかしたら、彼女は、ただ、寂しいのかもしれない。彼女のいた、古い世界の物語を聴きたいと思っているのかもしれない。


 …サキ、ログ終了。

 ええ、これでいい。


[ログ記録終了]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ