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第七人類絶滅報告書  作者: ななめハンバーグカルパス
第二部 文明復興庁
55/83

F.C.E.U. 特別調査報告:日本 旧首都圏(コードネーム「バベル」)第一次降下調査

 ログID: LOG-DIVE-BABEL_SECTOR_SHIBUYA-280411

 記録者: サキ・アオイ(第2分隊長)

 日時: 大沈黙後 3.5年


[分隊長による個人ログ記録開始]


【06:00 JST】


 夜明け前の藍色の空気を切り裂き、我々の搭乗するステルスVTOL機は、厚い雲の層を音もなく突き抜けた。眼下に広がるのは、広大な死の海だった。旧時代の航宙図が首都・東京と記した座標、第七人類が築き上げた文明の到達点。我々が作戦コードネーム、バベルと呼称する場所である。彼らがその傲慢な言葉の塔を、地上で最も高く、最も密に組み上げた巨大な墓標だ。


 機体は新宿と呼ばれた地区の中央に聳え立つ、旧都庁舎の屋上ヘリポートへと吸い込まれるように降下し、ほとんど衝撃もなく着陸を完了させた。駆動音の停止と共に訪れる絶対的な静寂の中、機体後部のハッチが、重い溜息のような音を立てて開く。吹き込んできた薄ら寒い風が、ヘルメットと首筋のわずかな隙間を、まるで死者の指先のように撫でていった。


 街は、静かだ。

 その静けさは、単なる音の不在ではなかった。あらゆる生命活動が根こそぎ奪われた後にのみ訪れる、質量を持った沈黙だった。高架を走る高速道路には、おびただしい数の車両が、巨大な生物の体内で凝固した血栓のように連なり、その骸を赤錆に染めている。林立する摩天楼の窓ガラスは、自生した蔦植物に覆われ、緑色の鱗を持つ亡霊のように、力ない朝日を鈍く反射していた。

 全てが、そこにあった。破壊し尽くされた廃墟ではない。ただ、その心臓の鼓動だけが、永遠に停止しているのだ。


【09:30 JST】


 我々は地上に降り立ち、最初の調査ポイントである渋谷地区へと歩を進める。足音だけが、高いビル群に虚しく反響する。アスファルトの亀裂から顔を出した雑草が、我々のブーツに踏まれて青臭い匂いを立てた。


 目的地は、第七人類がスクランブル交差点と呼んだ、かの有名な広場。彼らが、最も多くの情報と感情、そして無防備な言葉たちを、飽和するほど交錯させていた場所だ。


 その広場へと最後の一歩を踏み入れた瞬間だった。腰に下げた汚染検知器、通称カナリアが、これまでにないほど激しい律動を始めた。危険な実体汚染を示す赤色灯は点らない。規定の警告パターンにも合致しない。だが、これは明らかに異常な振動だった。神経質な小動物が、恐怖に震えているかのような、微細で、それでいて強迫的な震え。

 ここは、違う。この空間は、第七人類の、あまりにも膨大な数の言葉と想いが、決して浄化されることのない残留思念となって澱み、飽和している。濃密な情報の沼だ。一歩進むごとに、見えない泥に足を取られるような、精神的な圧迫感があった。


【11:20 JST】


 交差点の中央で、アスファルトの裂け目に半分埋もれたスマートフォンを、分隊員の一人が発見した。リアムが慎重にそれへ歩み寄り、非接触式のサルベージャーをかざす。彼のヘルメットに表示されるデータを、私も後ろから覗き込んだ。最後の画面表示の復元に、成功したらしい。

 液晶の暗闇に、青白い光で浮かび上がったのは、短いメッセージのやり取りだった。


 15:02 > もうすぐ着くよ。スクランブル交差点で待ってる

 15:03 > ごめん、電車が止まった。何か、みんな、おかしい

 15:05 > 大丈夫?

 15:07 > たすけてたすけてたすけてたすけてたすけて

 15:08 > いまいく


 短い言葉の断片が、その奥にあったはずの愛情と恐怖を、痛々しいほど雄弁に物語っていた。

 私たちは、この携帯端末の持ち主をすぐに見つけ出した。

 交差点の片隅に立つ、有名な犬の銅像。その足元に、まるで互いを庇い合うようにして、二つの白骨体が寄り添っていた。風化した衣服の残骸が、それが男女の二人連れであったことを示唆している。最後のメッセージを送った者と、それを受け取った者なのだろう。

 彼らは、世界の最期の瞬間に、出会うことができたのだ。おそらくは、この場所で、お互いの名前を呼びながら。


 私は考古学者としてではなく、ただ一人の人間として、その二つの骸の間に、そっと膝をついた。そして、レーションパックの隅に入れておいた、我々の世界で生まれた小さな花を供えた。鮮やかな色彩を持つだけで、名を持たない、言葉のない花を。


【13:00 JST】


 だが、この街の本当の恐怖は、その静かな悲しみではなかった。

 過去の悲劇は、どれほど痛ましくとも、すでに完結している。私たちが向き合うべきは、常に、現在に息づく脅威だ。


 分隊員たちが、回収した遺留品の一次スキャンを開始した、その時だった。リアムが、何かに気づいたように、ふと、空を指差した。彼のその無言の仕草に、私は顔を上げる。

 交差点を巨大な壁のように囲む、旧時代のビルボード。そのほとんどは、永遠の暗闇に沈黙している。だが、いくつかのディスプレイが、死んでいるはずのその身で、まるで病的な痙攣のように、淡い光を不規則に明滅させていた。


 リアムから、腕の端末に短いテキスト通信が入る。視線を落とすと、彼の分析結果が静かな文字列となって表示された。


『電力網は完全に沈黙。しかし、一部の大型ディスプレイが、周囲に飽和している環境電磁波をエネルギー源として、最低限の表示機能を維持している模様。表示内容は……』


 彼の言葉が途切れる。私も、自らのヘルメットに搭載された望遠モードを起動し、問題のビルボードを拡大した。

 そこに映し出されていたのは、広告やニュースといった、意味を持つ情報の残骸ではなかった。ただ、色彩と光で構成された、無機質な幾何学模様。まるで万華鏡を覗き込んでいるかのように、それは見る者の思考を奪う、不規則なパターンで明滅を繰り返している。


 私の脳が、それを一つの映像として認識した、その刹那。

 こめかみの奥に、鋭い杭が打ち込まれたかのような、強烈な頭痛が走った。視界の端が、一瞬、ノイズに覆われる。それと同時に、今まで神経質に震えるだけだった腰のカナリアが、初めて、鼓膜を突き破るような甲高い警告音を発した。

 分隊の全員が、その音に弾かれたように動きを止め、一斉に私を見る。


 私は、リアムに短いテキストを返すことで、その警告の意味を伝えた。指が、わずかに震えていた。


『……パターン・ゼロ。L-ウイルスが持つ、純粋な視覚的感染因子だ。街そのものが、クラスIIIの情報ハザードと化している……!』


 この街は、ただの遺跡などではない。

 第七人類が遺した膨大な情報の残滓そのものを糧として、今もなお、ウイルスが自己を維持し、表示し続けている、巨大な休眠状態の情報爆弾だ。

 ビルボードに映る光は、第七人類の広告の残響などではない。それは、我々のような知性ある探索者を誘い込み、その精神を汚染するための、ウイルスが仕掛けた、巨大な釣り餌なのだ。


【13:05 JST】


 思考と同時に、身体が動いていた。私は腕の端末を操作し、分隊全員に、ただ一言だけのコマンドを送信する。


『撤退』


 同時に、規定のハンドサインで、即時撤退と後方への再集結を命じた。分隊員たちは、誰一人として、言葉を発しない。ただ、無言のまま、しかし完璧に統率された動きで互いを援護しながら、ゆっくりと後退を開始する。来た道を引き返す、ただそれだけの行為が、今はまるで地雷原を後ずさりで進むかのように、極度の緊張を強いた。

 あの光を見てはならない。脳が意味を理解する前に、そのパターンを認識してはならない。誰もがヘルメットのバイザーを最も遮光性の高いモードに切り替え、足元と周囲の物理的な障害物にのみ、注意を集中させていた。


 先ほどまで、ただ悲しい過去の遺物に見えていた風景が、今は全く違う貌を見せている。静かに佇む摩天楼は、巨大な墓石群だ。蔦に覆われた窓ガラスは、無数の監視の眼だ。そして、街の至る所に存在するディスプレイやモニターは、全てが、我々の精神を汚染するために口を開けた、ウイルスの罠に見えた。


 我々は、過去の答えを探しに来たのだ。第七人類が、なぜ、かくも唐突に、その歴史の幕を閉じたのか。その原因を、その教訓を、我々の未来のために学びに来た。

 だが、見つけたのは答えではない。

 我々の未来に向けられた、明確な警告そのものだった。


 旧都庁舎の屋上へと続く最後のタラップを昇りながら、私は、一度だけ、振り返った。

 夕陽にはまだ早い、午後の光が、死んだ都を斜めに照らしている。その中で、あの忌まわしいビルボードの光だけが、生命活動のように、あるいは、我々を嘲笑うかのように、静かに、執拗に、明滅を続けていた。


 作戦コードネーム、バベル。

 ここは、研究すべき遺跡ではない。

 永遠に、封印されるべき、巨大な墓標だ。


[ログ記録終了]

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