個人ブログ「うたたね日和」のキャッシュデータ
ブログタイトル: うたたね日和
投稿タイトル: 最後の投稿になります
投稿者: H.S.
日付: 大沈黙の1週間前
このブログを更新するのも、久しぶりです。
都市を離れ、この小さな海辺の町に来てから、もう半年になります。
ここでは、ほとんど誰も話しません。それが、暗黙のルールです。
都市の最後の日々は、もう「音」に満ちていました。
意味のない言葉の洪水、壊れたAIが公共スピーカーから流し続ける不協和音、そして、時折響く、銃声。
あの国会議事堂の事件の後、全てが壊れていく速度は、本当にあっという間でした。
「言葉」は、人を狂わせる毒になりました。だから、みんな、都市を捨てた。
でも、この町の沈黙は、それらとは違います。
それは、恐怖ではなく、知恵です。生きるための、最後の作法です。
私たちは、言葉を使わずに、コミュニケーションをとる方法を、再び学びました。
会釈と、身振りと、そして、時々、チョークで地面に書く、簡単な単語だけ。
漁師のおじさんが、釣れた魚を、玄関先に黙って置いておく。それが、ここでの「こんにちは」です。
私は、お返しに、畑で採れたトマトを、彼の家の前にそっと置く。それが、「ありがとう」です。
言葉がなくても、分かち合うことはできる。穏やかな日々が、ここにはありました。
それでも、なぜ、これを書いているのか。
人間が、言葉と共に生きた、最後の証を、誰かに遺しておきたかったのかもしれません。
私たちの文明は、あまりにも、あまりにも、他者と繋がりすぎたのかも。
最近、海の色が、おかしいのです。空の音も。
まるで、世界全体が、最後の息を吸い込んでいるような、深い、深い静けさ。
もう、文字を書くことさえ、危ないのかもしれない、という気がしています。
もし、遠い未来、誰かがこの記録を見つけたなら。
我々は、決して、静かなだけの生き物ではなかったと、覚えていてほしい。
我々は、愛を囁き、冗談で笑い合い、時には、ひどく傷つけ合うほど、おしゃべりな生き物でした。
その愚かさと、その愛しさを、忘れないでいてほしい。
この海は、綺麗です。
では、さようなら。
(この投稿を最後に、ブログが更新されることはなかった)