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第九話:回復への兆しと迫る影

第九話:回復への兆しと迫る影

ゼノスの状態は、徐々にではあるが回復に向かっていた。王宮最高の医療と、アリアナの献身的な見舞いが、彼に生きる力を与えているかのようだった。彼はまだベッドから完全に起き上がることはできないが、体を起こして座ることはできるようになった。アリアナとの簡単な会話も、以前より長く続くようになった。顔色も、以前よりはずっと良い。彼の回復は、アリアナにとって、何よりも喜ばしいことだった。


アリアナは、公務の合間を縫って、毎日欠かさずゼノスの元を訪れた。彼女が部屋に入ってくると、ゼノスの顔に微かな光が宿るのが、ゼノス専属となった医療班の医師たちにも見て取れた。美貌の女王の訪問は、最高の特効薬となっていた。医師たちは皆、この二人の間に流れる特別な空気に気づいていたが、決して口にはしなかった。それは、王宮内の暗黙の了解となっていた。


「ねぇ、ゼノス。今日の公務は、本当に大変だったのよ。書類の山が、あなたの背よりも、もーっと高かったわ。まるで、あなたの石頭具合が、書類の山に乗り移ったみたい。」


アリアナは、ゼノスの傍らに座り、今日あった出来事を話す。その口調は、女王のものではなく、まるで親しい友人に、あるいは少し拗ねたように話しかけているかのようだ。彼女の美貌が、身近な仕草の中で、より一層愛らしく見える。


「…御苦労様でございます…陛下…しかし…私の背よりも…それは、おそらく陛下の感じられている主観であり…現実の書類の量は…」


ゼノスは、真面目な顔で、アリアナの言葉を訂正しようとする。体力はまだ回復していないが、石頭具合は完全に戻っているようだ。


「もう!いいのよ、そういうことは!私の主観がそうなの!それをいちいち訂正しなくていいの!石頭!」


アリアナは、ゼノスの真面目すぎる反応に、少し苛立ったように言った。ツンデレである。そして、「石頭」と、愛情込めて罵る。


(主観…現実…?陛下の主観が現実と異なる場合、それは陛下にとって不利益になる可能性が…しかし、陛下の主観を尊重しないことは、主君の御心を無視することに繋がり…)


ゼノスは、アリアナの言葉の裏にある意図を理解しようと、真剣に考え込んでしまう。


アリアナは、ゼノスが真剣に考えている顔を見て、くすっと笑った。


「ふふっ。何を真面目に考えてるのよ。冗談でしょう?でも…あなたが傍にいないと、冗談を言ってもつまらないわね。だって、真面目に受け止めて、面白い顔をしてくれる相手がいないんだもの。」


その言葉に、ゼノスの胸が「きゅん」となる。(回復後も、「きゅん」機能は正常に作動しているようだ。むしろ、以前よりも敏感になっている。)陛下が、自分の存在を求めてくださっている。冗談相手としてであっても。そして、自分の「面白い顔」が、陛下を楽しませているという事実。


「…陛下を…お楽しみさせて…おりましたでしょうか…光栄で…ございます…」


ゼノスは、か細い声で応える。彼の顔が、僅かに赤くなっている。


「そうよ!たまにはね!あんたの真面目すぎる反応が面白いんだから!特に、私がちょっかい出した時とか!」


アリアナは、少し照れたように言った。そして、ゼノスの手にそっと触れた。彼女の指先が触れると、ゼノスの体が僅かに震える。彼の指先が、以前よりもずっと温かくなっているのを感じる。


「早く元気になって。そして、また私の傍に来てちょうだい。あなたが淹れてくれないと、お茶がどうも…美味しくないのよ。他の誰が淹れてくれても、味が違うの。」


アリアナは、甘えるような、しかしツンデレな口調で言った。これは、彼女の最大限の愛情表現の一つだ。


(美味しくない…?他の者の淹れた茶と、私が淹れた茶は、同じ茶葉、同じ水を使用しております。温度や時間は厳密に管理しておりますゆえ、味に明確な差が生じるはずは…しかし、陛下は『味が違う』と…これは、私の存在自体が、陛下にとっての茶の味に影響を与えているということか…!?それは、つまり…!!)


ゼノスは、アリアナの言葉の真意について、壮大な推測を始めた。それは、彼の真面目すぎる思考が、愛情という未知の領域に踏み込んだ結果だった。内心で、彼は「きゅん」と同時に、論理的な破綻を感じ、混乱していた。


「…陛下…しかし…茶の味は…」


「いいのよ!理屈じゃないの!あなたの淹れたお茶が、一番美味しいの!それだけ!」


アリアナは、ゼノスの言葉を遮り、少し頬を膨らませた。美貌が、膨らんだ頬でさらに可愛らしく見える。


(理屈ではない…私の存在そのものが…茶の味に影響…?)


ゼノスは、混乱しながらも、アリアナの言葉に、深い喜びを感じていた。彼女が自分にだけ見せる、この甘えたような声や表情、そして、彼女の言葉の裏にある、自分への強い執着。心が締め付けられる。触れたい。この手を握りしめたい。このまま、彼女の傍で、二度と離れたくない。


しかし、エルードの言葉が頭をよぎる。「臣下との個人的な感情が、国家の危機における判断に影響を与えるのは、危険極まりない。」「陛下が魔力を暴走させたのは、彼が傷ついたことへの感情的な動動揺が原因では?」自分が、アリアナの弱点になっているという事実が、彼の心に重くのしかかっていた。


「陛下…私は…あなたの剣として…もう…役に立たず…」


ゼノスは、再び自らを責めるような言葉を口にしようとした。まだ体が完全に回復していないことも、彼をさらに落ち込ませていた。


「やめて!そんなこと言わないで!」


アリアナは、ゼノスの言葉を遮り、彼の口元にそっと指を当てた。先程よりも、少しだけ長く触れる。


(!?…陛下が…私の唇に…!?また…また触れていただいた…!?しかも、今度は意識がはっきりしている状態で…!これは…これは一体…どのような意味が…!?)


ゼノスの全身が硬直する。アリアナの指先の柔らかな感触。温もり。そして、彼女の真剣な、潤んだ瞳。彼の顔が、みるみるうちに、首筋まで赤くなっていく。心臓が、破裂しそうなほど高鳴る。


「あなたは、役に立たずなんかじゃないわ!あなたは、私の命を救った!この王国を救ったの!そして…あなたは、私の…私の、最も大切な…」


アリアナは、言葉に詰まる。大切な、その先に続く言葉を、口にすることができない。主従の壁。そして、エルードのような存在の目が、彼女の言葉を阻む。しかし、今回は「剣」とは言わない。なんとか、違う言葉で、彼の重要性を伝えようとする。


ゼノスは、アリアナの顔を見つめた。涙を浮かべた瞳、揺れる感情。彼女の言葉の裏にある、言えない言葉を、彼は感じ取っていた。「大切な」…その言葉だけで、彼の心は満たされそうになる。


「…大切な…?」


ゼノスは、微かに尋ねた。彼の声は、期待と不安、そして熱が混じっている。


「そうよ!大切な…私の…私の…」


アリアナは、言葉を探す。剣?それだけじゃない。光?それだけじゃない。唯一無二の…


「私の…ゼノス…よ!」


アリアナは、結局、彼の名前を呼んだ。それは、彼を「私の剣」としてではなく、「私のゼノス」として捉えている、という意味を込めて。


ゼノスは、アリアナの言葉を聞き、胸の奥が熱くなるのを感じた。完全に満足できる答えではないかもしれない。しかし、彼女が自分を、一個の人間として、「私のゼノス」と呼んでくれた…それは、主従の壁に、ほんの僅かだが、亀裂が入った瞬間のように思えた。


「…陛下…光栄で…ございます…」


ゼノスは、絞り出すように言った。彼の顔はまだ赤い。そして、アリアナの指が離れるのを惜しむように、微かに震える。


アリアナは、ゼノスの赤くなった顔を見て、くすっと笑った。彼女が彼に触れると、彼が動揺するのを知っている。そして、それが、彼女にとって、少しだけ心の支えになっている。彼の生真面目な反応を見ていると、この困難な状況の中でも、少しだけ心が安らぐのだ。


「ふふっ。まだ顔が赤くなるのね。本当に可愛いわ。」


アリアナは、意地悪く言った。美貌の女王の、からかうような笑顔。その言葉と笑顔が、ゼノスの心に深く突き刺さる。


(…か、可愛い…!?陛下が、私を…可愛いと…!?冗談では…なさそうだ…これは…これは一体…どのような状況なのだ…!?)


ゼノスの内心は、再び大混乱に陥る。「可愛い」という言葉の意味、そしてそれが女王陛下から自分に向けられた事実。彼の真面目すぎる思考回路は、この事態をどう処理すべきか、必死に模索していた。


アリアナは、ゼノスが真剣に考え込んでいる顔を見て、呆れたような顔をした。


「もういいわよ。そんなこと真面目に考えなくて!…でも、あなたが元気になったら、またこうしてからかってあげるから。覚悟しておきなさい!」


アリアナは、ゼノスの手を握りしめ、彼の寝顔(起きているが、からかいの後の顔)を見つめた。彼の顔に、微かな安堵の色が浮かんだように見えた。そして、「覚悟しておきなさい」という言葉に、僅かに喜びの色が混じっていた。彼は、もう二度と、彼女の傍から離れたくないと、強く願っていた。そして、彼女に「からかわれる」という未来が、少し楽しみになっているのかもしれない。


王都の静かな一室。美貌の女王は、傷ついた騎士の傍らで、彼の回復を祈り、王宮内の暗雲、そして二人の関係の行方を思い描いていた。


主従の壁は、依然として高い。エルードの存在が、二人の間に新たな亀裂を入れようとしている。しかし、同時に、ゼノスの意識が戻り、互いの存在の重要性を再確認したことで、二人の絆は、より深く、そして切なく結ばれ始めていた。そして、アリアナのツンデレな言葉や、少し踏み込んだ愛情表現が、ゼノスの真面目な心に、確かな変化をもたらし始めている。


この暗雲の中で、二人の主従関係の恋は、どのように進んでいくのだろうか。そして、ゼノスは、いつか「剣」という殻を破り、アリアナへの感情を素直に認めることができるのだろうか。アリアナは、彼の回復を待ちながら、その日を願うとともに、迫りくる新たな危機に、女王として立ち向かう覚悟を固めていた。そして、彼が完全に回復したら、もう二度と、あんな無茶はさせない。そして、あの時言いかけた言葉の続きを聞いて、そして…自分のこの溢れる想いを、どのように彼に伝えるべきか、あるいは伝えないべきか…アリアナの、女王としての頭脳と、一人の女性としての心が、複雑なラブコメ計算を始めていた。それは、王国を治めるよりも、もしかしたら難しい問題かもしれない。


その時、部屋の外から、ただならぬざわめきが聞こえてきた。そして、慌ただしい、そして緊迫した足音。


「何事!?」


アリアナは、瞬時に女王の顔に戻り、鋭い声で尋ねた。その声には、一瞬前まであった柔らかさは微塵もなかった。


侍女が、顔面蒼白で部屋に飛び込んできた。


「陛下!緊急報です!隣国ヴァルカンから、宣戦布告の使者が!そして、王宮内で、不審な者たちが…!おそらく、あの地下にいた者たちの仲間が…!」


アリアナの顔から、全ての感情が消えた。紅玉の瞳に、冷徹な光が宿る。


「…来たか。いよいよ、表舞台に現れた、ということね。」


低く、しかし響き渡る声で呟いたアリアナは、ゼノスの手からそっと手を離した。その手は、微かに震えていたが、彼女の決意は固い。


「ゼノス。私は行くわ。あなたは、ここで待っていて。いいわね?」


ゼノスは、アリアナの言葉を聞き、目を見開いた。行かせたくない。陛下の傍を離れたくない。守らなければならない。しかし、体は、まだ、完全に動かない。ベッドから降りることすら、困難だ。


「…ひ…か…り…」


ゼノスの唇から、懇願するような、そして焦燥を帯びた微かな声が漏れた。行かないで、私の光…!


アリアナは、その言葉を聞き、一瞬だけ立ち止まった。そして、ゼノスの方を振り返り、微かに、しかし確かな微笑みを浮かべた。その笑顔は、女王の威厳と、彼への深い愛情、そして戦いへの覚悟が混じり合った、複雑な、そして圧倒的な美しさを持っていた。


「大丈夫よ、ゼノス。私は、あなたの光でしょう?だから、消えたりしないわ。必ず、戻ってくる。」


そう言って、アリアナは部屋を出て行った。その背中は、迷いなく、強く見えた。


ゼノスは、アリアナの後ろ姿を見送った。体は動かない。しかし、彼の心は、もう一度彼女の傍に立ち、剣となって彼女を守ることを、強く、強く願っていた。ベッドのシーツを、力なく握りしめる。


王宮内の陰謀と、隣国からの宣戦布告。王国最大の危機が、今、幕を開けようとしていた。そして、病床の騎士は、愛する女王を守るために、再び立ち上がることを、心の中で、そして血に誓うのだった。彼の回復は、待ってはくれない。

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