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第四話:戦場への旅路と心の距離

第四話:戦場への旅路と心の距離

隣国ヴァルカンによる事実上の侵攻開始の報を受け、アリアナは自ら前線へと赴くことを決断した。通常であれば、女王は王都に留まり指揮を執るべきだが、今回の侵攻は巧妙かつ迅速であり、さらに王宮内の陰謀も重なっている。カリスマであるアリアナが前線に立つことで、兵士たちの士気を最大限に高め、混乱を収束させる必要があると判断したのだ。


「ゼノス、準備は整った?」


王宮の広場に集結した騎士団の前に、アリアナは立つ。簡素ながらも機能的な戦闘服に身を包んだ彼女は、いつものドレス姿とはまた違う、凛とした美しさを放っていた。緋色の髪は結い上げられ、紅玉の瞳は戦場を見据える強い光を宿している。それでも、その美貌は、集まった兵士たちの視線を一瞬奪うほどだった。


「御意。陛下、いつでも出立できます。」


ゼノスは、アリアナの傍らで応える。彼もまた、漆黒の甲冑を纏い、完璧な騎士の姿だ。しかし、その内心では、前線という危険な場所へ女王を連れていくことへの、深い懸念と、そして彼女の隣で戦えることへの、秘かな高揚感がないまぜになっていた。


アリアナは、集まった兵士たちに向けて、簡潔ながらも力強い演説を行った。彼女の言葉に、兵士たちの顔つきが変わる。不安の色が消え、決意の光が宿った。


「陛下…流石でございます…」


ゼノスは、その演説を聞きながら、改めてアリアナのカリスマ性に圧倒されていた。たった数分の言葉で、これほどまでに人の心を動かせる。


「…べ、別に、あなたに褒められたいわけじゃないわよ!」


演説を終えたアリアナが、ゼノスの方を向き、少し照れたように呟いた。ゼノスが内心で感銘を受けていることを見抜いたのだろうか?その感情的な反応に、ゼノスの内心はまたしても跳ねた。


「…!いえ、陛下の御言葉は、常に兵士たちの心を奮い立たせます。まさに、王国の光でございます。」


ゼノスは、真面目に、しかし心を込めて応えた。


アリアナは、その言葉に満足したのか、それとも照れ隠しか、「ふん」と鼻を鳴らし、馬に跨った。ゼノスも自らの愛馬に跨り、アリアナの傍らにつく。


戦場への旅が始まった。王都を出て、景色は徐々に荒々しくなっていく。街路樹は減り、代わりに岩肌の目立つ山々が見えてくる。空気も、王都の穏やかなものから、少し冷たく張り詰めたものへと変わっていった。


旅の途中、一行は小さな村に立ち寄った。荒廃した村の様子は、ヴァルカンの侵攻が既にここまで及んでいることを物語っていた。アリアナは、村人たちに言葉をかけ、食料や物資を分け与えるように指示した。


「大丈夫よ。私たちが、必ずあなたたちを守るわ。」


アリアナが優しく語りかけると、村人たちは涙を流し、女王の手を取って感謝した。その時のアリアナの表情は、謁見の間での完璧な笑顔とは違い、心からの慈悲に満ちていた。


(陛下は…なんて、お優しい…)


ゼノスは、そんなアリアナの姿を少し離れた場所から見守っていた。女王としての威厳と、一人の女性としての優しさ。その両方を兼ね備えたアリアナの姿に、彼の恋心は募る一方だった。


夜になり、一行は野営をすることになった。前線に近いこともあり、緊迫した空気の中で、兵士たちは最小限の焚火を囲んでいる。アリアナは、テントの中でゼノスと二人きりになった。


「ふぅ…慣れない場所での野営は、どうも落ち着かないわね。」


アリアナは、服の袖を少し捲りながら言った。王宮の豪華な寝台とは違う、固い地面。冷たい夜風。それでも、彼女は弱音を吐かない。


「警備は万全を期しております。ご安心ください、陛下。」


ゼノスは、テントの入口付近に立ち、外の様子に耳を澄ませながら言った。


「別に、警備が万全じゃないなんて言ってないわよ!ただ、慣れないって言ってるだけ!いちいち、そんな真面目に返事しなくていいの!」


アリアナは、ゼノスの真面目すぎる返事に、またしても少しイライラした様子で言った。


(…真面目に返事…?では、どのように返事を…「お疲れ様でございます、今夜は冷えますね」といった労いの言葉か?しかし、それは陛下の御身を案じることになり、私の務めではあるが…その響きに私的な感情が混じると…)


ゼノスは、再び内心で言葉を選び始める。アリアナは、そんなゼノスの様子を見て、ため息をついた。


「はぁ…もういいわ。あなたに気の利いた返事を期待する方が間違ってるのよ。」


そう言って、アリアナは焚火に視線を移した。パチパチと燃える炎が、彼女の顔を照らす。


「…ねぇ、ゼノス。」


アリアナが、静かにゼノスに話しかけた。


「あなたって、どうしてそんなに…私に忠実なの?」


突然の問いに、ゼノスは固まる。


「…それは…陛下の剣として、当然のことでございます。」


「当然…?それが、全て?」


アリアナは、ゼノスの瞳を真っ直ぐに見つめた。その紅玉の瞳には、何かを探るような、深い感情が宿っていた。


ゼノスは、アリアナの視線から目を逸らすことができなかった。彼の内心では、幼い頃の記憶が鮮やかに蘇っていた。貧民街で生まれ、希望もなく生きていた若い頃の自分。ある日、街を訪れた幼い王女アリアナが、自分に手を差し伸べてくれた。その時の、彼女の輝き。それは、闇の中で生きていた自分にとって、初めて見た光だった。


(あの時、私の世界は…あなたという光で満たされた…)


「…陛下は…私の、光でございますゆえ。」


ゼノスは、絞り出すように答えた。それは、忠誠心という言葉だけでは表せない、彼にとっての真実だった。


アリアナは、ゼノスの言葉を聞き、僅かに目を見開いた。そして、ふっと寂しげな笑みを浮かべた。


「…光…?私は、ただの人間よ。それに…光なんて、誰でもなれるわ。」


「いいえ。陛下の輝きは、誰にも真似できません。あなたの持つカリスマ、優しさ、そして…強さ。それは、この王国にとって、希望そのものです。」


ゼノスは、感情を込めて言った。アリアナのカリスマ性は、彼にとって、信仰に近いものだった。


アリアナは、ゼノスの言葉に、何も言わずに静かに耳を傾けていた。そして、ふと、彼女の顔に微かな赤みが差した。


「…な、何を言ってるのよ、急に…!べ、別に、そんな風に言われても、嬉しくないんだからね!」


(…嬉しくない…?)


ゼノスは内心で再び混乱する。褒めたのに?なぜ?嬉しくない、ということは、私の言葉は不適切だったのだろうか?


ゼノスの真面目すぎる反応に、アリアナは少し呆れた顔をした後、仕方なさそうに言った。


「…もういいわ。あなたの言葉は、たまに難解すぎるのよ。」


「申し訳ございません。」


ゼノスは謝罪する。


「謝らなくていいわよ。…ねぇ、もう少し、こっちに来て。」


アリアナは、焚火の傍の空いた場所を、ぽんぽんと叩いた。ゼノスは、一瞬躊躇したが、アリアナの視線に促され、彼女の傍らに座った。


二人きり、焚火の明かりだけが揺れる空間。普段は決して許されない、主従の壁を超えた近さ。ゼノスの心臓は、狂ったように高鳴っていた。アリアナの微かな香り、焚火に照らされた彼女の横顔…全てが、彼の心を乱す。


「…あなたって、いつもそうね。何も言わないで、ただ私の傍にいる。」


アリアナは、焚火を見つめながら言った。


「それが、私の役目です。」


「また役目って言う…」


アリアナは溜息をついた。


「でも…それが、案外…安心するのよ。」


アリアナは、ぽつりと呟いた。その言葉に、ゼノスの心臓が再び大きく跳ねる。


(安心…陛下が、私に…安心を…)


それは、彼が最も望んでいたことの一つだった。女王にとって、自分が心の安らぎであれること。


「…それに、あなたの隣にいると…なんだか、私がただの『アリアナ』でいられる気がするの。」


アリアナは、ゼノスにしか聞かせないような小さな声で言った。


「…陛下は、常に、陛下でいらっしゃいます。」


ゼノスは、真面目に、しかしその言葉に彼の全てを込めて応えた。彼は、どんな時も、アリアナを女王として敬っていたい。


「…そうね。でも、時々、それも疲れるのよ。」


アリアナは、そう言って、ゼノスに、少しだけ寄りかかった。


(…!?)


ゼノスは、アリアナの突然の行動に、全身が硬直した。彼女の体の温もり、髪が頬に触れる感触…全てが、彼の理性を吹き飛ばそうとする。主君に触れるなど、あってはならないことだ。ましてや、こんな風に、寄りかかられるなど…!


「陛下…お疲れでございましょうか…」


ゼノスは、声が震えるのを抑えながら言った。


「…ええ、少しだけね。…こうしてると、なんだか、落ち着くの。」


アリアナは、そのままゼノスに寄りかかり、目を閉じた。彼女の呼吸が、規則正しくなる。眠ってしまったようだ。


(陛下が…私の肩に…寄りかかって…眠って…!?)


ゼノスの内心は、未曾有のパニック状態に陥っていた。彼の脳内では、警報が鳴り響き、天使と悪魔が喧嘩している。触れるべきか、触れざるべきか。動くべきか、このまま固まるべきか。しかし、彼女の無防備な寝顔、疲労困憊の様子を見ると、ただ、このまま守ってあげたいという衝動に駆られる。


ゼノスは、ゆっくりと、ゆっくりと、震える手で、アリアナの頭に手を乗せようとした。慰めるように、優しく。しかし、その手は途中で止まる。やはり、できない。彼は剣なのだ。主君の体に、気安く触れることなど、許されない。


ゼノスは、結局、アリアナの頭には触れず、ただ、彼女に寄りかかられたまま、じっとしているだけだった。冷たい夜風が吹く辺境の地は、戦の予感が満ちていた。


どれくらいの時間が経っただろうか。遠くから、不審な物音が聞こえてきた。ゼノスの体が、瞬時に反応する。


「…!?」


ゼノスは、アリアナを起こさないよう、そっと体を起こそうとするが、アリアナは眠い声で呟いた。


「…ん…行かないで…」


アリアナは、ゼノスの服の裾を、寝ぼけた手で掴んでいた。


(陛下が…私を、引き留めて…?)


ゼノスは再び固まる。彼の心臓は、休む暇なく高鳴り続けていた。


「陛下…敵襲の気配が…」


「…えー…まだいいじゃない…」


アリアナは、さらにゼノスの服を掴む手に力を込めた。その無防備な様子は、たまらなく愛らしかった。


(ああ…しかし…!陛下の安全が…!)


ゼノスは葛藤する。女王の傍にいたい。このまま、彼女の温もりを感じていたい。しかし、迫りくる危険を放っておくわけにはいかない。


「…申し訳ございません、陛下。」


ゼノスは、心を鬼にして、アリアナの掴む手をそっと外そうとした。


その瞬間、辺りの茂みから、何者かが飛び出して声を上げた!


「見つけたぞ!紅玉の女王がいるぞ!」


それは、敵国ヴァルカンの兵士たちだった。斥候だろうか。彼らは、無防備なアリアナと、傍らのゼノスを見つけ、凶悪な笑みを浮かべた。


「ちっ…!」


ゼノスは舌打ちし、アリアナを背後へ庇った。剣を構える。アリアナは、突然の敵の出現に、一瞬で眠気を吹き飛ばし、鋭い表情になった。


「ゼノス!」


「お下がりください、陛下!」


緊迫した空気が流れる。戦場への旅の途中で、早くも最初の危機が訪れたのだ。そして、この危機の中で、ゼノスは改めて、女王を守るという自身の誓いを、そして彼女への秘めた想いを、より強く自覚することになる。

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