第十六話:紅玉の盾と騎士の目覚め
第十六話:紅玉の盾と騎士の目覚め
王宮の中庭は、血と炎が舞い上がる地獄絵図と化していた。ヴァルカン軍の兵士たちが、黒い波のように押し寄せ、忠実な騎士や兵士たちは、次々と倒れていく。破壊された噴水からは、血が混じった水が流れ出し、燃え上がる木々から黒煙が立ち上る。かつて美しい庭園だった場所は、悲惨な光景と化していた。王都の悲鳴すら消える状況が、すぐそこまで迫ってきている。
その中庭の中央近くに、一人の美貌の女王が立っていた。深紅のドレスは、動きやすいように簡素な戦闘服に、しかし女王の威厳を損なわないように仕立て直されている。緋色の髪は乱れ、頬には煤が付き、額には汗が滲んでいる。しかし、その紅玉の瞳には、燃え盛る炎の光と、決して諦めないという強い意志が宿っている。彼女の手には、紅玉色の魔力が宿っている。それは、謁見の間での暴走を経て、そして秘密の書庫で真実を知ったことで、以前よりも力強く、そして制御されているように見えた。それでも、彼女の美貌は、戦場の残酷さの中でも、一際輝きを放っていた。彼女の周囲には、わずかな数の忠実な近衛騎士たちが、彼女を庇うように立っていた。
「あなたたちに…この先へは…行かせないわ…!ここは、我がアストライア王国の心臓部…誰にも…侵させない…!」
アリアナは、ヴァルカン兵たちに向かって、はっきりと、しかし息切れしながら叫んだ。その声には、疲労が滲んでいる。恐怖など微塵もない。あるのは、王国と、そして愛する騎士を守るという、強い決意だけだ。美貌の女王が放つ圧倒的なカリスマは、ヴァルカン兵たちを一瞬怯ませた。しかし、彼らは、アリアナの疲労と、魔力の消耗を見抜いていた。
「紅玉の女王だ!一人だ!ここで始末しろ!手柄は我々のものだ!」
ヴァルカン兵たちは、一瞬の怯えを振り払い、アリアナ目指して殺到する。彼らは、指揮官であるアリアナを倒せば、抵抗は簡単に崩れると考えたのだ。そして、彼女の美貌とカリスマを、戦利品として手にしたいという、下卑た欲望を瞳に宿している者もいた。
アリアナは、自身の魔力を解放した。紅玉色の魔力の奔流が、ヴァルカン兵たちに襲いかかる。彼女の動きは、優雅でありながら、致命的だ。一撃で複数の敵を薙ぎ払い、魔力の壁で攻撃を防ぐ。美貌と力の対比は、敵味方双方にとって、強烈な印象を与えていた。
しかし、アリアナの魔力は無限ではない。そして、ヴァルカン兵は次々と、際限なく押し寄せてくる。彼女の周囲にいた数名の忠実な騎士たちも、次々と倒れていく。アリアナは、彼らが倒れるのを見るたび、心を痛める。彼らは、自分のために命を懸けてくれているのだ。
「くっ…!」
アリアナは、魔力行使の消耗と、肉体的な疲労を感じ始めた。息が荒くなる。額に汗が滲む。腕や足に、敵の刃による傷が増えていく。血が滲む。しかし、彼女は止まらない。ゼノスが、リリアナが、そして民が、王都が…待っている。彼らを救うための時間を稼がなければならない。リリアナが、禁断の魔法の古文書を持って、安全な場所へ辿り着くまで…そして、ゼノスが、禁断の魔法の呪いを乗り越え、そして…そして、私に、「大好きです」と伝えるために、生きて戻ってきてくれるまで…!
(ゼノス…あなたを救う方法を見つけたわ…だから…だから、生きていて…!私を、一人にしないで…!私の傍に来て…!)
アリアナは、戦いながら、病床の騎士を思った。彼を救うための希望が、彼女を突き動かしていた。そして、彼が自分を「光」と呼んでくれたこと、最後に囁いた言葉、そしてキス…それらが、彼女の心を支えていた。あの石頭が、私のことを「綺麗」だと思ってくれた…その事実だけで、どれほど私の心が温かくなったか…彼は知らないだろう。
「くたばれ!紅玉の女王!」
一人のヴァルカン兵が、アリアナの隙を突き、剣を振り下ろした。アリアナは、疲労から反応が遅れる。もう、避けるのは無理だ。
その瞬間、アリアナの脳裏に、ゼノスの声が蘇った。
『…陛下の…な…み…だ…き…れ…い…で…し…た…』
『…き…れい…と…お…もっ…て…し…まい…まし…た…』
そして、謁見の間での彼の言葉。「私の全てです」。
(私が…綺麗…?石頭のくせに…そんなこと…馬鹿…!でも…)
アリアナは、彼の言葉を思い出し、一瞬、戦場の緊迫感から心が離れる。その、彼女だけが知る彼の真面目すぎる、そして愛おしい言葉。そして、彼が、自分を「綺麗」だと思ったことを謝罪した、あの真剣な顔。あの時、彼の頬に触れた時の、彼のパニックになった顔…くすっと笑いがこみ上げる。こんな状況なのに。
その時、遠くから、微かな、しかし確かな魔力の気配を感じ取った。それは、ゼノスから放たれる、紅玉色の、禁断の魔法の力だ。しかし、以前のような不安定さはない。まるで、制御されているかのような…そして、その気配は、アリアナの魔力と強く共鳴している。
(ゼノス…!?まさか…こちらに来ているの…!?そして、あの危険な力を…制御しているの…?私の…私のために…?)
アリアナは、ゼノスの魔力の気配を感じ取り、驚愕に目を見開いた。彼の魔力の気配が、自分を求めている。自分の魔力と共鳴しようとしているかのようだ。そして、その力強い気配は、彼がただ力を取り戻しただけではないことを物語っていた。
アリアナの全身に、新たな力が湧き上がる。それは、彼女の魔力だけでなく、ゼノスへの想い、そしてリリアナへ託された希望とが混じり合った力だった。そして、ゼノスの魔力と共鳴したことで、その力はさらに増幅される。
アリアナは、迫りくる剣を、自身の魔力で弾き飛ばした。そして、さらに強力な魔力を放ち、周囲のヴァルカン兵を吹き飛ばす。その魔力は、ゼノスから放たれる魔力と共鳴し、まるで二つの光が混ざり合ったかのように、より強く、眩しく輝いていた。彼女の美貌が、魔力の輝きの中で、神々しいほどに美しく見える。
その頃、王宮の医療室では、ゼノスが苦悶していた。体は、異常な熱と痛みに苛まれている。禁断の魔法の呪いが、彼の全身を暴れ回る。それは彼の生命力を吸い取る力だが、彼の意志と、アリアナへの愛情、そして彼女の「生きろ」「大好きですと言え」という命令が、その力を制御しようとする。そして、アリアナの魔力の気配が、彼に力を与える。
(陛下が…戦って…いらっしゃる…!私一人を救うために…時間を稼いで…!もう…限界に近い…!)
ゼノスは、アリアナの魔力の消耗と疲労を、自身の魔力との共鳴によって感じ取っていた。そして、彼女の苦痛が、まるで自分自身の痛みのように感じられる。
(いけない…陛下の…光が…弱まって…きている…限界だ…!私が…私が傍に行かねば…!陛下を…陛下を…お守りせねば…!)
ゼノスは、アリアナの魔力の消耗を感じ取った。彼女が、無理をしている。単独で、時間を稼いでいるのだ。このままでは、陛下が…!
(大好きです…と…伝えるために…生きなければ…!そして…陛下の光を…お守りするために…!陛下の…『全て』になるために…!)
ゼノスの体内で、禁断の魔法の呪いが、猛烈な勢いで暴れ回り始めた。それは、彼の生命力を吸い取る力だが、彼の意志と、アリアナへの愛情、そして彼女の命令が、その力を制御しようとする。それは、彼の命そのものを燃焼させているかのようだった。紅玉色の光が、彼の全身から、以前よりも強く、安定しているように見えた。禁断の呪いの力を、彼の意志がねじ伏せようとしているのだ。
ゼノスは、ベッドの上で、ゆっくりと、しかし確かな意志を持って、体を起こした。激しい痛みが走るが、彼は歯を食いしばり、耐える。彼の目は、一点、アリアナがいる方向、彼女の魔力の気配がする方向を見つめていた。
(陛下…今…参ります…必ず…あなたの元へ…)
ゼノスは、ベッドから降り、立ち上がった。体はまだ重く、フラつくが、彼の全身からは、以前とは比較にならないほどの、強大な魔力が放たれている。禁断の魔法の呪いを、彼は、完全に制御したわけではない。しかし、アリアナを守るという、ただ一つの目的のために、その力を従わせようとしているのだ。彼の騎士道、そしてアリアナへの愛が、その力の源となっていた。
彼は、医療室を出て、謁見の間へと向かう。そこには、彼の剣が残されているはずだ。
王宮の中庭での戦いは、今、新たな局面を迎えていた。美貌の女王の孤軍奮闘は、終わりを告げようとしていた。そして、禁断の魔法の力を制御した騎士が、愛する女王を救うために、今、戦場へ駆けつけようとしていた。二人の主従関係の恋は、希望の光となって、王都の闇を照らそうとしていた。そして、その光は、王国を救う力となるのだろうか。謁見の間で、剣を手にした騎士は、もう迷わない。




