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埋もれた短編

蟻に追われて三千里

作者: 平松冨永




 法則不明、構成要素不明、文明レヴェルも社会理念も言語も価値観も倫理観も分からない。そんな異世界への転移だの転生だの、主人公は恐ろしくはないんだろうか。


 ああ、だから鑑定や解析やWikipediaやアレ○サ的機能が賦与されるのか。


 いやそれでも転移転生自体がとてつもない大冒険じゃないか、物の名前や言語風俗を解せたところで、生産加工や諸々ができなきゃゆるゆるバッドエンドだろう。

 あー、だから異世界の成人に魂インストールとか、支配階級の子女に生まれ変わって生活基盤確保なのかー。


 なあんてさ、斜に構えた有識者っぽい読み方をしてせせら笑っていたかつての自分。




 ぶん殴りたい今すぐに。

 お前が世の摂理の何をどれだけ知っていたのかと。

 聞き齧ったソース不明の見下し蔑視を真に受けて、知ったつもりのマウンティングで何ら能動的生産活動に寄与してなかった、その報いが今だと思う。

 気がついたら、自分は薄暗い見知らぬ場所に倒れていた。部屋着で。

 此処は何処、私は誰──いや、名前も生年月日も大学名も家族の顔も覚えている。記憶喪失ではない。第一志望に落ちて滑り止めに入学、一月半。




 ユニットバスと一口コンロの四畳半で自由満喫、できたのはほんの数日で。みるみる汚れる水回り、シワだらけの洗濯物、ファストフード三昧で体はダルくなり、自炊でもするかと買った挽き肉は冷蔵庫で灰色になり異臭を放った。


 猛省して母に連絡すれば、人生最大の説教と一泊二日の鬼の家事講習。すみません、何とかなるさと実家で小言を聞き流しまくってて、ホンマにスンマヘンでした。

 そう謝ったら引っ叩かれた。誠意もクソもない謝罪は無意味どころかマイナスだと。軽口のつもりだったんだけどなあ。


 ともあれ、面倒くさくともどうにか人間らしい必要最低限の文化的生活が営めるようになって一ヶ月ちょっと。うるさく無駄なTVでなく、こき下ろし動画とまとめサイトでストレス発散、それなりの流行ニュース把握をしつつ、同じ学部の顔見知りも増えてきた。

 そんな、何処にでもいる大学生、だ。

 交通事故や通り魔や火事や転落の記憶はない。誘拐される謂われもない。空気清浄機と自動掃除機と食洗機があると便利と目にして、そろそろバイトでも探そうかと思う程度の経済状況だ。


 で。

 さて。

 此処は何処だろう。




 床でも地面でもない、黒い舗装──はアスファルトのようにツルッとしていない。ヒビだらけで不規則な溝が目立つ、ゴツゴツ表面だ。幾つかマンホールのような円い金属っぽいものがあるが、得体が知れないので近寄りたくない。

 そしてコンクリートっぽい謎の壁、には一抱えもありそうな鉄筋らしき反射が生えていて、金属っぽい天井には照明がない。

 と言っても部屋ではない。

 コンクリ壁は左右だけで、前後は素通しだ。奥はジャングル、ってか、気色悪いメートルサイズの植物がびっしり繁っていて、その向こうが見通せない。

 前方、まぶしい長方形──地下駐車場の出口を横に引き延ばしたっぽい、壁のない場所。俺が進むべきは向こうだろう。

 何となく全身を払い、靴下のまま進む。

 微かな震動音がして足を止めた。なんだろう。ずしんずしん、と近付いてくる。

 俺はコンクリっぽい左側の壁に身を寄せようと駆けた。


 途中で、銀色っぽいマンホールにつまずいた。何だこの絶妙にコケやすい段差は。そう思って見下ろすと。


《1》


「……は?」


 マンホールの蓋と思ったそれは、何処かで見たデザインだった。ああそうだ、アニメ絵のデザインマンホールで町興しとかいう記事を見たことがある。そういうやつか。ビビった。本物っぽすぎて驚いた。


 ドッキリ企画かよ、と呟いて壁に到着する。震動音はかなり近いのに、壁は揺れていない。安心する。

 それにしてもヒビだらけの舗装が気になる。タイルの溝と呼ぶには不規則で、石畳と呼ぶには凹凸が気になる。一体これはなんなんだろう。

 と。


「──は?」


 巨大な茶色いものが、明るい長方形の端から端を過った。相当なスピードで。

 車だと思った。形から。

 けど車じゃない。

 タイヤがなかった。

 窓もなかった。

 台形っぽいそれは、路面に接することなく宙を滑った。

 飛行機、ドローン、違う低すぎる。

 リニアモーターカー、違うリニアはあんな風に傾いて浮かない。一両編成じゃない。

 まっすぐじゃなかった。ぶぅん、と弧を描くようだった。

 まさか。

 まさかあれは。


 俺の脳裏を過ったのは、巨人と戦う有名アニメ。まさかそんな、と震える足で長方形の出口へ進む。天井の下から出ないように、左手のコンクリ壁に体を沿わせて外を見る。

 誰も何もいなかった。ヒビだらけの黒っぽい路面が延々と広がり──ずっと先が一段、白くなっている。

 恐る恐る左を見た。

 彼方に、巨人の後ろ姿があった。

 巨大な、革靴を履いた、サラリーマンの下半身に見えた。遥か高みに頭部があった、と思う。




 俺はへたり込み、尻で這いながら下がった。

 どういうことだ。

 何がどうなっているんだ。

 此処は何処だ──確かなのはただ一つ、あの巨人に見付かれば、俺は死ぬ。あの歩みに掠れば、俺は轢殺される。

 これは現実なのか。サラリーマンに見えたあの巨人は、本当にサラリーマンなのか。革靴に見えたあれは、俺が知る靴なのか。

 まさか。

 だとしたら俺は。

 まさか。

 さっき見たデザインマンホールが視界に入り、震えながら触れる。異状がないので両手で掴み、傾けながら持ち上げる。


《1》


 薄暗がりでもはっきり分かる、傷だらけの巨大な一円玉。平成三年の刻印。


「嘘だ──」


 じゃあ向こうに見える赤茶色は十円玉か、そんな、まさか。

 じゃあここは日本なのか、俺が暮らしてきた現代日本の何処かなのか。


 突然、天井から轟音が鳴り響いた。耳を押さえるが身体中に響いて気持ちが悪くなる。


「なんだよこれー!」


 叫ぶ声は轟音にかき消される。規則的な周期音、大型トラックのアイドリング、隣の部屋のベランダでうるさい、エアコン室外機の稼働音、空港のジェット音、それらを一斉に聞かされている感覚。


「機械音、かよっ!」


 外への恐怖を上回る苦痛に、俺は長方形の出口へ走った。ギリギリ保てた理性で、左右を確認する。誰もいない、何もいない。


 轟音は鳴り止まないが、外に出ると全身を震わせる響きはマシになった。息を吐く。コンクリ壁伝いに回ろうとして、バカでかい構造物の存在に気付いた。


「何だこれ……」


 傷だらけで白く粉を吹いた壁。見上げれば高みに記された日本語。巨大な円形の空洞には庇がついていて。


「……ゴミ箱、か」


 やはりここは日本なのか、と安堵と絶望と落胆に襲われる俺の前に現れたのは。


 てらてらと黒光りする、大型犬サイズの蟻たちだった。




「ぅあああああああああああああああぁ!」


 俺は泣き叫びながら走った。

 此処は何処だ。

 何がどうなってこうなったんだ。

 どうして俺は──推定百分の一サイズに縮んでいるんだ。今は何年なんだ。平成なのか令和なのか。

 アスファルトはこんなに凸凹なのか。白線上の方が走りやすいとかマジなのか。白線踏まないと死亡ーとかバカやってた小学生は真理なのか。かーちゃん助けてくれ、とーちゃんねーちゃん何処だ、何で俺だけ、嘘だ夢だ、誰か、巨人じゃない虫じゃない誰か助けてくれ!


 白線が途切れて段差に対応できず、俺は号泣したまま蹴つまずく。運良く路側帯側に転がったので、そのまま塀か壁か分からない端へ這いずって逃げる。

 何十メートル走ったかは分からない。俺に向かってガチガチ顎を鳴らしてきた黒蟻たちは、いなくなっていた。


「うっ……うぁっ、あああああ」


 俺は泣きながらうずくまった。

 異世界主人公のチートが羨ましかった。生きる術もトリセツ指針も、今の俺には何もない。昨日までの当たり前すべてが俺に牙を向き、味方も助けも水もない。

 バカにしていた全部は、生きる場所と世に出る力を持ったものだったと今更ながらに思い知る。今の俺には欠片もない。両親の庇護と仕送りの上で胡座をかいてた、しょーもない無能無才の未成年。今更ながらに思い知る。


 俺は。


「かーちゃんごめん……ごめんなさい……ごめんなさい!」


 実家に帰りたい。ダメならあのアパートに。

 安全な場所が、水が、食い物が、金が、縋れる味方が、欲しい。

 死にたくない。




「……」


 しばらく呆けていた俺は、袖で顔を拭いて立ち上がった。

 ここは日本だ。

 俺が生きてきた日本かどうかは分からないけど、日本だ。

 俺は小人だ。

 普通サイズの人間にぷちっと潰されるサイズだ。

 どうする。


 現在地を、知ろう。

 地形や地名や地理区分が、俺の知る日本と同じであると願って。

 そして実家かアパートか──近い方に、向かおう。アパートならスマホがある。指紋認証登録でなく、暗証番号だけだった。起動できれば電話ができる。LINEで家族に助けを求められる。


 他人に見付かるわけにはいかない。潰されるかいたぶられるか、インスタ映えか投稿動画のネタ扱いか。優しい人に運良く保護されても、その後警察や研究機関に送られる可能性はゼロではない。

 そう自分に言い聞かせ、俺は上を向いた。

 あの電柱の番号表示を、先ず読もう。


閲覧下さりありがとうございました。

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