「西鶴忌異聞」の巻
井原西鶴は、浮世草子の作者であった。
浮世草子とは、浮世を描いた小説である。
「好色一代男」などが有名だ。
そしてまた西鶴は、俳諧師でもあった。
俳諧師とは、連歌を作るのを職業とした人。
連歌の発句部分が独立したものが、後の俳句である。
「俳句」の命名者は、正岡子規だそうだ。
「俳諧の発句」を略して「俳句」である。
文豪・夏目漱石は俳句を良く詠んだが、それは正岡子規の影響と言ってよかろう。
「漱石」は、そもそも俳号であったし、俳句あっての「草枕」と言えるかも知れない。
脱線してゆくので、話を戻す。
西鶴忌とは、井原西鶴の命日である。
八月十日を、そのように呼ぶ。
今年の西鶴忌は、少し騒ぎになっていた。
西鶴の未発見の発句が見つかり、それが詠まれるというのである。
「ホンマかいな?」
「誰かが名を売ろうとして、自分の句を詠むんとちゃうんか?!」
「旧石器の捏造みたいな話と違うやろな」
聞く会は、はなはだ盛り上がっていた。
「まあ、聞いてから判断したらええやないか」
長老連も冷静を装いながら、ワクワクが止まらなかった。
盛り上がったのは、聞くまでであった。
保存が悪く、発句は途切れ途切れにしか判断出来なかったのだ。
(判断す西鶴忌で聞く会さ寸断は)
はんだんす。さいかくきで、きくかいさ。すんだんは!!)
お読みくださった方、ありがとうございます。
「漱石」は、正岡子規の俳号にもあったそうですが、そこからの頂き物ではなく、ヘソマガリの本人が自嘲の意味を込めて考えたモノだと小生は思っています。
関西弁が出てきますが、西鶴が関西で活躍し、関西で亡くなった人だからで、他意はありません。
同じ回文オチ形式のショートショート「魔人ビキラ」は、117話くらいで、第一部を終了しています。
よかったら詠んで、いや読んで見て下さい。
ではまた明日、のほほん、で。




