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侍女という名の宰相  作者: 黒野ひゅーるり
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第七話 壊された馬車

王都第八番街、十三番地。そこは、王国議会に来た貴族が宿舎として使う建物の一つだった。

サリスは今、その建物の一室の椅子に座って、ぼんやりと部屋の中を眺めていた。

さすがに貴族が使う宿舎ともなれば、置いてある物の値段が違う。商人としてのサリスの目は、すぐにそういった高級品の値段を射止めるのである。

(あれは五十八万プラン)

クローゼットの横に置かれている、黄色のソファ。

(あれは五十三万プラン)

四角くこぢんまりとした机の前にある肘掛け椅子。

(あれは、六十二、三万プランといったところかな)

赤い板で作られていて、真っ黒い脚のピアノ。見た目はシンプルで美しくも見えるが、肝心の盤が錆び付いていてはろくな音は出せない。しかも、貴族が使うピアノにしてはあまり高価ではない。

(おおかた、ナメられてるんだろ)

サリスはそう思っていた。貴族の客人に生活用品の類を豪華に見せるのは、王国の威信を見せつけるため。だが、細部までそう拘る必要はない。こと、芸術品においては。

中級貴族クラスになれば、王国議会が終わるまでのほんの数日の間でさえ、他の貴族を招いて交流が行われ、芸術を披露することは珍しくない。そんな時、どんなに上手な人が弾いても品物が腐っていては、物笑いの種になるだけだ。

下級貴族の中でも、下位の家だけがこのような待遇を受けているのだろう。まあ、この王国ではありふれた差別なのだが。

(そういうことに、気付いているのやらいないのやら)

サリスは、奥の一室を見やった。その部屋はリリーシアの使用人が泊まっている部屋だ。

つい十分ほど前に、リリーシアは自分の使用人に薬を飲ませるためにその部屋に入ったきり、出てこない。

サリスは、彼女にしては珍しく、内心ではリリーシアの身を案じていた。彼女のような無垢な存在が、この差別社会で生き残ることができるのだろうか、と。

サリスは知っている、この社会の難易度を。どんなに優秀な補佐が付いても、失脚して路頭に迷った貴族はいる。いや、そんなのはまだ生やさしいかもしれない。自殺に追い込まれたり、暗殺された貴族もいるのだ。現に、政争とは無関係の立ち位置にいたであろうリリーシアが、その目に遭っている。

補佐がいくら優秀でも、当主がしっかりしなければ渡っていけない世の中なのだ。いや、そういう社会構造と言った方が適切だろう。

当主が不動の心を持たない限り、必ずどこかでぼろが出て、騙されて騙されて取り返しのつかないことになる。他力本願で渡っていこうなどという甘い精神では即刻に潰される。

だが、サリスがそれ以上に考えていたのは、何より自分のことだった。リリーシアが即刻に潰されてしまえば、店を手放した自分はどうやって生活していけば良いのか。一生暮らしていける貯金があるわけでもない。せめてしばらくは侍女として高給を得て、お金を貯めたいものだ、と思っていた。


そんなことを考えていると、奥の部屋の扉が開いて、リリーシアが出てきた。

「どうでしたか」

「とりあえず薬は飲ませた。後は安静にしていることだ。そうだろう、宰相?」

「宰相、はよして下さい。私は一応、侍女なんですから」

「分かってる、分かってるって。ところでサリス」

「何ですか?」

「わたしはお前に自分のことをたくさん話したのに、お前のことは何一つ聞いていないことに気付いてな。自己紹介でもしてくれないか」

「お断りします」

「えっ、何で!?」

「職務内容に差し障りのない、不必要な話はしたくありませんので」

「そんな固いこと言うなよ、わたしたちの仲じゃないか」

「仲良くなった覚えはありませんが」

「いや、ひどっ!」

「全くひどくありません」

「せめて年齢ぐらいは……」

リリーシアは、ねだるような目でサリスを見つめた。サリスは小さくため息をついて、答えることにした。この程度のことで時間を消費するのは、しょうもなく感じたからだ。

「十六です」

「ああ、そうかそうか!わたしの一つ下か!うんうん、やっぱり同じくらいの年齢だと思ったんだよ~!でも正直、年齢より老けて見えるぞ?」

この言葉に、サリスは少しカチンときた。

「大人っぽいと、言ってくれませんか?」

「まあ、そうとも言えるな。その年齢にしては、随分しっかりしてるしな。わたしなんかよりもずっと」

「精神年齢の違いでは?」

「失礼な!お前、私に仕えてる自覚あるのか?」

リリーシアが騒いでいると、入り口の戸をノックする音が聞こえ、二人の目はそちらに向けられた。

戸を開けて入ってきたのは、一人の小男だった。薄汚い恰好をしている。

「ああ、お前は王国からの使いっ走りだな!どうした?」

おいおい言い方、とサリスは思ったが、サリスも他人のことは言えない。リリーシアはすぐにその小男のところに飛んでいくと、何やら話をつけて戻ってきた。そして、小男も戸を閉めて帰って行った。

「どうかしたんですか」

「使用人の容態が良くなるまで、ここの宿舎に泊めておいていいそうだ」

「それは良かったですね」

「うん、これで一安心だ!」

リリーシアはすっかり上機嫌になって、ルンルンと部屋を歩き回った。

サリスにはその光景が少し異様に思えた。普通、貴族は一使用人のことなど気にもかけない。病気になろうが、医者を呼んだ後は放置して、その結果生きようが死のうが知ったことではない。死ねば、また新しい使用人を雇えば良い。それが一般の貴族のスタンスだからだ。

(それをこの人は)

本当に呆れさせられる、とサリスは思った。しかし、サリスがもっと呆れるのはこれからだった。

なんとリリーシアは、先に触れた錆び付いたピアノの席に飛び乗ったからだ。

(まさか)

「ふふん、お前は散々わたしのことをバカにしているようだが、こう見えてもわたしは貴族の子女として清く正しく育ってきたんだ。楽器の演奏も抜群だ。これを聴いたら、お前も少しはわたしに対して敬意を表するようになるかな?」

リリーシアはそう言うと、得意げにピアノを弾き出した。すると案の定、キイー、キイーとしか音が鳴らなかった。

「あれ?」

リリーシアは怪訝な顔をしている。

(いや、気付かなかったのかよ)

サリスがピアノが錆びついていることを教えようとすると、驚いたことにリリーシアはピアノを弾き続けたのだ。キイー、キイー、キイー、とピアノの音が部屋中に響き渡る。

サリスは驚いて言葉も出なかった。そして数分後に演奏が終わると、リリーシアはニッコリとサリスに向かって笑いかけた。

「どうだ、上手いもんだろ?」

(この人は)

サリスは思わず、笑みをこぼしていた。

「とてもお上手でした」

「ふふん、分かればよろしい!」

そんな会話をしている時だった、外で男の絶叫が聞こえたのは。


二人がびっくりして入り口の戸を開けると、凄まじい光景が二人の目に映った。

赤い波の模様が描かれた馬車が、粉々に潰されているのだ。馬はいない。

「これ、わたしの馬車だ!」

リリーシアはびっくりして屈みこむと、馬車の残骸に手を当てた。

「一体、何があったんです?」

サリスは、馬車の側で腰を抜かしている男に聞いた。おそらくこの男が、さっきの悲鳴を上げた男と同一人物だろう。

「し、知らねえよ!俺はここを通っただけなんだ!そしたら、これが……」

サリスは馬車の様子を見ようとしたが、誰かに手を掴まれた。見れば、リリーシアの手だった。

小さく、小刻みに震えている。彼女はその震えを堪えようとしていたが、それでも震えは収まらなかった。

サリスはその手をギュッと握りしめると、耳元で囁いた。

「こんなのは、ほんの序盤ですよ。これからこういうことが、たくさん起きるでしょう」

「そ、そうか。そうだよな。当主のわたしがこんなことにビビっててどうするんだって話だよな」

「いえ、ビビって下さって結構です」

リリーシアはびっくりした顔をして、サリスを見つめた。

「こういう時のために、私がいます。そういう契約でしょう」

サリスはにこりともせず、平然と答えた。突然舞い降りた厄介ごとを、意にも介さずに。














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