第六話 妥協
リリーシアの突然の申し出に、サリスは内心困惑していた。一体何を言い出したのだろう、と。
「宰相、ですか……?」
「そうだ!」
目の前にいるこの純粋な貴族の少女は、目をらんらんと輝かせてサリスの手をより強く握りしめる。
この王国には、「宰相」などという職は存在しない。宰相というのは、主人の政治を補佐する者のことを指す。
国政においてですら、国王の政治を四大臣が強力に補佐しているに過ぎないのだ。まあもっとも、補佐という形をとってはいるものの、国政は四大臣間の抗争によって決まると言っても過言ではないのだから、実質国政を牛耳っているのは四大臣なのだが。つまり、王国という政治組織においてでさえ、宰相という職を四分割しているにとどまっているわけだ。
それに、貴族に宰相が付くなどという話は聞いたことがない。付いても従者か侍女だろう。
「なんか……、大丈夫ですか?」
「全、然!大丈夫だ!」
リリーシアはなおも目を輝かせ、サリスの手を強く握りしめる。サリスがリリーシアを結構本気で心配していることも露知らずに。
「そもそも、何で宰相が必要なんですか?」
サリスは、とりあえず聞いてみることにした。
「それはだな、お前の腕を見込んだからだ!」
リリーシアはきっぱりと言い切る。
「私の腕?」
「そうだ。お前とあのインチキ薬師の対決を見ていたらな~、実はわたし、お前の頭の良さに感動してしまったんだ!」
「はぁ……」
「そこでだ!わたしの二度目の人生、わたしが三年後も生きていられるようにお前の力で政争を勝ち抜いてほしいんだ!」
そういう魂胆だったのか、とサリスはほとほと呆れた。
「つまり、ご自分の力で何とかすることができないから、あくまで他力本願で逃げ切ろうってわけですね?」
「言い方は置いといて、まあ大体そんなとこだ!」
「あなたは、貴族としてのプライドとか、ないんですか?」
「もちろんある!」
「なら言ってて、恥ずかしくありませんか?」
「全然ない!むしろいいことを閃いたと思っている!」
まさか一商人のサリスが、貴族に対して貴族としてのプライドについて問う日が来るとは。
「ですが、宰相なんて職業はありませんよ。それに、貴族の当主の補佐なら私のような一介の商人ではなく、それに適した由緒正しい人物を雇うべきでは?」
サリスの言うことはもっともである。そもそも多くの貴族の家では、新しい当主を補佐する役目は隠居した当主が担っている。自分が当主だった頃にしてきた政務を新しい当主に教える、いわば後見をしているわけだ。
まあ、リリーシアの場合はおそらく先代当主が急死して後を継ぐことになったのだろうから、事情は異なる。
だが、そういう場合は元地方官僚府に勤めていた元官僚などを採用し、政務を補佐してもらうというやり方がある。
下級貴族とはいえ、貴族は貴族。家柄というものがある。どこの馬の骨かも分からない、しかも下町でインチキ商法で儲けている商人を当主の補佐に付けたともなれば、世論が黙っていない。下手したら王国内で大きな問題になってしまう。そのことをこの若き貴族少女は分かっているのだろうか。
「だから、わたしはお前を表向きは侍女として雇おうと思っている!」
「私、あなたの身の回りの世話なんか嫌ですよ」
「いやいや、だから表向きと言っているだろうが!わたしの身の回りの世話なんかはしなくていい。お前には、政務の補佐をしてもらえればそれでいいのだ!」
「なるほど、つまり表向きは侍女と見せかけ、裏では宰相としての仕事をしろということですか」
「そういうことだ!」
リリーシアの言うことは理解できた。まったく突飛な発想だ。とても貴族様が出した案とは思えないほどイカれている。
(面白い貴族だな)
サリスは本気でそう思った。こんな変な貴族は見たことがない。サリスの心の中に少しでも好奇心というものが存在したら、この話に乗る気になっただろう。だがしかし。
「お断りします」
「え!?何で?」
「今の生活を捨てたくないので」
それがサリスの信条だった。どんなに面白く思える貴族だろうが、彼女の信条を揺るがすには至らない。どこまでいっても他人のことには関心がなく、自分の日常を守ることに徹底しているのがサリスという人物だった。
「衣食住も、今よりずっと良くなるぞ!」
「嫌です」
「給料は、使用人の二倍にするぞ!」
「嫌です」
「ははぁん、お前まさか、わたしが下級貴族だから金を持ってないとでも思ってるな?」
「そういう問題じゃありません」
「じゃあ、どういう問題?」
お金の問題ではなかった。たとえフカフカのベッドが用意されていようとも、豪華な食事を目の前にしようとも、サリスの気持ちは変わらないだろう。
サリスは、今の生活に十分満足していた。サリスにとって、王都の下町に店を構えられてある程度商売ができて、日常が何事もなく過ぎ去るのであれば、これ以上の幸せはなかった。ゆえに、彼女は店を大きくしようとか、商人として高い地位を得ようなどというような欲もない。まして、貴族の侍女になるなどというのは、夢物語の域だ。
サリスがまったく動じないのにしびれを切らしたリリーシアは、急にニヤニヤと笑い出した。
「二年後の十二月十八日」
「?」
「王都下町が焼け野原になる日だ」
「え!?」
さすがのサリスも、これには動揺を隠せなかった。リリーシアは、なおもニヤニヤしながら話を続ける。
「当然、お前の店も無事では済まないな」
「なぜ、そんなことが……?」
放火にしては、規模が大きすぎる。まさかこれって、とサリスは勘付いた。
「政争だ」
その答えは、リリーシアの口から出た。
やはりそうなのだ。政争でも起こらないことには、下町全てを焼き尽くすことなんてできない。
しかしそうなれば、サリスの店も全焼する。商売道具も、金も、日常も全て失う。
仮に地方に逃げたとしても、地方ではこんな商売は通用しない。ものを知らない王都の人々だから、それに下町という場所が有力貴族に黙認されているから、同業者同士の連携があるからこそこの商売は成立する。
(仕方ないか)
こうなると、サリスは決断が早い。店が全焼するのであれば、店をやっていくのは無理だ。かといって、他に飯を食える方法があるわけでもない。貴族の侍女として生きていくのが最も賢明な方法だ。サリスはそんな風に考えていた。
「分かりました。お引き受けしましょう」
「やったー!」
リリーシアは万歳をして喜んだ。
「ただし、給料は使用人の三倍、給与は年三回、月給の四ヶ月分で」
「いいぞいいぞ!……、てっ、高っ!」
「宰相だから、当然でしょ」
「まあ、そうだな……。うん、仕方ない……」
「では、早速行きましょうか。使用人の方にも早く薬を飲んで頂かなければなりませんし」
「ああ、そうだった!早く行かなきゃ!」
慌ただしく出て行くリリーシアの後から歩きながら、サリスは思っていた。まあ、これもこれで悪くないか、と。