守りたい場所(前編)
千果と天音の暮らす山梨県に春の便りが訪れた頃、通学する高校は新年度の始まりを告げるチャイムが鳴る。
多くが新たな出会いに心臓を高鳴らせる中、天音の所属する箏曲部は部活紹介で圧巻のパフォーマンスを見せたものの、それとマイナー部活故の不人気により新入生を確保できず、計画されている部室棟―旧校舎―の解体と同時に部室没収が決定的となってしまう。
天音の表情を端からは、慣れ親しんだ空間を手放さなければならない寂しさに見えたが、その物憂げな様子に、千果は漠然とだが、異なる事情を感じていた。
Chapter.8 守りたい場所(前編)
山梨県から居住地を変えた経験の無い千果にとって、桜満開の時節とはそれ即ち4月、それも世間的には新年度の始業式や入学式にピッタリと揃う印象が強い。
鋭く息を出しリードを震わせながら、入学式の会場である体育館に入場する真新しい制服に身を包みやや緊張の面持ちを見せる新入生を迎え入れる。
これから部活動等でたくさんの時間を共有するであろう後輩たちの姿を観察しながら、千果は全く別のことを考えていた。
理系科目と文系科目で得点差が激しい千果と天音は、進級に当たって特段の逡巡することなく、理数コースを選択する。
志望者が少なく1クラスしか設置されなかったことも助けとなり、2人は新年度より同じクラスとなった。
「(天音と席が前後になれた。幸先いいスタートだし、2年生は楽しくなりそうだ!)」
「(――とか考えているんだろうな)」
煩悩にまみれた気配を背後に感じながら、薫は休符の続く小節中に思わず苦笑する。
漢字検定準一級を所持し将来は国語教師を志望する薫、卒業後は幼稚園教諭を目指す晴香はそれぞれ文系コースを選択したため、2人とはクラスは別。
「いやー、ご先祖様。ホント、山中に住んでそのまんまの苗字を名乗ってくれてよかった。この際、言葉遊びも何もしないでくれて助かったよ」
「"ヤマナキ"さんとか"ヤマナサ"さんとか、いなくてよかったね」
入学式も無事終わり、音楽室で楽器を片付けている間も、千果の機嫌は上々だった。
このまま千果のテンションが気温と共に上昇してしまうと、熱量を溜め込んだ挙句に爆発するか、それとも溶けてしまうかもしれない。
放課後は翌日の部活紹介で披露する曲目の合奏練習を予定しているが、その頃にはもう少し大人しくしていて欲しいと、薫は溜め息をつく。
「視界がうるさくて仕方がない」
「何か言った?」
「別に」
思わず漏れ出した本音を雑に誤魔化し、薫は作業をそのまま続ける。
「何人くらい入ってくれるかな」
「とりあえず、3学年合わせてB編成上限には届かないだろうね」
人口密集地の学校ならば吹奏楽コンクールのA部門上限人数の55人を上回る部員を確保し、中堅から強豪校ともなればA部門に選抜されなかったメンバーでB部門にもエントリーすることもできるだろう。
しかし、中心部からやや外れた場所にある酒折高校の吹奏楽部ではそもそも生徒数を確保すること自体が難しく、新入生を加えてもB部門の上限人数にすら達しないことも多い。
無論、人数が不足してもA部門に出場できない訳ではないが、予算や競争力の不足から実力面で上位大会に進むことは極めて難しい。
現状で吹奏楽部に所属する人数は新2、3年生合わせて20名そこらとなれば、例年通りの人数が入部してようやく部員数は30人に届くかどうかだろう。
「文化祭とかクリスマスコンサートでもちゃんとアピールしたし、大丈夫でしょ」
「だといいけどね」
千果の楽観的な意見に、薫は"やれやれ"といった表情を見せる。
薫の心配は、他方で的中することとなった。
翌日の部活紹介で、千果は眼前の光景に仰天してしまう。
箏曲部の発表順で舞台に上がったのは、天音ただ1人だけだった。
「えっ、えっ、1人!?」
例の如く、箏曲部の発表順は文化祭の時と変わらず吹奏楽部の"前座"の扱いを受けている。
興味なさげな聴衆の表情を驚きの色に染めるくらいの芸当は天音1人でも十分できるが、部としての非力感は否めない。
むしろ天音の容姿と醸し出す雰囲気からも相まり、近寄り難い孤高の存在と認識され、新入生が入部をためらってしまうのではないだろうか。
「他に部員はいないの?」
ほぼ同じタイミングから舞台脇で準備していた千果は次が自身の出番であるにも関わらず、演奏を終了し万雷の拍手に一礼し、木製の伝統楽器を抱えながら舞台脇に戻って来る天音に駆け寄る。
「え、えぇ」
千果は薫の言う通り、箏曲部に所属した面々は部活動に対して意欲的でない生徒が中心である。
他の部員は事実上の幽霊部員だと考えていたため、部外者の2人が部室に居座る機会が増えても、他の箏曲部員と会わないことに違和感を覚えることはなかった。
「文化祭の時にいた他の4人は全員3年生で、部長の仲良しグループだったの。文化祭が終わってみんな引退しちゃったから、今の箏曲部員は私だけなんだ」
「そんな...」
「吹奏楽部の皆さん、お願いします」
苦笑を見せる天音に次の言葉を掛けようとするが、部活紹介の進行役を務める生徒会に阻まれてしまう。
「ま、また後で!」
振り返ることなく進む天音の背中が、どこか弱々しく瞳に映る。
部活紹介では2曲を演奏したが、注意力の削がれた千果はミスを連発してしまった。
4月も下旬に差し掛かり、新入生も真新しい制服姿が徐々に馴染んできたようにも見える。
千果は前年同時期の自分を思い浮かべ、クラス内で構築されつつある人間関係や入部したての吹奏楽部における自身のポジショニングについて、最適解を導き出すべく脳をフル回転させていた様子を思い出す。
学業はともかく、体感として義務教育課程の時代と変わらず生活を送ることができているあたり、前年の自分の努力は間違いがなかったのであろう。
「どうしたものかね」
すっかりお馴染みとなっていた箏曲部部室での昼食会で、千果は眼前の問題に頭を悩ませていた。
「新入生が来ないことには、どうしようもないね」
「薫――」
同席する薫のやや攻撃的な言葉を、千果が窘める。
「ごめん、悪気はない」
「ううん、気にしないで。紛れもない事実だし」
薫は慌てて取り繕うが、当事者たる天音は端的に示された事実を一番に受け入れていた。
部活動の仮入部期間が終了し各部の新入生事情がひと段落すると、それぞれ違う問題が明らかになる。
吹奏楽部は新入部員を確保こそできたものの上級生と合わせた人数は29人となり、B部門の編成上限に達しなかった。
幸運にも初心者はおらず、これから部員全員で吹奏楽コンクール県大会に向け、日々精進することになるだろう。
目下、千果の中で一番の懸念事項となったのは、部員が天音だけになってしまった箏曲部だろう。
部活紹介で新入生に与えたインパクトはピカイチ、地味な印象の部活だが、少なくとも"美人"に分類され得る人物が舞台上に1人だけ現れ、予想を裏切る圧巻の演奏を見せたので、新入生に強い印象を与えた程度で言えば、全部活動の中で随一だっただろう。
ただ、見せつけ過ぎてしまった。
部活動への参加を必須としている学校だけに見学者は数名来たようだが、部活動に対して意欲の欠ける生徒が"本気度を求められると錯覚させる"部活動への参加を検討する訳がない。
少々近寄り難い雰囲気のある天音の容姿も災いし、懸念されていた通り箏曲部は新入生の確保に失敗した。
部活動としての登録には最低でも4名以上の部員在籍が条件として求められるが、この様子では例年のように"幽霊"の所属も望めそうにない。
このままでは部としての存続は難しく、同好会への降格の上で確保していた部室を取り上げられかねない。
「まずは相羽ちゃんと相談してみようよ。同好会になったとしても部室は使わせてもらえるかもしれないし、気を落とさないで」
「うん――」
部室を取り上げられる可能性がある。
部室が無くなれば練習場所が週一日の和室しか確保することができず、楽器もその都度、音楽準備室から運び出さなければならず、手間になってしまう。
相羽からその事実を伝えられた時、天音は心底落ち込んでいるように見えた。
しかし、天音の落胆は単なる不便さを残念がっている訳ではなく、自分が知らない別の理由があるように思える。
少なくとも、その場に居合わせていた千果の目にはそのように映った。
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