筆者の意図など読めぬ者共(後編)
まるで意欲の出ない補習授業。
それでも、山中千果は月見里天音との邂逅を目的として意気揚々と教室に入る。
しかし、千果と天音はまだ他人どうし。
"会った"後のことをまるで考えていなかった千果は、とても初対面の人物に合うとは思えない態度で、天音に接してしまう。
Chapter.3 筆者の意図など読めぬ者共(後編)
迎えた補習初日。
「まだかな」
吹奏楽部顧問に呆れられながら補習授業に向かった千果は、もはやメインイベントとも言うべき月見里天音との対面を、首を長くして待っていた。
待てど待てども、それらしき人物は現れない。
「ほら、みんな席につけ」
あろうことか、月見里天音よりも先に山本が到着してしまった。
「点呼とるぞ、香椎――」
まだ開始まで5分もあるというのに気の早いことだと、千果は深い溜息をつく。
「(ん、クラス順じゃなくてあくまで名前順なのか。律義に名簿まで新しいものを作るとはねぇ)」
千果は感心と呆れの入り混じった視線を、教壇に立つタコ頭に向ける。
「山中」
「はーい」
「月見里......月見里はいるか?」
山本が周囲を見渡し、まだ来ぬ不届き者を探す。
この場にいる全員が点呼に反応を示していたこともあり、月見里天音は欠けた最後のピースなのだろう。
「少し探してくる、お前らはここにいろよ」
開始時間に至っていないにも関わらず、山本は教室を飛び出しそうな雰囲気で教壇を離れようとする。
山本が4歩ほど歩を進めたタイミングで、教室後方の扉が開く。
「――どうも」
動きを止めた山本に小さく会釈すると、最後のピース―月見里天音―は特に悪びれた様子もなく、空いている席に座る。
背丈がもう少しあればモデルもこなせそうな華奢な体躯に、やや可愛げのある狐顔。
「わぁ、本物だぁ。そして何から何まで正反対......」
千果は自身の身体を思い浮かべる。
両親の身長を鑑みると計算上は160cmを超えると思っていた身長の伸びは虚しくも156cmでストップし、タヌキ顔で体躯は全般的に貧弱としか言いようがない。
「勝てる要素があるとしたら、両名1.5の視力くらいかな。そもそも、勝つ気なんてサラサラ無い訳だけど」
「――?」
一方、席についてもなお千果から視線を受け、天音は不思議そうな表情を見せていた。
「月見里、遅いぞ!」
「何を言っているんですか、先生。まだ時間になっていませんよ」
天音はタコ頭から絡まれても興味を示さず、教科書と筆記用具を取り出す。
それと同時に、古めかしいスピーカーから5時間目開始のチャイムが鳴る。
「先生は開始時間のみ伝えて、集合時間は特に何も言っていなかったじゃないですか」
「確かに――あっ」
納得の理論に、千果は相槌を思わず口から漏れ出してしまう。
天音に向かっていた山本の厳しい視線が、何故か千果へと向けられる。
「ま、まぁ先生。全員が揃ったみたいですし、始めましょうよ。ネ、ネ!」
千果はチラチラと天音の様子を確認しながら、その場を取り繕う。
タコ頭はまるで茹でられたようにみるみる赤く染まり、山本は何も言うこと無く黒板に向かう。
不運にも八つ当たりを受けた白チョークが真っ二つに折れた音を合図とし、退屈な補習授業が始まった。
山中千果は激しく後悔した。
どうして補習授業にこれほどワクワクしてしまったのか、と。
「あー、興味わかない」
「山中、何か言ったか」
「いいえ、何でも」
補習参加の上で一番の目的とも言えた月見里天音の姿を拝むことは、既に達成してしまっている。
あわよくば話しかけたい所であるが、部活の癖で早めに教室へ到着したことも災いして座る席は遠く離れてしまい、知り合えてすらいない状況では気軽に話しかけるような雰囲気にもならない。
そもそも、2日間の最後にある小テストに合格しないことには、この魔窟からの脱出すら叶わないのだから、興味がなくとも黒板に向かう必要がある。
「あちゃー」
2時間ぶっ通しの苦痛をに耐え抜き、今度こそ話しかけようと天音の席を覗き見ると、既にお目当ての彼女は席を立ち早々に帰宅していた。
気を落としたまま補習から吹奏楽部の練習に合流すると、タイミングよく合間の休憩中だった。
「これは小テストをさっさと終わらせて、教室の外で待ち構えるしかないか」
「ストーカー宣言やめぇや」
お菓子を頬張りながらダダ漏れする本音に、薫が汚物を見るような視線を送る。
「――どうしたら怪しまれずに」
「やめぇや」
軽く頭をはたかれるも、翌日の作戦を立てる千果は全く動じない。
「というわけで、薫」
「何」
「この内容を教えて」
国語が得意な薫に補習のプリントを見せ、付け焼刃の対策を図る。
「悪の片棒を担ぐつもりはないよ」
「あ~ん、いけず~」
真面目な友人は小さく溜め息をつくと、再びクリスマスコンサート用の楽譜に居直ってしまう。
「どうして、月見里さんと話をしてみたいの?千果とはだいぶ毛色の違う人だと思うよ?」
「ん~」
千果は深く考える様子を見せる。
「最初は単なる興味だったかな。でも文化祭で月見里さんの箏の音を見て聞いて、私に足りないものっていうのか、持っていないものを月見里さんが持っているような気がしたの。そしたら、もっと興味が沸いちゃって」
「持っていないもの?」
「そ、持っていないもの。私もよく分からないんだけどね」
千果がケラケラ笑う表情は、これまで中学からの同級生である薫ですら見たことのない程、屈託のないものだった。
千果は周囲の流れを意識して行動する傾向が強く、どこか一歩引いた態度をとる姿しか見たことがなかった。
「何か、珍しいね」
不意に、薫の口から悪戯な言葉が漏れる。
どちらかと言えば真っ先に動きがちな自分の少し後をついて来るような印象の強い千果が、今この瞬間は一歩前に出ようとしている。
「何が?」
「いや、千果がそんな、自分から動くだなんて珍しいなって思って」
千果はキョトンとした表情を見せ、暫し悩むような表情を見せる。
「それもそうだね。どうしてそうなのか、自分でも分からないや」
「そっか」
千果の苦笑する姿を見て、薫はどこか安堵した自分に気が付く。千果の言葉を借りれば、どうしてそんな想いを持ったのか、自分でもよく分からない。
「おぅ、山中が戻って来たのか」
「はーい、遅くなりましたー」
程なくして吹奏楽部顧問が音楽室に戻って来ると、思い思いの場所で休憩をとっていた生徒が所定の席に戻り、楽器の準備を整える。
「それじゃ、全員揃ったことだし、改めて最初から通し練いくぞ」
千果と薫は気持ちを切り替え、目の前の楽譜―戦場のメリークリスマス―に集中する。
余談だが、月見里天音へ如何に声を掛けるべきかという千果の作戦は、結果として具体案を一つも立案されないまま、この日は終了した。
人生で最も真面目に国語という科目に情熱を注いだ24時間だったかもしれない。
定期テスト前ですら取り組まなかった一夜漬けを敢行し、翌日の午前中も各教科の担当教員が授業の進行にやる気を見せなかったことから、過去のノートと補習プリントの丸暗記に全ての時間を費やすことができた。
「薫、私、頑張った」
昼食を共にする吹奏楽部の同級生の前で、千果は真っ白く燃え尽きていた。
「その努力のちょっとでも日頃から割いていたら、そもそも補習なんて受けなくて済むんだよ」
「でも、補習を受けたことで月見里さんと話すチャンスをゲットできたんだよ。1、2学期と積み重ねた成果だよね」
「そもそもその存在に気が付いたの、最近だけどね」
同級生の至極当然な意見も、千果はまるで聞いていない。
「......ほら、そろそろ補習始まるよ」
「あ、ホントだ。待っていた甲斐があったよ」
「えっ」
「月見里さんはギリギリに来るタイプだから、タイミング合わそうと思ってね」
「えっっ」
「それじゃ!」
「――いってらっしゃい」
薫は何かを諦めた表情で、満面の笑みで補修に向かう千果を見送る。
「そういやさ、千果は月見里さんと何を話したいんだろう」
その場に同席していた晴香が、ふとした疑問で核心を突く。
「――何も考えていないんじゃない?」
「それもそうか、千果だしね」
「そうそう、千果だもん」
辛辣な意見を述べた2人はいそいそと弁当箱を片付けると、何事も無かったかのよう練習に向かった。
山中千果は激しく動揺した。
天音と補習の教室に入るタイミングを揃えることには目論見通り成功し、言葉を交わす―無論、軽い挨拶程度だが―ことには成功している。
「どうしよう、何も考えていなかった」
万事、途中までは上出来だった。
人生で一番と言える程に国語へのやる気を出した成果として、作戦通りに補習後の小テストはいの一番に脱出することができた。
ここまではいい、ここまではよかったのだ。
「声を掛けるのはいい。だが、いったい何て話しかければいいんだ!」
千果は凍える寒さの廊下で脆弱な脳をフル回転させるが、まるで妙案が浮かぶ気配は見えない。
「何故だ、何故考えなかったんだ、自分!」
薫と晴香の予言通り、千果は何一つ作戦を考えていなかった。
常に深夜のテンションで推し進めた計画は肝心な部分を詰めきれていないままで、千果の体内時計の日付は前日の深夜39時を指し示している。
最も、素面でもまともな作戦を立てられたかは怪しいのだが。
「そろそろかな...」
悶える姿を偶然通りかかった幾人かの同級生に怪しまれながら5分程経過したところで、目当ての人物が教室の中から歩み出る。
「ん?」
天音は怪しい気配を感じた方角を見やると、そこにはほぼ見ず知らずの女子生徒が血走った瞳で自身を見つめ、鼻息を荒くしていた。
第一印象として好意を向けるなど到底不可能な姿に天音の身体は本能的に鳥肌を立て、さりげなく体育で俊足を誇る健脚は、自然と前に出ていた。
「えっ」
千果は勇気を振り絞り話しかけようとするが、目当ての女子生徒は一目散に走り去り、その背中は徐々に小さくなっていく。
「ま、待って!」
千果は走った。
とにかく走った。
担当するクラリネットでは肺活量にものを言わせることもできず、ついでに言えば決して運動神経もいい方ではない。
それでも、千果は現状考え得る全ての力を持って月見里天音を追跡した。
「つ、捕まえた!」
走り続けること5分。
これ程までに執念を燃やしたことはあっただろうか。
「あ、あのっ!」
全力疾走からくる疲労で逃げ足の速度がさすがに落ちた所で、千果の手がようやっと天音の腕に届いた。
「ななな、何でしょうか!?」
クールな印象の天音も、表情を青くしてすっかり怯えてしまっている。
ここで千果は、話しかける内容を決めていなかったことを思い出す。
「(どどど、どうしよう!)」
2人の間に流れた静寂はおよそ10秒。
しかし、当人たちにはその10倍近い時間が流れたように感じられたことだろう。
「お、お茶しませんか!?」
静寂を千果の大声が打ち破り、辺りの壁に声が反響し、二重三重に誘いの声が重なっていく。
「は、はいっ!」
息を切らして必死の形相を見せる千果の様子に、天音は思わず首を縦に振ってしまう。
千果が天音の存在を認識してから1ヶ月以上が経過したこの時、互いを人生で一番の親友と評する2人の関係は、ようやく最初の一歩を踏み出した。
Pixiv様でも投稿させて頂いております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19109703