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天音いろ  作者: 今安ロキ
本編
2/21

かくして、動点PとQは交錯した

山中千果と月見里天音。

気質の異なる2人が出会ったのは高校1年生の頃だった。


互いが互いをまだ認識していない頃、千果は天音の音に触れ、興味を示すようになる。

Chapter.1 かくして、動点PとQは交錯した


 時間が経過すればするほど、思い出は薄れゆくものである。

 古い記憶を思い起こす上で"記憶を紐解いて"という表現を用いることが多いが、実のところ本来の用途ではない。

とはいえ、実にその情景を想像しやすい表現のように思えるし、誤用が一般的になるのも仕方が無いのではないだろうか。

 しかし、私こと山中千果は、その後の人生で無二の親友を初めて認識した瞬間を、いつ如何なる時でも"紐解く"ことなく鮮明に思い出すことができる。

 それ程までに、彼女―月見里天音―との邂逅は、私の人生を大きく揺り動かした出来事だったのだろう。



 高校1年生の秋。

 苦手な国語で担当教員に呼び出される程の絶望的な点数を叩き出し、一方では得意の理数科目で高得点を収めた中間テストが終了し、科目ごとに極端かつ全体平均をちょっと超える程度の点数が記載された成績表が手元に返却された頃、千果の通う高校は来たる文化祭に向けて浮ついた雰囲気に包まれ始めていた。

「ん?」

「どうしたの、千果」

 意識が向いたのは、ほんの一瞬。

 吹奏楽部の個人練習に向かう途中で通りかかった和室の前、漏れ出る静かだが凛とした音色に、千果の歩みは自然と止まる。

「何の音だろう。弦楽器だよね、これ」

「あぁ、"コト"の音でしょ」

 中学校からの同級生で、かつ吹奏楽部でも同じくクラリネットを担当している笠原薫かさはらかおるが、豊かな教養を披露する。

「あぁ、"コト"か。よく分かったね」

「昔、ちょっとだけお婆ちゃんに教えてもらったことがあってね」

「へー」

 最初は間違いなく、日々の他愛なく中身の薄い会話のキッカケにしかすぎなかった。

「お婆ちゃんが習っていたんだけど、周りは年寄りばっかりでね」

「あぁ、分かる。行ったことないけど、イメージ通りだわ」

 千果の健脚は次の一歩をすぐさま踏み出し、口からは次々と失礼なイメージが溢れ出てくる。

 どうしても和楽器というジャンルから導き出されるイメージは、お金持ちで上流階級感溢れるお婆様方やマダムの嗜みといった具合に敷居を無駄に高く感じさせるのだろうか。

 日本の伝統楽器という確固たる地位はあるものの、現在では大衆芸能の主流からは外れ、"マイナー"と言っても過言では無い。

「どんな人が弾いているんだろうね」

 年寄りが趣味で興じるマイナー音楽に取り組む高校生とは、どんな人物なのだろうか。 

 少なくとも、千果がこの時感じた唯一の興味だった。

「あぁ、そういえば、集まりに顔出したら一人だけ同い年の女の子がいたっけなぁ。珍しい苗字だったと思うんだけども」

「へぇ、変わり者っているもんだね」

 この時の"コト"に関する会話は、これ以上広がることなく終了する。

 もしもそのまま続ければ、薫は後に繋がる重要なキーワードを思い出すこともできただろうが、この時の千果はそんな些細なことに注意を向ける余裕などなかった。

 眼前に迫った文化祭は田舎高校の吹奏楽部にとってはまたとない発表の機会であり、また同時に3年生にとっては最後の発表機会ということもあり、練習はコンクール以来の熱の入りようである。

「......ん、今日は聞こえないな」

 それでも"変わり者"の奏でる音色は、和室の前を通過する時に"コト"の音が聞こえてこない曜日があることを気が付かせ、内心で残念がらせる程度に、千果の記憶回路の片隅を確保していた。



 練習、授業、惰眠。

 人生のステップを進むにつれて加速しつつ過ぎ去っていく貴重な青春の時間は、文化祭マジックなど微塵も感じさせることなくその当日を迎えるに至った。

「間も無く前の部活の発表が始まるので、皆さん静かにお願いします」

 文化祭実行委員会の担当の上級生が、吹奏楽部員に注意を促す。

 体育館の一角に設置されたステージにはパイプ椅子が既に配置されており、後はこの日の主役である吹奏楽部員が座るのを待つばかりの状態である。

 控え室代わりの舞台脇で楽譜の最終チェックを進める中、千果は壁に貼られたスケジュール表に目を止め、無意識下で先日来、脳裏にこびりついたまま離れない"コト"の音の主を探す。

「んぁ~?」

「間抜けな声出してどうしたんよ、本番前だよ」

 中学生時代から部内で八方美人な日々を過ごしてきたことも幸いして舞台慣れしていたこともあり、緊張感に欠けると言われても仕方がないだろう。

「ふごぅっ!」

 薫からみぞおちに強烈な肘打ちを喰らうと、不意をつかれた千果は衝撃に堪えることができず、大きな声が漏れ出してしまった。

 実行委員を務める上級生から鋭い目つきで睨まれ、千果はペコペコと頭を下げる。変に目立ちたくはないものだ。

「いや、"コト"の部活がスケジュールに載っていないなぁと思ってね」

 週末2日間の文化祭期間で、初日は学生のみの開催で出番はなかったが、2日目は一般開放されることもあり、文化部の花形である吹奏楽部は体育館を使用する発表のトリを務める。

 少なくとも初日に発表がなかったことは確認済みで、この日のスケジュールを繰り返し見る限り、千果の思い浮かべるそれらしい部活名や団体名は記載されていない。

「どこかの教室で発表したのかなぁ。それこそ、和室とか。それっポイし」

 今どき珍しく全校生徒に部活動を強制する我が校においても、千果の知る限り"コト"を演奏する部活動はメジャーとは言えない。

 そもそも部員として所属する同級生がいるのか、それすら疑問である。少なくとも、千果の脳内に記録された穴ぼこだらけの学級名簿に、該当するデータは存在しない。

「何言ってんの」

「へっ?」

 薫の鋭いツッコミに、千果の口からまたしても間抜けな声が漏れ出る。

「私たちの一つ前が”箏曲部”だよ。ほら、ここに書いてあるでしょ」

「ソウキョクブ?」

 千果は眉間に皺を寄せ、見慣れぬ文字が書かれた紙に顔を寄せる。

「え、"コト"って書いて無くない?」

「いや、書いてあるよ」

 薫は"箏"の文字を真っすぐ指さし、その先を漢字検定3級を余裕の成績で不合格となった中学からの同級生がクエッションマークを顔に浮かべて眺めている。

「これで"コト"って読むんだよ」

「え、え、嘘やん」

 思わず似非関西弁が出る程に、千果の頭に衝撃が走る。

 お口チャックは隙間だらけで声を塞き止める役割をまるで果たせず、実行委員の上級生にまたもや睨まれてしまった。

「"コト"って王に王に今でしょ!?」

「それは"(キン)"だね、もちろん"コト"とも読むけど。所謂"コト"って和楽器は、この"箏"って漢字をあてがうんだよ」

 つい先日に漢字検定準一級を合格した国語教師志望の同級生は、律義に簡単な解説まで加えてくれた。

「へぇ~」

 国語で壊滅的な成績しか残せない千果としては、真面目な友人の好意も残念ながらトリビアになってしまったようだ。

 説明文の最後に出てきた"あてがう"すら、正確な意味を捉えきれていないのかもしれない。

「あ――」

 静寂の中、凛とした音がホールに響く。

 和室から漏れ聞こえてきたのと同じ、箏の音。

 吹奏楽器と異なり空気を直接震わせる訳ではないが、最初の一音だけで千果の心は大いに震えたようだ。

「ちょっと見て来る」

 口から意志が溢れる前に、千果の脚は一歩前に出ていた。

 舞台脇から顔を覗かせると、吹奏楽部のために設置されたパイプ椅子に囲まれた状態で、季節外れだが浴衣に身を包む僅か5人の演者が木製の大型楽器を挟み、観客と向かい合っていた。

「凄いなぁ」

 大トリを務める花形―吹奏楽部―の一つ前のプログラムを務める、全く正反対の趣を持つ演題。

 失礼ながら"前座"という表現が適した悪意ある発表順にも関わらず、聴衆はこじんまりと集まった演者の中心で弾く女性生徒の姿に見入っているようだった。

「ホントだ、真ん中の子がとにかく凄いね」

 千果の頭の上から、薫がひょっこり顔を出す。

 幼少期に少しだけ演奏経験のある彼女から見ても、演者の真ん中で巧みな手さばきを見せる女子生徒の実力は相当のもののようだ。

「へぇ、箏曲部なんて部活にやる気のない人がとりあえず幽霊部員で入っている程度だと思っていたけど、実力者もいるものだね」

「なかなか酷いこと言うね」

 オブラートに包むことなくストレートな表現で評する同級生に、千果は苦笑を送る。

「まぁ、でも、薫の言う通りかもね」

 千果は視線を演者に戻す。

 確かに、中心で演奏している女子生徒の力量は目を見張るものがある。

 手数の多い個所や細かなリズムを物ともせず、16分音符の続く素人目で見ても難しいと分かる小節も難なくこなしており、何なら演奏する姿そのものすら美しく見える。

 対して、彼女を取り囲む4人は2パートに別れ、4分拍のリズムとたまにある8分拍を何とかリズムに合わせて弾いているに過ぎず、演奏姿勢もどこか"慣れ"を感じさずアタフタと楽器に"弾かされている"ようにも見える。

 ソロパートを務める中心の彼女に、演奏の全てを依存しているようにしか見えなかった。

「すごいなぁ」

 中心に座し、圧巻の演奏を見せ続ける女子生徒の姿に、千果は正しく引き込まれていた。

 大きく目を見開き、口は開け広げられたままである。

「あ、終わったみたいだね」

 薫の言う通り、実質的に花形の"前座役"を務めた筝曲部の演奏が終了すると、お辞儀する演者に万雷の拍手が送られる。

 "演者5人へ向けられた"と言うよりかは、中心でソロパートを務め上げた女子生徒1人への絶賛へといった所か。

 箏曲部の部員たちが楽器を抱え、舞台裏へと戻って来る。

「......決めた!」

 部員たちの最後尾、中央で弾いていた女子生徒を千果が待ち構える。

「あ、あの!」

 切れ長な目付きに長く艶やかな黒髪が特徴的な狐顔で、どこか近寄り難さも感じさせる美少女が、千果の前に立っていた。

 突然、自身の眼前に躍り出てきた小柄な女子生徒に、箏を抱えた浴衣姿の女子生徒は驚いたような表情を見せる。

「私、吹奏楽部をやめて箏曲部に入ります!!」

「えっ...」

 千果の口から飛び出した言葉に、吹奏楽部全員の視線が集まると共に、舞台上へ向かう全員の時間が止まる。

「す、吹奏楽部の皆さん、舞台上へお願いします」

 数秒の後、実行委員を務める上級生の一声で全員が解凍されると同時に、千果は薫に子気味良い音を立てて頭を叩かれると、ズルズルと舞台上へと引きずられていった。

Pixiv様でも投稿させて頂いております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19104624

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