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天音いろ  作者: 今安ロキ
本編
19/21

終わり、それは始まりの合図(後編)

箏曲教室の"お弾き初め"。

大ホールで催される吹奏楽コンクールとは異なり、公民館の和室で行われる小さな演奏会は、演者と聴衆の距離が近い。

古典器楽曲"六段の調"は詩がなく、それぞれの心情を乗せた音だけが響き、溶けあう2人の想いだけが場に響く。


やらない後悔より、やった後悔。

天音と千果は互いに信じる道に進むべく、前へと一歩、脚を踏み出した。

Chaprter.19 終わり、それは始まりの合図(後編)


 時間が流れるのは早い。

 県アンサンブルコンテストの申し込み期限が10月末となれば、部内選考会はそれまでに完了しなければならないが、学生にとっては憎き中間試験も同時期に控えていた。

 部長と副部長を中核とした「管打八重奏"百合は白く、そして気高く咲き"」チームは面目躍如の演奏を見せて部内コンテストを無事に通過したこともあり、11月上旬に控えた文化祭を過ぎてようやく一呼吸を置けたものの、そこから県アンサンブルコンテストが12月の中旬、そこから期末テストを経て毎年恒例となっているクリスマスコンサート、上位大会へ駒を進められれば西関東アンサンブルコンテストを控え、そこに"お弾き初め"が加わる千果と天音のスケジュール帳は、年末年始の過密さを物語っている。

「......うん、だいぶ良くなったね」

 小節ごと、段ごとに手ほどきを受け、箏の演奏で天音からOKを貰えたのは、練習を開始してから丸二ヶ月を経て、県アンサンブルコンテストを控えた12月上旬だった。

「やっっったー!」

 千果は歓声を上げるとともに、ゴロリと身体を畳の上へと転がし寝かせる。

 この頃には正座にもある程度は慣れ始め、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えながら立ち上がることはなくなっていた。

「ここまでくれば"合奏"もできるね。試しにやってみようか」

練習開始からここまでの期間、2人で一緒に弾くことはあったものの、曲のテンポや雰囲気を覚えるためだけに留まっており、あくまでも同じ楽譜を追い駆けているだけに過ぎなかった。

 ここに来てようやく、千果と天音はそれぞれ別の楽譜を奏で、所謂"合奏"する時が来たのである。

「準備できたよ。そっちはどう?」

 天音は箏の調子を一絃Gの平調子から一絃Dの雲井調子へと慣れた手付きで変え、千果もチューナーを使いながら調絃を合わせていく。

「大丈夫」

 千果は呼吸を整え、天音の合図を待つ。

 自身が秘めたる想いを抱く相手と二人きりで描く音楽の世界を思い描き、千果の鼓動が自然と高鳴る。

もちろん"厳しい"師匠への緊張ではなく、一種の興奮からくるものであることに間違いはない。

 天草が小さく身体を上下させたことを合図に、指揮者のいない、さながら会話のような演奏が、一拍、一小節と進んでいく。

「(何だろう、弾きやすい)」

 瞳で楽譜と絃を、耳で自身と天音の音を捉えながら、千果は内心、心躍るような感覚を覚えていた。

 長年、吹奏楽部として鍛えられてきたリズム感は伊達ではないものの、不慣れな楽器と姿勢から安定感に欠ける感覚を抱いてきたが、天音との合奏により自分の中で足りないパーツが補われ、自然と前へ、上へと進んでいく。

 自分の演奏技量が突然、格段に向上した訳ではない。

 今ここで天音が演奏を止めれば、千果の演奏は瞬く間に空中分解してしまうだろう。

「(欲しい所に欲しい音が完璧なタイミングで入ってくる)」

 付かず離れず、互いを補い、寄り添いながら。

 デコボコだった二人が奏でる音は、あたかも最初からその場所に配置されていたかのように、寸分の狂いもなく積み上げられて"曲"を成す。

「――うん、初めてにしては上出来だったね」

 最後の一音がピタリと揃い、曲が終了する。

 時間にして9分間といったところだろうか。

 30人で演奏したコンクールよりも長い演奏時間だったが、千果はより濃密で、あっという間のひと時に感じられた。

「初段の八分拍が前のめりだったかな、二段も。回し爪がもたついていたのと、三段以降は――」

「まだ弾いていたい」

 天音から伝えられる演奏の講評を遮るよう口から出た言葉に、千果自身が驚く。

 彼女の言葉が耳に入っていなかった訳ではないが、今の千果は"お口チャック"の我慢ができなかった。

「もう一回、弾かない?」

 どこか恍惚とした表情をしている自負こそあるが、千果に恥ずかしさはない。

「もっと弾いていたい」

 先程まで痛くて仕方がなかった膝から下の感覚など、とうに忘れていた。

 二人だけで奏でる時間を、二人だけで過ごす音の世界を、互いに溶け混じり合うような感覚を、千果はただ貪欲に求めていた。

「......分かった」

 天音が言葉と想いをどう受け取ったのかはこの際、千果にとってはどうでもよかった。

 少し苦笑交じりに優しく微笑む彼女の姿に胸を高鳴らせながら幾度も曲を繰り返し、箏の音に乗せた心を互いに溶け合わせていく。

「――あー」

 千果にとって夢のような時間は、あっけなく終了する。

 合奏を終了して立ち上がろうとした瞬間、忘れていた両脚の痺れと痛みを思い出し、千果は盛大に転んでしまった。

 必死に笑いを堪える想い人に無様な姿を見せた自分に情けない思いでいっぱいになり、千果はトナカイの鼻よろしく赤面した。



 厳しい寒さが吐息を白く煙らせる。

 隣に想い人が在る時ほどその色がより濃く現れてしまうよう感じられるのは、千果の思い込みだろうか。

 アンサンブルコンテスト、クリスマスコンサート、初詣。

 年末年始にかけて共に日々を駆け抜ける中、千果の想いは冬の寒さに当てられ冷めるどころか、記録的な暖冬を誘引した原因の一つでも言える程、熱くたぎっているようだった。

「ふーーー......ん」

 天音との初詣の後、千果は200円と引き換えに手に取った"今年の運勢"なるものを凝視する。

 非科学的なものについては基本的に信じないたちだが、所謂"ゲン"は担ぎたいものだ。

 県アンサンブルコンテストを無事に突破できたのだから、尚更である。

「待ち人、傍に在り」

 幾度も同じ場所を見返し、重ねて声として出す。

「願い事、欲するならば自ら前進せよ」

 千果は大きく息を吹き出すと、小さく折りたたんだ"小吉"のおみくじをスマホケースに挟み、そのまま鞄へしまう。

「――いこうか」

「うん」

 天音に導かれ、千果は舞台上へと足を踏み入れる。

 二人で支配する僅かな時間を前に、千果は全ての神経を耳と指先に集中させた。

「"六段の調"、月見里天音さんと山中千果さん、よろしくお願いします」

『よろしくお願いします』

 地域の公民館の和室を貸し切って執り行われる"お弾き初め"。

 師範の口上と門下生によるまばらな拍手を受け、その場の主役は正座のまま恭しくお辞儀し、視線だけで呼吸を合わせ、小さな動作を合図に楽曲がスタートする。

 12月上旬の初合奏以降、二人は時間を見つけては互いに音を重ね続けた。

 掛け違いから曲が崩れる時もあれば、どこまでも駆け上がれると錯覚する程に軽やかな演奏になることもある。

 クオリティと安定感が段ごとに増すたび、二人の心は溶け交じり、重なり合った。

 純然たる古典器楽曲だけに、演者の力量と想いが直接演奏の出来に直結する。

 今この瞬間、二人の想いは共通していた。

『認めて欲しい』

 片や籠から飛び立つ決意を、片や想い人への慕情を。

 9分という短い時間でも、二人の想いが伝わるには十分だっただろう。

「短い期間で仕上げたことを感じさせない、とても若々しく、勢いのある演奏でしたね」

 演奏終了の後、師範は満足そうな笑みを見せ、講評の言葉を口に出す。

「天音さんの音はこれまでも確かに優れていましたが、鋭くどこか脆さを感じていました。でも、今聞いた限り、とても変わりましたね。優しく、強くなりました。心境の変化を起こす程、素晴らしい出会いがあったのね」

「――はい」

 天音の肯定する言葉に、千果の鼓動が少しだけ加速する。

「長くやっているけれど、若い人の演奏にはいつも驚かされるわ。ツンと触れば脆く崩れ去りそうな危うさを見せることもあれば、いくつもの壁をヒョイと乗り越えて、何十年と弾いてきた熟練者の面影すら感じさせることだってある。本当に不思議ね」

 師範はゆっくり振り返り、集まった門下生に問い掛ける。

「かつて若かった人間として雛の若々しさに嫉妬する、つまらない感情の檻に若鳥を閉じ込めて自由を奪いたくなることもあるかもしれない。でも、それでは新たな価値は生まれない。芸能に心情は直結してしまいますからね」

 渋い表情を見せる面々を尻目に、師範は舞台上に座る二人を見遣る。

「あなたたちは、どこへ進みますか?」

「私は、私のなりたい姿を叶える道を進みます」

 天音の声はやや小さく、だが芯のある強い声色で、

「私は自分の信じる道を進みます」

 千果の声はやや大きく、この場に集まった全員に聞こえる声で発せられる。

 視線を四方に散らす老齢の鳥に対し、若鳥たちは真っすぐ前だけを見つめていた。

「六段に始まり、六段に終わる。私はこうやって、新しい六段を見て聞けたことで、また前に進めるわ、ありがとう。あなた達も、自信を持って前に進みなさい。これからも頑張ってね」

 師範は嬉しそうに、そして少し寂しそうな笑みを浮かべる。

『はい』

 小さくも綺麗に揃った返事の後、若鳥たちは深くお辞儀をすると、楽器を手に舞台上を後にする。

 親鳥は小さく笑みを浮かべると、その旅立ちを心から祝福した。



 公民館からの帰り道、二人は小腹を満たすためコンビニに立ち寄った。

 千果の手には真っ白なあんまんが、天音の手にはオレンジ色のピザまんが収まっている。

「よかったね、みんな認めてくれて」

「――渋々って、感じだったけどね」

 お弾き初め会の全体反省会の後、天音は正式に、長年通った箏曲教室を退会した(最も、身分としては暫く、会友として扱われることになったのだが)。

 師範に促されては他の門下生もケチをつけられず、新たな門出が諸手を挙げて喜ばれた訳ではないというのもまた事実である。

「本当に認めてもらうためには、私の進みたい道でキチンと成果を挙げなくちゃ」

 地方ならではだろうが、旧来の思考に由来するであろう女性が理系や研究職へ進むことへの心理的抵抗を、天音は肌で感じている。

「成果かぁ」

 千果はあんまんにかぶりつきながら思案する。

 流れに身を任せること程、楽なことはない。

例え行きつく先が望むものでなかったとしても、少なくともその過程での苦労は小さいだろう。

 だが、天音はその道を選ばなかった。

 もしかしたら後戻りのできない、過程も、行きつく先も険しい道を選んでしまった可能性すらある。

「千果のおかげで、自分は自分のために脚を前に出せた。去年までだったら、こうやってコンビニでピザまんを買って食べるなんてこと、なかったハズだもの。貰ってばかりで、何かお礼の一つでもしないと」

「お礼なんて...」

 千果が照れ笑いで誤魔化そうとしたところで、ふと初詣で引き当てた"今年の運勢"の言葉が頭をよぎる。

「(待ち人、傍に在り。願い事、欲するならば自ら前進せよ)」

 鼓動が一気に加速し、体温の上昇を実感する。

「なら、一個いいかな?」

 口から出た言葉は、千果を後戻りできない状況へと追い込む。

 例え過程も、行きつく先も険しい道を選んでしまったとしても、後悔だけはしたくない。

「ちょっとだけ、目を瞑って」

 首を傾げつつも素直に応じる天音の整った顔の中心から少し下に狙いを定める。

 欲するならば、自ら前進せよ。

 柔らかく感じられた唇は、ピザまんの酸味とあんまんの甘味のせいか、やけに甘酸っぱく感じられた。

「――え、え、えっ」

 目を見開き動揺する天音に、千果は臆することなく口を開く。

「天音のことが大好きです。これからもずっと、一緒にいて下さい!」

 盆地に溜まった冷たい空気は暫く居座り、春の訪れは程遠く感じられる。

「は......はいっ」

 例え勢い任せだったとしても、やらない後悔よりもやった後悔の方がましであろう。

 山肌を駆け降りる冬風も千果の勇気を称賛したのか、この時ばかり、二人は春の陽気に包まれた。

Pixiv様にも投稿させて頂いております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19372796

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