共に歩む、その始まりを(後編)
千果は中学時代の後輩―水田舞莉―と再会した折、ひょんなことから天音へ抱いていた感情に気が付いてしまう。
自身の変化を前向きに捉え、拡げた帆いっぱいに天音という追風を受けた千果は、さらに大きく飛翔すべくコンクール本番を迎えた。
Chapter.16 共に歩む、その始まりを(後編)
千果たち吹奏楽部が合奏する大講堂に、舞莉がひょっこり顔を出す。
他校の練習場に単身乗り込む度胸は、中々のものである。
「神奈川県って、県大会の前に支部大会があるんだ。山梨にはないなー」
「学校数が多いですからね。うちの学校、支部大会はだいたい突破できるんですけど、県大会の壁はなかなか超えられなくて、良くて"ダメ金"らしいんです」
舞莉が苦笑しながら、千果の譜面を眺める。
「"帆を揚げて"ですか、いい曲ですよね」
「そっちの学校は......何て読むの?」
「"落花流穂"ですよ。千果先輩、相変わらず文系科目が苦手なんですね」
「テストのたび、国語担当の教員に呼び出されているわよ」
「うわぁ....悲惨」
楽器こそ持って来ているものの、暫くは取り出すことなくワイワイと旧交を深める。
シロフォンの自主練に明け暮れる天音は、その様子を時折眺めていた。
「何やろっか、あまり持って来ていなくて」
千果が取り出した楽譜から、舞莉が一つを選ぶ。
「これ何ですか?」
舞莉が指さしたのは、やや古ぼけた紙面に手書きされた楽譜だった。
「あぁ、これ」
千果の視線が、天音へと移る。
「天音の箏の先生から貰ったんだ。故郷の子ども達が吹いていた曲みたいで題名は分からないんだけど、いい曲だよ」
「へぇ......せっかくだし、これにしましょう」
舞莉がどこか懐かしそうに紙面を撫でると、楽器を構える。
「いいよ」
薫を含めた3人で1枚の楽譜を眺めつつ、優しいメロディを奏でる。
長年、練習曲として親しんできた天音も即興で合わせてきた。
講堂内で同じように自由練習に励んでいた他の部員たちは途中で練習を止め、簡単ながらも高いクオリティの合奏に思わず耳を傾けた。
「いい曲ですね」
一通り吹き終わると、舞莉は飄々とした普段の雰囲気を脱ぎ捨て、どこかしみじみした様子を見せる。
「ホント、"正解"ですよ。助かりました」
舞莉は傍目で天音の姿を確認し、小声で呟く。
「コピー機あるのを見つけたんで、コピらせて貰ってもいいですか?」
「いいよ~」
千果から楽譜を受け取ると、舞莉は立ち上がり出入口へと向かおうと一歩踏み出す。
「それにしても千果先輩、すごく上手くなりましたね!」
「そぉ?」
手放しに誉められた気恥ずかしさを誤魔化すように、千果は頭をポリポリと掻く。
「もともと実力のある人だとは思っていましたけど、これまでは吹部らしく"大勢の中の一人"って印象が強かったんです。だけど、前よりも"私の音を聞いて!"とか"聞きなさい!"みたいな雰囲気が出てきたような感じがします。何か、心境の変化でもあったんですか?」
「えっ」
舞莉の言葉を受け、千果の視線が自然と天音へ向く。
殆ど自覚は無かったが、もしかしたら自分も天音から大いに影響を受けているのかもしれない。
「せーんぱい」
舞莉は"ぴょん"と飛び跳ね、千果の前に着地ししゃがみ込む。
「とてもいい出会いをしたんですね、可愛い顔してますよ~」
舞莉はケラケラとした大きめの声で千果を揶揄うと、ひょこひょこと部屋を出ていく。
みるみる内に赤面する千果と、思わぬ巻き添えを喰らう形になった天音に視線が集まった直後、室内はまるで無重力になったかと錯覚するかの勢いで、空気が浮ついた。
見える世界が変わると、世界はこうも充実して見えるのか。
千果は夏合宿で再会した後輩―水田舞莉―に揶揄われて以降、自身の意識が明確に切り替わったことを自覚した。
部活―この場合、吹奏楽部に限らず箏曲同好会も―の練習にはかつてない程の意欲と集中力が生まれ、日常にも充実感が溢れるようになった。
何より、時間の進みがいつになく早く感じられることが、その証明だろう。
気が付けば、手帳にびっしりと埋められた8月のスケジュールは全て消化してしまい、カレンダーは9月を迎えていた。
西関東吹奏楽コンクールの参加校は千果たち山梨県のほか、埼玉県、群馬県、新潟県の代表校から成り、コンクール名に"西関東"と銘打たれているものの、半数は地理上で"中部地方"に属する。
なお、"東関東"には栃木県、茨城県、千葉県、神奈川県が属し、舞莉の通う鎌倉大学附属高校吹奏楽部はその舞台を目指していたが、惜しくも県コンクールで夢破れたと、千果のもとに連絡が入っていた。
「......さすがに遠かったね」
「お尻が痛いや」
千果と天音は大きく伸びをすると、凝り固まった筋肉をほぐしつつ、バスから荷物を降ろしていく。
山梨県勢から見れば、会場は最も遠方に当たる新潟県。
大型バスに乗り込んだ千果たちはコンクールでは"東海支部"に属する長野県を通過して北上し、5時間以上をかけて宿泊所への移動を強いられた。
出発前の午前中は練習に当て、荷物を積み込み午後に出立し、到着する頃には陽が沈んでしまっていた。
前日練習を行うためとはいえ、中々の強行軍である。
「どんな状況でも、自分たちは自分たちの全力を出そう」
午前中の練習終了後、部長は部員たちへ発破をかけていた。
県コンクール前のトラブルではアタフタしていた彼女も、この夏を経てまた一皮向けたようだ。
『少しでも長く、一つでも上へ、このメンバーで』
部員たちが7分間に賭ける想いは、間違いなく一つにまとまっていた。
翌日。
会場へ到着した千果たちは、緊張感ただよう雰囲気を受けて自然と心拍が加速する。
特に、山梨県のコンクールにはない地区予選相当の大会を埼玉県勢は経験しており、大会を勝ち抜く上で大きな存在感を放っている。
過去大会の中でも、上位の東日本学校吹奏楽大会への代表3校全てが埼玉県勢となった事実も、忘れてはならない。
「ベストを尽くそう」
短い言葉の中に、部長は部員全員共通の想いを込める。
『はい!』
無用な長文は、この際は意味を成さない。
7分間という限られた時間を支配すべく、全員が呼吸を整え係員の案内を待つ。
「さすが、緊張の色が見えないね」
千果は隣でマレットを小さく振る天音に声を掛ける。
この1ヶ月、自分の生きてきた17年にやや満たない人生のいつ何時よりも主体的になれたのは、天音の存在が大きい。
「そう言う千果も、何だか楽しそう」
ただ一緒にいるだけではなく、部活動を含めた生活と、たくさんの想いを共有してきた。
その全てが、光り輝いていたようにも思える。
今日というコンクール本番の舞台は、その全てを表現する場でもある。
「みんな行くよ!」
係員の案内に従い、部長を先頭にホールへと向かう。
暗く、静寂に包まれた舞台上へと歩を進め、音を立てずに指定の椅子に座る。
「(大丈夫)」
誰かの小さな呟きが耳に飛び込む。
千果は自身がそれ程までに集中し、感覚を鋭敏化させていることに気が付く。
舞台を照らす明かりが灯され、プログラムナンバーと学校名がアナウンスされるとともに拍手が沸き起こり、その中には自身や天音の両親も含まれている。
指揮者を務める顧問が指揮棒を持つ右腕を振り上げ、リズムを刻みつつ左手でパーカッションへの合図とともに銅鑼の音が会場中に響き渡り、吹奏楽部の帆が上がり、船が進み始める。
金管パートによるファンファーレは、静かに続く次の―東日本大震災により荒廃し困難を極める状況を表現するかのような―フレーズを乗り越えるために自らを鼓舞するかのようで、演者の心に残る緊張や不安を一気に吹き飛ばす。
希望に溢れ、前進することを主題とした楽曲は、県コンクールの時は自分たちの吹奏楽部に合致していると思っていたし、その考えは今も変わらない。
だが千果はそれ以上に、今の自分を表しているように思えていた。
これまで何をするにも、自分の脳内には常に"打算"が溢れ、主張することなくただ揺蕩うことを選び続けた自身に心の中ではほとほと嫌気が差し、どこか陰鬱とした思いを持ち続けていた。
そんな中、文化祭の"花形"である吹奏楽部の"前座"を本来ならこじんまりと務めるハズの箏曲部として、圧倒的な姿を"魅せ付けた"のが月見里天音だった。
天音は正しく、どこか沈み切っていた千果の人生に希望と前進させる勇気を与え、背中を押す追風となった。
千果は拡げた帆に天音という追風を受け、自身の憧れた姿をどこか追い続けた。
だからなのかもしれない。
演奏修了後。
千果たち吹奏楽部は実力を出し切り、一定以上の手応えを感じていた。
もしかしたら、また一歩前へ、そして上へと足を踏み出せたかもしれない。
そんな思いを秘めた結果発表で言い渡された賞の色は、やや鈍く光る"銀"。
その瞬間、隣に座る天音の胸に飛び込み、両目から溢れ出る涙を抑えられず、まるで小さな子どものように泣きじゃくる。
中学3年のコンクールで上位大会進出を逃した瞬間も、"あぁ、終わったな"程度で特に感傷に浸ることはなかった。
これ程までに悔しさを覚え、声を出して泣いたのはいつ以来だろうか。
後になって考える程に、千果は感情を前面に押し出した。
そして、同時に確信した。
これまではただ保身を図り、"打算"を追い求めた自分の考えが変わり、月見里天音のような"特別"さを求めるようになっていたことを。
「落ち着いた?」
優しい声に小さく頷くと、千果は呼吸を整え、天音の胸元から離れる。
「ごめん、ありがとうね。もう大丈夫だから」
「そうだね」
「ねぇ、天音」
「何?」
手渡されたハンカチで目元を拭うと、千果は大きく深呼吸する。
「明日からも、一緒に頑張ろうね」
「うん、頑張ろう」
千果の差し出した手を、天音は強く握りしめる。
真っ赤に腫れ上がり、涙で潤みキラキラと輝いた眼は、自ら進むべき前方だけを捉えていた。
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