一歩踏み出す、その背を押して(後編)
天音は千果の誘いを受け入れ、吹奏楽部にシロフォン奏者として加入する。
勝手の違う楽器に戸惑うものの、短い期間で持ち前の音楽センスを見せつけるかのように、みるみる上達していく。
迎えた県コンクール当日。
"ダメ金"常連の吹奏楽部は確かな手応えを感じる中、演奏を終えた天音の前には母の姿があった。
Chapter.14 一歩踏み出す、その背を押して
月見里天音はまるで程よく使用感のあるスポンジのように、シロフォンの演奏技術を吸収していった。
当初こそ不慣れな楽器に故の苦労こそあったものの、幼少期から蓄積した音楽の才能と演奏時の集中力は伊達ではなく、少々の不安こそあれど、あっという間に合奏練へ加われる程にまで技量を向上させた。
「あいやぁ、これじゃあ私の立つ瀬がないアルネ」
「まぁまぁ、恵梨は高校から吹奏楽部に入った口だから、仕方がないよ」
「貯金がないってか?」
部長と恵梨のやり取りを視界の端に認めながら、千果は懸命に取り組む天音の姿をまじまじと見ていた。
演奏する天音の姿は、異なる楽器でも変わらず圧倒的な雰囲気を醸し出している。
「楽しそうだね」
休憩時間に、千果は素直な感想を打ち明ける。
「......そう?」
天音はキョトンとした表情を当初こそ浮かべたが、すぐ観念したような苦笑を浮かべる。
「ずっと箏しか弾いてこなかったし、新しいことに取り組むなんて久し振りだからかな」
「何て前向きな...私、箏弾いてもそんな感情がまだ沸かないよ」
最近の千果は、箏曲同好会の部室だけでなく実家でも箏の練習をするようになっている。
楽器は学校から借り、休みの日に天音が千果の家を訪れて稽古をつける流れだ。
「着実に上達しているけど、正座の耐久力だけはなかなか上がらないからね」
「もはや、痛みの記憶しかない...」
千果の自宅には和室もあるが、そもそも人生で正座の体勢をとる機会がなく、30分も経たずスグ痺れてしまう。
座布団で痛みの緩和を試みれば、演奏時の高さが合わないだけでなく、毛細血管が余計に圧迫され、物理的な接触の痛みを和らげる以上のダメージを受ける羽目になった。
「はーい、注目!」
部長の合図に、音楽室内の視線が一点に集中する。
「今の内に、コンクール当日の案内とチラシを配るわね」
30人程度ならば、配布物いきわたるまでにはそう時間はかからない。
説明が終われば各々の休憩が再開され、室内は和気あいあいとした雰囲気に包まれた。
音楽室内で上がった声の多くは"家族が観覧しに来るかどうか"。
「その......天音の家族は、来るの?」
チケット購入が必須となるが、我が子の晴れ舞台を楽しみにしている親御さんも多いことだろう。
かく言う千果の家族も、コンクール当日のスケジュールは既に埋められている。
「取り敢えず、チラシだけは置いておこうかと思っている。前に一応、話題には出したんだけど、"考えておく"の一言で終わっちゃったから」
天音はそれ以上の言葉を続けることはなく、表情からも悲しさや寂しさのようなものは感じられない。
端から、期待などしていないといった様子だった。
「(恵梨先輩の腕以上に重症だ...)」
心の中で溜め息をつくと同時に、部長が練習再開の合図を出す。
千果はいそいそと自席に着くと、今度は隠すことなく嘆息した。
期末テストの答案用紙が返却されたものの、その結果に一喜一憂する暇など無い。
ある程度、活動を積極的に行う吹奏楽部ならば、7月以降は吹奏楽コンクールと各運動部の夏大会が重なり、社会人の言葉で言うならば所謂"繁忙期"を迎えた様なものである。
「カツカツだなぁ」
取り出し忘れていた文系科目の解答用紙―例によって悲惨な点数―を鞄へしまった手で、本来の目当てである吹奏楽部の今後の予定表を取り出し、千果は溜め息をつく。
部活動としては一つでも上へ、先輩と少しでも長い期間の時間を一緒に過ごしたいものだが、スケジュール帳が遊び以外で埋め尽くされるとなれば、悲鳴の一つもあげたくなるだろう。
「ボヤいている暇なんてないよ、本番はいよいよ目の前なんだから」
そう言う薫の表情からも見て取れるように、コンクール本番を控えた吹奏楽部は一定の緊張感に包まれていた。
長い時間をかけて作り上げたコンクール曲が審査員の眼にどう評価されるのか、上位大会へと勝ち進めるかのシステムは運動部の大会と差はなく、一発勝負であることに変わりはない。
控え室で最終チューニングを済ませ、係員に呼ばれるまでの僅かな時間、大きく深呼吸をして気持ちを整える。
「大丈夫そう?」
譜面をジッと眺める天音よりも、話しかけた千果の方が緊張感を隠せていないように端からは見える。
「分からない」
「分からない?」
幼少期以来、相当な場数を踏んできたのだから何も問題ないのだろうとばかり思っていたが、ここ半年間、彼女の姿を追い続けたからこそ分かる微細な変化を、千果は見事に感じ取った。
「緊張してる?」
千果が半笑いで声をかけると、天音はやや拗ねた様な表情を見せる。
「できることはやったつもりだけど、純粋に経験の浅い楽器でどこまでできるか分からない。それに、大人数、それもホールで合奏した経験がないのものだから、その辺りも不安かな」
「......あぁ」
天音の通う箏曲教室は伝統的な古典楽曲を中心に扱うため、基本的に少人数での演奏が中心で、異なる楽器と言えば三味線と尺八、胡弓くらいである。
近代曲や現代曲ともなれば大人数で複数のパート分けされるような楽曲もあるが、それでも吹奏楽曲ほど楽器の種類とパート数が多彩になることはない。
「楽しいわね」
「え?」
この状況から出るとは思わない言葉に、千果は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「どういうこと?」
「......これまで、演奏会やコンクールに出演したとしても特に緊張することもなく、ただただ惰性で出ていたわ。今回は突貫工事で出演することになったけど、他の人と一緒に、少しでも上へ、一歩でも先へという気持ちで演奏することがこんなにも楽しみになるだなんて、思っても見なかった」
緊張できるほど、前向きに取り組めている。
天音と出会った以降に出演したアンサンブルコンテストで千果が初めて覚えた感情と同じものを、まるで異なる世界で生きてきた2人で共有できている。
それを実感できただけで、千果の緊張は一気に晴れやかなものへと昇華した。
「それじゃ、みんな行くよ!」
係員の案内を受け、顧問と部長を先頭に部員がその後に続く。
コンクール自由曲として選んだのは福島弘和作曲「帆を揚げて」。
ホール舞台上へと進む足取りは軽く、千果は風にのり、どこまでも登っていけるような感覚を覚えていた。
自分たちの演奏がホールを支配する7分間。
その僅かな時間に、演者たちは長い期間の練習で培った演奏技術と主題の表現力を遺憾なく発揮する。
東日本大震災からの復興を掲げ、辛い状況でも力強く堂々と前進する希望を描いた楽曲は、直前の演者変更という緊急事態の中でも最善を尽くそうと努力する吹奏楽部そのものの姿にマッチしていたのかもしれない。
金管のハイトーンや細かい拍子を正確に刻み、ゆったりとした小節では日々の想いを重ね合わせていると、7分という短い時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
「お疲れ様」
「そちらこそ」
演奏が終了し、審査結果が発表されるまでには暫く時間があるほか、B編成直後には「職場・一般の部」が開催されることもあり、結果発表は学校の音楽室で待つこととなった。
少し肩の力を抜いて一息つきたいところだが、楽器の搬出等もありそこまで落ち着いてもいられない。
ようやくひと段落した頃には、何やら別の疲労感すら感じられた。
「どうだった?」
「楽しかったし、何だか手応えもあったかな」
端から見る分には表情をそこまで崩しているようには見えないが、天音の表情は千果から見れば、十分に満足そうなように見えた。
「私も、去年にはなかった手応えがあった。何だか、県のアンサンブルコンテストを思い出したよ」
思えば、天音の加入は、"ダメ金"常連の現吹奏楽部に欠けた最後のピースだったのかもしれない。
恵梨には悪いが、曲の主題の一つとも言える「挫折からの復活」を表現するにあたり、天音の存在はうってつけだった。
「今年こそ、"ダメ"の2文字はお断りしないと」
「そうだね――」
天音が続けようとした言葉を止め、視線を前方へと固定する。
「お母さん」
「えっ」
いるはずのないと思っていた人物が目の前に立っており、天音は少なからず動揺した様子を見せた。
「お疲れ様」
「......はい」
母から掛けられた声に、天音は小さく応える。
「来てたんだ」
「あなたの新しく打ち込んでいる"音楽"を見る必要があると思ったの」
「......そう」
暫く沈黙が流れ、会話が止まったままになる。
天音の感情表現がやや不器用なのは、遺伝なのかもしれない。
「席を外そうか――」
千果は気を利かせてその場を離れようとするが、天音が見えないように制服を掴み、その動きを阻止してしまう。
千果は心の中で苦笑を浮かべると、脇腹を軽く肘で突いた。
「私たちは力強く堂々とした、希望に満ちた曲をやったんだ。家に帰るまでが演奏会、胸を張っていかないと」
「......そうだね」
天音は千果の言葉を受け、右足を一歩だけ、しっかり前へと踏み出す。
「聞いてみて、どうだった」
長く古典楽曲なかりに触れてきた存在が、大編成の吹奏楽曲をどのように評するのか、想像もつかなかった。
「あまり聞いた経験がないからどう表現すればいいのか分からないけど、よかったと思うわ。粗削りだけど、みんな自信を持って前向きに演奏していたように思う。頑張ったのね、あなたも、みんなと」
「......え?」
母の優しい表情と予想外の言葉に、天音は面喰ってしまう。
"ガチャガチャしている""キンキンとしている""うるさい"などといった酷い表現をされるかもしれないと思っていただけに、純粋に褒められると思っても見なかった。
「......先生とも話したわ。気付かされたキッカケがそれというのも、親として情けないのだけれどもね。あなたが自分の目の届く範囲から出て行こうと親離れするのを嫌がるだなんて、私も子離れしないと」
天音の母は深く溜め息をつくと、改めて娘へと向き直す。
「やるならトコトン、やり切りなさい。それだけは約束してね。あと、おばあちゃんは強敵よ」
ポンと頭に手を置き撫でると、天音は見たこともないほど顔を真っ赤にして慌てていた。
よほど恥ずかしいのだろう。
「山中千果さんね、噂では聞いていたわ。あなたのおかげで、天音と私たち家族は前に進むキッカケを得られた。あなたと天音が出会わなかったら、私たち親子の関係は進まないままだったかもしれない。ありがとうね」
「い、いえ...」
「それじゃあ、先に帰るわね。知っての通り、おばあちゃんは教室の友達と旅行に出かけたから今日はお父さん含めて3人だけ、ゆっくり話しましょう」
「......分かった」
天音の母が立ち去った後も、天音はその場に立ち尽くしていた。
「よかったね」
「うん」
短く応える天音は、特に勝ち誇った訳でもなく、涙で濡れている訳でもない。
憑き物の落ちた穏やかな表情で、視線はしっかりと前を見つめていた。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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