一歩踏み出す、その背を押して(前編)
一歩踏み出す覚悟、それを見守る覚悟。
大小の社会に属するために身勝手が許されないならば、その双方が決まらない限り真の意味での前進はあり得ない。
千果たち吹奏楽部がコンクールを直前に控えた中、シロフォン担当者がケガで演奏できなくなってしまう。
部内に代役はおらず一同困り果てるが、千果は救世主として天音を推薦する。
Chapter.13 一歩踏み出す、その背を押して(前編)
始まりがあるのならば、何かが終わりを迎えることは必定である。
ならば、始まる前には何があるのか。
それは終わりである。
籠の中で過ごし続けた鳥は中での生活を終わらせるべく、差し伸べられた手を取り、開け放たれた扉から今まさに外へと飛び立とうとしている。
それを見守る人々の心には、籠の中に何もいない恐怖が宿っていた。
天音が師範の許しを得て以降、月見里家内での冷戦がすぐ終結......とはならなかった。
師範の言う通りでこれはあくまでも家庭内での問題であり、当事者間での議論が平行線となっている以上、解決までの道程は程遠いと言えよう。
「ままならないねぇ」
箏曲部の部室をいつものように根城とする3人は、溜め息交じりの天音を励ましつつ昼食をとる。
「人間とは感情の生き物だからねぇ。ただパンツを履いただけの猿じゃないのだよ」
薫の哲学表現を、理系進学予定の2人はまるで理解できなかったようである。
ピンときていないのか、揃って首を傾げていた。
「進学には関係ないだろうけど、ちょっとくらいは教養として持っておきなよ...」
容姿も性格も基本的には正反対の千果と天音だが、どうして妙なところだけ似ているのだろうか。
同質のものは自然と惹かれ合うとでも言うのだろうかと言いたげに、今度は薫が溜め息を漏らす。
「ままならないと言えば、この部室もだよね」
千果は少しだけ片付けの進んだ自分たち―"箏曲同好会"―の部室を眺める。
学校の定める部員数の規程に達しなかった箏曲部は廃部となり、所属2名の同好会へと格下げになった。
顧問を務める相羽の尽力もあり、部室棟を取り壊すギリギリまでは使えることにはなっているが、頑固に籠城する訳にもいかない。
楽器や楽譜は音楽準備室へ移動させることになったが、そもそも吹奏楽関連の備品で既に溢れている現状では置けるだけ御の字で、同好会として学内で頻繁に活動するなど夢のまた夢である。
「なるようにしかならないけど、何とかはする」
名残惜しさはあるが、どんなに足掻いたところで覆すことのできないものだってある。
自身が向き合うべきはその先のこととでも言いたげに、天音は僅かな時間も無駄にせず、備品の整理を始めた。
中間テストの答案が返されたあたりから、千果たち吹奏楽部は7月中旬に控えた吹奏楽コンクール県大会に向け練習を色濃くさせていった。
「ちょ、ちょ!」
「うへへ...ごめん」
理系コースを選択したこともあってか、これまでよりも文系科目の悲惨な点数に対する教師からいくらか和らいだお小言を頂戴してから音楽室に向かうと、真っ青な顔をした部長が泣きそうな表情を浮かべていた。
その正面に立つシロフォン担当の3年生は対照的に、どこか諦めたような笑みを浮かべている。
「どしたの?」
「恵梨先輩、今日の体育でバランス崩して転んだ拍子に利き腕をぽっきりいっちゃったみたいなの」
「えぇっ!」
気まずそうに頭をポリポリと掻く恵梨の右腕は三角巾に収められ、如何にも"骨折しました"といった見た目になっている。
「ホント、ごめん」
幼馴染の部長がどんどん縮こまる様子が見て取れ、騒ぎの張本人となった恵梨の表情もどんどん曇っていく。
コンクール自由曲として選んだのは福島弘和作曲の"帆を揚げて"。
東日本大震災からの復興への願いを込めた明るいこの曲はパート数が多く、総勢29名の吹奏楽部で臨むにはそれなりに工夫を凝らさなければならない。
「もー、代わりなんていないのに...」
部長は弱々しい声で頭を抱えると、その場にペタンと座り込む。
強豪とは言わないまでも県"ダメ金"常連の吹奏楽部をまとめる立場であり、生真面目さと責任感を持ち合わせる彼女はストレスを内に溜め込むきらいがある。
小さく溜め息を漏らすと堰を切ったように涙が溢れ出てしまった。
「こればかりは詰んだかな」
「何で?」
薫の呟きに、千果が反応する。
「人数も少ないから恵梨先輩の代わりを確保できないし、シロフォンの経験者は他にいないから、一から練習しなきゃいけない。今から編成を変更するのも厳しいよ」
「......確かに」
1ヶ月少々という僅かな期間しか残っておらず、ある程度練習を重ねてきたバンドの中で今から練習してコンクールレベルのクオリティに達するには、相当な音楽センスを持ち合わせた人物でないと厳しいだろう。
「あっ...」
そんな人物などいるはずがない。
誰かがいう訳でもなく共有された意見に場が支配される中、千果だけは明確に一人の顔を思い浮かべていた。
「愛実部長!」
「......何?」
沈痛な雰囲気に包まれる音楽室に、千果の声が広がる。
呼びかけられた部長はゆっくりと顔を上げると、行き場のない苛立ちを僅かにだけ千果に向けた。
「わ、私!」
波風立てず、穏便に、無難に生きる。
天音に対する時にだけ周囲も驚く行動を取ってきたが、部活動全体の場で前に出るようなことはなく、千果のモットーは不変だった。
「私に、考えがあります!」
しかし、憧れた親友は自ら変化に身を晒している。
ならば、憧れられた自分が踏み出さない訳にもいかない。
僅かにでも自らに向けられた負の感情に尻込みしそうになるも、千果は意を決して口を開いた。
「月見里天音さんに、代わりができないか聞いてみます!」
千果の口から出てきた名前に、音楽室内が僅かにざわめく。
彼女の音楽に関する力量はこの場の全員が知り得ており、確信はないが"彼女ならできそう"という空気感に包まれる。
「でも、さすがの天音でも箏と木琴じゃあ基本が違いすぎるんじゃ...」
片や絃楽器、片や打楽器であり、発音のメカニズムからすべて異なっている。
薫は一応の疑問を述べるが、自身の中でも補充要員を頼むとしたら天音しか思い浮かばなかった。
「......頼める?」
「分かりました」
部長の頼みを受け、千果は勢いよく音楽室を飛び出し箏曲同好会の部室へと向かう。
沈痛な場面でこそあるものの、新たな挑戦を果たした千果の心は、明らかに躍っていた。
箏曲同好会の部室でいつものように練習をしていた天音は、突如として現れた千果の申し出に対し、流石に躊躇した。
千果から熱意のある勧誘を受け、親友の頼みならと色好い返答をしてあげたいところだが、簡単に引き受けられるような代物ではない。
「事情は分かったけど、私もシロフォン...?はやったことないし、迷惑にならないかな」
箏曲では幼少期から演奏漬けになっていた天音でも、その他の楽器については学校教育レベルのものでしかなく、五線譜が難なく読める程度である。
いくら音楽経験が豊富だとはいえ、専門外となれば経験も活きてはこない
「確かに、無茶苦茶言っている自覚もある...だけど、天音ならできるって、何故だか分からないけど自信もあるんだ」
千果の言葉にも、天音はなかなか顔を縦に振れないでいた。
流石にその場で決断するには、厳しいものがある。
「さすがに――」
「失礼します」
天音が断ろうと口を開いたタイミングで、部室の扉が開かれる。
薫の案内でやって来た部長と恵梨が扉口に立っており、恐る恐るといった様子で部室内に足を踏み入れる。
「月見里さん」
「はい...」
部長は大きく深呼吸してから、言葉を続ける。
「無理を言っている自覚はあります。それでも、学内で恵梨の代わりを頼めそうな人は思い当たらないの」
「元はと言えば、私がケガしたせいなんだけどね。......ここまで作り上げてきた曲を、こんな形で不完全燃焼にさせたくないんだ」
2人の言葉に、天音の瞳がゆらぐ。
これまでの自分は、同世代の誰かにここまで求められたことはあっただろうか。
ただ言われるがまま疑問を持つことなく箏を弾いてきたが、求められてきたのは"継続すること"であり、"新しく始めること"ではなかった。
「天音」
「......?」
千果の視線が、真っすぐ自分を捉えている。
私を追い駆けてきて、初めて声を掛けてきた時と同じ瞳だった。
「一緒にやろうよ!」
自分は今、新たな経験を得ようとしている。
天音の心の天秤が、無意識下でカタンと音を立てて傾いた。
「......分かりました」
返答しようと思うよりも先に零れ出た言葉に、天音自身が驚いた。
あまり触れてこなかった音楽への好奇心と、これまでの自身への反抗心。
その双方を親友に後押しされ、月見里天音は新たな一歩を踏み出した。
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