声として伝え、伝えられる時(後編)
千果と天音は、天音が幼少期より通う箏曲教室師範のもとを訪れる。
もう1人の親とも言える存在に本心を明かした天音は、同時に師範の想いに触れる。
籠の鳥が巣立ちを迎える瞬間。
天音は大きく翼を拡げ、飛び立とうとしていた。
Chapter.12 声として伝え、伝えられる時
2人が"先生"宅を訪ねたのは連絡を入れた週の土曜日、吹奏楽部の練習が午前中で終わる日だった。
「着いたわよ」
「......え、ここ?」
伝統芸能の先生宅と言うのだから、てっきり古風な豪邸にでも連れて行かれるのかと千果は思い込んでいたが、天音に連れられた先は極めて一般的、やや古めかしいことだけが特徴の一軒家だった。
表札の横にはこれまた古めかしく"箏曲教室"と記載された看板が設置されており、目的地として間違いでないことは確かだろう。
「伝統芸能の師範だからといっても、世間一般で見れば1人の主婦でしかない。厳格かつ煌びやかなイメージがあるかもしれないが、現実は結構シビアなものだよ」
千果は先日の父の言葉を思い出す。
「("収入面では厳しい"、"希望の象徴"...ね)」
慣れた手付きでインターホンを押す天音の様子を見つめ、口から漏れ出さないよう心の内で独白する。
「いらっしゃい、天音さん。こうやって私の家に来てくれるのは、随分と久し振りね」
玄関から白髪頭の女性が顔を出し、まるで孫を出迎えるような優しい表情を見せる。
「すみません、長らくお稽古からも離れてしまって」
対する天音は、どこか緊張した様子を隠せないでいる。
これから話そうとする内容は、長年に渡って指導を仰いできた"親"とも言える存在との"別離"を示しているのだから、無理もない。
「いいのよ。......さ、あなたもこちらへ」
「あ、はいっ!」
先生から手招きされ、千果も玄関の方へと歩み寄る。
「暑かったでしょう、中はエアコンを効かせてあるわ。年寄りに暑さは禁物だからね。麦茶も冷やしてあるし、ゆっくりお話するにも、先ずは一息つけないと」
そう招き入れる際の表情は出迎えた時とは打って変わり、どこか寂し気な雰囲気を醸し出している。
まるでこれから伝えられる内容を事前に分かっているかのよう、千果には感じられた。
差し出された麦茶を飲み干すと、暑さによるものか、将又、緊張のせいかは分からないが、カラカラに乾いていた喉が湧泉のように潤い、初夏の日差しを浴びて体内に籠った熱もようやく落ち着いた。
「天音さんがお友達を連れて来たのは初めてね。依田多恵子といいます。箏曲生田流の恵梨会を主宰しております」
「や、山中千果です。天音さんとは同じクラスで、友達をやらせてもらっています」
言い切ったところで"友達をやらせてもらっている"と表現した自身の語彙力に絶望を覚え、目の前の2人に隠すことなく溜め息をつき肩を落とす。
「あらあら、面白い子とお友達になれたようね。天音さんはどこか人を寄せ付けない雰囲気があるから心配していたのだけれど、お節介だったかしら」
先生は視線を千果から天音に戻し、会話のパスを渡す。
「今日はお話があって、ここに来ました」
「......続けて」
先生は発言を躊躇するような様子を見せる天音の背中をそっと押すように、続きの言葉を促す。
「先生には小さな時から......幼稚園の時からお世話になっています」
「そうね」
「今年で17歳になる人生の内12年、箏曲を続けてきましたが、一度この世界を離れて別の道を経験してみたいと考えています」
「そう......」
先生は寂しそうな表情を隠すことはなかったが、同時に"分かっていました"とでも言うよう納得した様子も見せる。
「確認したいことがあるから、久し振りに2人で弾いてみない?このところは他のお弟子さんの助演ばかりお願いしていたけど、一緒には弾けていなかったから。爪は持って来ているのでしょ?」
「......はい」
「そうね、"六段の調"にしましょう。いつもあなたに"雲井"を任せていたから、今日は私が雲井、天音さんは平調子にしましょう」
聞き馴染みのない言葉に、千果はポカンとした表情を浮かべる。
「"六段の調"っていうのは、箏曲で最も代表的な曲の一つよ。"雲井"というのは箏の調絃の種類で、元となった本調子の曲と合奏できるよう後から加えられた"替え手"のことね。......あぁ、調子っていうのは箏の調律パターンね」
天音は席を立って和室に移動し、慣れた手付きで襖の奥から楽器を取り出しながら、千果へ曲目と用語を簡単に説明する。
楽器本体から"油単"を外すと、十三ある絃の一本一本に柱を立て調律していく。
「"六"と"斗"が少し高いかしら」
「はい」
千果としてはだいぶ馴染みとなってきた光景だが、天音は最初に調律する第一絃以外は円盤状の調子笛に頼らず調整することが多く、むしろ使用する方が珍しい。
天音と同様に長らく音楽に携わっている千果だが、ここまで正確に調律できるほど音感に自信は持てていない。
「...いいわね」
調律の異なる箏2面の準備が終わると、和室で向き合うように楽器を並べる。
「あれ、楽譜は?」
先生の後ろについて和室に移動した千果が、2人揃って楽譜を用意していないことに気が付く。
「覚えているから、大丈夫」
「ふぇぇ...」
吹奏楽部ではコンクール等でも譜面を広げることができるため、暗譜が苦手な千果は慣れるまで譜面にかじりつき、実際は殆ど覚えていたとしても、譜面を全く見ないという選択を取ることは無い。
千果は2人の邪魔にならないよう部屋の隅に移動して腰を下ろすと、何となく感じ取った雰囲気から慣れない正座の姿勢を取る。
「それじゃあ...」
先生の出す小さな合図でピタリと初音を合わせると、その後の僅かな拍の変化もズレることなく合奏を続けていく。
箏曲の知識がまるでない千果から見れば初めて見る新鮮さがあり、同時に演奏する2人からは積み重ねた練習の成果が感じられる。
一定の拍数で場面が移り変わること5回、計"6段"で構成された純器楽曲は水の流れのように進み、急減速して終わりを迎える。
以前に"古典曲"と呼ばれる楽曲の譜面を見た際に音楽記号など書かれていないことは千果も知り得ており、師弟の阿吽の呼吸により得られる高い完成度は、曲を詳しく知らない千果でも肌で感じられた。
「...うん、最近はどこか迷いがあって弾きも粗さがあったけど、今日は真っすぐと芯のある音だったわ。"六段に始まり六段に追わる"とも言われるように、六段の調べは演者の力量が最も良く表れるもの。私からは他の門下生の皆さんが言うように"基本を忘れた"訳でなく、固められた基礎の上に成立していた安定感のある演奏に感じられた。少し前までのあなたを、久し振りに見られてよかったわ」
「ありがとうございます」
天音は背筋を伸ばした綺麗な姿勢から、小さく頭を下げる。
「決心がついたのね。改めて聞かせてもらえるかしら」
「はい」
今度は先程よりも深く頭を下げるが、その背中からは"申し訳なさそう"な雰囲気はない。
「高校を卒業したら会を離れて、東京の大学へ進学したいと考えています。先生が仰るよう音に悩みが含まれていたとしたら、このままただ箏を続けることへの迷いがあったからかもしれません。高校に入学して以来、自分の将来を考えるたび、新しいことに挑戦したい思いが強くなってきました。勉強でも"生物"や"化学"といった理系分野に興味があって、進学先としてはそういった学部を選ぼうと思っています」
「......そう」
先生は寂しそうに、そして、どこか嬉しそうに声を漏らす。
「分かったわ、天音さんの申し出を受け入れます」
「えっ!?」
2つ返事で了承の意を示したことに驚き、これまで端で地蔵のように鎮座していた千果が立ち上がろうとするも、慣れない正座で足が痺れてしまい、盛大な音を立てて畳に身体を打ち付ける。
「大丈夫?」
「......ちょっと、キツイ」
足を擦りながら苦笑を浮かべる千果に、天音は手を貸す。
「意外だったかしら。"伝統芸能の師範"は頑固で、若鳥の巣立ちを許さない堅牢で閉鎖的な籠とでも思っていたのでしょう」
「いやぁ..」
図星を突かれて曖昧な返答をする千果に、先生は自嘲気味な笑みを浮かべる。
「まぁ、そう思われても仕方がないわね。そういう人がいないと言い切れる訳でないのが事実なのだから。私としても優秀な後継者候補を失うのはとても残念だし、心の中は翻意を促したい気持ちでいっぱいよ」
紡がれた言葉は、包み隠さず本心なのだろう。
悲喜こもごもとでも言えた先程とは異なり心底寂しそうな表情を浮かべ、その様子を見守る天音もこの時ばかりは辛そうな表情を見せる。
「でもね、若者の未来は老人に強制されるべきものではないし、天音さんが目指す"科学者"としての道、学問を探究することは、芸能を極めることに通じる部分もある。それに芸事だって、幅広い教養があればまた違った表現ができるようになる。どんな経験だって無駄にはならない、あなたがこれまで一生懸命に取り組んでくれた経験は巡り巡ってあなたの目指す道に活きるはず。成長を喜び、見守ることも先達の役目。まだ先の話だけど、頑張りなさい」
しかし、長く寄り添った"人生の先輩"の立場へと気持ちを切り替え、その表情は子供の表情を浮かべる。
若輩者の背を優しく押す姿に、噓偽りは感じられなかった。
「ありがとうございます」
天音は立ち上がり、深々と頭を下げる。
雛鳥は大きく成長し、もはや与えられるだけの存在ではない。
見守る親鳥は優しく頭を撫で、大きく育った姿を心から喜んだ。
師弟の合奏後は暫し"女子会"を楽しみ、ふとした拍子で始まった"体験入会"は千果から足の感覚が失われるまで続き、帰る頃には日もすっかり暮れてしまっていた。
「うぅ...歩きにくい」
「私たちは正座に慣れているから......一般的?な加減がつい分からなくて」
これまで部室で過ごす時間の中で、幾度か"お遊び"で箏に触れる機会こそあったものの、本格的な"稽古"は経験がない。
『私も一応は"箏曲部員"になった訳だし、少しは弾けるようにならないとなぁ』
何気なく発したこの言葉は、千果は当たり障りのない日々を過ごしてきた記憶に残る限り、これ程までに後悔したものはないかもしれない。
最初は優しかった2人も徐々に熱が入り、正座を崩す小休止すら許されないまま時間がすぎていった。
「まさか、正座が痛すぎて意識が飛びかけるとは思わなかったよ」
「でも、千果だってせっかく箏曲部員になったわけだし、少しずつ慣らしていかないとね」
「す、スパルタだぁ...」
本音を言えば、膝の痛みで意識が朦朧としていたこともあり、"2人の"先生から受けた指導内容など殆ど耳に入っていなかった。
まだ痛みの軽かった序盤の記憶すら維持できていないなど、口を滑らす訳にはいかない。
「ホント、口が裂けても言えないよ」
「何を?」
「......何でもない。優しい雰囲気の練習曲だったなって、思っただけだよ」
思わず裂けそうになった口を堅く閉じると、千果は深彫りされないよう話題を変える。
「別に口が裂けても言わないことじゃないと思うけど...」
天音が苦笑いを見せ、千果の練習用にと貰った楽譜を鞄から取り出す。
「先生は長野の山奥で産まれて、子どもの頃にこちらへ引っ越してきたそうなの。10年位前までは定期的に生まれ故郷を訪れていたようで、交流のあった地元の子たちが吹いていた曲が気に入って、貰った楽譜を箏譜に直して練習曲としたって、聞いたことがあるわ」
「へぇ、じゃあこの曲、クラリネットでも吹けるのかな」
楽譜を受け取り解読を試みるも箏譜は絃の番号として指定される為、簡単には五線譜へ再変換できない。
「それにしても...」
楽譜を眺める千果を尻目に、天音がポツリと呟く。
「正直、先生が許してくれるとは思ってもみなかった」
「......そうね。私もすんなりと受け入れてくれるとは思ってなかったから、意外ではあった」
先生宅に入る前に見せていた緊張の様子からも、いくらか押し問答の発生を想定していたのだろう。
拍子抜けとまではいかないが、身構えていた程ではなかった。
「でも、先生なりの厳しさはあったと思う」
「.....そうだね」
2人は帰り際の事を思い返す。
正座でぎこちない歩き方をする千果を支える天音に対し、先生は突き放すような言葉を優しく投げかけた。
「天音さん、後はあなたのご家族の問題です。長年、あなたのご家族には私もお世話になっているけど、私は真の意味であなたの家族ではない。他の門下生はともかく、親御さんを納得させるためには、全てあなたが行動をもって解決すべき課題よ。時間が解決してくれるものではないわ。そのことを、重々承知しておきなさい」
天音は一言一句を逃さず記憶し、暗がりに向かって吐き捨てる。
ただの独白ではなく自身に言い聞かせた言葉だと、千果にはすぐに分かった。
「一寸先は闇」
普段の通学路と異なり街灯はポツポツとしか存在せず、殆ど真っ暗といっても過言では無い。
目の前に続く道は、このまま根本的な解決をせずに突き進んだ未来にも見える。
「でも、やるしかないよね」
ようやく歩き方が普段通りに戻った千果が、すぐ先の街灯の下で手招きする。
「どんなに暗い道だって、人は歩ける。進み続けないで、ちょっと戻ったって別に悪いことじゃないと思うよ」
道標は時に目標となり、時に振り返り見るセーブポイントとなり得る。
「それに天音は1人じゃないよ!」
街灯の光の下に達すると、千果は満面の笑みで天音の両手を掴む。
「(そうだ、私は1人じゃない。私には私と関わるために自分を変えてくれた心強い友達がいる)」
天音は小さく笑みを見せ、真っ直ぐと千果の瞳に視線を送る。
真っ直ぐと迷いのない力強い瞳の色に、千果は純粋な眩しさを感じた。
「うん、私も頑張る。私を応援してくれる人のために、私の考えを認めてもらうために」
行きはどこか重かった足取りも、軽やかに前へと進む。
時間はかかるかもしれないが、動かなければ事態は幾らも進展しない。
迷いを捨て覚悟を改めた天音の姿は、千果に今再び憧れの念を抱かせた。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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