守りたい場所(後編)
新入部員の獲得に至らず、箏曲部の同好会降格と部室の没収が決定される。
千果は天音の残念がる姿から真意が部室の没収と異なる可能性を察知するも、友人として一歩踏み込む勇気を出せないでいた。
2人の背中を見る薫は大きく嘆息すると、千果の背中をそっと押す。
Chapter.9 守りたい場所(後編)
4月末から5月上旬の大型連休を2日後に控えた昼休み、旧校舎の箏曲部部室では関係者が一堂に会していた。
顧問の相羽、箏曲部部長であり唯一の部員である天音の他、事実上の根城としている千果と薫もあれこれ理由を付けて同席している。
「結論から言うと、部員を確保できなかった部活動は同好会へ降格させて、部室を引き払ってもらうことになったわ」
部員名簿の提出期限は連休明け2日目に控えており、何らかのアクションを起こそうにも議論の場を設けるのにはギリギリのタイミングだった。
「そんな......どうにかならないんですか?」
「箏曲部は備品も大きいし、楽器の管理も難しい。吹奏楽部や授業と共用になる音楽準備室を使用するよりも、専用の部室があった方がいいと思います」
千果と薫の意見に頷くも、相羽は小さく溜め息をついてから学校側の見解を述べる。
「箏曲部だけじゃないの。夏休みから部室棟として使っている旧校舎の取り壊しが始まることは、知っているよね?」
新入生を除く全員が首を縦に振る。
木造で老朽化が顕著な旧校舎は安全性の観点から取り壊しがかねてより決められており、今更計画を変更することはできない。
弱小部活のためともなれば、尚更である。
「旧校舎で部室棟を確保している部活には活動実績に応じて本校舎の空き教室を一部改装してあてがう予定になっているけど、全ての部活に割り振れるほど教室数に余裕はないの」
「でも、どうにかならないんですか?天音――月見里さんは、中学時代にコンクールで入賞した実績もあるんですよ!」
小学生の頃から箏奏者としてのキャリアをスタートさせていた天音は、小学生と中学生の頃にそれぞれ一度ずつコンクールの入賞歴がある。
友人関係を結んでから知り得た情報を披露して千果が食い下がる様子を、薫が溜め息をついて見守る。
「残念だけど、難しいわね。私も月見里さんが素晴らしい実力の持ち主であることは知っています。だとしても、部活動としての活動実績の乏しい同好会が優先的に使える教室を確保するのは難しいわね」
相羽は深い溜め息をつく。
天音の実力は誰の目にも確かだが、それはあくまで個人としての―それも入学前の―実績で、高校入学後の部活動の実績ではない。
彼女としても何とかしてあげたいところではあったが、少子化の進む地域の学校で進む合理化の流れを食い止めるには、大卒3年目の若手教師の力ではどうにもならなかった。
「せめて、部として維持できれば可能性はあったのかもしれないけど、こればっかりはどうしようもないよ。それに、これは箏曲部の問題。吹奏楽部の私たちが介入していいことじゃないよ」
薫の言うことは最もだと、国語が苦手な千果にも分かる。
吹奏楽コンクール県大会"ダメ金"常連とはいえ、アンサンブルコンテストを始めとしたその他の大会参加や地域イベントへの出張演奏、福祉施設などの慰問演奏、他校(高校や中学校など問わず)との交流会など、部としての活動実績については申し分ない。
吹奏楽部が使用している空き教室を共用することも案として千果は考えていたが、毎日の練習場所確保となると集中した環境とは言えなかった。
空き教室の転用についても各学年の入学定員は定められていることから、本校舎の空き教室数は増えることはあっても予備として余分に確保しておく必要はないだろう。
「千果いいよ、ありがとう。笠原さんの言う通りだし、これは私個人の問題でもあるだろうから。先生も、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ力になれなくてごめんなさい。1学期の間はこの部屋を使えるし、共同利用にはなるだろうけど、和室の使用頻度を上げられるようには手配しておくからね」
相羽はそう言うと、申し訳なさそうな表情で部室を後にした。
「天音、本当にいいの?」
「まぁ、仕方がないからね。私の場合、家でも練習できない訳じゃないし......」
天音は特に食い下がろうという様子もなく、どこか哀愁を含ませた諦めの様子を見せる。
旧校舎の古びた屋内に予鈴が鳴り響き、廊下は同様にギリギリまで部室で過ごしていた面々が慌ただしく移動する足音で賑わう。
「さて、私たちもそろそろ行きましょうか」
「そうだね。千果、行こう」
薫が部室の扉を開き、残りのメンバーが続く。
「(本当に、それでいいのかな......)」
前を行く天音の背中を眺めながら、千果はもやもやとした想いを抱えていた。
「(天音の悩みって、本当に部室のことなのかな)」
しかし同時に、千果の耳に悪魔の声が囁く。
「(大勢に身を委ね、揺蕩うのみ。流れにわざわざ抗い、波風を立てることはない)」
千果は頭を左右に大きく振り、言葉を振り払おうとする。
しかし、この時の千果には、悪魔を屈服させるだけの強い意志と考えを持ち合わせていなかった。
気温も徐々に上がり、新入生もようやく着慣れた冬服をクローゼットにしまって夏服へと衣替えする頃、千果は現代文のテスト勉強などそっちのけで箏曲部の部室確保についての打開策を探り続けていた。
「(部室棟の解体は決まっている。どうやれば部室を分けてもらえるかな)」
千果の頭の中は、結論の出ない議論がグルグルと巡っていた。
つい先日、旧校舎の周囲には7月下旬―正確には1学期終業式の翌々日―に始まる解体工事に向け、施工業者が下見に訪れるなどタイムリミットは着実に近付いている。
「山中、話を聞いているのか?」
前年度に引き続き国語教科を担当するタコ頭こと山本が、上の空といった様子を見せる千果を睨み付ける。
「すみません、考え事していました」
「理数コースとはいえ、文系科目にも集中して取り組めよ。俺の科目で赤点を取ったら、また補習だからな」
「はい」
山本は返事を聞いて満足したのか再び黒板に向かうが、千果は板面ではなく天音の表情を脇目で確認する。
授業中故に悩む様子などは見せていないが、部活動中はどこか悩まし気な雰囲気を醸し出している。
「天音は何を悩んでいるの?」
吹奏楽コンクールの山梨県大会に向けた合奏練習の休憩中、千果は真顔で疑問を投げかける。
「私に聞くな」
但し、投げ掛けた相手は当の本人ではない。
質問に対し、気の利いた返答を用意していない薫は、千果の額に譜面による一撃をお見舞いする。
「月見里さんなら、"親友の"千果の言葉に応えてくれると思うけど」
「そうかな~...そうかな~...」
千果が身悶えするのは質問に応じてくれるかどうかの逡巡か、将又"親友"という言葉への照れか。
後者の可能性を強く感じた薫が、千果に汚物を見るような視線を送る。
「......あーもー、じれったい!」
薫は自身の頭をワシャワシャと搔きむしると、近付けられた千果の丸顔を両手で"ペチン"と音を立てて挟み込む。
「ふぉっ」
「甲斐性無しめ、後で何か奢れよ」
「ふぇっ!?」
薫は両手に力を込め、千果の丸顔を一時的に楕円形に変化させた後、スマートフォンを取り出し天音に連絡を送る。
短く"分かった"とだけ返ってきたメッセージを千果に見せた所で、合奏練習が再開される。
広げられた楽譜は、コンクール自由曲として選ばれた福島弘和作曲の"帆を揚げて"。
進みの遅い帆船を、薫風が優しく後押しした。
薫の指定した場所は、千果と天音が"友達"になった喫茶店だった。
合奏練習後に駆け付けた千果と薫は、図らずもその時と同じ席に通されていた天音と合流する。
「ごめん、待たせたよね?」
「ううん、私も今来たところ」
一同が席につき、それぞれが軽食を注文する。
この後、それぞれが自宅で夕食を控えている訳だが、肺活量を要する吹奏楽はそれなりに体力を要する。
うら若き乙女としては体重計の針先がどこを指し示すのかは常に気になるところではあるが、それ以上に現在進行形で襲い掛かる空腹には抗いようがなかった。
注文を確認した店員が席を離れると、どこか暗い雰囲気が周囲を包む。
天音は自分から意見を発することが少ない上、これまでコミュニケーションを常に主導してきた千果が黙ってしまうと、3人いてもなかなか会話が盛り上がらないものである。
「月見里さんにメッセージを送ったのは、千果が天音のことでどうしても気になっていることがあったからなの」
「私の?」
薫の追い風と天音からの視線を受け、千果は汗をだらだらと流す。
クーラーの効いた室内にしては異様な量が吹き出したが、乙女として気にすべき点を考慮するだけの余裕はこの段階の千果にはなかった。
「あの、さ」
「?」
お冷を飲み干し、氷がコップ壁面とぶつかって"カラン"と立てた音を合図に、千果が口を開く。
「相羽ちゃんから部室の話をされた時に、天音が凄く落ち込んでいたじゃない」
「うん、そうだね。仕方がないとはいえ、高校に入学してからずっと過ごしてきた場所が無くなってしまうのは悲しいもの」
「んー、そうじゃなくてね...」
萎みそうになる勢いを何とか再燃させ、千果が丸顔を"ズイッ"と前方に突き出す。
「場所がなくなるとか、不便になるとか、そんなことを残念がっている様子には見えなかったの。どこか別に、悩みの種になっている部分があるんじゃないかな?」
千果の真っすぐな指摘に、天音は驚いたような表情を見せた後、暫し逡巡する。
考えが一周する度に千果の表情を見て、さらに考えを巡らせる。
「......そうだね、千果の言う通りだと思う」
思案が十周程度巡ったところで天音は溜め息をつき、観念した表情を見せて口を開いた。
「私ね、家だと自由に箏を弾けないの」
「弾けない?」
天音の言葉を聞いた千果と薫はキョトンとした表情を浮かべ、顔を見合わせる。
「え、どういうこと?」
「箏って、そんなに音量を気にしないといけないような楽器だったっけ?」
住宅密集地ならば自宅での楽器練習は近隣への音漏れに十分気を付けなければならないところだが、ここは片田舎で家と家の距離がある程度開いている。
特に、管楽器と比べて箏は音量という点で劣っており、騒音問題は生じにくいだろう。
「音量とかじゃなくてね...えーっと」
合点がいかない様子の2人が真意を確かめようとするも、天音は適切な言葉が思い浮かばないのか返答に窮する。
「親の眼があるのが、ね」
「あー、親が音楽に対して理解がない――ん?」
天音の言葉に対する返答として、千果は瞬時に浮かんだ自分の考えが間違っていることに気が付く。
親が子供の趣味や部活動に理解を示さず、自宅での練習に苦言を呈されることが一定数は存在する。
千果も中学校でクラリネットを始めた当初こそ、自宅に持ち帰った際に父親からやや煙たがられた経験があり、受け入れられるまでに少々の時間を要したことを肌で感じている。
天音はそもそも幼少期より箏曲に取り組んでおり、それも親の勧めで始めたのだろうから理解がないということはないだろう。
「むしろ、親の理解が過剰ってこと?厳しいの?」
「厳しくはない、むしろ優しいと思う」
幼少期からの習い事だと親が厳しく子が辟易することもあるだろうが、当の本人はもう高校生で"大人"に足を踏み入れつつあり、教育的な厳しさは和らいでいることだろう。
現に、天音の言葉からは親への悪い感情は感じられない。
「何というかなぁ...」
天音は大きく溜め息をつき、氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーに口をつける。
「両親やその周囲の人の期待と、自分の考えが全くもって違う時、私はどうしたらいいんだろうね?」
特に意見を求める訳でも、すぐに返答を求める訳でもなく、天音は独りごちるように問い掛ける。
返答に窮する2人の様子を確認してから、天音がゆっくりと口を開く。
天音は普段からどこか近寄り難い雰囲気を纏っていることもあり、周囲に人が寄り付く事の少ない孤高の存在である。
自ら意見を発する機会の少ない天音が言葉を選びながら紡ぐ考えを、2人は静かに聞き入った。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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