表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
負け女と元カレの幽霊  作者: 葛西渚
1章 光莉
8/49

無職からしてみると目的があることは安心する

目が覚めた。限界まで水中に潜っていたみたいに、必死に空気を吸い込む。

「大丈夫、落ち着いて!」

思わず、立ち上がろうとした私を、堀口が宥めた。


「光莉、ここが現実だ。君は大丈夫。ちゃんと生きている」

私の肩に置かれた堀口の両手から、体温を感じる。

先程と違って、五感がはっきりとしていた。

堀口の言う通り、ここが現実なのだ、と落ち着きを取り戻せそうだった。

「落ち着いた?」と堀口に聞かれ、頷く。


目覚めてから、何分経っただろうか。たぶん、五分も経っていないと思うけど、混乱が収まるまで時間が必用だった。


「何か嫌なものを見た?」

「説明できないけど、最悪だった」


堀口は「そうか」とだけ言って、特に追及はしてこなかった。なので、こちらが聞きたいことを口にした。


「一誠の方は、何か視えた?」

「憑いていた」

堀口は清々しいくらい、はっきりと言った。

「どんな霊が?」

「分からない。ただ、光莉に対して物凄い執着を抱いているのは感じられた」


執着って何だろう。そんな疑問に答えるように、堀口は続ける。

「それが、どんな感情なのかはっきりはしなかったが、もしかしたら、恨んでいると言うよりは、助けを求めている、というのが近いかもしれない」

電話の向こうで、悠也は言っていた。俺を見付けて欲しい、と。それは、助けを求めていたのか。


「どうすれば助けられるんだろう?」

堀口は不信感を露わにした。普通なら、除霊の話とか、そういうことを尋ねるべきだったのかもしれない。

「分からない。コンタクトを取ろうと思ったが、拒絶された。と言うより、何だか混線状態みたいな感じで、上手く聞き取れなかった」


混線状態、という感じがどんなものかよく分からなかったが、私は肩を落とした。だが、堀口は言う。


「でも、いくつかヒントになりそうなビジョンは見えた」

堀口はどこからかノートを取り出し、何かを描き始めた。

「……なにこれ?」


それは、堀口が見た何かを絵で描いたものか、と思いきや、区切りのような線と文字で書かれた、記号の集まりらしい何かだった。中心に線で挟まれた「川」という文字があり、所々に丸で囲われた「木」という文字がある。分かりにくいけれど、どこかの風景だと思われた。


「だから、これが橋で、川が流れてて、それを挟むように木が…。で、たぶんこれは裏から見たコンビニ」


それらが何を表しているのか、まったく分からなかったけど、堀口の説明を聞いていると、私の頭の中で風景が構築されていった。


「橋の手すりは白?」

「ああ、うん。そうだった」


「川沿いにずっと道が続いていた?」

堀口は頷く。

「心当たりがあるのか?」


私は立ち上がり、すぐにでもその場所へ向かおうとした。


「待て。そこがどんな場所なのか、もう少し説明して欲しい。そうじゃないと、危険な目に合うかもしれない」

「大丈夫。無理はしないから」


「甘く見るな。こういうとき、思いもよらないタイミングで引きずり込まれることもある。一人で安易に動くことは、本当に危険なんだ。なぜ、霊がこの風景を見せたのか解釈して、準備と安全を整えてから行くべきだ」


解釈も何もない。堀口が見たであろう場所は、私と悠也が一緒に通っていた高校の近くにある道だ。人通りが少ないから、二人で帰るとき、この道を通っていた、私たちの想い出の場所。きっと、悠也はそこで私を待っている。


「本当に大丈夫。私、行くね」

「待って」


引き止める堀口を無視して相談室を出た。受付の女性に「すみません、いくらになりますか?」と聞くと、彼女は助けを求めるように、目を泳がせていた。堀口が相談室から出てきた気配を感じ、財布から一万円を出して、受付の女性に渡し、すぐに去ろうとしたが、間に合わなかった。


「頼むから、落ち着いてくれ」

私の手首を掴んで、制止しようとする堀口。

「離して」


私はまるで反抗期の娘だった。堀口も父親のように諭そうとする。

「俺の話もちゃんと聞いてくれ。そういう、自分こそ正しいと思うところ、直さないと痛い目見るぞ」

堀口の指摘に、私はより反発心を抱く。何だか、私のことをよく知っているような言い方が気に入らなかったのだ。堀口を睨み付けると、彼は心苦しそうな表情は見せたが、退く気はないらしい。数秒、沈黙が続いたが、それを破ったのは受付の女性だった。


「あの」と彼女は消え入りそうな声で言った。


私と堀口は殆ど同時に彼女を見る。怯んだ様子だったが、彼女は声のボリュームを上げた。

「堀口先生、あと十五分で予約のお客様が来られます。準備をされた方が……」

睨み付けると、堀口は諦めるように、私の手を離した。


「今度、時間を空ける。だから、一人で行かないと約束してくれ」

「……わかった」


堀口は受付に置かれた一万円に気付くと、それを取り、私に差し出す。私はそれを、自分に突き付けられた凶器であるかのように見ていたが、結局は折れて受け取ると、拗ねたような態度でその場を去った。




人混みの中、私は怒りを抑えられず、歩いていた。

堀口の偉そうな態度に苛立ったことはもちろんだが、受付の女性がいる前で、まるで痴話喧嘩のようなやり取りを見せてしまったことが、何よりも不快だった。


そして、私と悠也の問題なのに、どうして堀口に止められるのか、と思うと腹立たしくて仕方がない。やっぱり、今から行こうか…とも思うが、一人では行かない、と約束をしてしまった。約束を破ることは、人としてどうなのだ。そんなことを考えると、なかなか足が素直に動かなかった。


そんな風に、駅前の周りをぐるぐると回るように歩いていると、声をかけられた。

「あれ、七海さん。何をしているんですか?」

まだ学生のような浮遊感のある声。市ノ瀬くんだった。


「市ノ瀬くんこそ、何しているの?」

「何って、普通に仕事終わって、帰るところですよ」

「君って、職場この辺だっけ?」


「今日は取材先と打ち合わせがあったので」

私は市ノ瀬くんの顔をまじまじと見る。何かが思いつきそうだ。

「なんですか?」


「ねぇ、この後…暇?」

「特に予定はありませんけど」

「一緒に想い出巡りしない?」

「……はぁ?」


堀口は、一人で行かないと約束しろ、と言っただけだ。別に堀口と一緒に行く、と約束はしていない。


しかし、私はすぐに後悔することになる。霊的なトラブルを甘く見てはならない、と。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ