恨まれているから信頼できる
堀口が指定した場所は彼の職場で、賑やかな駅の前にあるファッションビルだった。しかも、私の職場からも近い。もしかしたら、私たちはどこかですれ違っていたのだろうか。
ビルの地下一階にある小さなカフェで待っていると、時間通りに堀口が現れた。
「久しぶり」と言って彼は無表情な顔で正面に座る。
驚いたことに、彼はスーツを着ていた。私と付き合っていたとき、一度も着ていなかったはず。それに、外見もやや変わってるようだ。あの頃は、痩せすぎと言えるような体型だったが、健康的に見えた。
「忙しいのに、ごめんね」
「いや、良いよ。元気だった?」と彼は溜め息交じりに言った。
煩わしい、と暗に伝えているのだろう。
「まぁ、うん…」と私は答える。
「でも元気だったら、俺に相談なんて、しないよな」
堀口はどこか自虐的な色がある声で笑った。
「ごめん」
咄嗟に出た言葉に、堀口が眉を潜めた。ここで謝るのは、間違いだったかもしれない。
「仕事、上手く行ってるみたいだね」
「……そう見える?」
堀口の表情がやや柔らかくなった、気がした。
「うん。言い方が変かもしれないけれど、大人になったって言うか、充実しているように見える」
「そうかもしれないな。実際、今までやってきた仕事の中で一番合っていると、俺自身も思っている」
微笑みを浮かべる堀口。仕事のことで、こんな顔ができるなんて、それだけやりがいを感じているのだろう。私だったら、仕事の話でこんな顔、絶対できない。堀口は続ける。
「今までは霊が見えても、不自由なことばかりだった。怖いし、体調もすぐ悪くなる。周りからは気持ち悪い言い訳を並べているようにしか見えないだろうし、信じてもらえるわけがなかったけど、今はそんな俺が求められている」
それは、まるで私に向けられた言葉のようでもあって、コメントに迷った。
「あと、昔よりも、自分の力を制御する方法とか、嫌なものを見たときの対処法とかも分かってきたと思う。だから、生活に支障がでることも殆どなくなったんだ」
そうだったのか、と私は今更知る。自分が経験して初めて、彼の苦しみを少しだけ理解した。
「良かったね、いい仕事が見つかって」
「それで、相談のことなんだけど、もう一度説明してもらえるかな」
堀口が話題を変えた。私が過去のことを思い出して、暗い気持ちになりつつあったことに気付いたのだろうか。だとしたら、スマートな立ち振る舞いだ。きっと、周りから頼られるくらい、仕事もできるのだろう。
「実は、嫌な夢を見るようになって、ぶつけてもいないのに変な痣が出て……」
私は夢の内容や痣について説明したが、死んだはずの悠也から電話があった、ということは伏せた。
「これって、何かに取り憑かれているの?」
「まだ判断はできない。最近、疲れていたり、強いストレスを感じたり、そういうことはある?」
私は会社が潰れた話をした。
「なるほど。誰かに恨まれる覚えは? 誰かに恨まれたり妬まれたり、それが原因で生霊に取り憑かれるってパターンもあるんだ」
私を恨んでいる人間…と聞いて、最初に思い浮かぶのは、正直言って目の前にいる堀口だ。しかし、本人を目の前にしているのだから、こう言うしかない。
「分からない…心当たりはない、と思う」
「そうか…じゃあ身近で亡くなった人は?」
言われて思い浮かぶのは、やはり悠也のことだ。
「あのさ、死んだ人から電話がかかってくるってこと、あるの?」
突然、話題を変える私に、堀口は僅かに眉根を寄せたが、質問に答えてくれた。
「ないことはない、と思う。俺は体験したことないが、そういう体験談を聞いたことはあるし、相談されたこともあった。でも大体は…」
堀口は少しだけ言い淀んだが、目を逸らして続けた。
「大体は嘘だ。誰かのイタズラとか自作自演…そうでなかったとしても、本人の思い込みや精神的な苦痛による幻聴だな」
「……そうなんだ」
私の沈黙に暫く付き合う堀口だったが「取り敢えず」と切り替えた。
「憑いているかどうかだけでも、ちゃんと視ておこう。実害がありそうなら、祓ってやるから」
「うん。じゃあ、お願いします」
そう言いながら、もし私に憑いている霊が悠也だとしたら…と思い直す。
「取り敢えずは、取り憑かれているかどうか、だけ見て欲しい」
「祓う必要はないってこと?」
「うん、取り敢えずは」
堀口は私が何を考えているのか理解できず、戸惑ったようだが、結局は頷いた。
「ここでは無理だから、上の相談室を使うけど、それは構わないか?」と堀口は言う。
「うん。あ、相談料は…どれくらい?」
「いらないよ」
「そういうわけには…だって、プロに見てもらうんだから」
誠意を見せようと身を乗り出す私だが、堀口は本心を見透かしているかのように薄く笑った。
「霊の存在を信じていない人間から金を取るのは、詐欺みたいで嫌だから」
私は言葉を詰まらせる。そんな私の表情を見て、堀口は「冗談だよ」と笑った。
「昔、迷惑かけたから。今度こそ、そのお詫びとして無料にさせてほしい」
そう言う彼の表情は、昔では想像できないほど大人びていた。私は「そういうわけにはいかない」と何度か言ったが、堀口は引かなかったので、引き下がることにした。
「気にしているみたいだから、先に言っておく」
カフェを出る直前に、堀口が言った。
「正直、俺は光莉を恨んでいた」
きっと、私は表情を失い、茫然と堀口を見つめたことだろう。堀口もどこか決まり悪そうに続ける。
「今だって、色々と割り切れないこともある。全く恨んでないとも、言えない」
「……ごめん。やっぱり、帰るよ。一誠に相談するなんて、本当に図々しいことだよね」
席を立とうとする私を堀口は引き止める。
「そうじゃない。最後まで、聞いてほしい」
私はこれから言われることを怖れ、逃げ出したい気持ちだったが、それは堀口に対してさらなる非礼を重ねることでしかない。覚悟を決め、浮かせた腰を戻すしかなかった。
「恨んでいる部分はあるけれど、感謝している気持ちもあるんだ。あのときの俺を支えることは、本当に難しかったと思う。でも、光莉は長い時間、傍にいてくれた。その恩に少しは報いたい。だから、ちゃんと視させてくれ」
「……分かった。お願いします」
私は小さく頭を下げた。顔を上げて堀口を見ると、彼は少しだけ安心したかのように笑顔を見せた。私もほっとして、つい笑顔を返す。
今の彼なら、信頼できるかもしれない、と思った。それは、彼の成長を目にしたから、とういうだけではない。何となく、私に好意を持っていないからこそ、安心して視てもらえるような気がした。ただ、悠也のことは伏せたかった。これ以上、堀口に恨まれることが、恐ろしかったのだ。