青春は取り戻せるものではない
芽久の訓練は順調に進んだ。彼女は熱心に通い、俺の話を聞いて力のコントロールを学んだ。
「窓を開いたり閉じたりする動作をイメージするんだ。今の芽久は窓が常に開いた状態になっている。だから、自分の意思に関係なく、他人の気持ちが入ってきてしまう。無駄にそういう声を聞きたくないときは、窓を閉めるイメージを浮かべて、オフの状態にするんだ」
「窓? こう、ガラガラって?」
芽久は手を左から右へ移動させた。
「イメージしにくいならドアでも良い。何かを開く、閉ざすというイメージが重要なだけだ。上手くイメージできるなら、スイッチのオンオフでも問題ない」
「え、わかんない。どうすれば良いの?」
「じゃあ、この相談室のドアでも良いだろう」
「うーん、やってみる」
こんな感じで一週間も続けていると、芽久はコツを掴み始めた。だが、殆どの場合は切り替えられても、自分の興味や関心が強い場合は、オフのつもりでもオンの状態になってしまうらしい。
「オフに切り替えられたか?」
「おっけー。じゃあ、質問してみるから、いいえで答えてね」
「いいぞ」
「えーっと…堀口さんは高校時代に彼女がいた」
「いいえ」
「……え、本当にいなかったの?」
「オンになっているだろ?」
「あっ」
「あっ、じゃないだろうが」
こんな調子だ。順調にいけば、芽久の力は安定し、少なくとも親から「悪霊に取り憑かれている」なんて言われることもなくなるだろう。報告する度に、諏訪部さんも満足した顔を見せ、すべてが上手く行って、あるべきところに落ち着くように思われた。
しかし、芽久という人間の性格上、この件が簡単には終わることはなかった。
その日は、午後になってから職場へ顔を出した。俺の時間は芽久のために確保されているので、彼女がやってくる夕方まで暇なわけだが、家にいても何もすることがないので、早めに出勤してみたのだ。芽久の行動に突発的なものはないし、そろそろ他の予約も入れてもらうように、諏訪部さんに交渉してみようと考えていた。そんなときに、芽久から電話があった。
「もしもし」
「ねぇ、一誠くん」
「一誠くん?」
「あ、あのさ…今から迎えに来て。学校まで」
「まだ学校が終わる時間には早いだろう。どうかしたのか?」
「良いから、迎えに来て。そうじゃないと、私おかしくなりそうなの。私のことが心配なら、すぐに来て」
「まさか、イジメでもあったか?」
「とにかく、いつのも車で校門の前まで来て。待っているから」
「……分かったよ」
俺は今、上司と言うべき諏訪部さんよりも、この生意気な女子高生が逆らえない。今すぐ来い、と言われたら行くしかないのだ。電話を切って、諏訪部さんに「九条の娘さんが」と言うと、彼は頷いて、俺を追い払うかのように手を振るのだった。
指定された通り、芽久の通う学校の前に車を止めた。取り敢えず、到着したとメッセージを送ると、数分のうちに芽久が姿を現した。しかし、何だか嫌な予感があった。と言うよりも、芽久が嫌な何かを引き連れていたのだ。それは霊的な意味ではない。物理的なものだった。
「一誠くん、来てくれてありがとう」
俺は「一誠くん」という呼び方には触れず、取り敢えず愛想を振り撒くことにした。それは芽久に対してではない。彼女の後ろで物珍しそうにこちらを覗き込んでくる女子たちに対して、だ。ヒソヒソと囁き合う彼女らに芽久は振り返ると、作った声を出した。
「これで良いかしら? それではみなさん、今日のところはお先に失礼します」
そんな芽久の気取った挨拶に、女の子たちは黄色い声を上げた。芽久はそれに背を向け、車に乗り込む。
「行こう」
「行くって…どこに?」
「取り敢えず、出して!」
「なんだよ、少しくらい説明してくれよ」
吐き捨てるように言いながらも、やはり逆らえない俺は車を走らせた。気のせいか、後ろから女の子たちの悲鳴のような声が聞こえたみたいだった。
俺と芽久は暫く黙ってドライブに興じた。だが、十分に学校から離れると、芽久がやっとのこと口を開いた。
「堀口さん、ごめんね。怒った?」
「何が? っていうか、何が起こったんだ?」
「まぁ…うん、色々だよ。そんなこと良いから、これからどこかに連れて行ってよ。デートってことで」
明らかに何かを誤魔化そうとする芽久に俺は溜め息を吐く。
「説明するんだ」
「……はい」
芽久は観念したらしく、俺を呼び出した理由を語り始めた。
「ほんと、下らないことなんだけどさ、吉田って男子がクラスにいるのね。そいつが教室の隅で本ばっかり読んでいるから、声かけてみたの。何読んでるの、って。でも、吉田のやつがよく分からない話を延々と説明してきてさ、私も困っちゃって適当に話を切り上げたの。そしたら、さっきの女の子たちがそれを見てて、もしかして吉田のこと気になっているの、とか言ってきてさ。そんなわけないじゃんって言ったけど、しつこいわけよ。だから、私は年上の彼氏いるんだから、吉田なんて興味ないって言ったんだけど、だったらその彼氏を見せろって言われちゃって…。それで一誠くんに助けを求めちゃったって話し」
「堀口さんと呼べ」
「……はい」
それで一誠くんか。納得したものの、俺は頭の中で吉田とやらに、とことん同情した。きっと、同級生の女子と話したことがない彼…いや下手をしたら異性はお母さんとしか話したことがない彼が、何の変哲もない日だと思って学校にやってきたのに、芽久みたいな女から唐突に話しかけられてしまったのだ。
きっと、彼の世界はひっくり返ったことだろう。心臓が変な音を立てたに違いない。それなのに、芽久のやつはどうせ、友達にからかわれて、大きな声で「吉田なんて興味ない」と反論したはずだ。彼の心は今、どんな状態か…。
「だから、話しかけるなって言っただろう」
「そうだけどさぁ、堀口さんも昔はこんな感じだったって言われたら気になるじゃん」
「気にするな。お互いにとって良いことがない」
「私は良いことあったよ」
歌うように答える芽久。しかも意外なことを言うので、俺は単純に興味を抱いた。
「良いことって?」
「堀口さんが迎えに来てくれたこと」
「……こっちの気持ちにもなってくれ」
「えー、一緒にいられる時間が長くなったんだから良いじゃん。これから、毎日学校まで迎えに来てもらおうかな?」
「それこそ、勘弁してほしい」
俺は溜め息を吐いたのだが、芽久はどこか嬉しそうだった。そして、少しの沈黙の後、彼女は昔を懐かしむような表情を見せた。
「私、もっと早く堀口さんに会いたかったなぁ」
騒がしく図々しい女だとは思うが、芽久は良い子だ。ここ最近の俺は、朝起きることがそれほど苦痛ではない。生活の変化と言えば、芽久しかないだろう。彼女は俺に興味を持っているらしいが、俺はどうなのだろうか。
少なくとも最初に抱いた感情とは、やや違ったものになっているのは確かだ。でも、もし俺と芽久がもう少し早く出会っていたら、どうだったのだろう。それは何度考えても、同じ結論に至る。俺は彼女を幻滅させることがなく、本当に良かったと思うのだった。




