元カレの今カノから電話がありました
「悠也さん、貴方のところにいませんか?」
悠也の番号から着信。しかし、その声は神崎依織だった。
ということは、私と悠也の関係がバレた、ということだ。
「なんのこと? …会ってないけど」
冷静を装って答えるが、声が震えないよう必死だった。神崎依織と十年ぶりに会話していることも、私にとっては異常な事態なのだ。
「そう。三日も行方知らずなんです」
そんな私の心情を知ってか、神崎依織は飽くまで静かに言う。同級生なのに丁寧語、というスタンスも変わっていないところが苛立たしい。
「もし、悠也さんに会ったら、私に連絡を入れるようにお願いしてもらってもいいですか?」
「……会うことはないと思うけど、機会があったらそうする」
嘘がバレているのは明白だけど、開き直るわけにもいかない。そんな私を嘲笑うわけでもなく、神崎依織は色のない声で言った。
「お願いします」
電話が切れた。通話終了を知らせる携帯端末の画面を見つめ、暫くは黙っていたが、次第に頭の中が煮えて行くような感覚に襲われる。
「あー!」と叫びながら、携帯端末を投げた。
怒りに身を任せた行為のつもりだが、どこか冷静な自分がいて、携帯端末を放り投げた先は、柔らかいソファだ。しかし、ソファの弾力に跳ね返り、結局は床に落ちて、少しだけ心配になるが、僅かな意地で拾い上げるようなことはしなかった。
「誰からの電話だったんですか? そんなに怒っちゃって」
甘えるように、私の腰に腕を巻き付けてきたのは、市ノ瀬柊真――市ノ瀬くんだ。
「……神崎依織だった。しかも、悠也の番号からかけてきた」
私の太股をなぞるように動いていた、市ノ瀬くんの指が止まる。
「もしかして、バレちゃったんですか?」
「……たぶんね。でも、大丈夫。君のことは、バレてないと思う」
市ノ瀬くんは私から離れると身を起こして、隣に座った。ベッドで並んで座る私たちは、ほとんど全裸だ。
「まぁ、バレたとしても、僕は痛くもかゆくもないですけど」
市ノ瀬くんは、本当にどっちでも良いらしく、気楽に笑って見せる。
「神崎先輩は何て? 悠也先輩に関わるな、とか…そんな話ですか?」
「ううん。悠也が三日くらい行方不明らしくて、何か知らないかって聞かれた」
「へぇ」
沈黙が流れる。先に耐えられなくなって、市ノ瀬くんの方を横目で見てみると、彼は薄笑いを浮かべてこちらを見ていた。
「何?」とぶっきら棒に聞く私。
「心配なんですか?」
私を試すように市ノ瀬くんは言った。
「少しはね」
「もしかして、七海さんは…悠也先輩が自分の家に来ているんじゃないか、って考えています?」
「……そんなわけないじゃん」
「結婚が怖くなって、婚約者から逃げ出して、優しかった元カノのところに逃げ込むとか、ありそうな話ですけどね」
私は黙る。市ノ瀬くんに煽られて、不機嫌になりたくはなかったが、どうしても隠せなかった。
「七海さんって、分かりやすいですよね」
市ノ瀬くんは笑うと、また私の腰の辺りに腕を絡めてきた。
「でも、駄目ですよ。今日は朝まで一緒に過ごすって、約束しましたよね」
「そうだけど…」
小さく抵抗する私だが、結局は市ノ瀬くんにされるがまま、体を許した。
朝方、眠る市ノ瀬くんを起こさないよう、彼の部屋を出て、始発の電車で家に帰った。私の部屋の前で、悠也が座っているのではないか、なんて思ったけれど、そこには誰もいない。部屋の中も、当然誰もいなかった。
「なーんだ」
呟くと、余計に虚しさが込み上げてきた。こんなことなら、市ノ瀬くんと二人で、昼まで怠惰な時間を過ごせば良かった、と後悔する。
しかし、電話が鳴った。公衆電話、という表示を見て、私は半ば確信しながら電話に出た。
「悠也?」
「うん。連絡できなくて、悪かった」
「行方不明って聞いたけど、大丈夫? どこにいるの?」
興奮気味の私に、悠也は穏やかだった。
「行方不明? 何の話?」
悠也は親友からの悪口でも耳にしたように笑った。
どうやら、あれは神崎依織の嘘だったらしい。私は神崎依織の前で取り乱したり、変なことを口走ったりはしなかったことに、胸を撫で下ろしたが、すぐに彼女への怒りが湧いた。でも、それよりも悠也が無事であることは、何よりも喜ぶべきことだ。
「…何でもない。忘れて」
神崎依織の名前を出すのも嫌だったので、私は別の話題に切り替え、他愛もない話を交わした。
「それより、何で公衆電話なの?」
何気なく聞いただけの私の質問に、悠也は黙ってしまった。何だか嫌な沈黙だった。私は「悠也?」と呼びかける。
「光莉、お願いがあるんだ」
「なに?」
「もう一度会って、伝えたいことがある。だから、俺を見付けて欲しい」
「どういうこと? どこにいるの?」
意味が分からなかった。何かのゲームだろうか。少しくらいルールやヒントを教えて欲しいところだったが、電話は切れてしまった。
とにかく悠也が無事だったことに安心した私だったが、次の日、またも神崎依織から電話があった。この前と同じ、悠也の番号から。
「悠也さんが、遺体で発見されました。自殺みたい」
「……え?」
自殺って、つい昨日話したばかりではないか。あのとき、そんな兆候はなかった。いつものように穏やかに笑って、ただ最後に妙なことを口走ったこと以外、いつもの彼だった。
「伝えておいた方が良い、って思ったから」と神崎依織は言う。
「あの…死んだっていつ?」
「三日前、です」
「……そんな」
そんなはずはない、と言いかけて、私は止まる。
それから、神崎依織とどんな話をしたかは、覚えていない。気付いたら、電話は切れていた。
私は携帯端末の画面を眺めたまま、暫く停止したが、有り得ないことだ、と思考から切り離した。神崎依織は、どういうつもりなのか、私をからかっている。いや、自分の男の浮気相手なのだから、嫌がらせするのも当たり前なのかもしれない。
面倒なことになった、と思いながら、私はその日、のんびりと暮らした。
だが、神崎依織の話が嘘ではなかった、とすぐに知る。実家の母から電話があったのだ。だとしたら、公衆電話からかかってきた電話はなんだったのだろうか。この謎は呪いとなって私を苦しめることになるとは、この時点では知りもしなかった。