エコーとナルキサス
エコーは森に住む泉のニンフです。
美しい森の奥、泉のそばで暮らしています。
あるとき、エコーのもとにゼウス様がきてこう仰いました。
「すまないが、これから泉の女神とデートだ。誰かに聞かれても私が来たことは言わないでくれ」
「畏まりました。仰せの通りに」
まぁ、いつものことです。
暫くしてそこにヘーラ様がやってきました。ゼウス様の奥様です。
「ゼウス様は来なかったかい? おっと、嘘はいけないよ」
「ゼウス様はこちらには……」
どうしたことでしょう。エコーがゼウス様に言われた通り答えようとしたのに声が出ません。
ヘーラ様に呪で縛られてしまったので嘘を吐けなくなってしまったのです。
「ゼウス様は……」
「どうした? 言えないことがあるのかい?」
ヘーラ様は口の端を上げるとエコーを睨みます。どうしましょう。
ゼウス様にも呪で縛られているので本当のことを言いたくても声が出ません。
「そうだ、ナルキサス様!」
やっとの思いでエコーが口に出せたのはここにはいない、ナルキサスの話でした。
「ナルキサス様は素敵なんですよ〜」
「いきなり何の話だい」
「いえね、先日ナルキサス様にお会いしたんですが、私の声が可愛いって褒めてくださったんです」
そうです、エコーはゼウス様のことは嘘も本当も言えなくなったので話を逸らすことにしたのです。
「私が聞いているのはゼウス様のことだよ」
「それは承知しております。でもね、ナルキサス様は私を褒めてくださったんです」
「あーもう五月蝿い。お前はもう、ずっと他人に言われたことだけ言えばいいよ」
こうしてエコーは自分から声を出すことができなくなってしまいました。
数日後、ナルキサスがエコーを見つけると近寄ってきました。
「エコー、こんにちは」
「こんにちは」
「暫く振りでしたがお元気でしたか?」
「……お元気でしたか?」
ヘーラ様の呪は未だ効いたままです。
「えぇ、私は元気ですよ。エコーはどうでした?」
「……どうでした?」
ナルキサスの顔色が少し変わります。
「私を馬鹿にしているのですか?」
「……馬鹿にしているのですか?」
エコーは呪のことを伝えたくても伝えられません。
「何か事情があるのですか? 私にできることはありませんか?」
「……できることはありません……」
「そうですか、わかりました。もう2度と来ないでしょう」
ナルキサスは気色ばむと立ち去ってしまいました。
「……来ない……」
全体、誰の所為なんでしょうね。
エコーは会話ができないので、他のニンフからも疎まれ始めました。
段々みんなと食べ物を交換することもできなくなりました。
そして、段々に痩せ衰えていきました。
ある日、それを知ったパーンがやってきました。
「エコー、かわいそうに。僕が慰めてあげるよ」
「……慰めてあげる?」
「ほら、言ってみろ。私はパーンに嫁ぎますって」
そうです。パーンは呪に縛られていることに気づいたのです。
「私は……」
「なんで何も言わないんだ! お前まで僕を馬鹿にするのか」
突然怒り狂ったパーンはエコーに襲い掛かりました。ろくに食事をしていないエコーには為す術もありません。
引き千切られたエコーの身体はパーンにばらばらにされて、あちこちの山に投げ捨てられました。
呪の所為で死ぬこともできないエコーは、あちこちの山で今でも誰かのことばを叫び返しているのです。
さて、一方見た目だけは美しいナルキサスはどうしたでしょう。
実はナルキサスはその美しさから、ニンフからちやほやされていたのです。
声が美しいエコーにナルキサスが惹かれたのも、自分より美しくないニンフを馬鹿にしていたからでした。
ある時、ネメシス様の耳にもエコーの悲劇が届きました。
ネメシス様は、配下のニンフたちもナルキサスに馬鹿にされていたことに常々苦々しく思っていました。
そこで今度こそ我慢ならず、ナルキサスを呼び出すことにしました。
「お前はもう少し、自分に恋い焦がれる相手を思い遣ることを覚えないといけません」
「何を仰るんですか。私よりも美しくない者が勝手に恋い焦がれているだけではありませんか」
その余りにも傲慢な態度にネメシス様は溜息を吐きました。
「それではお前には、ここを出て最初に顔を見た者に恋い焦がれ続ける呪をかけましょう」
「仰せのままに」
流石にナルキサスもネメシス様の呪には敵いません。
美しくもないと思っているニンフたちの顔を見たくないので、呪が薄れるまで山に篭って狩をすることにしました。
そうして数日後、一休みしようとしたナルキサスはかつてエコーがいた泉のほとりにやってきました。
ナルキサスは鏡のように凪いだ泉に近づきました。
「な、なんて美しいんだ」
そうです、ナルキサスは泉に映った自分の姿に恋してしまったのです。
もう狩どころではありません。強い呪の力でナルキサスは泉から離れられなくなってしまいました。
日がな一日水面に映る自分の姿を眺めて、段々に痩せ衰えていきました。
「あー、呪に縛られるとはこう言うことか。エコーも呪に縛られて苦しかったのだろう。僕は気付いてやれなかった。できることなら謝りたい」
後悔先に立たずとはこのことです。
「……謝りたい?」
そうです。ここにもエコーの欠片は残っていたのです。
「あぁ、エコー。君は未だいたのか。済まなかった。でも、もう、僕はおしまいだ。最期に君の声を聞けてよかった」
「よかった……」
「あぁ。エコー、さようなら」
「さようなら……」
そうしてそこには、水面を覗くように咲く水仙の花だけが残ったのです。
これがやまびこと水仙の由来です。
お読みいただきありがとうございます。
昔読んだギリシャ神話の本を思い出しつつ独自解釈を加えて書いてみました。
宜しければ★を並べて評価してやってくださいませ。あ、いいねもお願いしますね。未だ殆どもらったことがないもんで。
え? 諸々の創作はどうなった? 頭ん中ではイメージが拡がっているんですがねぇ……