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四章 不穏に包まれる日常

 八月の中盤、ヴァルキリー家で事件が起こった。

「神の遺産が奪われた?」

「えぇ、そうみたいです。しかも、奪った人間は俺の兄……ニールです」

 シルバーが言うには、彼の兄ニールは刻印がなく、素行も悪いことから数年前に廃嫡されたそうだ。恐らくその恨みが今回の犯行に繋がったのだろうということらしい。

「そうなんだね……君の兄がいる場所は大体把握している?」

「えぇ。……多分、ヴァルキリー領地の東側にある塔のところにいるかと」

「分かった。来週までに準備するよ」

「悪いな、先生。王国内の問題をここまで持ってきてしまって」

 ユーカリが申し訳なさそうに言ってきたので、アイリスは「大丈夫。今月の課題はこれになるだろうし、生徒の家の問題ならなおさら解決してあげたい」と笑った。


 授業の後、後片付けを手伝ってもらうさなかユーカリに王国貴族について教えてもらった。

 曰く、ディオース大陸の貴族は基本的に刻印がないと爵位を継げないらしい。王国貴族はその中でもかなり根強いらしく、特にシルバーの家……ヴァルキリー家は山の向こうが異民族であり、常に争いが絶えないことから防衛の要となっているようだ。今は休戦状態なのだが、いつまた争いが起こるか分からない……その中で前王、つまりユーカリの父が亡くなってしまったから極限の緊張状態なのだ。だから、ユーカリは自分でも何かをやりたいらしい。

「なるほどね……」

 そんな中、何も考えぬ無能な政治をやっていたら確かに国家が崩壊するだろう。

「……確か、ヴァイオレットは今週来るみたいだからその時に意見をもらってみようか」

「そうだな。彼女は無駄に知識を得た大人よりも頭がいいからな」

 ヴァイオレットなら、いい知恵を与えてくれるだろう。問題解決の糸口を教えてくれるかもしれない。アイリスはそう信じた。



「神の遺産……ヴァルキリー家のものだから、「シュッツァー」か……」

 ヴァルキリー領地で盗賊退治の依頼をしたばかりのヴァイオレットが頬についた赤い液体を拭っていると、ユスティシーが「危険じゃないかしら?」とユスティシーが言ってきた。

「まぁ、確かにね。ニールさん、だっけ?ヴァルキリー……眷属「アパル」の血を引いているけれど、刻印はないんだったよね」

「えぇ。下手をすれば暴走して魔獣になってしまうわ」

 でも、今さらどうしようも出来ないというのも確かだ。何度も言っているが、ヴァイオレットはあくまで「義賊」だ、アリシャ教の信者どころか士官学校の生徒でも何でもない。唯一何かあるとするなら「王国の貴族の血筋」であることだけ。そんな人間が教団の行動に口出ししていいものではないだろう。月に一度、(大司教に内緒で)修道院に来るぐらいなら平気だろうが、下手に何かやったら大司教に目をつけられてしまう。最悪、修道院に閉じ込められるだろう。なぜならヴァイオレットは「女神の器」であり、「女神の生まれ変わり」と言われているからだ。前に行った時も、ディアーに報告しただけでアヤメには一切顔を見せなかったのだ。どれだけアヤメを警戒しているか、これだけでも分かるだろう。

「……でも、指をくわえて見ているっていうのも性に合わないね」

 恐らく、シルバーの兄が暴走して魔獣になってしまうのは変えられない。騎士団の者もいるだろうから、ユスティシーの力を借り、死体を偽造して救い出すというのも、部外者だから無理だろう。それならせめて、楽に死なせてあげるのが今のヴァイオレットに出来る優しさだろう。

「まぁ、そうなるわよね……」

「士官学校にでも潜入していたら、また別に作戦を考えられたんだけどね」

 あぁ、とりあえず依頼を終えたのだから依頼主に報告して、大修道院に行く準備をしなくては。



 日曜日の朝、約束通りヴァイオレットが来たのでアイリスは自分の部屋に入れる。

「待ってて。ユーカリももうすぐ来ると思うから」

「分かりました」

 ヴァイオレットはアイリスの淹れた紅茶を飲みながら、自国の王子が来るのを待つ。優雅に飲む姿は、やはり貴族の娘なのだと思い知らされた。

「……これ、カモミールティー、でしょうか」

「そう、よく分かったね」

「いい香りがするので」

 お茶菓子も遠慮しないで食べて、と勧めるとヴァイオレットは「じゃあ、そのクッキーをください」と言ってきたのでそれを小皿に乗せる。その時、ノックの音が聞こえてきた。

「ユーカリだ、遅くなってしまってすまない」

「開いてるよ、入ってきて」

 アイリスが声をかけると、扉が開いた。ユーカリはヴァイオレットの様子を見て、「悪い、休憩していただろうか?」と聞いてきた。

「いえ、大丈夫ですよ。……ガザニアさんは?」

 義賊は笑いかけた後、彼の傍に仕えている従者がいないことに疑問を呈した。

「ガザニアなら、アドレイ……級友と共に食事を作ってくれている。昼過ぎに持ってきてもらうよう言っているから、食べてやってくれ」

「あぁ、なるほど。分かりました、楽しみにしていますね」

 それはアイリスも楽しみだ。二人共、料理が得意だからきっとおいしいものが出来るだろう。

 世間話を少しして、本題に入る。

「まず、ヒイラギ卿の反乱について……やはり、西方教会がそそのかしたんでしょうね。民家から反乱を指示する書簡が見つかりました。証拠として持っていてください」

「あぁ、ありがとう」

「それから、フレットの悲劇では魔法も使われた可能性が高いですね。どう考えても、普通の炎ではないものが使われた形跡……魔法陣がありました。薄くなっているので、調査するなら早めの方がいいと思います」

「なるほど……時間がある時に信頼出来る調査団を送ってみる」

 まずはヴァイオレットが調査報告をする。ヒイラギ卿は実の息子を教団に殺され、悲しんでいたところを西方教会にそそのかされた、と考える方が自然らしい。何しろ西方教会はアリシャ教会の中でも低い立場らしい。それに不満を募らせ、数年前からアヤメに反逆しようとしていたというのだ。つまるところ、ヒイラギ卿は西方教会に利用されていただけ、とも言えるそうだ。

 それから、フレットの悲劇……そこはまだ調査が必要らしい。重要なところがまだ見つかっていないらしい。

「……それで、何か聞きたいことがあるんですよね?」

 報告が終わり、ヴァイオレットが尋ねる。分かっていたような口ぶりだ。

「……お前も分かっている通り、四年前から王国は危機的状況に陥っている」

「……前王……アルバート様が亡くなってからですよね」

「あぁ。俺の伯父も、民のことを一切考えぬ政治をやっている。そんな中、俺が民のために出来ることは何だろうか?」

 ユーカリの質問にヴァイオレットは考え込む。そして、

「……それなら、近くの町の様子を見てみましょうか。もしかしたら、これから国を治めるうえで何かの参考になるかもしれない」

「そんなことでいいのか?」

「えぇ。……厳しいことを言うのであれば、注意してそれでも改めないのなら追放する、というのがいいでしょうけど、難しい話ですからね。それならユーカリ様がそうならないよう、裕福な町を見てみて自分が王になった時、参考に出来ることを探す方が有意義です。それから、貧しい村には何が必要か聞いてみる、とか。もちろん、出来ないこともあるでしょうから、そこは区別して、ですが」

「なるほどな……なら、異民族との関係は……」

「望ましいのは会談を開くことでしょうが……今の状況ではそれは難しいかもしれませんね。とにかく今は刺激しないことを心掛けて、ユーカリ様が王位に就いたら話し合いをしてみるのがいいでしょう」

「やはり、そうなるか……。こういう時、ヨハン殿の孫娘ならどうするだろうか」

「……………………」

 ユーカリがユースティティア家の当主の名前を言うと、ヴァイオレットはピクッと眉を動かした気がした。

「……どうしたの?ヴァイオレット」

「え?いきなり何ですか?先輩」

「いや、その……ヨハン殿の名前を出したら、眉が動いた気がしたから……」

「……いえ、何でもありませんよ」

 なら、最初の間は何なのだろうか。気になったが、彼女は話さなそうだ。

「ちなみに、なぜヨハン殿の孫娘の話に?」

 ヴァイオレットはユーカリに尋ねる。彼は「あぁ」と言って、

「もしヨハン殿の孫娘が領地に戻っていたら、国務をやるのはその子だっただろうからな。ヨハン殿も、十八の時に国務代理をやっていたことがあるらしい。孫娘は十三らしいが……頭がいいから国務も出来るだろうとヨハン殿も言っていた」

「……まぁ、そうですね」

「そういえば、お前も十三だったな。こんな偶然もあるものなんだな」

 アイリスはあれ?と思った。ヨハンの孫は平民として暮らしている、頭がすごくいい、母は既に亡くなっている……。それはまるで……。

「どうしました?先輩」

「……いや……」

 まさかね、とアイリスは心の中で首を横に振った。ただの偶然だ、きっと。

「では、あとで町に行ってみるか。先生、時間はあるだろうか」

「私は大丈夫だよ。ヴァイオレットは?」

「依頼は明後日ですから大丈夫ですよ」

「先生、殿下、いいでしょうか」

 ガザニアが扉の外から声をかけた。ノックしてこないということは、両手に持っているのだろう。アイリスは扉を開き、ガザニアを部屋に入れる。予想通り、彼は料理を持っていた。

「ヴァイオレット、ひと月ぶりだな」

 ぜひ食べてくれ、と料理を置く。ヴァイオレットは「ありがとうございます」とお礼を言った。やはり、ガザニアとアドレイが作った料理はおいしかった。

 その後、三人で町に出かけた。

「娯楽施設もたくさんあるんだな……」

 ユーカリは驚きながら見ていた。ヴァイオレットは「こういうところ、初めて見た時は驚きますよね」と笑った。

「私も小さい村に住んでいましたから、先輩達傭兵団と一緒に行動していた時は驚きましたよ」

「そうだったね。君は正気に戻った後、町を見てよく驚いていた」

 ヴァイオレットと出会った当初を思い出す。全身血まみれで、目に光が灯っていなかった。周囲のことなど全く見ていなかったのだ。自分がいなければ、この子は自分のことすら興味のない、ただの殺戮人形として過ごしていただろう。そうなれば、どこかで野垂れ死んでいたかもしれない。そう考えると、こうして過ごしているのが奇跡なのだと思わされた。

 ヴァイオレットが殺戮者になったのも、正気に戻ることが出来たのも、他人が傷ついたからだ。皮肉だが、同じことが起こったから彼女は前に進むことが出来た。

 ――自分を守るために母が目の前で死んだから殺戮者となり、アイリスが自分を庇って大怪我を負ってしまったから正気に戻った。

 幸か不幸か、それでヴァイオレットは自分のしてきたことが間違いであることに気付いた。そこから「天才軍師」と呼ばれるまでになったのだから、まさに「奇跡」だった。

「どうしました?」

 ヴァイオレットが顔を覗いてきたので、アイリスは「何でもないよ」と微笑んだ。

「……それにしても、本当に多いですね。洋服、お菓子、装飾品……武器屋はないんでしょうか?」

「あると思うよ。武具もあるみたいだし」

「あ、本当だ。……飾り剣?こんなのもあるんですね……」

「見てくれ、本屋もあるぞ」

 偵察ということをすっかり忘れ、三人は楽しんだ。その姿はまるできょうだいのようだった。


「遅くまですまなかった。すっかり楽しんでしまって」

 夕方、修道院に戻るとユーカリが頭を下げた。アイリスは「いいよ。私も楽しかったし」と告げる。ヴァイオレットも「私も楽しんでいましたから、お互い様でしょう」と笑った。

「二人共、たまにはそれぐらい息抜きしたらいいと思うよ。君達は変に真面目だからね」

 アイリスが言うと、二人はキッと彼女の方を見た。

「それはこっちの台詞だ。先生も休め」

「そうですよ。あなたはいつも他人のことばかりなんですから」

 そうやって同じように注意する様は「兄妹」だ。クスクスとアイリスは笑ってしまう。

「先輩、笑うところじゃないです」

「そうだぞ、俺達は注意しているのだから」

「ふふ、ゴメン。二人が兄妹に見えたものだから、つい」

 正直な感想を言うと、二人はキョトンとする。その行動までも似ていて、やはり笑ってしまった。

「……先輩が楽しそうで何よりです」

「そうだな。先生がこんなに笑っているところ、初めて見た」

 いたたまれなくなってしまった二人はそう思うことにした。


 それから戦術を教えてもらったり鍛錬につき合ってもらったりして、夜十時になった。ヴァイオレットはアイリスの部屋で一緒に過ごす。

「ヴァイオレット、仮面外さないの?」

 アイリスが言うと、彼女は「外した方がいいですか?」と首を傾げた。

「寝る時、邪魔になるんじゃない?」

「私は大丈夫だけど……まぁ、先輩が気になるのなら」

 ヴァイオレットは仮面を外した。現れた素顔はまさに美少女と言っても過言ではないほど整った顔立ちだった。赤い瞳も意外と大きく、他人の顔にあまり興味のないアイリスでさえ、綺麗だと思うほどだった。

「君の素顔、初めて見たよ」

「そうでしたっけ?」

「うん。本当に美人さんだね、悪い男に引っかからないか心配になるぐらいだよ」

「先輩もそんなこと言うんですね」

 ヴァイオレットとしてはむしろアイリスに対してそう思っている。この姉貴分は無自覚だから、こちらはひやひやしながら見ているのだ。恐らくアルフレッドも同じだろう。

 ――まぁ、先輩が幸せならいいんだけど。

 過保護ではあるが、節度はわきまえているつもりだ。悪い男に引っかかったならその男をボコボコにして二度とアイリスに近付けないようにするが、そうでなければ――妹としては寂しいが――見守ることにしているのだ。

「……君は、好きな人とかいないの?」

「急にどうしました?恋バナとやらでもしたいんですか?」

 それは自分では役不足だとヴァイオレットは笑う。自分は、幸せを享受するには人を殺しすぎた。誰かを好きになる権利だって、ないのだから。

「そう言う先輩はどうなんですか?」

 だから、ヴァイオレットは聞き返す。アイリスはうなった後、

「分からないね」

「分からない?」

「うん。……もちろん、ヴァイオレットも生徒達もアルフレッドも好きだよ。でも、それが「恋」なのかって言われたら……私には分からない」

「……それは僕も分からないね。「恋愛」と「親愛」はどこが違うのか……」

 そう、二人が「愛」というものを理解するにはまだ子供だった。感情という概念がなかった、二人には。

「ごめんね、変なこと聞いて」

「いいよ、別に。……でも、そうか。確かに一言で「好き」と言っても、尊敬だったり、恋愛だったり……違いがあるよね」

「難しく考えなくてもいいよ。私も理解出来ないし」

 もう寝ようか、とアイリスはベッドに転がる。ヴァイオレットはソファに転がった。

「そこでいいの?昔みたいに一緒に寝ない?」

「……僕、もうそんな子供じゃないよ。アイリスにとっては子供かもしれないけどさ」

 アイリスはこの間誕生日が来たので――恐らくだが――二十一歳、ヴァイオレットは今年で十四歳なので七歳差だ。子供扱いされても文句は言えないが、さすがに一緒に寝る、というのは恥ずかしい。

「ヴァイオレットは十三歳にしては身長が高いし、いい抱き枕になりそうなのに……」

「……それが目的か」

 確かにヴァイオレットは百六十cmとこの年齢の少女にしては身長が高い。アイリスは百六十五cmなので確かに丁度いい抱き枕だろう。

「……はぁ。分かったよ」

 ヴァイオレットは起き上がり、アイリスの毛布の中に入り込む。……ヴァイオレットが男だったら明らかに事案だが、そこは気にしないでおこう。

「やっぱり温かいね」

 アイリスが抱きしめてきた。ヴァイオレットは頬を僅かに染める。

「……これ、他の人が見たら絶対誤解するよね?」

「んー。大丈夫大丈夫」

「どこも大丈夫じゃないんだけど……」

「ヴァイオレット、意外と胸、あるんだね。いつもの服だと分からなかったけど」

「……さらし巻いてるから、普段は見えないんでしょ」

 ……やはり、事案になりかけているのだが。これが他の生徒ではなくてよかった……とヴァイオレットは一人、胸をなでおろしたのだった。



 次の日、朝早くにヴァイオレットを見送り、講義をする。講義が終わった後、出撃の準備をした。

「あ、先生。手伝いますよ」

 アドレイがその様子を見て、そう申し出た。アイリスは「ありがとう、じゃあそれをこっちに持ってきてくれるかな?」と指示を出した。

「……アドレイ、もう大丈夫か?」

 尋ねると、彼は「……まだ、心の整理がちゃんとついたわけではありませんけど。いつまでもくよくよしていたらヒイラギ卿に顔向け出来ませんからね」と笑った。

「……そう。すごいね、アドレイは。辛いことがあって、すぐに前を向けるのはなかなか出来ないことだよ」

「そ、そうでしょうか」

「うん。……傭兵でもね、初めて人を斬った時とか、大切な人が死んでしまった時、すぐに立ち直ることが出来る人って少なかった。中には自殺した人さえいたよ。そんな人を目の前で見てきたから」

 傭兵であるがゆえだろう。アイリスはそうやって見てきたから、そっと寄り添ってくれたのかもしれない。

「……その、先生の母親は……」

 大切な人、と聞いてそういえば彼女は父の話しかしないことを思い出した。アイリスはキョトンとする。そして、

「いないよ。私が生まれた時、死んでしまったんだって。だから、顔も知らない。アルフレッドは私を母親似だというけど」

 自分はいけないことを聞いてしまったのでは、とアドレイは思ったが、どうやら気にしていないらしい。

「まぁ、確かに先生はアルフレッド殿に似ていませんよね」

「エイブラム殿には雰囲気は似ている、と言われたけど」

「勇ましい、という意味でしょうか?」

「傭兵としては、嬉しいことだね」

 アドレイが手伝ってくれたことで、すぐに終わった。

「ありがとう、助かったよ」

「よかったです。いつも一人でやっているんですか?」

「傭兵時代もアルフレッドがいない時は私がやっていたから慣れてるよ」

 ヴァイオレットがいた時はよく怒られたものだと思い出す。あの子は他人のこと言えないのにな……と思いながら聞いていたものだ。

「僕も手伝いますから、無理はしないでくださいね」

「分かったよ。気を付ける」

 アイリスは薄く笑いながらアドレイに言った。


 そうして課題の日。今回は距離的に野宿もしないといけないので野宿出来そうな場所を探した。そして野宿の基本を教える。

 夜中、アイリスが火の番をしているとユーカリが来た。

「先生、変わろうか?」

「大丈夫、ユーカリも明日に備えて寝た方がいい」

「俺なら平気だ。……少し、眠れなくてな」

「なるほどね。……なら、少し話をしようか」

 ユーカリを隣に座らせ、二人は話し出す。

「先生、困っていることはないか?先生はまだ新人教師なんだ、分からないことも多いだろう」

「うーん……困っていること、か……。私はアリシャ教って知らなかったから、それを覚えることかな?いろいろ難しくて……」

「ははっ、そうかもしれないな。ガザニアも難しい顔していた」

「あぁ、ガザニアはフレット人だからね。ヴァイオレットから教えてもらうことも出来ないし。かといってアルフレッドは多分教えてくれないから」

「そうなのか?あのヴァイオレットからも?」

「うん。ヴァイオレットは、名前は聞いたことあるけど、そこまで詳しくないって。アルフレッドは大修道院から出たぐらいだから、何かあったんだと思う」

 なるほど……とユーカリは考え、

「それなら、今度教えよう。丁度ガザニアにも教えているところだったんだ」

「そうなんだね。ありがとう、助かるよ」

 生徒に教わる教師……なかなかにシュールだが、神学はどうしても他人に頼るほかない。

「慕われておるのう、おぬし」

 アモールがケラケラと笑う。ユーカリには見えていないので沈黙を貫いた。

「しかし、神学……わらわはあの話を知っている気がするのう」

 心の中で「そう」と呟く。それはアイリスも思っていたのだ。

 女神の偉業、歓喜に湧く人々、女神の使い達の誕生、女神の眷属の誕生……全て、その場で見たのではないかと思う程鮮明に思い浮かべることが出来る。そして、一つだけ書かれていない真実があることも。

 金髪に碧眼の、長い髪の少女――まだ若く、年齢は二十どころか十五にも満たないと思われる少女。この子は菫色の髪の女性の前に跪いて、恐らく何かの儀式を受けていた。

「……「アスルルーナ」」

 いきなりアモールが誰かの名前を言った。アイリスが疑問符を浮かべていると、ユーカリに「どうした?先生」と心配されたので「何でもないよ」と笑った。

「えっと……ユーカリ、ちょっと聞いていい?」

「なんだ?」

「「アスルルーナ」って、知ってる?人の名前らしいんだけど」

 アイリスが尋ねると彼は「いや……聞いたことがないな」と首を傾げた。

「珍しい名前を知っているんだな、先生」

「まぁ、ね。私も名前を聞いただけで、どんな人物かは知らないよ」

「「アスルルーナ」は、直訳すると「蒼い月」という意味なんだ。だから、多分王国に関係ある人物ではないか?ベネティクト神聖王国のイメージは青だからな」

 確かに、彼の肩につけている外套は青だ。アネモネは赤、グロリオケは黄色と、その国のイメージカラーがこの外套になっているらしい。

「そうか……」

「そういえば、先生の刻印の力、ヨハン殿に教えてもらったぞ。それは「時を巻き戻す力」を持っているらしい。それから、近くにいる人を力づけ、人々を導くほどの指導力を持つそうだ。魔法関係に精通出来るほどの魔力も持つらしい」

「へぇ……本当に強力なものなんだね」

 アモールも、少しだけだが時を巻き戻せると言っていたことを思い出す。そんなに強力な刻印、なぜ今までなくなっていたのだろうか。疑問は残るが……そんなことを考えても仕方ないだろう。

「……まるで「女神」のような力を持つ刻印だな」

 ふと呟かれた声に、アモールが反応した。

「めが、み……?」

 どうしたの?と尋ねるとアモールは何かを考える仕草をする。

「今、何かを思い出せそうだったんじゃ……。じゃが、すぐに消えてしまった……」

「……先生は、「ユスティシー」って知っているか?」

 ユーカリが尋ねてくる。アイリスは首を横に振ると、「そうだろうな」と笑った。

「ユスティシーは、いわゆる「正義と武術の女神」だ。創造神の妹で正義を説き、人々に武術を教えた。騎士達の守り神とも言われていて、王国では主にユスティシーを信仰している」

「そうなんだ。ユスティシー……なんか、「ユースティティア」に似ているね」

「あぁ。だからユースティティア家はそのユスティシーの血を引いているのでは、と言われているんだ」

 アモールは黙ったまま。しかし彼女の頭には確かに浮かんでいた。

 菫色の髪の、女性にしては身長の高い彼女の姿が。


 次の日、オキシペタルムクラッスの生徒達は塔の中に入った。

「階段から魔導士の気配!気を付けて!」

 アイリスが叫んだと同時に炎が飛んできた。アイリスはそれを神の遺産で斬り裂いて、前に進んだ。

「アドレイ、矢を放て!ユーカリ、ガザニア、フィルディアは私と一緒に前線に!メーチェ、シルバーは手槍で応戦して!サライは魔法でサポートを、アンナは怪我をした人の回復を優先させてくれ!」

 そうして指示を出していくと、シルバーと同じ髪色の男性が現れた。恐らく、彼がシルバーの兄ニールだろう。そしてその手に持っているのは……。

「……兄上、それを返してくれませんか?」

 やはり、神の遺産だったか。そのくぼみには赤い石がはまっている。あれ?シルディルテオスにそんなものはまっていたか?見てみるが、そんなものはまっていない。

「今はよそ見をしている場合ではなかろう!」

 アモールに言われ、ハッとなる。そうだ、今は神の遺産を取り返さなくてはならないのだ。

「お前に俺の気持ちなんて分かんねぇよ!シルバー!俺から全てを奪ったくせに!」

 恐らく、それは刻印のことだろう。刻印を持っているがゆえに、親から溺愛される。なら、刻印を持たない者は?……もう、用済みになるのだ。

 シルバーは黙ったままだ。きっと、こうしてずっと妬まれ続けたのだろう。

「……兄上、悪いことは言わない。早くそれを……」

 しかし、言い終わる前に神の遺産――シュッツァーを振るおうとして……それは起こった。

「ぐっ……!」

 ニールは急に苦しみ出したのだ。その場にいた者は皆、その様子を見ているしか出来なかった。

 だんだんと黒い何かに飲み込まれていく。そして、ニールは見たこともないような獣の姿になった。ニールの傍にいた者達は悲鳴をあげながら逃げていく。

「ぐあぁあああ!」

 長く鋭い爪がアイリスを裂こうとして――その胸に光の矢が刺さった。それと同時に黒い影が着地した。

「全く……先輩、いつの間にそんな気を抜くようになったんですか?」

「……ヴァイオレット」

「なんて、冗談です。あんなの初めて見たら、誰でも呆然としますからね」

 そう、ヴァイオレットだ。その手には弓を持っている。見た目は神の遺産に似ているが、赤い石をはめ込めるようなくぼみがない。

「なんで、ここに……」

「偶然通りかかったので。安心して、課題の邪魔はしませんから」

 そして、彼女はその獣を見る。

「……やはり、手遅れか」

「何が起こったの?」

 何が何だか分からないアイリスはヴァイオレットに尋ねる。ユーカリや他の生徒達もヴァイオレットの傍に来た。

「……魔獣化、ですね。刻印持ちでない者が長時間神の遺産を使うと、力を暴走させてしまうんです。その結果、人ではないものになってしまう……。人為的に魔獣化させるものもあるみたいですけど」

 その時、魔獣がゆらりと起き上がってきた。ヴァイオレットはハッとする。

 その爪が再びアイリスを裂こうとした。剣を構える時間すらない――!アイリスは来る痛みを覚悟して目を閉じた。

 しかし、いつまで経ってもそれは来なかった。それどころか、温かいものに包まれている。

「先輩、大丈夫ですか?」

 ヴァイオレットの声に目を開くと、少女の顔が目の前にあった。左腕でアイリスを抱き、右腕を前に出している。ポタッ……とその右腕から血が落ちている。それで、自分は庇われたのだと気付いた。

「借りますよ」

 その言葉と共にヴァイオレットはアイリスの腰についている短剣を持ち、攻撃を避けながら今度は魔獣の頭であろうところをその短剣で貫く。それを抜くと、今度こそ魔獣は倒れた。

「……こいつは頭に力が溜まっていたタイプか……今度からは気を付けよう」

 そう呟き、短剣についた黒い血を拭ってアイリスに返した。

「ごめんなさい、魔獣の倒し方を教えていなかったですよね?」

「……魔獣……」

「基本的に、胸が弱点なのでそこを狙ったらいいですよ。ただ、時々頭が弱点の奴もいますからそこは気を付けて」

「ねぇ、魔獣になったら人間には戻らないの?」

 アイリスの質問にヴァイオレットは「まぁ、そう……ですね」と頷き、

「……いや、一応戻すことは出来る、のか?」

 と疑問形になった。ということはあるにはあるのか。

「……ただ、もう死んでいると思いますけど」

 そう前置きし、ヴァイオレットはニールだった魔獣に手をかざす。

「トルナーレ」

 そう呪文を唱える。すると淡い光が彼女の手から溢れ、魔獣を包んでいく。そして、人の姿を取り戻していき、最終的にニールの姿に戻った。

「……魔獣になったまま、誰にも知られず朽ちていくのは哀れなものだと思って。覚えていたんです」

 ヴァイオレットはニールの遺体に膝をつき、「……せめて、安らかに逝くように」と呟いた。その姿はまるで「女神」だった。

「これですよね?返します」

 ヴァイオレットはシルバーに神の遺産である槍を返す。シルバーは「お、おう……。ありがとう」と戸惑った様子を見せながら受け取った。

「……よく、彼の家の武器だって分かったね?」

 アイリスの言葉にキョトンとした後、

「……別に。噂で聞いていましたから」

 そう答えた。……僅かに動揺していた気がするのは気のせいだろうか。

 ヴァイオレットは次の依頼があるからと去ろうとして、一度立ち止まった。

「……アイリス。この出会いを大事にしてね」

 そう言って、今度こそ立ち去ってしまった。どういう意味だろうか、と疑問に思うがそれを聞く相手はもう行ってしまった。

 胸にモヤモヤを抱えながら、今回の課題は終わった。



「危なかったわね」

 ユスティシーに言われ、ヴァイオレットは「うん。「今回」の先輩はなかなか手ごわいね」と頷いた。

「なら、今度こそどうにかなるかしら?」

「それは分からない。……でも、僕達に残された時間が僅かであることも確かだ」

 今は、自分達の秘密を悟られてはいけないのだ。

 今、調査しているものは本当に分からないことだ。だが、一部分かっていることだってある。

「……ごめんね、僕のわがままに付き合わせて」

「いいのよ。そもそも、こうなってしまったのは私達のせいみたいなのものだし。むしろ、あなたにそれを背負わせてしまったのが申し訳ないわ」

 この二人の瞳に映っているのは、過去の大戦争と、これから起こること。

 あぁ、あとどれぐらいこの命が続くだろうか。この心が持つのだろうか。……もしかしたら、これは夢で実はもうここにいないのではないか、とさえ思う。唯一、今だ生きてここにいるのだと信じられるのは先程負った怪我のような痛みだけ。

「……ヴァイオレット」

「悲しそうな顔をしないで。僕は大丈夫だから」

 ユスティシーに悲しげな笑みを浮かべながら、「少女」は言った。



 大修道院に戻り、報告書を書く。ヴァイオレットのことを書くべきか悩んだが、それは伏せておくことにする。

 それをディアーに提出し、部屋に戻った。そして、ヴァイオレットの言葉を思い出す。

 ――この出会いを大事にしてね。

 一体、あの子はどんな気持ちでそう言ったのだろうか。思い返すと、僅かに疲れていた気がする。

 ……あの子は、何を知っているの?

 きっと、偶然通りかかったわけではない。あのようになることを知っていて、近くにいたのだろう。なぜそれを知っていた?

 考えても分からない。謎が深まるばかりだ。

「……なぁ、アイリス」

 アモールが呼びかけた。アイリスは「どうしたの?」と聞くと、彼女は言葉を詰まらせた後、

「……あの、ヴァイオレットって者。どこかで見たことのある見た目をしておるんじゃ」

 その言葉に、アイリスは目を見開く。今のこの状況を見たら不思議がられるだろう。部屋でよかったと頭のどこかで思う。が、今はそれより。

「どういうこと?」

 なぜアモールはそう感じたのだろうか。彼女はうなって、

「よくは覚えておらぬのじゃ。じゃが、あの菫色の髪、赤い瞳……どこか懐かしい気持ちになる。おぬしとあやつが顔見知りというのもあるんじゃろうが……これは間違いなく、その前のことじゃ」

「私の生まれる前、てこと?」

 ヴァイオレットと初めて会ったのはあの子が五歳の時。それより前となると、もはや生まれる前しかない。だが、そうなるとアモールは何者なのか分からなくなってくる。

「あの者、何かを隠しておる。アヤメみたいに恐ろしいものではなさそうだが……。むしろ、おぬしを何かから守ろうとしているような……?」

 何か、隠している?あの子が……?だとしたら何を?

 まぁ、アヤメよりマシならいいが。だが、何かから守ろうとしている?

 考えても、答えなど出るハズがなかった。



 九月、ディアーが慌てて講義中のアイリスのところに来た。

「講義中すまない!」

「ディアー殿?どうしたんですか?」

 彼は基本、講義の最中に来ることはない。見回りとしては来ることもあるが、こうして何か言ってくることはないのだ。だとすると、緊急の可能性が高い。

「実は……チェリーとアンジェリカ先生が連れ去られてしまったのだ!」

 案の定、ディアーはアイリスの肩を強く掴んで顔を真っ青にしながら告げた。少し痛いのだが、かなりの気迫にそれを伝えることは出来なかった。

「えっと……チェリーとアンジェリカ先生が、ですか?」

 確認のため聞き返すと、彼は「あぁ、そうなんだ」と頷く。ふむ、とアイリスは思い返す。考えられることは……。

「チェリーだけなら、いわゆる家出の可能性もありますが……アンジェリカ先生もとなると、何か事件に巻き込まれたかと……。特に変わった様子もなかったので……」

「ほ、本当か⁉」

「いえ、可能性の話ですけど……」

 よほど切羽詰まっているらしい。肩を掴む手が強くなっていく。歴戦の傭兵と言えどアイリスは女性、男性より身体は細い。折れてしまうのではないかと思い始めてしまう。

「……あの、ディアー殿。先生は女性なので……」

 見るに見かねたユーカリがアイリスのかわりに言うと、ディアーは「す、すまない」と手を離した。

「……一応、時間がある時に情報は集めてみます。だから落ち着いてください」

「わ、分かった。悪かった、急に」

 頭が冷えたらしい、ディアーは「頼む。今月の課題はそれにさせてもらおう」と頭を下げ、去っていった。アイリスは手帳を見て、次の日曜日は何も入っていない日であることを確認する。

「先生、よければ俺も手伝おう」

「ありがとう、ユーカリ。助かるよ」

 予定表を覗き込んできたユーカリがそう申し出たのでアイリスはお礼を言う。人探しは一人でも協力者が多い方がいい。

 日曜日、別々で情報を集め、共有する。その中でアイリスもユーカリも聞いた噂があった。

 死神のような恐ろしい仮面をつけた何者かが夜な夜な人を攫うらしい。最近も近くで行方不明の人がたくさん出ているようだ。身長は百七十cmぐらいで、連れ攫われたら何をされるか分からないことから、「死を誘う者」と呼ばれているそうだ。

「「死を誘う者」……何者なのだろうか……?」

「どうしましたか?ユーカリ様」

 ユーカリが呟くと、後ろから少女の声が聞こえてきたので二人揃ってビクッ!と肩を震わせた。そして振り返ると、黒衣を纏った菫色の髪の少女――ヴァイオレットが立っていた。

「ヴァイオレット⁉確か来るのはまだ先だって言っていなかった⁉」

「そうなんですけど、思ったより早く依頼が終わったので」

 アイリスの質問にヴァイオレットは口角をあげる。……よく見ると、若干ボロボロになっている気がする。

「……詳しい話は後。ヴァイオレット、ちょっと部屋に来なさい」

「え?急に何ですか?」

「君、多分怪我しているでしょう?手当してあげるから」

 無理やり手を引き、アイリスは自室に入る。外から気配を感じるので、ユーカリも部屋の前にいるのだろう。さすがに声がかけられるまで入ってくることはしてこないらしい。

 アイリスはヴァイオレットの外套を脱がす。……休憩中に襲われたのだろう、右腕に酷い裂傷があった。

「ユーカリ、水とタオルを持ってきてくれる?」

「分かった、すぐに準備する」

 その間にアイリスは引き出しから傷薬と包帯を取り出した。そしてヴァイオレットの方を見ると彼女は鏡を見ていた。

「どうしたの?」

「いや……すみませんが、鏡を後ろに向けてくれませんか?」

 そのことに疑問符を浮かべながら、鏡を壁側に向ける。なぜ鏡を見たくないのか尋ねようとしたが、その前にユーカリが来た。

「失礼する。先生、持ってきたぞ」

「あぁ、ありがとう。見たところ腕だけだから、ここにいて構わないよ」

 アイリスはヴァイオレットの右袖をまくり上げ、タオルを水に浸し傷口に当てる。しみるのか、僅かに顔を歪ませた。

 傷薬を塗り、包帯を巻くとヴァイオレットは「ありがとうございます、先輩」と言った。そして、ロングコートを着たところで本題に入った。

「あの、ヴァイオレット。「死を誘う者」って知ってる……?」

 尋ねると、少女は「えぇ、噂で聞きましたよ。この周辺に出没する仮面を被った人のことですよね?」と頷いた。

「一応聞くが、お前ではないよな?」

「そんなわけないでしょう。私、一応身長は百六十cmと少女にしては高いですけど」

 ユーカリの質問に否定で返す。そして顎に手を当てて考え込んだ。

「……前に話した、「闇に生きる者」のことは覚えていますか?」

「あぁ、フレットの悲劇を起こした犯人である可能性が高いという……」

「その一味か、協力者という線はありませんか?前も言った通り、正体も目的も分からないので何とも言えませんが……」

 なるほど、確かにありえる話だ。だが、それならなぜチェリーとアンジェリカを連れ攫ったのだろうか。

「ちなみに、連れ攫われた人は誰なんですか?」

「えっと……チェリーって言う名前の女の子とアンジェリカという名前の女性教師だね。チェリーはディアー殿の妹で、アンジェリカ先生は元歌姫で今は医者だ」

「大司教の補佐官の妹に、教師で医者……元々そのチェリーさんだけ連れ去るつもりだったけれど、アンジェリカさんに見られてしまったために彼女も連れ去った、という線が濃厚でしょうか。女性というところ以外、共通点はないでしょうから」

 女性だけを狙って、というのがあったなら別でしたけどね、とヴァイオレットは苦笑いを浮かべる。

「ちなみに、行方が分からなくなったのはいつから?」

「えっと……五日前だったかな?その後ディアー殿が慌てて私に言ってきたから」

「他にいなくなった人は?」

「いなくなった人……そういえば、エペイスト先生を見なくなった気がする」

「エペイスト?」

「実技担当の男性教師だ。俺も講義の時に何度か世話になった。寡黙で他人と関わりを持たぬ人だが、腕前は確かだ」

 ふむ、とヴァイオレットは再び考え込む。恐らくその自慢の頭でいろいろな可能性を思い浮かべているのだろう。

「……その男性教師の部屋は?」

「確か、中庭側の一番端だった気がするが……」

「気になる場所などは?」

「中庭に大きな石があるけど……気にすることじゃないかな?」

「……なるほど」

 ついてきて、とヴァイオレットは急に立ち上がる。そして部屋から出たので二人も慌てて追いかけた。

 中庭のその大きな石のところまで来る。ヴァイオレットはしゃがみ込み、地面を観察し始めた。

「えっと……」

「……ここ。少し不自然ですね」

 戸惑っていると、ヴァイオレットは言葉を発した。指差した場所は何の変哲もない、小さな石のたまり場だった。その視線は一か所に止まっている。

「何が不自然なんだ?石がたまっている場所なんてどこでもあるが」

「よく見てください。他のところはごつごつしているのに対し、ここだけ丸い石が多い。川から取ってきた可能性が高いです。だから……」

 ユーカリの疑問に答え、その石をどかすと――地下へ続く扉が出てきた。

「やっぱり……。確か、あかりは……」

 ヴァイオレットは懐から小さな魔法石を取り出し、魔力を注ぎ込む。そして扉を開き、階段を降りて行く。ついて行くと、さらに木製の扉が現れた。

 鍵がかかっていることに気付き、もう一度懐を探って細長い棒状のものを取り出すと、それで鍵を開けた。どうやら鍵開けを覚えているようだ。

 入ると、そこには意識を失っているチェリーとアンジェリカ、それから赤髪の女子生徒がいた。

「……えっと、この赤髪の方は?」

 ディアーの妹と聞いていたから緑髪の少女はチェリー、女性がアンジェリカだと分かったのだろう。もちろん、アイリスとユーカリも赤髪の女子生徒は見たことがない。

 とにかく三人を保護しなくては、とユーカリが大人達を呼びに行った。その間にヴァイオレットが命に別条がないことを確認する。

 ふと、壁に剣が立てかけられていることに気付いた。確かこれは……。

「何か気になることでも?」

 アイリスの様子に気付いたヴァイオレットが尋ねる。アイリスは「この剣……エペイスト先生のものだ」と言った。

「なぜこんなところに……」

「……考えられることは、そのエペイストさんという人が「死を誘う者」本人か、彼に罪を擦り付けるために不在を見計らって部屋から奪ったか、ですね。普通はいつも持っているハズなので、前者の可能性が高いでしょうけど」

 その時、ユーカリが五、六人ぐらいの騎士団の者を連れてきた。そして、担架で三人を運ぶ。

「ユーカリ殿下、アイリス先生、ありがとうございます!」

 騎士団の一人が二人に頭を下げた後、ヴァイオレットに気付き「この人は?」と尋ねる。アイリスが「私の妹分です。こう見えてまだ十五にも満たないんですよ」と答えると「え⁉背が高いのでてっきり十七ぐらいかと思いました」と驚いた。ヴァイオレットはさりげなくアイリスの後ろにいる。

「ここで話をしている時間がありませんね。あなたもありがとうございました」

 その人が去ると、ヴァイオレットは小さくため息をついた。やはり、と思う。

「君、まだ大人が駄目なんだね」

「う……。気付かれましたか……。やっぱり気を緩めると駄目ですね……」

 ヴァイオレットは大人が苦手だ。理由は目の前で母や村の人達が殺され、それがトラウマになってしまったかららしい。依頼をこなしているところから見ると一応、他人には分からないようにしているみたいだが、本当は生活も困難なほど恐ろしいと思っているらしい。一緒にいた時は平和であるハズの買い物も一人で出来ないほどだった。

「いいんだ、少しずつ乗り越えていけば」

「そう言ってくれるのは先輩だけですよ……」

 とりあえず出ようか、と三人は外に出る。そしてアイリスの部屋に集まった。

「それにしてもすごかったね。まさかすぐに見つけるなんて」

 アイリスが素直に感心していると、「人探しも依頼の一つなんです」と答えた。

「命に別条がないかも調べないといけないので医学関係のことも学んでいますし、どことどこを調べたらいいかも分かっているつもりですし」

「本当によかった。チェリーとアンジェリカ先生が見つかって」

 だが、あの赤髪の女子生徒だけが気にかかる。先程も言った通り、士官学校に在学しているユーカリや教師であるアイリスも見たことのない生徒だ。昨年より前の生徒、だろうか?

(少し、胸騒ぎがする……)

 ならばなぜ、その子がここにいるのだろうか?どうやって生きていた?ヴァイオレットは命に別条がない、と言っていたが……。

「……………………」

 無表情のヴァイオレットが何を考えているのか分からない。初めて会った時のような、そんな無表情からは。

「……とりあえず、調べられたところだけだと……」

 ヴァイオレットは調査報告をする。淡々としていて、何事もなかったようだ。

「……と、ひとまずここまで調べられましたが……フレットの悲劇に関しては、あとはもう闇に生きる者を調べないといけないでしょうね」

「なるほど……目的さえ分かれば……」

「ただ、私でも調べることは難しいですね。奴らはどこを拠点にしているかすら分かりませんから、ユーカリ様が在学中に情報は得られないと思います」

 出来る限り調べてはみますが……と少女は言う。彼女でも難しいというのだ、自分達がやっても無理だろう。

「今日は泊っていくの?」

 アイリスが聞くと、ヴァイオレットは「いや、今日はもう出ますよ。予定通り来週また来ます」と答えた。

「そうか。なら、その前に手合わせをしてくれ」

「いいですよ」

 ユーカリの言葉にヴァイオレットは頷き、そのまま訓練場に行った。そして、手合わせを始める。アイリスがそれを見守っていると、フィルディアに「あいつは誰だ?」と聞かれた。

「あぁ、私の親友だよ。月一で来てくれてるんだ」

「ほう。なかなかの手練れと見た、手合わせしてくれるだろうか?」

「多分、言えばしてくれると思うよ」

 その間に二人の手合わせが丁度終わり、話しているところにフィルディアが近付いた。

「おい、菫色の髪のお前」

 そう言われ、ヴァイオレットは自分のことかと振り返る。フィルディアは「俺とも手合わせしろ」と告げた。ヴァイオレットが「構いませんよ。剣でいいですか?」と尋ねると彼は「あぁ、それでいい」と頷いた。

 木製の剣を二本持ってきて、それを構える。手合わせが始まると、フィルディアはヴァイオレットとの雲泥の差に驚いた。自分も鍛えてきたつもりだが、この人はそれを遥かに上回っている。ユーカリと手合わせしていた時は槍だったのでそちらが得意なのだろうと思っていたが、どうやら剣術も得意らしい。それに、どこかアイリスを思わせる戦い方であるがそこに自己流も含まれている。どこから来るか読めない、とも言えるだろう。

(こいつ……強い……!)

 そう思った時、剣が飛ばされる。その勢いでしりもちをついたフィルディアにヴァイオレットは手を差し出す。

「大丈夫ですか?」

「あ、あぁ……。お前、名は?」

 立ち上がり、名前を聞くと彼女は「ヴァイオレット。一応、王国出身の義賊ですよ」と答えた。その名にフィルディアは目を見開いた。驚いたが、それよりかの有名な義賊と手合わせ出来た、という興奮が勝った。

「王国出身……ならば、親に教わったのか?」

「そうですね。基本は母に教わりました。あとはアルフレッドとアイリスに教わったんです。それから自己流で考えて……」

「くだらん戦法など意味ない、ということか。……強くなるためには自分流にやってみるのも手だということか。それに、騎士団団長とその娘の教えを直に受けた……。強いわけだ。男として誇りに思うな。俺と同じ十七ぐらいか?」

「……えっと……非常に申しにくいのですが、私、女です。それに、十三なんです」

「何?それにしては背が高くないか?それに、俺より年下なのか?」

 やはり驚かれるものなのか、とヴァイオレットは思った。彼女の家系は代々身長の高い人が多く、母もそうだったのだ。恐らく、背が高いのは遺伝なのだろう。

 フィルディアは年下の少女に負けたことに衝撃を受けていた。そして、どうしたらそんなに強くなれるのか……それが気になった。

「ヴァイオレット、時間は大丈夫?」

 アイリスが呼びかけると、ヴァイオレットは「やっぱり、泊っていくことにします」と答えた。

「私の部屋でいい?」

「構いませんよ。いつもすみません」

 ヴァイオレットがアイリスのところに行こうとするとフィルディアが「待て」と引き留めた。

「どうしました?」

「もう一度、手合わせしてくれ」

 ヴァイオレットはキョトンとした後、「分かりました。では、やりましょうか」と再び剣を構えた。ユーカリの時と同じように、数時間は剣を交わしていた。



 それから、教団の調査で赤髪の女子生徒は昨年の生徒であるチェーニという子だということが分かった。在学中に行方不明になっていたらしい。彼女はローズルージュクラッスに復学するようだ。

 そして、気になることと言ったら……。

「……先輩、あのチェーニとかいう人、気を付けてくださいね」

 出る前に告げた、ヴァイオレットの言葉だ。無表情で誰にも聞こえないような小さな声で告げ、「では、行ってきます」といつもの表情に戻ったのだ。

 ここは夢の中、あの玉座にアモールが座っている。

「……あやつ、わしと同じ力を感じる」

 アモールが呟く。同じ力、というと時を巻き戻す力、だろうか?

「いや、そうではない。じゃが……何かの力があることは間違いなさそうじゃ」

「それがアモールのものと似ているということ?」

「あぁ。なら、あやつやアヤメが何者か分かれば、わらわの正体も……」

 なるほど、そうかもしれない。それなら、ヴァイオレットにもう少し話を……。

「――ユスティシー」

「……?ユスティシーって、正義と武術の女神だよね?いきなりどうしたの?」

「ヴァイオレットは、ユスティシーに似ていたハズなのじゃ。なぜか分からぬが、記憶としてある気がする」

 ユスティシー……確か、騎士達の守り神としてあがめられていたとユーカリから聞いた。そしてその血筋がユースティティア家であることも。

 なら、ヴァイオレットはユースティティア家に関係がある……?

「アヤメも、誰かに似ている……。誰だったかの……」

 考え込むうちに起きる時間になった。また後で、と言ってアイリスは現実に戻った。



 ヴァイオレットは「死を誘う者」と対峙していた。

「……貴様は誰だ?」

「「スミレの義賊」と言えば分かるでしょうか?……あぁ、それとも「女神の顔をした幼き悪魔」、の方が分かるか?モルス」

 後者は、復讐に燃え帝国軍を殺していた頃の二つ名だ。モルスと呼ばれた彼は「くくっ……」と嗤った。

「そうか、貴様が俺の仲間達を殺した畜生か」

「それはこちらの台詞だ。「闇に生きる者」と繋がっているくせに」

 火花が散っている。剣を持てばすぐにでも戦闘が始まるだろう。それ程の緊張感が漂っていた。

「……一応言っておくが、俺は闇に生きる者の一味ではない」

「そうだな。それは気付いているさ。本来はここであんたを殺すべきだが……あいにく私にはまだやるべきことがある。そしてそれはあんたを利用しなければならない」

「奇遇だな。俺もやるべきことがある」

 睨み合っていた二人だったが、唐突にモルスは背を向け、去っていった。ヴァイオレットは追いかけようとしなかった。彼は本当に闇に生きる者の情報を持っていないということを知っているからだ。

 ヴァイオレットは何事もなかったかのように次の依頼場所へ向かった。

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