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三章教団への反乱を征せ

 六月六日、いつも通り講義をしていたが、皆がソワソワしている気がする。

「……落ち着かない様子だが、どうした?やはり先日のことが……」

 さすがに気になったアイリスは中断して尋ねる。もしかしたら心のケアが行き届いていないのかもしれないと心配していると、「あ、いや、その……本当は講義が終わった後に渡そうと思ったのだが……」とユーカリが前に出る。

「今日、先生の誕生日なのだろう?ささやかだが、受け取ってくれ」

 そう言って渡されたのは青い石のついたシンプルなブローチと手紙だった。キョトンと目を丸くして、ようやくこれが誕生日プレゼントなのだと気付く。

「皆で選んだんだ。本当は武器の方が好みかもしれないが……」

 照れくさそうに彼は言う。生徒達が自分のために選んでくれたもの……。

「……ううん。嬉しいよ、ありがとう」

 アイリスは薄く笑みを作り、お礼を言った。今度はユーカリが戸惑う番だった。

「せ、先生、今……」

「今?」

「その……笑ったか?」

「笑っ、た……?」

 アイリスとしても無意識だった。首を傾げ、今のが「笑う」というものなのか……としみじみと思った。

 ユーカリはフワッと花のような笑顔を浮かべ、

「今の顔、俺は好きだよ」

 そう告げた。それにアイリスの胸が温かくなる。

「あー、いきなりイチャイチャしないでくださいね」

 シルバーに言われ、二人は我に返る。「す、すまなかったな。講義を中断させて」とユーカリは顔を赤くしながら謝り、席に座った。

 ――担任の柔らかな笑みを、ユーカリは忘れられなかった。


 講義が終わった後、アルフレッドに呼ばれアイリスは騎士団長の部屋に来た。

「どうしたの?アルフレッド」

「そういや、今日がお前の誕生日だったと思ってよ」

 今まで祝ってやれなかったからな、と父は上等な砥石を渡した。

「悪いな、自分の娘に何を渡せばいいかよく分からなくて」

「ううん。ありがとう」

「お前んとこのガキが聞いてきたんだ。「先生は何をあげたら喜ぶのか」ってな。だが、お前は今までわがままとか言ったことなかったからな。俺も分からなかった」

「なんでもいいよ」

「本当にお前は欲がないな。もっとこう……服だとかアクセサリーだとか、それぐらいの年の女ならそっちの方が興味あるんじゃねぇのか?」

「そんなもの?あんまり興味がないんだけど」

「……そういうとこは母親に似ているな。あいつも、オシャレに興味がなかった。ただ、俺が遠征から帰ってきた時にその場所の話を聞くのが好きだったな。それから、花も好きだった。俺がその場所の花を持って帰ってくれば喜んでくれたもんだ」

「花……確かに私も温室にいることが多い気がする」

 容姿はアルフレッドに似ていない、とよく言われるが、アイリスは好みも母親によく似たようだ。

「あまり時間が取れなくて悪いな。アヤメ様にいろいろと仕事を押し付けられていてよ」

「大丈夫、生徒達がサポートしてくれてる」

「そうか……」

 父としては、少し複雑な気分だった。だが、彼女だってもう大人なのだ。自分のことは自分で出来るだろう。

 ――ここに来たのは、こいつにとってはよかったのかもな。

 アヤメがどんな目的で娘を教師にしたのかはまだ分からないが、生徒達がいい刺激になっているのならよかったと思う。

 父としてはただ、愛する人との間に出来た娘に幸せでいてほしいだけなのだから。


 夜になり、アイリスが部屋に戻ると机の上にスミレの花束と紙が置いてあった。その紙には「Happy Birthday Iris.I Wish You Happiness.Violet(訳すると「誕生日おめでとう。あなたに幸あれ。ヴァイオレット」という意味)」とだけ書いてあった。ヴァイオレットがわざわざここに来て、これを置いてくれたと分かると、ユーカリからプレゼントをもらった時と同じように胸が温かくなった。

 ユーカリからの手紙を読む。そこには「誕生日おめでとう。先生が担任になってくれてよかった。つたない言葉だが、いつも指導してくれてありがとう。先生のおかげで俺達は成長している。まだまだ未熟だが、これからもよろしく頼む。ユーカリ」と書かれていた。

「よかったのう、おぬし。生徒達からも慕われておって」

「……うん。私に教師なんて出来るわけないと思っていたんだけどね」

 アモールは近くに現れ、アイリスを見る。アモールは最近、実体を持つことが出来るようになったようだ。と言っても、アイリスしかその姿を見ることが出来ないのだが。

 アイリスは愛おしそうにもらったプレゼントを見ていた。そこに「青い悪魔」と呼ばれ、恐れられていた女性はいなかった。



 ヴァイオレットはアイリスの部屋に誕生日プレゼントを置いた後、王国領の西方面に来ていた。フレットの悲劇の真相を解明しようとしている中、教団に対して反乱が起きるかもしれない、と聞いたからだ。出来ることなら敬愛する先輩の手を煩わせたくはないが……。

 しかし、既に遅く、着いた頃にはもう戦える状態だった。その軍を見て、ヴァイオレットは唖然とする。なんと、反乱軍のほとんどが武術などまともに習ったことがない領民達だったのだ。これでは死に行くようなものだ。

 ヴァイオレットはすぐに首謀者の元に向かった。そして、「反乱はやめた方がいい」と告げた。しかし、彼は聞く耳を持たなかった。むしろ、教団の者かと睨まれた。ヴァイオレットがいくら違うと言っても、信じようとはしない。領民達も、彼の意見に賛成のようでヴァイオレットに石を投げつけた。こんなになるまで、彼らは教団に何をため込んでいたのだろうか。それとも、誰かにそそのかれたのか?どちらにしろ、教団への不審を匂わせる出来事となるだろう。

 仕方なくヴァイオレットはその場を去り、近くの洞窟に身を寄せた。



 その次の日、大修道院にも王国領の西の方で反乱が起きたと知らせが入った。その首謀者の名前を聞いた時、アドレイが顔を真っ青にした。

「ヒイラギ様が……⁉」

「……あぁ、そういえば君は……」

 ヒイラギ卿はアドレイの養父だったと思い出す。彼は何も聞かされていなかったらしい。相当ショックだろう。

 ユーカリも、怪訝な顔を浮かべた。ヒイラギ卿は領民に優しい人物で、反乱など起こすような性格ではないらしい。

「なぜそんな人が……」

 アイリスが首を傾げる。余程の理由がないと、教団に反乱を起こそうとは思わないだろう。養子が士官学校にいるなら、なおさら。

「とにかく、反乱を起こしたことは事実だ。オキシペタルムクラッスの今月の課題はその反乱の後処理とする」

「教団に仇なす者を放っておくわけにはいきません。頼みましたよ」

 ディアーとアヤメの言葉にアイリスは驚く。後処理自体はまだいい。だが、担当している学級には首謀者の子供がいるのだ。下手をすれば、戦うかもしれない。それなのに後処理をさせるのは酷ではないか。

 しかし、二人はさっさとどこかに行ってしまった。アイリスはアドレイに「その……大丈夫?」と聞いた。しかし、返事がない。

「……ユーカリ、皆に今日の講義は自習にするって伝えてくれる?」

「あぁ、分かった。……すまない、先生。アドレイを頼む」

 ユーカリは頷き、教室に行った。アイリスはアドレイに「中庭に行こうか」とその手を引いた。

 自分の部屋からティーセットを、食堂からはお菓子を持ってきて、中庭にあるお茶会専用のテーブルに置いた。

「ハーブティーでいいかな?」

「……はい」

 今だ暗い顔の彼を心配そうに見ながら、アイリスは紅茶を淹れる。そして、それを前に出した。

 彼が話し出すまで、アイリスは沈黙を貫く。やがて彼はポツポツとヒイラギ卿のことについて話し出した。

 彼は両親が亡くなった後、幼い弟妹達を守らなければいけなかったこと。

 生きていくために盗みを働いていたこと。

 ある日、ヒイラギ卿の住む屋敷に盗みに入ったところ、バレてしまったが許してくれ、兄弟達と共に養子にしてくれたこと。

 本も読めなかった自分に文字の読み書きを教えてくれたこと。

 こうして士官学校に入学させてもらえたこと。

 一つ一つが優しい記憶として、彼に刻まれているのだろう。だからこそ、何も相談されなかったことが、こうして相対しなければならないことがつらいのだろう。

「ごめんなさい……弱音、吐いている場合じゃないですよね……」

 辛そうに呟く彼の手を、アイリスは握る。

「いや、いいんだ。大切な人が反乱を起こしたなんて言われたら、誰だってそうなる。君がおかしいんじゃない。存分に弱音を吐けばいい」

 それは、ヴァイオレットのやり方だった。あの子は誰よりも年下なのに弱っている人を優しく包み、守った。温もりを与えた。そうすることで大抵の人は安心するのだと教えてくれたのだ。

「先生……ありがとう、ございます」

 アドレイはようやく笑みを浮かべた。まだぎこちないものだが、ずっと暗いままよりはマシだ。

「……あの、先生」

「どうした?」

「ヒイラギ様と、話をさせてもらえませんか?」

 その瞳は決意に満ちたものだった。どうしても、事実を知りたいのだろう。アイリスは「分かった、でも戦場だからそこまで時間は取れない。そのことを頭に入れていてくれ」と二つ返事で頷いた。


 夜、訓練場で鍛錬していると近寄ってくる影があった。

「おう!先生、こんな時間に鍛錬か?」

「……グロリオケ?」

 そう、ガヴォットクラッスの級長だ。彼はにこやかに手をあげる。

「こんな時間にどうしたの?君に限って聖堂で祈っていた、というわけじゃないだろうし」

「おぉっと、俺の性格をよくご存じで。いやぁ、ちょっと調べ物をしていてな」

「調べ物?」

「そうだ、いろいろと気になることがあってね」

 彼の気になること……どうしても「問題児」というイメージが離れないのだが。よく分からない怪しい薬を作っていると聞いているし。

「なんか失礼なこと考えていないか?まぁいいけどな」

「私が言えた台詞じゃないけど、夜更かしは身体に悪い。早く寝た方がいいよ」

「はいはい、分かってるよ」

 あんたも教師が板についてきたな、とおどけながらグロリオケは去っていく。部屋に戻り、新任教師となった女性の顔を思い出す。

 ……やはり、おかしい。

 元傭兵を教師にするなどありえないとグロリオケは思う。今でこそカキツバタ家の嫡子となったが、生まれは別のところだ。外の世界のことを知っている。そういったことも相まって違和感が拭えないのだ。傭兵を、しかもアリシャ教すら知らなかった者を教師にするのかと。大司教が何か企んでいるに違いないと怪しむのもおかしくないだろう。だが、彼の自慢の頭脳を持ってしても分からなかった。

 ――確か、数年前に皇帝の子供のほとんどが亡くなってしまったと聞いているし、フレットの悲劇も四年前の出来事だ。同盟でも村が何者かに襲われているらしいし……。

 考えながら書庫から持ってきていた書物を読むと、それにこう書いてあった。

 千年の時を越え、女神達は再び降臨する。その時、再び戦争が起こるだろう。

 千年……女神が眠りについたのが丁度千年前だ。アリシャが「終末を誘う王」ネメシスを倒したのはその五年後。……端的に考えるなら、今年か、五年後に女神が再臨し、戦争が起こる、ということだろう。そして丁度その時期に次の指導者となる者達と、謎の女性がここに集まった。そして謎の義賊も大陸中で活躍している。

 ……まさか、な。

 一瞬だけ思い浮かんだ考えを、頭を振って否定する。しかし、考えれば考えるほど、そうとしか思えなかった。



 ヴァイオレットは今だ説得しようと試みているが、やはり進展はなかった。

 ……これ以上は悪化させるだけか……。

 そう判断し、ヴァイオレットは去ることにした。もうじき教団の騎士団――アリシャ騎士団だったか――が来るだろうし、それまでに抑えたかったが……やはり不可能だったようだ。ならばせめて、これ以上刺激しないようにするのがいいだろう。

「本当によかったの?」

 ユスティシーに聞かれる。ヴァイオレットは「……元々こうなることが運命だった。そう割り切るしかないよ」と呟いた。その横顔は寂しさを含んでいた。

「そう……」

 ユスティシーは、何も出来ない自分を恨んだ。女神なのに無力だ、この少女は人々のため

に一生懸命動いているというのに。

 ヴァイオレットは、どうすれば首謀者――ヒイラギ卿を助け出せるか考えていた。しかし、いい方法が見つからない。自分は部外者だ、士官学校の生徒ですらない。それなのに共に戦うのはおかしな話だろう。アイリスに頼む、というのも一つの手ではあるが、わざわざ煩わせるわけにもいくまい。

 ……全く、天才軍師の名折れだ。

 何も出来ない自分に絶望する。母譲りの頭脳をフル回転させても、何一ついい方法が浮かばないのだから。

 ――せめて自分が、士官学校の生徒であったなら……。

 まだ、可能性があっただろう。だが、それだと本名を名乗らなければならなくなる。今のところ、それは避けたい。

 手書きの年表を見る。……二月二十五日、五年に渡る大戦争が起こる。これは、その序章に過ぎないのだ。

 全てが、「闇に生きる者」の思惑通り進むだろう。ただ一つ、奴らに誤算があるとすればそれは――女神達が既に再臨していたということ。そして、その片割れが既に力を取り戻していることだろう。

「……ヴァイオレット、この日は……」

 ユスティシーは心配そうに少女を見つめる。ヴァイオレットはただ静かに微笑んだ。

「……気にしないで。その日は「何もない日」だよ」

「……そうね」

 違う、その日は彼女の母の命日であり、そして――。



 アイリスはアルフレッドにもヒイラギ卿を救い出す方法がないか相談するが、首を横に振って「無理だ」と言われるだけだった。

「……もし、ヴァイオレットが士官学校にいたなら、どうにか出来たのかもな」

 アルフレッドのその呟きがアイリスの耳に届く。確かにヴァイオレットなら可能だろう。だが、アヤメが許さないだろう。あの子ならそこをどうするのか……。

 ……とにかく、従うしかないということは分かった。なら、せめて生徒達が自分を必要以上に責めないように策をたてるべきだ。

「……お前も、教師らしくなってきたな」

「そう?」

 アルフレッドに言われ、アイリスは首を傾げる。学校に行ったことがないので教師というものがどんなものなのか分からないが、父が言うのだからそうなのだろう。

「あぁ、お前がそこまで誰かを心配するのはヴァイオレットの時以来だ。依頼者への対応だとかは俺がほとんどやっていたからというのもあるが……他人とは関わりを持たなかったお前がな……今でも信じらんねぇよ」

「それは私もだよ」

 アイリスが紅茶を飲むと、アルフレッドは「そういや、昔のことを話していなかったな」と呟いた。

「この際だから話しておこう。俺はアヤメ様に仕える前、王国のとある貴族に仕えていたという話はしたな?その方はかなりすごい方でな、十八歳で国務代理をされたんだ。俺も側仕えとして手伝っていたが、その年の青年がするようなものではなかった。だが、彼は文句も言わず笑って「大丈夫だ」と言っていた。そのお方はなかなか子供に恵まれなかったが、俺がお傍を離れる数年前に娘が出来た。その子は刻印があったから次の領主になる予定だった。俺も随分可愛がったよ。……もう、二十年以上前の話だ。お前とそのお方の娘は年が近いんだ。今年で二十九歳になるんだったかな?」

「……そう、なんだ」

 どうやらかつて仕えていた貴族の人と仲がよかったらしい。もし父がアヤメに仕えていなければ、きっと自分はその娘に仕えていたかもしれない。

「俺の家系はその貴族に代々仕える騎士でな、本来ならお前もそうなる予定だった。……いろいろあって、それは出来なかったけどな」

「大司教に仕えたから?」

「それもあるが……一番はお前のことだ」

「私のこと?」

「あぁ。お前は心臓が動いていないだろ?それは多分――」

 何かを言おうとした時、外からエイブラムの声が聞こえてきた。

「団長!いらっしゃいますか⁉軍議に出ていただきたいのですが!」

「あぁ……うるさい奴が来たな……悪い、また今度話すさ」

 そう言ってアルフレッドは外に出た。何を言おうとしていたのだろうか……?

「恐らく、おぬしの出自のことだろうな」

 アモールが呟く。出自……アルフレッドが二十年以上前に主人から離れたのなら、自分はそれより後に生まれたということだろう。父が大修道院を離れた後に生まれたのだから。

「……大修道院から出た後、か。それだと、少し計算が合わないと思うのじゃが」

 アモールが呟いた。どこか、と尋ねると「何となくなんじゃが……」と一言置いて、

「もし仮に、二十五年前に主人の元を離れたとする。五年はアヤメに仕えているじゃろう。そこからアリシャ騎士団を抜け、二年後におぬしが生まれたとするぞ。だとしたら、おぬしは十七……いや、この間誕生日が来たから十八歳じゃ。この大陸では教師になるなら、どんなに若くても二十歳でなければならない。なら、それよりも前かと言われたらそれもおかしいじゃろう。その時は主人の娘が生まれて間もない頃じゃろうからな。……だとすれば、おぬしは恐らく……」

 アモールはこれ以上言葉を紡ぐことを躊躇った。なぜなら、それは自分にも関わることだと感じたから。

「……どうなんだろう。分からないや」

「まぁ、それで何か変わるわけでもないからのう。気にするでない」

 だが、なぜか気になった。父は自分に何を隠しているのか。



 ヴァイオレットは再びフレット地方に来ていた。今度は念入りに、細かいところまで調べる。ふと一本の枯れ木を見て、ヴァイオレットは目を見開いた。

「……この、跡……」

 木の幹に三本の線が入っていた。あまりに自然に入っていたのでこれが何か、と他の人なら言うだろう。だが、ヴァイオレットには心当たりがあった。

 ――これは、「闇に生きる者」が現れた時に残す跡だ。

「これで分かったわね」

「うん。やっぱりフレット人は奴らの計画に巻き込まれただけだ」

 だが、今の自分には声をあげるだけの力がない。一番いいのは次期国王であるユーカリに伝えることだが、それでも大人達が納得するかどうか。こういう時、自分が貴族として過ごしていないことが悔やまれる。それでも、この発見は少女達にとって大きなものだった。

「やっと、見つけた……「何年」も探して……ようやく」

「えぇ……本当に長かったわね」

 そう呟く少女と女神の瞳には、何が見えていたのか。それを知る者は彼女達の他にいない。



 アイリスは何度も試行錯誤し、策をたてる。どうすれば生徒達が少しでも傷つかずにすむのか、寝る間も惜しんで考えた。

「先生、寝ているのか?」

 授業後、片付けを手伝ってくれていたユーカリに聞かれる。アイリスは「大丈夫だよ」と答える。

「……先生、俺でよければ相談に乗るぞ?」

「それはありがたいけど……君の負担にならないか?」

「担任に頼りにされることが負担なわけあるものか。むしろ、もっと頼ってくれ」

「……それなら、甘えさせてもらおうかな。次の課題の話なんだけど……」

 アイリスはユーカリと話し合いをする。彼は「なるほど……それなら」と意見を言ってくれた。

「なるほど……参考になったよ、ありがとう」

「これくらいお安い御用さ。……先生は、いつも俺達のことを考えてくれているんだな」

「それぐらい当然のことだよ」

「だが、先生は俺達と同じぐらいの年だろう?それなのにすごく冷静だ。……本当に、尊敬に値するよ」

 ユーカリに言われると、どこか照れくさく感じる。お世辞であっても、嬉しいと思った。

「よろしく頼むよ、先生」

 ニコリと笑いかけられ、アイリスは胸が温かくなった。それがなぜなのかは自分でも分からなかった。


 そうして課題の日、騎士団の一人アンドレア=バンフィールドと共に反乱軍の鎮圧へ向かった。

「……アンドレアさん」

「なんだ?アイリス先生」

「ヒイラギ卿と、話をさせてください」

 そう言うと彼女は考えた後、「……分かった。だが、危険だと判断した場合はすぐに討伐させてもらうからな」と言った。

 戦場に立つ。霧が深くて見えにくい、がこれぐらいアイリスにとっては慣れたもの。

「アドレイ、ついてこれるか?」

「はい、先生」

「なら、ヒイラギ卿がどこにいるか教えてほしい。一緒に向かおう」

 アイリスは他の生徒達に指示を出し、一緒についてきてくれたアルフレッド傭兵団の人達に護衛を頼んでアドレイと一緒に先に向かう。剣で斬り倒しながら、アドレイも弓を使って敵を倒していく。

 ふと、初老の男性が見えた。その人を見て、アドレイは目を見開いた。

「ヒイラギ様!」

 彼が、ヒイラギ卿……アイリスは戦うつもりのない、対談したいということを知らせるため、剣を鞘に収めた。

「……あなたがヒイラギ卿ですか?」

 確認のために問いかける。彼は「その通りだ」と頷いた。

「あなたの息子が聞きたいことがあるみたいです」

 そう言ってアドレイに合図した。彼は前に出て、

「ヒイラギ様、どうして反乱なんか……」

 震える声で尋ねた。ヒイラギ卿は「……アドレイ、お前に何も言わなかったことは悪いと思っている」と謝った。

「だが、ワシはどうしても教団のやり方に耐えきれんかったのだ」

「理由をお尋ねしても?」

 アイリスは、教団のことに疎い。何があったのか、何一つ分からないのだ。

「……ワシの実の息子が、無実の罪によって殺されたのだ」

「……!」

「それから、教団には不審しか持っていない。だが、これだけは信じてくれ。アドレイ、お前を巻き込むつもりはない。……あなたが、アドレイの担任だろうか」

「……はい、そうですが」

「お願いだ、アドレイを……アドレイと彼の兄弟達を、守ってくれ」

 ヒイラギ卿はそう言って頭を下げた。……こんなに優しい人が反乱を起こす程、教団に不信感を抱いていたのだろう。

「……分かりました。彼らを守ると約束しましょう」

 アイリスはそれを了承する。ヒイラギ卿は満足そうに笑った。そして、周囲を見て聞いてきた。

「そういえば、あの子はいないのか?」

「あの子?」

「その……紫色の髪の子だ。教団の仲間ではないのか」

 紫色の髪……もしかして、と心当たりのあるアイリスは問いかけた。

「その子、もしかして黒いロングコートを着ていましたか?その、目元だけの白い仮面をつけていて、長い髪を後ろに一つ結びしている……」

「あぁ、その子だ」

 やっぱり、と思う。

「その子は教団の子ではありません。……聞いたことありませんか?「義賊ヴァイオレット」。恐らく、彼女だと思います」

「ヴァイオレット……?……!」

 ヒイラギ卿は目を見開く。ユーカリとガザニアから大陸中で有名だと聞いているので、恐らく彼の耳にも入っていただろう。

「そうか、あの子が……ヴァイオレット……」

 ヒイラギ卿は乾いた笑みを浮かべる。

「もし会ったら、あの子にも謝ってくれ。辛く当たってしまってすまなかったと」

 そう言ってヒイラギ卿は霧の中に消えた。

 ――その後、騎士団によってヒイラギ卿が討たれたことが知らされた。それにより、反乱軍は鎮圧された。


 報告書を書いている間、アイリスは己の無力感を痛感していた。

 ――いっそ、自分が討っていれば責めてもらえるのに。

 教団への不信感……それによってヒイラギ卿は反乱を起こした。きっと、それに至るまでに何かがあったのだろう。だが、何より辛いのは、アドレイがずっと暗い顔をしていたことだ。養父が亡くなってしまったのだから、当然だ。彼の怒りの矛先が、自分に向けばよかったのに……。

「仕方のないことだったのじゃ。そう自分を責めるでない」

 アモールに言われるが、それでも悔しいと思う。いや、「思う」ではなく、悔しかった。何も出来ない自分が憎かった。

「……おぬし、「人間らしく」なったのう」

 アモールの呟きはアイリスに聞こえなかった。



 次の日、休日だったので報告書を提出し、釣り堀で釣りをする。するとフィルディアが来た。

「おい、先生」

「ん……どうしたの?」

 魚を釣りながら尋ねると、彼は「鍛錬の相手をしろ」と言ってきた。断る理由がないので釣竿を係に返し、訓練場に向かう。そこには既に先客がいた。

「エペイスト先生だ」

 目元だけ仮面で隠していて表情をうかがい知ることは出来ないが、彼も教師らしい。彼は二人をさして興味もなさげに見る。関わるつもりはないらしい。

「先生はあの人と鍛錬したことはあるか?」

「いや、そもそも初めて見かけたよ」

「そうか。エペイスト先生もかなりの実力者だという。だが、他人と関わることをよしとしないらしいな。授業以外で鍛錬してもらったことがない」

 ということは、実技教師ということか。覚えておこう。

 フィルディアと剣の打ち合いをしていると、シルバーがやってきた。

「よ、お二人さん」

「なんだ?シルバー。お前が珍しい」

「いやぁ、実は女の子から逃げていてな」

 ……この場合、自分はどうしたらいいのか?確かにシルバーは女癖が悪いと聞いていたが……。

「お前……またメーチェに怒られるぞ」

 幼馴染も手を焼いているようだ。フィルディアは軽蔑の目を向けている。

「……シルバー、幼馴染達に迷惑をかけるのはやめなさい」

 アイリスはそれだけを告げた。


 夜、書庫で本を読んでいると書庫番に話しかけられた。

「先生、勉強熱心なのはいいことですが、ほどほどにお休みください」

 白髪のこの男はウンブラ。四十年間書庫番をしていたが、数年前に倒れ離れていたらしい。今年からまた戻ってきたようだ。

「あぁ、すみません。ここまで読んだら帰りますので」

「では、鍵はここに置いておりますので出る時に所定の位置に戻していてください」

 ウンブラはそう言って書庫から出た。

 それから数分後、扉が開いた。

「あれ?先生」

 サライだ。彼女は本を持っていた。

「……本を返しに来たの?」

 ガザニアの時もそうだったなと思い出し、尋ねる。案の定彼女は「はい、そうです」と頷いた。

「先生は本を読んでいたんですか?」

「そうだね。戦術書を読んでいた」

 そう答えると、彼女は「丁度よかった!ここ、なんでこうするのか教えてほしいんですけど」と持っていた本を見せてきた。それを見て、「あぁ、これは……」と教える。

「なるほど、だからなんですね」

「サライは勉強熱心なんだな」

 感心していると彼女は頬を赤く染めて「そ、そうでしょうか?」と笑った。

「……実はあたし、お父さんを探していて。もしかしたら大修道院にいるかなって思って勉強を頑張っていたんです。魔法学校でいい成績を修めたら推薦してもらえると思って」

 そういえば経歴にもそんなことを書いていた覚えがある。フレットの悲劇が起こった一年後、行方知れずとなってしまったようだ。

「その、もしあたしと同じ髪色の初老の騎士の人がいたら教えてください」

「分かった、よく見ておこう」

 頷くとサライは「ありがとうございます!」と頭を下げた。そして「おやすみなさい、先生!」と部屋に戻った。アイリスも本を片付け、鍵を戻した後部屋に帰った。


 それから数日後、七月に入った時、西方教会がヒイラギ卿をそそのかした可能性が高いという情報があがった。アイリスがディアーに呼ばれたのは夕方のことだった。

「ちなみに、それを知らせてくれたのは白い仮面をつけた菫色の髪の少年だ。わざわざ大修道院まで来てくれてな」

「……そ、そうですか」

 その特徴は恐らくヴァイオレットのことだろうと思ったが、あえて訂正しなかった。

 その少年(実際は少女だが)はディアーが泊っていくように告げ、朝一番に出るからまだ帰っていないということなので探してみると、黒い黒衣の長い菫色の髪の少し身長の高い子供が歩いていた。

「ヴァイオレット」

 その名を呼ぶと、彼女は振り返った。白い仮面に覗く赤い瞳……確かに自分の妹分だった。

「……先輩?」

 ヴァイオレットはアイリスの姿を見て、そう言った。自分のことをそんな風に呼ぶのは彼女しかいない。

「久しぶりだね、元気だった?」

「えぇ、もちろん。先輩は?」

「私も元気だよ。変わったことと言ったら教師になったことぐらいかな?」

「噂で聞きましたよ。まさかあなたが教師なんてね……驚きましたよ」

「君から教えてくれたことが結構参考になっているよ、「天才軍師」殿の教え方が上手かったおかげでね」

「もう……からかうのはやめてください」

 立ち話もなんだし、と歩きながら会話をする。

「あ、そういえば。君、ヒイラギ卿を説得しようとしてくれたみたいだね」

「あぁ、はい。……すみません、説得しきれなくて」

「いや、いいんだ。ヒイラギ卿も「辛く当たってしまってすまなかった」と言っていた」

「そんなこと……私は何も出来なかったのに」

 ヒイラギ卿の伝言を言うと、ヴァイオレットの表情が曇った。それを見たアイリスはこの話をやめ、別の話をする。

「修道院内のネコは見た?」

「あぁ、結構いましたよね。あれ、誰がエサを与えているんでしょう……?さっき、子供達が魚をあげているのは見ましたが」

「私もよくあげているよ」

「……お前もか」

「口が悪くなってるよ」

「先輩しか聞いていないから大丈夫です」

「それでいいの?義賊様」

 歩きながら話していると、食堂についた。

「そういえば、ご飯は食べた?」

「あ、いえ、まだ……」

「なら、食べていくといい。ここのご飯は全部おいしいよ」

 アイリスはヴァイオレットの返事も聞かず、食事係に二人分を注文した。ヴァイオレットは放っておくと限界まで食べないことを知っているからだ。

 食事が出来るまでの間、ヴァイオレットを見る。白い仮面に黒いロングコート、青い手袋、中着は水色で胸元に青い花――恐らくはバラ――の飾りがある。腰には茶色のベルトをつけていて、恐らく見えない位置に短剣を隠しているのだろう。腰には剣を携えている。身長も相まってか、どうしても十三歳の少女には見えない。さらにさらしも巻いているのか胸のふくらみも見えないので確かに「性別不明」だとか「少年」と言われてしまうのも納得がいく。

「……あの、先輩?」

「なに?」

「そんなに見つめられたら、恥ずかしいんですが……」

 ヴァイオレットは頬を赤く染めながら告げた。どうやら思った以上に見ていたらしい。「ごめん」と謝ったが、それでも観察をやめなかった。ヴァイオレットも諦めているのか、それ以上は何も言わなかった。

「あ、先生。……と、そこの少年は?」

 その時、ユーカリとガザニアが来た。彼らもヴァイオレットが男に見えたようだ。

「あぁ、この子がヴァイオレットだよ。ほら、前に話した……」

「ヴァイオレット……ということは女の子か?すまない、男の子に見えたものだから」

「いえ、構いませんよ。むしろその方が都合いいので……。改めて、ヴァイオレットと申します」

 ヴァイオレットは立ち上がり、頭を下げる。

「俺はユーカリだ。一応、王国の王子だが……気にせず接してほしい」

「俺はガザニア。ユーカリ殿下の従者をさせてもらっている」

 二人も自己紹介し、頭を下げた。やはり騎士の国の子、礼儀がなっている。そして「今から食事か?」と聞いてきたので頷くと「一緒にいいだろうか」とさらに尋ねてきた。

「もちろん。ヴァイオレットもいいよね?」

「えぇ、大丈夫ですよ」

「ありがとう」

 それぞれ食事をもらい、椅子に座る。

「ヴァイオレットは王国出身とアイリス先生に聞いたのだが」

「えぇ、そうですよ。先輩……アイリスに会うまでは母と一緒に王国領の小さな村に住んでいました」

「貴族の血筋らしいな?」

「そうですね。いろいろあって、詳しいことは話せませんが……五歳までは平民として暮らし、その後は貴族に戻る予定でした。……もし母が生きていたら、実際にそうなっていたでしょう。何しろ私も刻印のある身、本当ならば領主である祖父の元に戻るべきだと理解はしています」

「そうしない理由は?」

「私自身、調べたいことがたくさんあります。そしてそれは「貴族」では都合が悪い。それに、困っている人を助けたい、とも思ったからです。同じ「平民」なら、助けを求めやすいと思って」

「……なるほど。本当に困っている人は身分の高い者に簡単に助けを求めることが出来ない、ということか。確かに、その通りかもな」

「もちろん、身分の高い者でなければ出来ないこともありますから、一概にこれがいい、とは言えませんけどね」

 ユーカリとヴァイオレットが話している。平民であるアイリスとガザニアは政治のことなどよく分からないが、心優しい彼ららしい会話だと思った。二人共、上に立つ者としては優しすぎるのだ。ヴァイオレットなんかはそれで一度心を壊したというのに。

「そういえば、ヴァイオレット」

「どうしました?先輩」

 アイリスが呼ぶと、ヴァイオレットはすぐにこちらを向いた。

「あのさ、「フレットの悲劇」についてどれぐらい知ってるの?私もフレット地方の近くの村の村長に手紙を送っているんだけど、なかなか情報をくれなくて……」

「あぁ、それなら……」

 ヴァイオレットは持ってきていたカバンから大量の紙を取り出した。丁寧にまとめられているそれの内容はまさに求めていた情報だった。

「私も「フレットの悲劇」の話はどうしても納得いかなくて自分で調べていたんです。何度か現場にも行きました」

「……ヴァイオレットの意見は?」

 アイリスは気になって尋ねる。この妹分は、情報収集能力にも長けている。さらにそこからの推理力もかなりのものだ。「秀才」とはまさに彼女のためにある言葉だと思うほど頭がいいのだ。そんな彼女に「あれはフレット人がやりました」と言われたらぐうの音も出ないのだが。

「……あれは、フレット人が起こしたものではないでしょうね」

 ヴァイオレットの口から出たのはそんな言葉。それだけで、アイリスはホッとする。なぜなら、彼女は確信していないと断定系で物事を言わないから。

「ただ、大人達を納得させるにはまだ情報が少ない、というのも確かです。だから引き続き、時間がある時に絶対的な情報を探そうと思っています」

「そう……ちなみに、なぜ確信出来たの?」

 大人達が納得出来ないのに、ヴァイオレットだけは分かる情報……それはどんなものだったのだろうか。

「……一つは、私が住んでいた村で起きたことに似ていた。もう一つは……「ある組織」が残す跡を見つけたからです」

「ある、組織……?」

「……通称「闇に生きる者」と呼ばれています。目的も正体も何もかもが不明、分かっていることは人に害をなすことだけ……そんな組織です。彼らが現れた時、木や柱に三本の線を残すんです。普通の人から見たらなんてことない、何ならイタズラでつけたようなただの線なので、見逃すことが多いと思います」

「どうして分かったの?」

「それには特徴があるんです。一番上は極端に薄く、見えるか分からないほど。二番目の線は反対に太くつけられています。三番目の線は二番目ほどではないけれど、ちゃんと見えるぐらいの線です。それが等間隔で計三本の木についていました。だからこそ、私には分かった」

 確かに、それは知っている人にしか分からないことだろう。「闇に生きる者」と三本の線……覚えておこう。

「なぁ、ヴァイオレット。この資料、もらっていいか?」

 ユーカリが資料を見ながら聞いてきた。ヴァイオレットは「いいですよ、私は手帳にまとめていますし、何ならまとめて王都に送ろうと思っていましたから」と頷いた。

「ありがとう。じっくり読ませてもらう」

 ユーカリは本当に嬉しそうにそれを受け取った。ガザニア達フレット人の無実の証明に一歩近付いたからだろう。

「ねぇ、ヴァイオレット。新しい情報があったら教えてほしい」

「いいですが……なぜ?」

「傭兵時代だったら情報も入ってきたけど、教師になってからは必要以上に大修道院の外に出られなくてね」

「なるほど。分かりました。なら、月に一度、ここに来るようにしますね。来れない時は手紙を送りますから」

「ごめんね、手間をかけさせちゃって」

「いえ、先輩の頼みなら最優先にしますよ」

 ヴァイオレットは笑う。そこでふと思った。

「ヴァイオレットって、槍術も得意だよね?」

「急にどうしたんですか?確かに得意ですが……」

「なら、ユーカリと手合わせしてみたらどう?確か、朝一番に出るんだよね?」

「今、夜ですけど……」

 外は既に暗くなっていた。普通の人なら寝る時間だ。

「もしかして、疲れているの?それなら、無理強いはしないけど……むしろ君はもっと休んだ方がいいし」

「いえ、そういうわけではありませんよ。この後は少し鍛錬しようと思っていましたから。そうではなく、ユーカリ様もお疲れになるでしょうから……」

「俺としてはお前と手合わせしてみたいが」

 ユーカリに言われ、ヴァイオレットは考える。三十秒後、「……分かりました、手合わせしましょうか」と告げた。

「……殿下、あまり羽目を外されすぎぬよう……」

「分かっているさ」

 主従のやり取りを、ヴァイオレットは微笑みながら見ていた。それはどこか嬉しそうだった。

「……ヴァイオレットは、フレット人に差別意識とかないんだね」

 アイリスが呟く。アイリス自身も差別しないが、そうでない人の方が多い。特に王国の人間であるなら、いくら無実であろうと嫌っていてもおかしくはない。だが、ヴァイオレットはキョトンとしてアイリスに告げた。

「……そんなこと、考えたこともなかった。どの国の人間でも、それがたとえ異民族であっても困っている人は助ける対象だったから」

 それを聞いて、今度はアイリスがキョトンとする番だった。そして、

「なるほど、ヴァイオレットらしい」

 そう言って笑いかけた。その笑顔を見てヴァイオレットは驚く。

「……先輩が笑っているところ、初めて見ました」

「そ、そんなにおかしいだろうか……?」

「いえ、そっちの方が人間らしくて、私は好きですよ」

 さらりと口説き文句を言ってくる。恐らくヴァイオレットは無意識だろうし、アイリスも分かっていない。

「そう……ここに来たことが、あなたにとっていい影響を与えてくれているんですね。よかった」

 ヴァイオレットにとって、アイリスが感情を得ていくことが嬉しかった。かつて自分も感情がなかったがゆえだ。

 ――感情がない人間は、ある意味ただの「人形」だ。

 「感情」を得て初めて、そのことに気付いた。ヴァイオレットが最初に得た感情は負のもので、他人を傷つけてしまった。アイリスがいなければ、自分は今頃……そう考えると恐ろしかった。今の自分があるのは、敬愛する先輩のおかげと言っても過言ではない。

 きっと、少しずつ感情を得ていったら彼女は一緒に過ごしてきた時よりももっと素晴らしい人物になるだろう。ヴァイオレットはそう思った。

 その後、四人は訓練場に行き、ユーカリとヴァイオレットが手合わせを始める。先輩と従者はその様子を見守っていた。……二人共、かなり楽しそうにやっているなと思った。

 一時間ほど経っただろうか。一度休憩を入れようとアイリスが声をかけると、熱中していた二人は「分かった」とこちらに来た。一枚ずつタオルを渡すと二人はお礼を言い、汗を拭く。

「さすが、義賊の動きだ。熟練されている」

「ユーカリ様も素晴らしい動きでしたよ。いい先生に教えてもらったんですね」

 二人はまるで兄妹のように仲良く話していた。ユーカリはともかく、ヴァイオレットがあんなに楽しそうに話すのが珍しいと思った。彼女は大人が苦手だからだ。

 二人は意見を出し合っている。二人共、本当に上に立つ者なんだな……と思った。

「では、もう一度手合わせしてくれ」

「いいですよ」

「……その、ヴァイオレット。明日、依頼があるんじゃないの?」

 なおも続けようとする妹分に聞くと、彼女は「明日は夜に入っているので、ここを少し遅く出るぐらいなんてことないですよ」と答えた。どうやら朝一番に出たら、昼に着く距離らしい。夕方までに着けばいいから、実際はもう少し遅くても大丈夫だそうだ。

 そうして二人は再び手合わせを始める。二人が満足した時は既に十時を過ぎていた。


 次の日の朝早く、コンコンという音でアイリスは起きる。扉を開くとそこにいたのはヴァイオレット。

「おはようございます、先輩。朝早くからすみません、もう出るので挨拶だけでもと思いまして」

「あぁ、そうなんだね。気を付けて行ってね」

「はい、行ってきます。……あぁ、集めてほしい情報は紙にまとめていてください。時間がある時に集めてきますから」

 そう言って、ヴァイオレットは去っていった。五分後、ユーカリが息を切らして来た。

「先生!ヴァイオレットは……?」

「あぁ、さっきここに来たからまだ遠くには行っていないと思うよ」

「ありがとう!少し話したいことがあったんだ」

 そう言って、ユーカリはその後を追いかけた。昨日の内にかなり仲がよくなったらしい。それが少し羨ましく思えた。

 ユーカリは菫色の髪を見つけ、呼び止める。

「どうしました?ユーカリ様」

「実は、聞きたいことがあって……先生は何が好みだろうか?」

 まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったヴァイオレットだが、少し考え、

「……言わずもがな、剣が好きですね。装飾品にはあまり興味がないと思います。あとは他人の笑顔が好きで、頼られたいと思っていると思います。食事も特にこだわりが……あぁいや、一つだけ駄目なものがありました」

「それは?」

 あの先生の苦手なもの、というのが気になった。

「基本何でも食べるのですが、トマトだけはどうも苦手みたいで……一緒にいた頃、トマト料理を出すと嫌そうな顔をしたんです。だから、私もアルフレッドもトマト料理を作る時は小さく切って、気付かれないようにしていたんですよ」

「そうか。それは少し見てみたい気もするな」

 アイリスは基本的にどんな言動をしても嫌そうな顔をしない。個別に教える時も、よく出来た人には褒めるし、うまく出来なかった時はその人に応じて変えたりとしていて、ちゃんと生徒達を見ているのだ。

「結構面白かったですよ。見てみたいなら、今度やってみたらいいです」

 この様子だと、たまに反応を楽しんでいたのだろう。案外性格が悪いなと思うが、自分もやってみたいと考えているので同じだろう。

「それから、大修道院に顔を出したらまた手合わせをしてくれ」

「いいですよ。楽しみにしていますね」

 話もそこそこに、この後依頼があるからとユーカリはヴァイオレットを見送った。

 ――あの子が、自分と同じような境遇……。

 とてもではないが、あんなに明るい子が、かつて復讐に生きていたとは信じられなかった。昨日、話しただけで分かったのだ。損得勘定など関係なく他人を思いやる、心優しい子であることを。そして手合わせしてみて分かった。とても強く、王国を守ることが出来る力を持っていることを。その上、あの後も話をしてみたがアイリスの言う通り頭もいい。まさに大人顔負けの秀才だ。彼女がその気であるなら、ぜひとも我らが担任教師と共に王国で働いてもらいたいところだった。今のところ、そのつもりはなさそうなので無理強いはしなかったが。

 それに、何かあったら手伝ってくれるという。いろいろなところに行くから国務だとかはさすがに無理だが、調査ぐらいならやると言ってくれた。もちろん、ユーカリはフレットの悲劇についてもっと調べてほしいと頼んだ。それから、ヒイラギ卿の反乱の原因についても知りたいと。彼女は「分かりました」と笑って頷いた。それは、年相応の笑顔だったが、その裏に暗いものが見えた。そしてその後ろに、複数の黒い影がヴァイオレットにまとわりついているように見えた。もちろん、他の人に見えるはずがないが、ユーカリにはそう見えたのだ。――自分にまとわりついている、死者達の声と同じように。

「……ヴァイオレットも、もしかしたら……」

 それだけが、自分と彼女が「同類」である証だと、ユーカリは思った。


 それから、アヤメが女神へ祝祷の儀を行うということでその護衛がオキシペタルムクラッスの課題になった。大修道院の内装をあまり分からないアイリスのかわりにユーカリが襲ってくる可能性が高い場所を抜き出し、一緒に策をたてる。

 休日は聖堂でずっと祈っているアドレイをお茶会に誘って少しでも気を紛らわせたり、不安がっている生徒達を慰めたりしていた。

「先生は、いつも冷静なんですね」

 そう言ってきたのはメーチェだった。一緒に食事をしていたアンナも「そうよね~」と頷いた。

「でも、先生も私達を頼ってくれてもいいのよ~」

「いや、今でも十分頼らせてもらっているが……」

「いえ、先生はもっと私達を頼るべきです」

 生徒達に気を遣われる教師、というのはどうなのだろうか。やはり、自分は頼りないのだろうか?

「先生は一人で抱え込みすぎです。もっと自分のために時間を使ってもいいと思います」

 しかしそういうわけではないと、その言葉で分かった。

「大丈夫だよ、私もやりたいことをしているし」

「……なら、いいですけど。その内、殿下に小言を言われても知りませんからね」

「確かに、ユーカリのお説教は結構長いものね~」

「わ、分かった。気を付けるとしよう」

 何に気を付けたらいいのか分からないが、とりあえず頭に入れておくことにした。


 そして祝祷の儀の日。アイリスとユーカリを中心に見回りをしていると、聖墓の前の広間で敵襲にあった。見る限りだと祭司達だが……一部謎の集団もいる。祭司達はヒイラギ卿をそそのかしたという西方教会の人間だろうが、その謎の集団が何者か分からない。少なくとも、儀式を邪魔しようとしていることだけは分かった。

「皆!迎え撃つよ!」

 アイリスの号令と共に戦闘が始まる。ほとんどが魔法を使ってくるようで、苦戦を強いられてしまう。

 その時、謎の集団の一人が近くにあった細長い箱――恐らく棺桶――を開いた。そこから出てきたのは骨――ではなく、古く、ボロボロになった剣だった。それも、ただの剣ではなかった。丸くぽっかり空いた穴は何かが入りそうで、素材は見たところ金属ではない。あれは……何かの骨だ。

「はぁあ!」

 それを持った敵がアイリスを斬ろうとしたが、アイリスは受け止め、はじく。そして、その剣を持つと――それが赤く光った。それと同時に、力も満ちていく気がする。

「あれは……!」

 ユーカリが呟くが、それを気にせずアイリスはそれで斬り捨てた。

 騎士団の者達が来て、祭司達が捕らえられる。そして、儀式を終えたアヤメのところへ連れて行かれた。

「……終わったね」

 そう呟き、剣を見る。見れば見るほど不思議だ。

「それはもしかして……「神の遺産」か?」

「神の、遺産?」

 ユーカリがアイリスに近付き、よく分からない単語を言ってくる。彼曰く、神の遺産というのは該当する刻印を持つ者が真の力を使える武器なのだそうだ。そうでない人も一応普通の武器として使えるそうだが……使いすぎると危険らしい。

「だが、それは刻印石がない……それなのになぜ適合反応が……?」

 ユーカリの呟きはアイリスに聞こえてこなかった。


 後からアヤメに尋ねると、その剣は「シルディルテオス」という名前らしく、「始まりを司る者」の刻印を持つ者が扱える伝説の剣らしい。

「それはあなたに預けます。どうか、生徒達を導いてあげてください」

 アヤメの言葉にディアーは驚く。

「大司教!それは教団にとって大事なものです!そう簡単に預けるなど……!」

「大丈夫です。これも女神の思し召し……ならば、真の力を引き出せる彼女に預けるべきでしょう」

 ディアーをなだめ、アヤメはアイリスを見る。――それは、恍惚に満ちた瞳だった。

「アイリス、あなたの活躍を期待していますよ」

 ディアーはまだ納得していないようだったが、アヤメには逆らえないのだろう。「くれぐれも、悪事のために使うことのないように」とだけ告げた。そうして、シルディルテオスはアイリスの手に渡ることになった。



 ――先輩が「神の遺産」を手に入れる日か……。

 ヴァイオレットはヒイラギ卿の反乱の原因について調べながら、そんなことを考える。

「そういえばそうだったわね」

 ユスティシーも一緒に探しながら、ヴァイオレットに言った。西方教会からヒイラギ卿に送られた書簡を見つけ、やはりと思いながら「あれは女神の骨で作られた神の遺産だからね」と答えた。

「そうね。……お姉様の骨から作られた、罪深き武器だわ」

「……それで言うなら、あなたの骨から作られた僕の家系に伝わる弓も、十分罪深いと思うけど」

 「神の遺産」と呼ばれるものは全て女神の眷属達の骨と心臓で作られているのだ。そして、その眷属の血を引き、なおかつ「刻印」がなければ、真の力を発揮出来ない。骨は剣や槍などの武器に、心臓は力を封じ込めるための石になっている。……だが、シルディルテオスはその肝心の「刻印石」がない。それなのに、アイリスには使える……。

「彼女に何かある、と考えた方がいいと思うわ。誰かに身体改造された、とか」

「そうだね。……恐らく、僕もそうだろうし」

 左胸に手を当てる。……相変わらず、心音は聞こえてこない。己の鼓動を、感じたことがない。

 母の鼓動を思い出す。きっと、あれが命の刻む証なのだろう。なら、それがない自分は本当に「生きている」のだろうか?

「……ヴァイオレット」

「分かってるよ、そんなこと考えても、答えなんて出ないことぐらい」

 だが、どうしても問いかけずにはいられないのだ。自分は本当に「人間」と呼べるのか、と。

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