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一章アリシャ聖教会と士官学校の生徒達

 夢を、見た。

 戦争の夢を。

 女性と男性が戦い、女性が男性を殺して剣を奪い返した。その時の女性は、男性に恨みを持っているようだった。

 それから、世界が暗くなり石の玉座が現れ、そこに緑髪の少女が寝ていた。

 その少女は目をこすってあくびをし、目の前に立っている女性に問いかけた。

「おぬし、何者じゃ?なぜここにおる」

 深い青の髪の女性は無表情のまま「人間だ」と答えた。なぜここにいるかは自分でも分からない。そもそも、これは夢なのだ。場所など関係ないのだろう。

「人間と言うたな?なら、名乗ってみよ」

 少女は彼女にそう言った。彼女は「アイリス=カサブランカだけど」と答える。

「ほう、アイリスか。不思議な名前じゃのう。……ふぁあ……わしはもうひと眠りするかの……」

 そう言って少女はマイペースに眠ってしまう。

 そこで、女性――アイリスは目が覚めた。外は夜明け前だ。

ここは同盟領のインコントロ村。彼女はすぐに父であるアルフレッドのところに向かう。

「おはよう。またあの夢を見たのか?」

 父に聞かれ、アイリスは「戦争の夢……」と呟いた。ここ最近、同じ夢ばかり見るのだ。

「戦争、ねぇ……お前の言うような大規模な戦争はここ数百年起こってねぇけどな……。まぁいい。そんなもん忘れちまえ。俺達傭兵は命懸けなんだ、余計なこと考えていると早死にするぞ」

 そう告げる父に彼女は頷いた。

「それにしても、今日は王国領で仕事だから早く起きろと言っていただろ?」

「そういえば……」

「全く……他の奴らはもう外で待ってるぞ」

 アルフレッドが呆れながら彼女の頭を撫でたその時、一人の傭兵が慌てて彼に駆け寄ってきた。

「アルフレッドさん!すまないが、すぐに来てくれないか?」

「どうした?」

 その慌てように二人は顔を見合わせ、外に出る。そこには一人の少女と二人の青年が立っていた。

「突然すみません!実は私達、野営中に盗賊に襲われたのです」

 そう言ってきたのはこの中で一番背の高い金髪に碧眼の青年。

「うまく他の人達と切り離されて、多勢に無勢。命までとられるところでしたよ」

 今度は茶髪に緑目の青年が口を開いた。彼からは焦りが感じられなかった。

「そう言う割にあんまり……ん?その制服……」

 アルフレッドは青年達が着ている服を見て、何かを思い出しているようだった。しかし、他の傭兵達が「アルフレッドさん!かなりの大所帯だ!」と報告した。

「チッ……ガキどもはともかく、この村には随分世話になったからな……おい、アイリス。準備はいいか?」

 父が娘に聞くと、彼女は頷いた。

 アイリスは剣を構える。すると盗賊の親玉らしき男が下品な笑いをあげた。

「がっはっはっは!こんなか弱そうな女に何が出来る!」

 馬鹿にされるが、アイリスは退かない。手下と思われる盗賊達が彼女に向かって剣や斧を振り落としてくるが、それを避けて斬っていく。だてに男所帯の中で傭兵などやっていない。

 親玉はその様子を見て焦ったのか、自ら襲い掛かってくる。しかし、それも簡単に退けてみせた。

「くそっ!こんな女にぃ……!」

 親玉は起き上がり、白髪の少女に襲い掛かった。アイリスはとっさに少女を庇った。アイリスの背に斧が振り落とされるその瞬間、時が止まり、いつも夢で見るあの少女が現れた。

「おぬし!もう少し気を付けよ!」

 少女に怒られ、アイリスは謝る。少女は呆れたように首を振る。

「全く……おぬしに己が命の価値など、分かるまい。わしはアモール。わしがおぬしを導いてやる」

 少女は名案だと言いたげだ。確かに、時を止めることが出来る彼女が導いてくれるなら、失敗も少なくなるだろう。しかし、今はそれよりもあの状況をどうするかだ。時が止まったとはいえ、このまま動き出せばアイリスは間違いなく死ぬだろう。少し考えて、一つ思いつく。

「アモール、だっけ?時を止められたのなら、巻き戻せないかな?」

 アイリスが聞くと、アモールは「やってみる」と言って力を込めた。

「お、出来るようじゃ。少ししか出来ぬが、何が起こるか分かれば対処も出来よう」

 そう言って、アモールは時間を巻き戻してくれた。

 親玉が起き上がり、少女に襲い掛かる。アイリスは剣を構えて前に立ち、それを振り払った。

 盗賊達が逃げていく。それと入れ替わりに男性が騎士団を連れてやってきた。

「生徒達を脅かす盗賊どもめ!このわたしが……ってあれ?」

 男性はキョロキョロと見渡し、盗賊が逃げたことを知る。それと同時にアルフレッドを見て感動した声を出した。

「おぉー!アルフレッド団長じゃないですか!わたしのこと覚えておりますか⁉エイブラムですぞ!団長が突然いなくなって早二十年、ずっと生きていると信じておりました!」

 団長……?と疑問符を浮かべているアイリスを横目に父は「はぁ……面倒な奴に捕まっちまったな……」と呟いた。

 男性はアイリスに気付き、「こちらの若者は団長の子供ですか?」と聞いてきた。それに頷くと、エイブラムと言った男は「確かに見た目は全く似ていないが、雰囲気はそっくりですな!」と笑った。

「じゃ、俺はこれから傭兵の仕事があるから、またな」

 アルフレッドが言うと、彼は「えぇ、またどこかで……」と頷いた後、

「って、そうなるわけないでしょうが!団長には一緒に来てもらいますからね!貴殿も同行願えるだろうか?」

「大丈夫、ですが……」

 父が行くのならついて行くほかない。アイリスが頷いている間にアルフレッドはある種諦めの表情を浮かべた。

「はぁ……さすがにアリシャ騎士団には敵わないからな……ベアテ大修道院、か……」

 その言葉を聞いていると、頭の中にアモールの声が聞こえてきた。

「ほら、あちらで呼ばれておるぞ」

 驚いたが、確かに先程の青年達が手招きしているのでそちらに向かう。

 青年達の前に立つと、少女が「ありがとう、おかげで助かったわ」とお礼を言ってきた。

「それにしてもあなた、腕が立つのね。しかも、あなたの父はかの有名なアリシャ騎士団の歴代最強と言われたアルフレッド……」

「父が団長だとは知らなかったよ」

 アイリスが言うと、「そんなことがあるの?何か言えない事情がありそうね……」と驚いていた。

「そもそも、アリシャ騎士団って何?」

「それも知らないのか?」

 金髪の青年が驚いた表情を浮かべる。この反応を見る限り、巷ではかなり有名なのだろう。ただアルフレッドに従っているだけだったので、世間体には疎い自覚がある。

「じゃあ、ベアテ大修道院は知っているか?」

「べあて……?」

「これも知らないか……あんた、珍しい人だな。まさかアリシャ教も知らないのか?」

「……何かの宗教?」

 茶髪の青年に質問されるが、そういったところはアルフレッドが一切近寄らせてくれなかったので、何も分からない。

「そうか……このディオースに生まれてアリシャ教に一切関わったことがないなんて珍しい人だな、お前も」

 金髪の青年にそう言われ、この大陸では当たり前なのだと知る。確か、「あの子」も宗教のことは知らなかったハズだ。

「俺達、そこに併設されている士官学校の生徒なんだよ。課外活動の途中で盗賊に襲われてな……」

「あなたが真っ先に逃げ出すからじゃないの?」

 茶髪の青年の言葉に白髪の少女は睨みつけた。すると彼は「そうだった、聞いてくれよ」と楽しそうに話しかけてきた。

「俺だけこっそりずらかろうとしたらこいつらまでついてきて、盗賊達は揃いも揃ってこっちを追いかけてきたんだ。笑い話だよな」

 その言葉に金髪の青年が呆れた表情をした。

「グロリオケ、お前はそんなこと考えてたのか?皆のために囮になったものだと思っていたんだが」

「そうに決まってるじゃない、ユーカリ。言葉の表しか見ないようじゃ名君にはなれないわよ」

「言葉の裏ばかり読んでも名君にはなれないと思うがな、アネモネ」

 どうやら白髪の少女はアネモネ、金髪の青年はユーカリ、茶髪の青年はグロリオケというようだ。しかも会話を聞いていると、相当身分が高い者達。彼らは何やら言い合いをしている。しかしすぐにアイリスの方を向いた。

「まぁいい。今はお前のことだ。盗賊団の頭相手に一歩も引かぬ戦い……俺ももっと強くならねばと思ったよ」

 そう言ったのはユーカリ。それにアネモネも同意した。

「そうね。あなた、帝国で働く気はない?何を隠そう、私はアーダルベルト帝国の……」

「待て、それなら俺も話がある。今、ベネティクト神聖王国はお前のような優秀な者を必要としている。俺と一緒に王国に来てくれないか?」

「そこまでだ。二人共、手が早いぞ。どうせ一緒に来てくれるんだ、俺はその間に親睦を深めたいね。まずはあんたの好みから聞こうか。どの国が好きなんだ?」

 どうやら三人は出身国が違うようだ。アイリスは少し考え、本当はこの後王国領に行くハズだったことを思い出す。

「……ベネティクト神聖王国、かな?」

 何となく、そう呟く。ベネティクト神聖王国は北にある寒冷な国で、約八百年前にアーダルベルト帝国から分裂し、さらに約四百年前にフリードリヒ諸侯同盟国と分裂したハズだ。

「そうか。ベネティクト神聖王国は騎士道に重きを置いてきた、高潔な国だからな」

 ユーカリが嬉しそうに言った。そこでエイブラムに「修道院に戻るぞ!早く準備してくれ!」と言われたのでそちらに行く。

(それにしても……)

 アイリスは歩きながら考える。

 アネモネは……気品の高い少女だが、常にこちらを値踏みされている気がする。

 ユーカリは……騎士らしく誠実な印象を受けるが、どこか陰りがある気がする。

 グロリオケは……人懐っこい笑みが特徴だが、目が笑っていない気がする。

 三人の最初の印象はそんな感じだった。他人とあまり話さず、感情が出ないアイリスは気のせいかもと思ったが、やはり忘れられなかった。

 大修道院までの道中、三人と話していると大きな建物が見えた。あれがベアテ大修道院だろう。

 三人と別れてアルフレッドと歩いていると、テラスからこちらを見ている緑髪の女性がいることに気付いた。

 ――この人、見たことがある。

 なぜか、そう思った。会ったことがないハズなのに、だ。

「アヤメ様……」

 アルフレッドはそう呟く。騎士団団長だったらしいので、かつて仕えていたのだろう。

 部屋に通され、何もやることがないアイリスは本を読み始める。アルフレッドから読み書きは習っていたのである程度は分かっているつもりだ。

 やがてアヤメに呼ばれ、二人は聖堂に向かう。そこには先程見た女性と側仕えであろう緑髪の男性が立っていた。

「アルフレッド。級長達を救ってくれたことを感謝します。そちらの方はあなたの子供ですか?」

「……はい。ここを出てから生まれた子で……」

「そうですか。名前をうかがっても?」

 アヤメに見つめられ、アイリスは名乗る。アルフレッドは何とも言い難い表情を浮かべていた。

「アイリス……いい名前ですね。こちらはディアー。私の補佐官をしてもらっています」

「君にはこれから、士官学校の教師としてここにいてもらいたい」

 いきなり言われた台詞にアイリスは疑問符を浮かべる。

 ……なぜ急に?

 騎士団に勧誘されるなら、まだ分かる。元が傭兵なので、実力が認められたと考えられるだろう。だが、なぜ教師?自分は言うほどの教養があるわけではない。他に適任者がいるだろう。

「大司教からのご使命だ。私は反対したんだが……確かに一度生徒を見捨てた教師を担任とするのは問題だろうと思ってのことだ。その点、生徒を助けた君は評価出来る」

 本当にそれだけか……?と思いながら「分かり、ました……」と頷く。やはりアルフレッドは浮かない顔だった。

 その時、別の男性と女性がやってきた。

「新しい教師はあなた?随分強そうな人ねぇ」

「いや、アルフレッド殿じゃない。こちらの女性だ」

 女性はアルフレッドを見て、彼が教師になると思っていたらしい。まぁ、確かにアイリスの見た目はまだアネモネ達と変わらない年齢だろう。

「あら、あなただったの⁉まだ若いから、てっきり生徒になるのかと……」

「こちらはアンジェリカ=コリンソンとクリストファー=ウィットブレット。共に教師だ」

「初めまして。私はアンジェリカ、元歌姫で医務室の管理人でもあるわ」

「私はクリストファー。女神の力について研究している」

 二人は驚きながらもアイリスに挨拶をする。医者と研究者か……確かに教師としては適材だろう。少なくとも、傭兵よりは。

「……私はアイリスと言います。不束者ですが、これからよろしくお願いします」

 肩身の狭さを感じながら、頭を下げる。アンジェリカは「よろしくね、分からないことがあったら私達に何でも聞いて」と笑った。

「いきなり担任になれと言われても、雰囲気が分からないだろう。士官学校を見に行くといい。級長達には伝えている。明日、どのクラッスがいいか尋ねるから考えていてほしい」

 ディアーに言われ、アイリスは頷いて一度士官学校の様子を見に行こうとすると、アルフレッドが彼女に「……アヤメ様には気を付けろよ」と囁いた。どういう意味だろう……?と思いながら士官学校に向かった。

 最初にアネモネに会った。彼女は「教師になるみたいね、帝国で働いてもらうよう交渉しようと思ったのに」と言った。

「自己紹介がまだだったわね。私はアネモネ=レッドローズ=テミストクレス。こう見えてアーダルベルト帝国の次期皇帝よ。ローズルージュクラッスの級長をしているわ」

 次期皇帝……ということは皇女かと気付く。彼女の話によれば、ローズルージュクラッスのほとんどが貴族出身で平民は一人だけらしい。少し肩身が狭いかもしれない。

「あなたが私達の担任になることもあるのかしらね」

 そう言って彼女は笑いかけた。その笑みは純粋な少女の瞳だった。

 その次に会ったのはユーカリ。彼は「教師になるみたいですね。さすがに無礼な言動は控えないといけないので」と微笑んだ。

「私はユーカリ=アレキサンドル=アストライアと申します。オキシペタルムクラッスの級長で、一応ベネティクト神聖王国の王位継承者ですが……ここでは一人の生徒です」

 彼も王族だったようだ。オキシペタルムクラッスは貴族と平民が入り混じっているらしい。平民であるアイリスとしてはローズルージュクラッセより気が楽そうだ。

「ぜひ、ご指導のほどよろしくお願いします」

 アイリスに微笑みかける彼からは陰りが見られなかった。

 最後に会ったのはグロリオケ。「あんたが教師になるのか。驚いたな」と笑った。

「俺はグロリオケ=フォン=カキツバタだ。フリードリヒ諸侯同盟国の盟主の孫で次期盟主、ガヴォットクラッスの級長だ」

 盟主の孫……確かにフリードリヒ諸侯同盟国はカキツバタ家が一番の権力を持っていたハズだ。ガヴォットクラッスはオキシペタルムクラッスと同じく貴族と平民が入り混じっているらしいが、真面目に学びたい人とそうでない人の差が酷いらしい。ある意味一番大変なクラッスかもしれない。

 級長達の話を聞き、生徒と会話をして部屋に戻る。

 自分が担当したい学級は……。


「昨日、士官学校を見てきましたね」

「君には三学級の内のどれかを担当してもらう」

 次の日、アヤメとディアーの言葉に、アンジェリカが「あなたから先に担当したい学級を決めていいわよ」と告げた。アイリスはその言葉に甘え、

「……では、オキシペタルムクラッスの担任をしたいです」

 そう答えた。アヤメが「ユーカリが級長を務めるオキシペタルムクラッスですね?」と最終確認をしてきたので頷く。

「分かりました。あなたには期待をしています」

「早速だが、来週は模擬戦がある。そこで君の技量も見極めさせてもらおう。大司教を失望させないようにな」

 ディアーに言われ、アイリスは頷く。アンジェリカがローズルージュクラッスを、クリストファーがガヴォットクラッスを担当することになり、学級に向かうことになった。

 アイリスがオキシペタルムクラッスに行くと、驚きの声があがった。

「え……!新しい担任って、まさか……!」

 慌てだしたのはオレンジ色の髪に青目の少女――サライ=エルメスだ。

「ごめんなさい!同い年ぐらいに見えたから、つい……!気を付けます!」

「大丈夫、気にしないで」

 アイリスがそう言うが、彼女は「で、でも……」と俯いてしまった。

「えぇ、こちらの気がすみません」

 ユーカリも賛成するが、赤髪に赤眼の青年――シルバー=ゴード=ヴァルキリーに「先生がいいって言うんですし、構わないんじゃないですか?」と言った。

「それを言うなら俺達が殿下にこんな口をきいている時点で、不敬もいいところじゃないですか」

「王国ではないんだし、それとこれとはまた別の話で……」

 ユーカリは彼の言葉に少し考えて、

「……まぁ、先生がいいと言うのなら、その言葉に甘えさせてもらおうか」

 と言った。すると金髪に緑目の少女――メーチェ=ユカーナ=カエザルが「私のように元から敬語で話す場合はどうしたらいいでしょうか?」と聞かれた。

「難しいなら、無理する必要もないと思うわ。先生もそれでいいでしょう?」

 アイリスのかわりに答えたのは白髪に青目の女性――アンナ=オルビス。頷くと、シルバーが「先生は器がでかいですね!どうです?この後お茶でも……」といきなりナンパしてきた。それを遮ったのは藍色の髪に同じ色の瞳の青年――フィルディア=ベルク=アクアマリン。

「待て、こいつには用がある。後で訓練場に来い。お前の技量を見てみたい」

「その勝負、俺も参戦したいんだが」

 ユーカリが言うと、フィルディアは「ちっ……」と露骨に嫌そうな表情を浮かべる。二人の間で何かあったのだろうか?

「あ、あの!僕も見学させていただきたいのですが!」

 そう言ったのは灰色の髪に緑目の少年――アドレイ=シオン。このクラッスの中では一番年下だ。

「アドレイ、見るだけと言わずお前も参加すればいい」

 ユーカリは彼に笑いかけた。

「……殿下。羽目を外されすぎぬよう」

 ユーカリに告げたのは褐色肌で、白髪に緑目の青年――ガザニア=ムクゲ。身長が一番高く、ユーカリの従者らしい。

「お前は心配性だな、ガザニア」

「あの……仲を深めるのに剣を交えるって、なんか根本的に間違っている気がするんだけど」

「あら?ならあなたはここでお留守番してる?」

 メーチェに言われ、シルバーは「お前、本当に俺には厳しいよな……」と呟いた。

「……先生、見ての通りオキシペタルムクラッスは騒がしい学級だ。面倒をかけるかもしれないが、一年間よろしく頼む」

 ユーカリが代表してアイリスに言う。アイリスも「こちらこそ、よろしく」と頷いた。

 そうして訓練場に向かい、生徒達と剣を交える。騎士道を重きに置いている国の出身者だけあって、アイリス自身も彼らから武術を学ぶことが出来た。

 夜、割り当てられた部屋でオキシペタルムクラッスの生徒達の経歴を見る。


 ユーカリ=アレキサンドル=アストライア

 年齢 十七歳 誕生日 十一月十八日 身長 百八十cm

 ベネティクト神聖王国の王子で次期国王。四年前に起きたフレットの悲劇で家族を失う。力が強く、よく物を壊してしまうらしい。高潔で誠実な青年。

 好きなもの・得意なもの 武術 武具 身体を動かすこと 遠乗り 力仕事

 苦手なもの・嫌いなもの 暑さ 細かい作業 壊れやすいもの

 ガザニア=ムクゲ

 年齢 十八歳 誕生日 一月二十八日 身長 二百二cm

 王国のさらに北にあるフレット地方の平民。フレットの悲劇で家族を失い、命を救ってくれたユーカリの従者になる。

 好きなもの・得意なもの 料理 園芸 裁縫 花

 苦手なもの・嫌いなもの 暑さ 馬術

 シルバー=ゴード=ヴァルキリー

 年齢 二十歳 誕生日 一月十九日 身長 百七十八cm

 ヴァルキリー辺境伯の嫡子。ユーカリ、フィルディア、メーチェとは幼馴染。無類の女好きだが、かなりの人情家。

 好きなもの・得意なもの 盤上遊戯 馬術

 苦手なもの・嫌いなもの 暑さ 嫉妬

 フィルディア=ベルク=アクアマリン

 年齢 十七歳 誕生日 十月八日 身長 百七十七cm

 アクアマリン公爵の嫡子。鍛錬が好きで、腕の立つ者がいると手合わせをしたがる。兄であるグレイをフレットの悲劇で失った。

 好きなもの・得意なもの 剣 鍛錬 辛いもの 肉

 苦手なもの・嫌いなもの 暑さ 甘いもの 父親

 アドレイ=シオン

 年齢 十六歳 誕生日 九月二十八日 身長 百六十五cm

 元は酒場の子であり、ヒイラギ卿の養子。礼儀正しく、育ててくれたヒイラギ卿のような人になりたいと勉強している。

 好きなもの・得意なもの 料理 騎士道 スミレ 子供の相手

 苦手なもの・嫌いなもの 嘘 荒事

 アンナ=オルビス

 年齢 二十二歳 誕生日 十二月九日 身長 百六十cm

 帝国出身だが、母と共に王国領の教会に身を寄せていた。身体を動かすのが苦手で魔道学校に通っていた。サライとは魔道学校で知り合った親友。

 好きなもの・得意なもの お菓子作り 裁縫

 苦手なもの・嫌いなもの 暑さ 身体を動かすこと

 メーチェ=ユカーナ=カエザル

 年齢 十七歳 誕生日 八月二十日 身長 百六十三cm

 王国の貧しい貴族であるカエザル伯爵の息女。騎士を目指している。フレットの悲劇で婚約者を失った。

 好きなもの・得意なもの 騎士道 食べ歩き

 苦手なもの・嫌いなもの 暑さ 贅沢 お洒落

 サライ=エルメス

 年齢 十六歳 誕生日 六月十五日 身長 百五十三cm

 王国騎士の娘だが、父が行方知れずとなってしまい、母と共に叔父の元に身を寄せていた。魔道学校では優秀な成績を修めた。

 好きなもの・得意なもの 勉強 掃除 洗濯 歌うこと

 苦手なもの・嫌いなもの 暑さ じっとしていること


 なるほど、やはり寒冷の地にある国だからか暑さが苦手な生徒達が多いようだ。そこは気にかけていた方がいいだろう。それに、四年前に王国領で起こった「フレットの悲劇」で大切な人を亡くした人もいるようだ。家族の話をする時は気を付けた方がよさそうだ。

 ――「あの子」はどうしてるかな?

 不意に菫色の髪の少女を思い出す。確か、彼女も王国領の人間だったハズだ。最後まで名前を教えてもらうことはなかったが、人々からは「ヴァイオレット」と呼ばれるようになった。今はディオース中で活躍しているらしいが……。

 ――先輩、千年祭の時にまた会いましょうね。

 そう言って「あの子」は小さく笑った。自分と同じで表情がなかった少女のあの時の笑みはとても美しかったと記憶している。

 千年祭まであと五年だ、その時にはあの子もここに来るのだろうか?その時まで教師をしているか分からないが、あの子とまた会えるのなら嬉しい……と思う。感情というものはよく分からないが。

 そうして考えていると、眠気が襲ってきた。アイリスは資料を机に置いてベッドに転がり、目を閉じた。



 同日、菫色の髪の少女――ヴァイオレットは風の噂でアイリスが大修道院に向かったことを知った。

「……ベアテ大修道院、ですか……」

 ヴァイオレットとしてはあまり近付きたくない場所だ。確かに十三年前に母が自分を産んだところであるが、行きたくない。もちろん、アイリスに何かあったらすぐに駆け付けるつもりではあるが。

 ――母は、大司教が私に「何か」したことを知ったから大修道院から逃げ出した。

 左胸に手を当てる。そんなことをしても本来動いているハズの心臓は動きやしない。それはアイリスも同じだった。そのことに嫌な予感がしている。

 ……大司教が先輩に何かしなければいいけど。

 そう思いながら、ヴァイオレットは夜空を見上げた。



 平日はユーカリに講義の進め方を教わりながら過ごし、夜は資料に目を通す。教師として初の休日になるとアイリスは何をするべきか部屋で考える。そこにユーカリがやってきた。

「先生、一緒に食事はどうだろうか?」

「……食事?」

「食堂があるだろう?せっかくの休日なのだし、親交を深めたいと思って」

 それはありがたいが……いくら生徒と教師とはいえ、王子である彼と傭兵である自分が一緒に過ごしていいものだろうか……?

「ガザニアも同席してくれる。安心してくれ」

「……まぁ、それなら……」

 彼の従者も一緒なら大丈夫だろう。そう思って了承した。

 一緒に食堂に向かい、料理を受け取る。そして先に来ていたガザニアと共に食事をとる。

「ねぇ……あれ見て……」

「新任教師だろ?アイリス先生がどうしたんだ?」

「彼女、傭兵時代は「青い悪魔」って呼ばれてたんですって。何でも無表情で敵を屠るとか」

「マジで?あんな美人な顔して結構えげつないな……。しかも、アリシャ教を信仰していないんだろ?なんでアヤメ様はそんな人を教師に……?殿下、本当に大丈夫かよ……」

「しかも、「国王殺し」のフレット人を従者にするなんて、何を考えているのかしら……?」

 その様子を見ていた周囲の人達はぼそぼそとそんな話をしだした。ユーカリは「やめるよう言ってこようか?」とアイリスに聞くが、アイリスは首を横に振る。

「あの名前で呼ばれていたのは事実だし、君が口出しする必要はないよ。気にしないで」

「だが……」

「イレギュラーな存在が嫌なだけでしょ。気にするだけ無駄。……まぁ、ガザニアまで悪く言われるのは心外だけど」

 淡々としている彼女にユーカリは「先生がいいのなら構わないが……」と俯く。彼としては、先生が無表情で何を思っているのか分からないのだ。

 その後もアイリスとガザニアに対する悪口が続く。無視して話しながら食べていたが、不意にアイリスが立ち上がる。そして、その悪口を言っている兵士達に近付いた。何をするのだろうとユーカリはひやひやする。彼女は元傭兵だ、まさか剣で斬り捨てたり……。

「……そこの君達」

「は、はい⁉」

「私の悪口を言うのはまだいい。だが、生徒の悪口はいかがなものかと思う。もう少しわきまえてくれないか?」

 ……その言葉にユーカリはキョトンとした。失礼な話だが、まさか彼女が生徒のことを心配するとは思っていなかったのだ。感情の起伏の乏しさから何を考えているか分からず、生徒のことなど興味ないと思っていたから。

 アイリスは席に戻り、何事もなかったかのように再び食事を始める。

「先生、俺が言いに行ったんだぞ?」

 我に返ったユーカリはそう言ったが、アイリスは「生徒の手を煩わずわけにはいかない」と告げた。

「いや、だが自分の従者のことでもあるわけだし……」

「ユーカリもガザニアも私の生徒だ。私が守ってあげるのは当たり前のこと。……それより、模擬戦のことで聞きたいことがある。どうしたらいい?」

 いつの間にか、アイリスは食べきっていた。ユーカリは「あ、あぁ。じゃあ後でまた先生の部屋に行く」と言った。アイリスは分かったと頷き、食器を片付けた。

「食事、誘ってくれてありがとう」

 そう言って、アイリスは部屋に戻った。ユーカリは先程の言葉を思い出す。

 ――私が守ってあげるのは当たり前のこと。

 アイリスからしたら何気ない言葉だっただろう。だが、ユーカリはどうしても忘れられなかった。胸がドキドキしている気がする。

「殿下、どうされました?」

「い、いや。何でもない」

 無表情で盗賊を殲滅した彼女の姿とかけ離れていて驚いただけだ。相変わらず無表情だが、身内に入れた者には優しいのかもしれない。まだそんなに関わっていないので分からないが。

 食事を終え、ユーカリとガザニアは担任の部屋に向かう。アイリスは生徒と同じ寮で過ごしている。ちなみに部屋は生徒寮の一階でガザニアの隣だ。教師寮は空いていなかったらしく、生徒と同じ寮になったらしい。その隣、一番端の部屋は空いている。

「先生、入るぞ」

 ノックをして、返事があったので中に入る。アイリスは本を読んでいた。先程とは違い、薄着の姿で。

「何を読んでいたんだ?」

「この大陸の歴史についてね。仮にも教師が何も知らないじゃ示しがつかないし」

 それならまずはその薄着をどうにかしてほしいのだが。目のやりどころに困る。

「……先生、男が来ると分かっているならさすがにその格好はどうかと思うぞ」

 ガザニアもそう思ったらしい。ユーカリのかわりに注意してくれた。アイリスは「あぁ、すまない。そんなものか」と上着を着た。

「なぁ、つかぬことを聞くが、傭兵の時もそんな風に薄着になったりしていたのか?」

「そうだね。あまり気にしなかったのだが……」

「……ここでは薄着にならない方がいいぞ」

 どこが、とは言わないがアイリスは大きい。傭兵時代は父親がいたから何ともなかったのかもしれないが、今はずっと一緒にいるわけではないのだ。今のように男が入ってくる可能性もあるわけだし、もう少し警戒してほしいところだ。

「……気を付ける」

「それ、分かっていないだろう……まぁいい。それで今度の模擬戦のことだったな」

 アイリスが地図を広げる。そして、「ローズルージュクラッスはここから、ガヴォットクラッスはここから始めるそうだ」と説明した。

「それで、君達の得意な武器を教えてほしい」

「分かった。えっと……俺は槍が得意だな。シルバーやメーチェもそうだ。フィルディアは剣術が得意だ」

「俺は斧だな。アドレイは弓でサライは闇魔法、アンナは白魔法……白魔法は回復魔法がメインだと思ってもらったらいい」

「槍を使う人が多いんだね……」

 アイリスは一応何でも使えるが、一番得意な武器は剣だ。確かローズルージュクラッスは近接攻撃が得意な人達が、ガヴォットクラッスは弓や魔法が得意な人達が多かったハズだ。ふむ……と考え、

「じゃあ、まずはガヴォットクラッスの人達から倒そう。近距離で攻撃し、遠距離からとどめをさす。魔法を使う人は無理して体力を減らさなくてもいい、ゆっくり倒そう。怪我したら白魔法で治してもらって。私も後方から援護するようにするけど、その間にローズルージュクラッスの人達が来たら私が囮になる」

「それだと先生が危険ではないのか?」

 ガザニアがアイリスに言うと、彼女は「私は大丈夫なんだが……」と考え、

「心配ならユーカリが一緒に来て。インコントロ村で見たが、もう少ししっかり君の実力を見てみたい」

「分かった、ガザニアもそれでいいか?」

「……先生と一緒なら大丈夫でしょう」

 そうして、ある程度の作戦が決まった。

「こんな時、あの子がいてくれたらな……」

 不意に呟いた声が聞こえたらしい、「あの子?」とユーカリが聞いてきた。

「ん?あぁ、昔ね、一緒に行動していた女の子がいたんだけど、その子は頭がかなり良くてね。傭兵団の軍師役をしてくれたんだ。しかも、味方を誰一人死なせないで敵を一掃させることが出来る策を講じてね。それに、大人に負けないほど強いんだ。私ともよく手合わせしていた。君達よりまだ若くて……今年で十三になるかな?……私の、唯一の妹分だよ」

 そう言う彼女の顔は相変わらず無表情だが、その目には明らかな慈愛が含まれていた。そんな瞳をするぐらいなのだから、本当のことなのだろう。そんな強い女の子がいるのか……。会ってみたい気もする。

「その女の子は?」

「途中で道を別にしてね。今は若い義賊として大陸中で働いているみたいだ」

「若い義賊……もしかして、「ヴァイオレット」のことか?性別は分からないが……」

 ガザニアが思い出したように確認する。するとアイリスは意外そうな顔をする。

「あ、知ってたんだ」

「知ってるも何も、ディオース中の住民なら皆分かるだろう。若き菫色の義賊……王都でも有名だった。何でも、平民だろうが貴族だろうが弱き者のために働くのだとか」

「ヴァイオレットって名前は周囲がつけたもので、本当の名前は私も知らないんだけどね」

 あの子、最後まで名前を教えてくれなくて、と今度は少し寂しそうな瞳をした。無表情の彼女がそんな瞳をするほど、本当に大事にしていた子なのだろう。

「どこまで知っているんだ?」

「えっと……帝国で身分の高い人と王国領の名門貴族の娘が両親らしいんだが、母しか知らなくて、その母も五つの時に平民として住んでいた村の人達共々目の前で殺されたそうだ。まぁ、かなり重い過去を持っている子だな」

 最初はなかなか手ごわかったよ、とその時を思い出すように話す。

「初めて会った時は口すら聞いてもらえなくてね。何を言っても無視して警戒心の強いネコのように牙をむいたんだ。でも、私があの子を庇った時、初めて名前を呼んでもらった。怪我を治してくれたんだ。そこから変わったんだ、あの子も。本来の優しさを取り戻したんだと思う。そこから軍師役をしてくれたね。子供なのに、私なんかよりすごかったよ」

「噂で聞くのとは随分と違うな……」

 ユーカリ達が聞いているのは優しくて穏やかな、神のような子供(彼女に聞くまで性別は知らなかった)という話だけだ。そもそも、王国領の貴族の娘の子ということも聞いたことがない。やはり義賊だから出自は不明にしていた方が、都合がいいのかもしれない。だが、子供を産んで出奔したという貴族の娘は誰がいたか……。確かに十数年前に士官学校に入学したきり実家に戻っていないという貴族の娘ならいた気がするが……。

「噂自体は本当だと思うよ。あの子が私達と別れたのはそれから半年後だから。ただ、あの子にもそんな過去があったってだけ。あ、でも、そんな過去があるからか大人を毛嫌いしている節があるな。私の父……アルフレッドは平気みたいだけど」

 大人が苦手……まぁ、過去に母や住んでいた村の人達が殺されたらしいのでそれも当然なのかもしれない。

 ――俺も、そうだしな……。

 ユーカリの心に影が落ちた。その子……ヴァイオレットと同じだと。それを知ったら、目の前の彼女は同じように手を差し伸べてくれるのだろうか?

 ……今は、まだこの闇を彼女に見せるわけにはいかない。

 その心の闇を笑顔で隠すのだ。



 そうして訪れた模擬戦の日。それぞれの位置につく。

「では、始め!」

 ディアーの掛け声に皆が動き出す。

「皆、焦らず戦おう」

 アイリスはそう言って指示を出していく。そしてガヴォットクラッスの生徒を倒していく。後ろからローズルージュクラッスの人達が来たので作戦通りアイリスとユーカリが囮になる。

 アイリスが魔法を使おうとしてきたアネモネの従者で黒髪の青年――キキョウ=フォン=カサンドラの手元に訓練用の弓を当て、魔力を溜めさせる隙を作らせないようにする。その間にユーカリが訓練用の槍で倒した。今度はローズルージュクラッス唯一の平民で赤い髪を持った帝国の元歌姫――ユリカ=セレスティーヌが剣を振りかざした。しかしそれにもアイリスは剣で受け止め、はね返した。

「ユーカリ、皆のところに」

 淡々と倒していく女教師に見惚れていたが、その指示に我に返ったユーカリはすぐに他の生徒達の援護に向かう。こちらは遠距離からの攻撃のためか、少し押されている気がする。

「皆!どいて!」

 その言葉と同時に後ろから弓矢が飛んできた。アイリスが放ったものだ。それが斧を持ったピンク髪の少女――ネモフィラ=リンドウ=ジャーリスの手に当たった。それで怯んだ隙を見逃さず、「攻撃を!」と指示を出され、フィルディアが訓練用の剣で彼女を飛ばした。

「アドレイ、弓を!」

 その言葉にアドレイは無意識の内に弓を引いていた。そして、放った弓矢が同じように弓を引いていたオレンジ髪の青年――エメット=ユスティーツの手に当たった。

 二人の教師は魔法で攻撃しようとしてきたが、その前にアイリスが得意の剣術で一掃した。残るは級長であるアネモネとグロリオケだけだ。

(タイミングは――)

 アネモネが斧を振り上げ、グロリオケは弓で狙いを定めていた。これなら――。

 アイリスはまず弓矢を放ってグロリオケの手の動きを封じ込める。そして素早く剣に持ち替え、アネモネの斧を受け止める。

「今だ!」

 その指示を待っていたようにユーカリがアネモネに槍を当てる。そして後ろを向いてグロリオケにも槍をぶつける。

「終了!優勝は――オキシペタルムクラッス!」

 ディアーの言葉にアイリスは安心する。柄にもなく緊張していた。確かに戦闘は得意であるが、妹分のように他人に的確な指示を出せるか不安だったのだ。

「さすが、元傭兵だな」

「でも、次は負けないわよ」

 アネモネとグロリオケはアイリスにそう言ってそれぞれの学級のところへ戻った。次……?と疑問符を浮かべていると「数月後に今回より大規模な模擬戦が行われるんだ」とそれに気付いたユーカリが答えた。

「そういえば言っていなかったな。士官学校では毎月教団から課題がそれぞれの学級に出される。今回の課題はこの模擬戦ということだ。今回は模擬戦だったが、来月からは実戦になると思う」

 なるほど、それならこれからは本腰を入れて教育しないといけない。戦場は一瞬の隙が命取りだ。だから緊張感を持ってもらわないといけないし、皆が納得するような策もしっかり立てないといけない。……まぁ、これは父アルフレッドと妹分でアルフレッド傭兵団史上最高の天才軍師ヴァイオレットの言葉なのだが。

 学級の皆が盛り上がっている中、アイリスは遠くから見守っていた。


 夜、遅くなったので部屋に戻ろうと思い図書館から出ると「先生、そんなところにいたのか」とユーカリが走ってきた。

「これから食堂で反省会を兼ねた祝勝会を開こうと思っていたんだが、一緒に食堂に行かないか?」

「祝勝会?……私がいてもいいの?」

 純粋な疑問だった。生徒だけの方がいいのではないかと思ったのだ。何より自分は無表情だし、いても面白くはないだろう。

「当たり前だ、今回の功労者がいなくては始まらないだろう」

「いや、私は教師だから皆を守るのは当たり前だし、策も受け売りだし……」

「それでも、一緒にやりたいんだ。……確かに俺達はまだ出会ったばかりだ。だからこそ、気持ちも共有したいし、先生のこともいろいろと知りたい。きっと、皆もそう思っている」

 その言葉にアイリスは考える。……楽しいことは話せそうにないが。

「……分かった、一緒に行こうか」

「ありがとう、先生」

「でも、私は本当に楽しいことなんて話せないよ。戦術とか、策の立て方とか、父やあの子に教わったものしか……」

「俺はむしろ楽しみなのだが。歴代最強と謳われているアリシャ騎士団団長の話だとか、十三歳の天才軍師の話とかな。……そう考えると、お前の周りはすごい人ばかりだな」

 そういえば彼は騎士の国の王子だった。戦術や戦い方など、確かに興味があるだろう。それに、奇遇なことに父もあの子も王国出身らしいのでそういったところも話していいだろう。

 食堂に行くと、既に学級の人達が集まっていた。

「殿下、先生、遅かったですね」

 シルバーが二人に手を振る。サライが「準備は出来ていますよ!」と料理を乗せた皿を持って近付いてきて、こけかけた。かけた、というのはそれに気付いたアイリスが素早く彼女を抱えたからである。ちなみに、落としそうになった皿は片手で持っている。

「大丈夫か?サライ」

 真顔でそう言うものだからサライの顔は羞恥と担任教師の男顔負けの格好良さに赤くした。もしアイリスが男性なら、一瞬にして惚れていただろう。

「どうした?顔が赤いが、風邪でも引いたか?」

 しかしそれに気付いていないアイリスは彼女の顔を覗き込んだ。ちなみにこれは素である。

「あら、先生~。離れてあげた方がいいわよ~」

「あ、すまない」

 アンナに言われ、アイリスは体勢を整えてサライから離れる。持っていた皿を置いていると生徒達に見られていることに気付く。

「……私の顔に何かついているのか?」

 そして見当違いなことを聞くのだ。しかもわざとではなく素で。

「い、いえ、何にもついていませんよ」

「ただ……その、何というか……」

 メーチェとアドレイがどう言うか悩んでいる。それを見たシルバーは「あー、先生、さっきの、かっこよかったですよ」とかわりに告げる。しかし、何を言っているのか分かっていない彼女は疑問符を浮かべている。あ、これ何を言っても駄目だと誰もが思った。

 当の本人は、アルフレッドに聞けば意味が分かるかな、と思っていた。突然で、しかも生徒と年がそう変わらないのに教師になれるぐらいなので勉強や戦闘などは出来るのだが、他人の感情というものはアルフレッドに聞いた方が早いことが多かった。もし仮にヴァイオレットがいたなら彼女でもいいのだが、アイリスほどではないとはいえ感情に乏しいところがある。

 椅子に座り、皆が盛り上がり始める。そんな中、アイリスは静かに食べていた。

「先生、話が聞きたいのだが」

 そんな彼女に、ユーカリは話しかける。アイリスは「何が聞きたいの?」と尋ねる。

「お前の傭兵時代の話を聞かせてくれ」

「傭兵時代、か……そうなると、アルフレッドのことから話した方がよさそうだね」

 最近聞いた話だが、何せ自分は父がアリシャ騎士団から抜けた数年後に生まれた、らしい。自分の年齢もよく分からないのでいつ生まれたのかは分からない。ただ、物心着いた時には父は既に傭兵稼業をしていた。

 父は元々王国出身の騎士で、ある貴族の人に仕えていたらしいが、死にかけていたところをアヤメに助けられたみたいだ。それで、アヤメに仕えることになった。しかし、事情があってアリシャ騎士団を抜けた。その時から傭兵をするようになった。私も、物心着いてから数年後には戦場に立つようになった。その前は、確か鍛錬や雑用をやらされていた。父は自分の子だからと優遇することはなく、他の傭兵仲間と同じようにしごかれたことを覚えている。読み書きも、その合間に教えられた。

 いつしか、無表情で敵を屠ることから「青い悪魔」と呼ばれるようになった。同じぐらいの年の子供達にも「化け物」と言われた。それを父に言ったら、悲しそうな顔をしてしまった。それ以降は父の前で自分のことをそんな風に言わないようにしている。

 ユーカリ達に会ったのは、依頼を受けて王国に行く直前だった。最近同じ夢を見ていて、私が起きるのが遅くなったから早く出発の準備をすませようと思っていた矢先のことだった。

「そこからは、君も知っての通りだね。一緒にここに来ることになって、アヤメから教師になるように言われた」

「なるほど……それにしても、アルフレッド殿は王国出身だったのだな」

「うん。ヴァイオレットを見た時、「お前も王国の人間か。俺もそうなんだ」と言っていたから」

「あぁ、かの有名な義賊とも知り合いだったと言っていたな。そうか、王国貴族の娘の子であるなら、確かに王国出身ではあるな」

 彼女の周りが王国出身の人達で、ユーカリは自分のことではないが誇りに思った。自分の国の人達の指導で彼女が育ったと思うと嬉しかったのだ。

「ヴァイオレットのすごいところはね、アルフレッドすらも驚かせる戦術を編み出すところなんだ。だから「アルフレッド傭兵団史上最高の天才軍師」とまで言われていて」

「ははっ、アリシャ騎士団歴代最強の団長様にそこまで言わせるとは、ヴァイオレットに策をたてさせたら全勝するな」

「……実際、彼女の立てた策通りにしたら誰一人死なせることなく勝つことが出来た」

 ユーカリは本気で言ったわけではなかっただろう。だが事実、ヴァイオレットは幼いながら軍師の才能があった。伸ばせば、歴代の軍師より素晴らしい軍師となるだろう。あのアルフレッドが別れを惜しんだ人材でもある。

「そ、そうなのか?それはすごいな……先生もだが、今の王国に欲しい人材だな……」

「……そんなに情勢が上手くいっていないの?」

 疑問に思い、アイリスは聞く。すると彼は「今は俺の伯父に当たる人が俺のかわりに政治をしているのだが……」と呟く。

「伯父の政治が酷くてな、民のことを全く考えないんだ。正直、このままでは国が崩壊してしまうかもしれない。だからこそ、俺が早く即位するべきなんだが……あいにく、俺は未熟だ。かわりに国を治めるのに一番ふさわしいユースティティア大公爵ヨハン殿は相当な年だが、「女神の加護」を持っている十三歳の孫がいるらしい。頭がいいらしく、民のことをよく理解しているから、その子に任せられたらいいのだが……その子はどこにいるか、大公も分かっていないらしい。何しろ平民として過ごしているみたいだからな。……一応、その孫からは月に一度、手紙をもらっているらしいが」

 その孫も最低限の礼儀として手紙を送っているのだろう、とユーカリは言った。何しろ孫の母――大公爵にとっては娘――が手紙をくれていたみたいだが、ある日を境に来なくなったらしい。だから何かあって死んでしまったものと思っていたのだが、約半年後ぐらいに孫から手紙が届いたようだ。孫の字を知っていた大公爵はすぐに本物だと気付き、それから戻ってくるように説得しているのだそうだ。しかしその孫はどこ吹く風、領主になるつもりはないと断っているらしい。

「えっと……いろいろと聞きたいことがあるんだけど、「女神の加護」って何?」

 いろいろと聞きたいことがあるが、それが一番気になった。ユーカリは「女神の加護というのは、女神の使い達や眷属達の血を引いていて、その力を使えることを言うんだ。血を引いているだけでは意味がない。その印が現れた者しか使えないんだ。俺の場合、力が強くなる眷属の血を引いていてな……この怪力のせいでよく物を壊してしまう……」と答えた。

「まぁ、実際に見てもらった方が早いかもな」

 そう言って、ユーカリは右手の籠手を外し、黒い手袋も取って甲を見せた。そこには淡く光っている刻印があった。

「これ……」

 似たようなものを見たことがある。……いや、持っている。彼と同じように、手の甲に。

「どうした?先生」

 凝視している彼女にユーカリは疑問符を浮かべる。生まれてから父に連れられてずっと傭兵をしていたから、初めて見るものなのだろう――そう思っていたのだが。

 アイリスは誰もこちらを見ていないことを確認し、

「……これ、アルフレッドから他人にはあまり見せるなと言われているのだけど……」

 そう前置きし、右の籠手を外す。――そこにあったのは、文献でも見たことのない、だが「女神の加護」を持っている者であることを証明している刻印だった。

「これは……」

「多分、同じもの……だよね?」

「あぁ、見たところそうだな。だが、そんな形の刻印……俺も初めて見た。恐らく、クリストファー先生が詳しいと思うが……。もしかして、先生の先祖はどこかの貴族か?」

「いや、特にそんなことは聞いていない。父の他には唯一ヴァイオレットにも見せたのだけど、この刻印を持つ貴族は今までいないハズだと言っていたし」

「だよな……もしいたら文献に乗っているだろうし……」

 まさか、ただの傭兵が刻印を持っているとは誰が思うだろう。しかも、見たことのないもの。父は今まで、これが何なのか話してくれなかった。

「明日は休みだったな。一緒にクリストファー先生のところに行ってみよう。もし彼が分からなかったら、ヨハン殿に聞くしかない」

「ヨハン殿……さっき言っていた、ユースティティア大公爵だよね?なぜ彼に?」

「王国貴族の中でも一番の権力を持っているユースティティア家は、唯一女神の眷属の血ではなく女神の血を引いているんだ。そのためか今は失ってしまった女神の加護の刻印も覚えさせられるらしい。だから研究者で分からなければ、ユースティティア家の者……それも当主か次期領主の者に聞くしかない。……すまないな、力になれなくて」

「ううん、いいよ。私もそんなものだとは思わなかったから」

 籠手を着けると、シルバーが「なーに二人で話しているんですか?」と入ってきた。

「あぁ、ただ先生の昔の話を聞きたくてな。結構興味深かったぞ」

「へぇー。でも俺は、どちらかと言ったら先生の趣味を聞きたいですねー。どんな男性が好みなんですか?」

「……ゴメン、何が聞きたいのか分からない」

 必要なこと以外は何も教えられてこなかったアイリスは、シルバーの質問の意図が読めなかった。今まで父が全ての管理をしていたから、というのもある。つまるところ、悪い虫は父によって全て追い払われていたのだ。ちなみに、ヴァイオレットがいる間は彼女も同じようにしていたことを知る者はアルフレッド以外にいない。

「シルバー、あまり先生を困らせるな」

「えー、でも、殿下も気になるでしょう?」

「……まぁ、先生も俺達と同じぐらいの年齢だろうから、気になる人がいてもおかしくはないと思うが……」

「???」

「そうですよ!先生って何歳なんですか?誕生日は?」

「……すまない、それはアルフレッドに聞いてくれ。私もよく分からない」

 実はアイリスは、年齢という概念も誕生日というのもここに来るまで知らなかった。アルフレッドも特に言ってこなかったし、何より興味がなかった。

「あ、でも、確かあの子がいた時、六月六日にプレゼントをくれた気がする。数年前のことだから、自信はないんだけど……」

「誕生日プレゼントを?」

「そう。あの子とはその数日後に別れたんだけど、誕生日と今までの感謝の気持ちをって、この短剣をくれた」

 アイリスは腰につけている短剣を見た。青い石がついている短剣。ヴァイオレットのイメージは赤だったので驚いたものだ。理由を聞くと、彼女にとってアイリスのイメージが青だったかららしい。

「かなりセンスがいいな、それ。先生のことをよく知っているからだろう」

「うん。あの子は私が無表情でも何を思っているかすぐに分かる子だった。これも、傭兵をやる上で使えるだろうと言って、私のイメージかつ手になじむようなものをくれた」

「なるほど……六月六日だな?覚えておく」

「別に、覚えてなくていいよ。皆にとっては大事なことかもしれないけど、私にとってはどうでもいいことなんだから」

 我慢している様子もないアイリスに、ユーカリは僅かな虚しさを覚えた。自分の年齢すら知らぬ彼女はどのように育てられたのだろうか――。それは、なぜ今までアリシャ教と関わってこなかったのか、そこに繋がる気がした。



 同時刻、ベアテ大修道院の近くの森の中にて。

 ヴァイオレットは足元に転がっている先程まで生きていた肉塊を冷たく見る。全身にべたつく液体が気持ち悪い。左で持っていた剣を使い、それをつつく。既に死んでいるのだから、動くハズがない。

「……悪いわね。先輩に害なす者は全て始末すると決めているので」

 もう聞こえていないだろうと分かっているが、少女は呟いた。元は人間だったこれは、敬愛する先輩を殺そうと企んでいたのだ。「民想いの優しき義賊」と呼ばれているが、その実敵には容赦がない。特に、身内に入れた者に害をなそうとする人間は問答無用でその手にかける。ようは彼女に気付かれた時点で命はなかったのだ。

 少女は返り血の付いた白い仮面を外す。赤い瞳が一瞬だけ青く灯った。

「……私が、皆を必ず……」

 手を胸の前でギュッと握りしめ、そう呟くと、かつて一緒にいた菫色の女性が「大丈夫、私がついているわ」と彼女に笑いかけた気がした。

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