第68話 クローズエンカウンター
「じゃあ、行ってらっしゃい……」
トマは力なく手を振る。
「あんた、めっちゃ元気ないわね。まあいいじゃん。ばっちり良い杖作ってよ!」
エマが元気のないトマにいうと、アレクサンドラは不安そうな顔をした。
「あの、私、そんなに無理な注文をしたのでしょうか?」
「いいのいいの。アリは気にしなくて。トマはどうせ暇なんだから、ねっ」
エマは、両手を左右に仰いでなんだか面白い格好をとる。
「本当、他人事だと思っていい気なもんだよ、君は」
トマは朝から元気がない。それは、アレクサンドラに言われた杖を作らないといけないからだった。しかし、アレクサンドラは少し不思議だった。
何故なら、この世界で杖を作ることはそこまで大変な事ではないからだ。通常、魔法使いが初めてできた弟子に送る最初の物だとされている。魔法道具屋に行けば作成のための部品があり、それを組み合わせれば道具屋が作成してくれる。アレクサンドラが言ったのはこのような発想だった。ただ、値段が高いものほうが良質の傾向があるのだが。
アレクサンドラは、エマの弟子にはなったが、エマとトマ二人を尊敬していた。だからこそトマとの絆という意味合いで、トマには杖を作って欲しいと頼んだのだった。
しかし、こんなに元気のないトマは初めて見る。もしかして、とても高価なものを作ってくれようとしているのかもしれない、アレクサンドラの頭にはそんなことがよぎる。
「あの……私杖は、諦めても……」
「いや、いいんだ! 大丈夫だ! ちゃんと作るから! アレクサンドラ、君は一日エマと楽しんでくればいいよ! ほらほら」
トマはそう言うと、アレクサンドラの背中を押す。
「は、はい、分かりました。ありがとうございます」
リシュルにある【季節の香り】は、世界的に有名なパン工房である。
サンドライスのパン生地を使い、魔法調理の技法で仕上げた特別なパンは、艶々できつね色、ふんわりでモチモチ、しかもその鮮度は魔法により一か月は維持され、焼き立ての何とも言えない香ばしく甘い香りがずっと続く。
そのパン工場はとても大きく、端から端までは八キロに及ぶ。
そして、その内部は、異様なほどに塵一つなく綺麗で、パンを運ぶベルトコンベアーが上下左右、まさに縦横無尽に張り巡らされ、出来上がったパンが次々と運び出されていく。そして、そのまま全世界に出荷されるのだった。さらに違和感を覚えるのは工場の中で働いている人を見ないということだった。すべての機械が自発的に動いているかのようなのだ。
エマ達は、その工場の地下で生活していた。
生活と言っても常に居るのは、エマ、トマ、アレクサンドラの三人で、他の皆は、各地で諜報活動を行い、ある程度目途がつくと帰って来てはエマやトマに魔法を習って、また各地へ出発するという状態だった。
「じゃあ、行ってきます!」
アレクサンドラは、薄紫色の軽量なミニスカートのローブを着て、トマに向かって丁寧にお辞儀をした。
「いってらっしゃい! 僕ももう少ししたら出かけるから、君たちはゆっくりしておいでよ」
トマは、にっこりと笑って手を振るのだった。
「よし! いっくわよ、アリ! マジ競争だから! レッツラゴー!」
「えっ、そんな。もっと、ゆっくり――」
アレクサンドラのことなどお構いなしに爆風をまき散らし、もの凄いスピードで発射されるエマ。
「ま、待ってくださーい」
アレクサンドラは覚えたての飛行魔法で何とか後を追うのだった。
「うーん。なんだろ……面白いデートだね、エマ……まあ、いっか、ははは」
トマは、両手を後ろ頭で組んで、楽しそうに笑っていた。
一方その頃、首都ライザにあるウォルシュ邸。
窓からは、鳥の声が聞こえ、そよ風が花の香を運ぶ。ライザ帝国ではこの季節になると、西からの心地の良い風が吹く。春を運んでくる風だ。
リリーは、ベッドの脇にある白縁の小窓から吹く、優しい風に頬を撫でられて目を開けた。
ゆっくりと起き上がると背伸びをし、そのまま洗面台に向かうのだった。
エドワードとエミリーから身の回りの事は全て自分でやるように言い聞かされている。それは、後々自分が困るからだとリリーは教えられた。
リリーはとにかく知識を欲した。それは、一般的な教養や、魔法、政治の事などの書庫で得られるものにとどまらず、ウォルシュ夫妻の教え、街から得られる事、そしてそこに暮らす人々の心情などを敏感に感じとった。
ここに来て二年が過ぎ、リリーは色々なことを学んだが、本音を話すことを控えるようになっていた。それは、誰しもが信用できる人物ではないと学んだからだった。屋敷に来た日、トーマスに言った言葉も、それ以来二度と発することはなかった。
身支度を終え食堂に行くと、エリスがいた。
「リリー様、おはようございます」
エリスは両手をお腹辺りで重ね合わせ、深々とお辞儀をする。
「おはようございます、エリスさん。父上と母上はいないのですか?」
「旦那さまと奥様は朝早くにお出かけになられました。隣国で国交会議があるとのことです」
「じゃあ何日かかかるのですか?」
「そうですね、リシュル国ですので五日ほどでお戻りになるかと」
リリーはそれを聞くと、「そうですか」と言いテーブルについた。
エドワードとエミリーはとても忙しかった。ほとんど毎日政治関係で近隣諸国やその街々に出向いていた。その理由は、見て知る事が何よりも大切だと信じていたからだった。
リリーは家で二人の帰りを待つ事が多かった。しかし、特に暇だとう訳ではなく、一日の学習内容は決められていた。これもウォルシュ夫妻の教えである。
夫妻はこの世界の悲惨な現状を良く知っている。その為、あの様な状態で発見されたリリーが、この先何があっても困らない様全力を尽くそうと考えていたのだった。
「あっ! リリー様、どこに行かれるのですか? 作法がなっておりません!」
朝食の最後の一口を、口に入れると同時に席を立とうとするリリーを、制止するようにエリスが言った。いつもの事なのでエリスは分かっていた。
「うぐ、まっ、街に用事があって!」
慌てて、パンが喉に詰まりそうになる。
「九時からは魔法の講師が来られます。遅刻なさることは厳禁ですが、それはお分かりですか?」
エリザベスは何時になく真面目にリリーを見る。その真剣な眼差しからさをリリーは背筋を伸ばす。
「も、もちろんです、エリスさん。それまでには必ず戻りますから。朝食おいしかったです、ごちそうさま」
慌ててそう言うと、リリーはにそそくさと玄関へ向かった。
玄関から出て、長い庭を抜ける。
外はとても良い天気で、満開の花には虫たちが楽しそうに舞っていた。
「今日は必ず帰らないと、エリスさんも真剣だったし……」
リリーはそう呟きながら、大きな鉄の正門を押し開ける。
その瞬間だった。
リリーの目の前すれすれを、サッと横切る黒い物体。早すぎて目に追えない。
「わっ、何?」
リリーはその物体の横切った方へ目を向けた、何か動物だっただろうか、かなりのスピードだった。
好奇心に駆られて自然とリリーの足はその動物のような物を追うのだった。




