第67話 インターセクティングライフ
「絶対に嫌です! 許しません!」
部屋に響く、大きな声。
「本当にごめんね、アレクサンドラ。エマは悪くないんだ。僕の独断だったし、エマはそれに従っただけなんだ」
「知りませんっ! エマ様もトマ様も知りませんっ!」
アレクサンドラは、思いっきり首を左右に振りながらそう言うと、布団に潜り込んでしまった。
ここはミナとモナの両親が経営するパン屋【四季の香り】のパン工場にある地下施設だ。ザイル帝国にある【リシュル】という町で、首都であるライザの隣に位置する。
アレクサンドラは、変身の後遺症から一週間以上眠っていて、先ほど目が覚めた所だった。
「ああ、これは重症ね。ごめんね、アリ」
エマはベットの傍らで腕を組み、困った顔だ。
「そうだね。まあそれなりの事をしたんだから、こうなって当たり前だけど」
「一体何があったのだ?」
ディンゴがその様子を見て、怪訝そうに片眼をつぶりフカフカの奥から青い瞳を覗かせて尋ねる。
トマは、アレクサンドラの力を引き出すために、自分たちが倒されるように仕組んだことを説明した。
「そう言う事だったか。しかし、それなりの理由があったわけであろう」
ディンゴは言うと、エマとトマが答える。
「力を引き出す為には、過去の自分を克服する事が必要だったのよね」
「それはそうだが、ちょっとやりすぎたかな。まあ、僕たちは完全な分身体を作り出すことが可能だから全然大丈夫なんだけど」
「……あなた方が何を言おうと驚かないと思っていたが、完全な分身体とはまったく理解が出来ないな。まだまだ俺の世界は狭いらしい」
ディンゴは、左右に首を振りながらそう言った。
「アリ~。機嫌直してよ~」
ベットの横で、エマが声を掛けるが反応はない。
「うーん……分かった! じゃあさ、何でも言う事聞いてあげるから! なんちゃって――」
エマがふざけ半分にそう言った途端に、ベットの布団が飛んでいく。
「な、何でもですか! じゃあ私、師匠と、デデデ、デートしますっ!」
アレクサンドラは、突然ベッドから飛び起きたと思うと、そう言ってエマの手を握る。突拍子もない申し出にエマの目が点になる。
「ななな、なんで私とデートなのよっ!」
「なんでもいいんでしょ! じゃあ師匠とデートです!」
アレクサンドラは、その手を握って放そうとしない。
「いいじゃんエマ。良い機会だし、アレクサンドラも色々あって疲れてるから、一日ゆっくりしてくれば」
「トマ様には、私の杖を作ってもらいます!」
トマが喋ると、間髪入れずにアレクサンドラが言い放つ。
「エー……杖は結構大変なんだけど……」
「当たり前です、お二人はそれぐらいの事をしたんですから!」
アレクサンドラは、ふくれっ面でそっぽを向く。
「ま、まあ、お二人共、諦めた方が……」
ディンゴがトマの肩に手を置いてそう言った。
橙色に輝く太陽は西の空に沈んでいき、辺りは夕焼けから夜の静寂を迎えようとしていた。
ルンガ地区の一角、ウォルシュ邸。辺りはもう薄暗くなっていた。
美しい豪邸の一室の窓からは、光が漏れ、そこには食事をする人影が見える。そして、そこからは賑やかな笑い声が聞こえていた。
エドワードの元気で威勢の良い安心する笑い声。エミリーの可愛い太陽のような笑い声。
その安心に囲まれて、リリーはとても嬉しかった。
ライアンストリートで行き倒れていた二年前とは違う。今はこれ以上ない幸福に包まれている。
しかし、その反面でふと不安が押し寄せる。この幸福はいつまで続くのかと。
その場の雰囲気とは相反する、心の中の暗い部分が押し寄せてリリーは思わず眉間にしわが寄り、俯くのだった。
その日の夜更け、暗い部屋の中でランプの明かりにうっすらと浮かび上がるエドワードとエミリーがいた。
ワイングラスを脇に置き、エドワードは古い木製の机に肘をつき、何やら考え込んでいる様子だ。
「あなた、もう二年になるのだし、あまり考えるのはよしましょう」
エミリーが言うと、エドワードは少し顔を上げ遠くを見つめる。
「エミリー……君も夕食の時にリリーの顔を見ただろう。あれは何かに怯えている顔だった。リリーには記憶がないんだ、生まれてから今までのほとんどの記憶が。彼が覚えていたのは、自分の名前と年齢、隣国の小さな村に居たと言う事だけだった……」
エドワードは思い出していた。それはリリーを保護した日のことだ。あの日帝国では強い雨が一週間も続いていた。
リリーは孤児ではないかと予測し、それを隠すために貧民街へ連れて行き、体を洗い上等な服に着替えさせた。そして、郊外に待機させていた馬車にリリーを運び、あたかも名家から連れてきた子供を装った。
しかしルンガが、どこの出身かもわからない孤児を引き取ることはない。それは帝国が許さない。
そこでルーカスは、書面を偽造し、災害で焼け落ちた自分の親戚の子供ということにしたのだった。両親が死に、行く当てがないと。
初めて、この屋敷に連れてこられた時、リリーは酷く衰弱していた。それは空腹のせいもあったが、目が据わり痩せた頬の落とす影が、生命ある同じ人間とは思えないほど凄みがあった。
そして、あの時リリーが初めて口にした言葉は今でも忘れようがない。
「人間は共食いする生き物……」
半ば意識朦朧とする中どんな思考を巡らし、その言葉をエドワードに告げたのか分からないが、その冷たい乾いた声だけがその空間に響き、エドワードの心にのしかかった。
エドワードは自分の心臓が大きく脈打つのを感じた。
この子は一体どんな目にあったのか、それは私などでは想像もつかない体験だったに違いない。エドワードは無言のまま目の前にいる儚げな少年をその両腕で抱きしめるのだった。
エドワードは思い出した記憶でその拳に思わず力が入る。
「あなた、大丈夫よ。私達が出来る事なんてたかが知れている。全てを守る事なんて今はまだ出来ないのだから」
エミリーはそんなエドワードの拳を優しく包み込むように握り笑顔で覗き込んだ。
「エミリー……分かっている。でも……」
エドワードは、エミリーの顔に目を向けるがすぐに遠くを見つめる。窓の外では深い闇が広がり、ランプでその窓に映し出された自分の顔が少し不気味にゆらゆらと揺れている。
まるでこれから先の自分の行末を暗示しているかのようだと感じるのだった。
ザイル帝国の首都ライザの一角にある、ウォルシュ邸。
これから、彼らがどのようにエマ達と関わってくるのか、当の本人達は知る由もない。
こうして、ウォルシュ夫妻の夜は行き場のない不安を抱えたまま更けていくのだった。




