第64話 ニューワールド
エマたちが激戦を繰り広げた、機械都市リトマス連合国の首都リストンから、西へ一万キロ向かった地点にザイル帝国がある。
そして、ここはその首都である、王都ライザ。
そこでは強い雨が降っていた。
今の時期は、雨季であり、強い長雨が続く。視界がさえぎられるほどの雨は、まるですべての事象を覆い隠すかのようだ。
空高く上空から降り注ぐ大粒の雨は、普段多くの人が行き交う石畳みの街道を強く叩き、その水しぶきは円形に飛び散り、沢山の無機質な花が咲いては散っているかのようだった。
遠くの山々で生まれたその雨雲はいくつもの閃光を放ち、美しい無数の細い糸の様な雨を降らせ始める。そして、その美しい水の糸は風と寄り添いながら真緑の森に降り注ぐ。そこでは生命と自然がこの上なく融合され、とても最適なサイクルを生み出す。
その自然的に美しい雨も、この人工的な場所に降り注ぐ頃には、単純な人々によりとても俗っぽい、鬱陶しいものとして成り立っていた。
今は昼時にもかかわらず、誰も外には出ていない。大雨は、もう一週間になる。
この街道はとても整備されていて、両脇に立ち並ぶ建物はきれいに磨かれた白っぽい石で作られている。
この国は円形に設計されていて周囲は三百キロメートルに及び、そしてその中心に宮廷は鎮座する。また、国を分断するように【ライアンストリート】と言う大きな街道が通っていた。
ライアンストリートはいつも活気に溢れ、その両脇には毎日のように所狭しと露店が並び、色とりどりの野菜や果物、それに香辛料などが威勢の良い行商人達によって売られていた。
ゴミ一つ落ちていない綺麗な街並み、豊かな国の象徴であろう商人たちの活気のある声。
周りの国々からは、【栄光の先にザイルあり】と言われ、繁栄の象徴とされていた。そして、そう呼ばれる理由はもう一つあり、それはかつてこの国を創設した皇帝の功績に因んだものであった。
そのような由緒ある、何時もなら活気に溢れる街道も、降り続く大雨のせいで露店どころか、人の気配すらない。
数メートル先が見えない豪雨の中、うっすらと人影が浮かび上がっている。
徐々に浮かび上がってくるそのシルエットは、薄汚いボロボロのまるでただの布切れのような着衣を身にまとい、その背丈からして子供のように見える。
両手に持った木の枝に体重を預け、とても弱々しく少しずつ足を動かす。まるで生気を感じさせず、何かに突き動かされる壊れたおもちゃのようにゆっくりと進む。その体が限界なのは一目見ればわかる。さらに刻一刻と力が抜けている様だった。
しかし、空は無情にも、変わりなく大粒の雨を降らせ、その子供を打ちつける。
そして、ついにその子供は支える力を失い、前のめりに倒れてしまうのだった。
街道沿いの一軒の家。
窓際には、退屈そうに外を眺める、一人の女の子がいた。
「あれ……なにかな? 人かな……? ねえ、母さん、ちょっと来て! 誰か倒れてる!」
母さんと呼ばれた女性は、洗い物の手を止めて、エプロンでその手を拭きながら窓に近づいていく。
「何だってんだ。大きな声出して、こんな大雨に日に人なんて……」
窓までやって来たその女性は、雨で視界が悪いが、覗き込むように目を凝らす。
確かに、なにやらボロを着た人らしきものが倒れて雨に打たれているように見える。
彼女は確かにそれに気づいた。しかし、しばらく考えるように凝視し、顔をしかめる。
「何もいやしないよ。そんな事より、こっちに来て手伝っておくれ」
何事もなかったようにそう言い放ち、台所に戻って行く母親を、女の子は不思議に思ったが、
「えっ! で、でも、あ……う、うん……見間違い……かな……?」
雨が強く見通しがきかない。少女は窓の外が気になりつつも母親についていくのだった。
これが今のこの国の現実だった。
特権階級や財力を持つ者と、庶民とでは天と地ほどの力の差がある。
あの母親は思った。倒れているその子供の服装から察するに、従者協会にいたのかもしれない。従者とは、主人につき従う任務を課せられたものをいう。従者協会は従者となる人材を提供している協会である。もし、誰かの従者だとしたら間違いなく、問題が起こる。それがどういった結果をもたらすのかは誰にも予測できないのだ。
他人に半端な情けをかける危険性をこの国の住民はよく知っている。
厄介ごとに首を突っ込み権力者に目をつけられれば、簡単に人は殺され、全てはまるでなかったかのごとく闇に葬り去られるのだ。
また、貧富の差は激しいこの国では、孤児たちが溢れていた。そういった子供の末路は、そのまま町のどこかで命尽きるか、目をつけられた従者協会に連れ去られるかと、大体相場は決まっているのだった。
降頻る雨の中、少年は未だに街道の中心に倒れている。
するとそこへ緑色のフードを被った一人の人物が、物陰からさっと飛び出し、倒れている子供に近づいた。
そしてしゃがみ込み何かを確認すると、辺りをキョロキョロと見回し、そのまま手早く子供を抱き抱えると暗い路地の奥へと消えていくのだった。
そして、その様子を知りながら傍観していた町の住人達は目を伏せ、少しながらの罪悪感とともにその子供の不幸な結末を思い描くのだった。
暗く狭い路地を縫うように進む。どのくらい進んだのだろうか、先ほどまでの豪華な街並みとは違いこの辺りには古く寂れた建物が多い。
急いでいた歩みがゆっくりとなり、フードの男は飾り気のない木製の古びたドアの前で足を止める。そしてゆっくりと右手でその錆びたノブに手をかけ静かに引くと、まるで動物の鳴き声のような高い音を立て、その扉は開くのだった。
その小屋はとても王都にあるとは思えない簡素な建物で、屋根からは雨漏りがし、朽ちた木材の壁は所々穴が開いている。
冷たい石の床に雨漏りの雫が一滴一滴と落ちる音がただ響いていた。
果たしてなんの汚れだろうか、床には赤黒いシミが所々についていて、湿気でジトジトとしている。その部屋は、その様子から何に使われていたのか想像したくもないが、鼻を突く独特の異臭がしていた。
緑のフードの怪しい人物は、少し弾む息を抑え子供を藁の上に寝かせると、子供の顔を覆っているボロボロの布に手を掛ける。
「……!」
めくった瞬間に、フードの人物は驚いた。
布の下には少年か少女ともわからない中性的な端正な顔立ちの子供がいた。しかしその頬は痩せ、酷く衰弱している。それでもその美しさはよくわかった。白く透き通るような肌をし、またそれとは対照的な黒髪が目をひく。
そこまで確認するとその人物はゆっくりと腰を上げ、暗いフードの奥底から鋭く光る二つの目で静かにその子供を見下げるのだった。
外ではまだ、大粒の雨が降り注ぎその小屋の屋根を強くたたく。どんなに騒いでも音はどこにも届かないのだった。




